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ニッポン・ロングセラー考
ニッポン・ロングセラー考
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いまや130の国と地域で展開され、ライセンス商品を含むと年間約5万種類のグッズが発売されている「ハローキティ」。老舗ギフト会社一番のロングセラーの人気の秘密は、時代や価値観の変化、そして、ファンの声に敏感に反応する“愛されキャラ”としてのブランディングにあった。

第1号商品から人気者だった「キティちゃん」

ハローキティのドレスを着たレディー・ガガ

マライア・キャリー、ブリトニー・スピアーズ、ケイティ・ペリー、レディー・ガガ…“キティファン”を公言する海外スターは多い。なかでも、親日家として知られるガガは、東日本大震災時「ガガ仕様のハローキティぬいぐるみ」をチャリティーオークションに出品し、話題を呼んだ。

「ハローキティ」1974年当時のデザイン

1974(昭和49)年、「ハローキティ」誕生当時のデザイン。当時から一貫して「口」が描かれないのは、見る側が感情移入しやすいように。一見すると無表情に見えるが、自分が嬉しい時にはキティも喜んでいるように、悲しい時にはキティがなぐさめてくれているように見える仕掛けだ。

男女を問わず、子どもから大人まで「キティちゃん」の愛称で慣れ親しんだキャラクターが「ハローキティ」だ。半世紀以上にわたって数多くのキャラクターを世に送り出し続ける老舗企業、サンリオ一の人気者で、年間約5万種類(ライセンス商品含む)のグッズが発売されている。また、積極的な海外戦略で、いまやその人気は海を越えて130の国と地域で展開され、日本が誇る“カワイイ・カルチャー”を代表する存在となっている。レディー・ガガやケイティ・ペリーが筋金入りの“キティちゃんファン”ということはよく知られるところ。今回の「ニッポン・ロングセラー考」は、そんな海外セレブのハートをも掴む「ハローキティ」のブランディング戦略を紹介する。

株式会社サンリオの前身である山梨シルクセンターは、ギフトを通じて人と人をつなぐ「ソーシャル・コミュニケーション・ビジネス」を目指し、1960(昭和35)年に創業された。ギフト商品を企画・販売していたが、当初は社内にデザイナーがおらず、水森亜土ら外部のアーティストにデザインを委託していた。その後、社内にデザイナーを抱え、自社でキャラクターを手がけるようになり、70年代初めには自社開発の商品を自社が運営する専門ショップで販売するという現在のビジネスモデルの基礎が確立される。1973(昭和48)年には社名を株式会社サンリオに改め、その翌年の1974(昭和49)年、当時、モチーフとして人気の高かったネコのキャラクターを開発するべく「ハローキティ」のデザインが誕生する。

「ハローキティ」第1号商品のプチパース

1975(昭和50)年に発売された「ハローキティ」第1号商品のプチパース。価格は220円だった。

「ハローキティ」が商品化されたのは翌年(1975年)で、小さなビニール製の財布「プチパース」だった。ほかのキャラクターや模様など何種類かのデザインで展開されたが、「ハローキティ」の売れ行きが圧倒的によかったことを受け、商品数を一気に増やしていった。
「プチパース」にデザインされていた時にはまだ「ハローキティ」という名前もついていなかったが、キャラクターの人気とともに名前が決定し、身長(りんご5個分)、体重(りんご3個分)、家族構成(パパ、ママ、双子の妹の4人家族)、住んでいる所(イギリス・ロンドン郊外)、好きな物(ママの作ってくれたアップルパイ)から将来の夢(ピアニストか詩人)まで、より詳細なプロフィールが設定された。そして、70年代後半には、「ハローキティ」はサンリオを代表するトップキャラクターの一つになっていた。

©1976,2016 SANRIO CO.,LTD.

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