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NYへの出店で、メイド・イン・鯖江の品質の高さを実感

161_img04.jpgオリジナルブランド「SPIVVY」は、日本的な繊細さにこだわりながらモードを追求したデザインが特徴。

「BLAZE」の設立から10年後の1997(平成9)年、金子眼鏡株式会社は第二弾となるオリジナルブランド「SPIVVY」を立ち上げた。「BLAZE」の人気が高まり、セレクトショップのみならず量販店にまで卸すようになったことで、逆に「BLAZE」のブランド価値が下がってしまったことがその背景にあった。そこで「BLAZE」を大衆向け商品と位置づけ、よりモード寄りのブランドとして「SPIVVY」を誕生させた。さらに、卸先のエリアと店舗を絞ることで、ブランド価値を高める戦略に打って出た。「SPIVVY」は、品質は元よりその斬新なデザインが高く評価され、現在も同社を代表するブランドの1つとして不動の人気を誇っている。

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職人シリーズの1つ「泰八郎謹製」を手がける山本泰八郎氏。セルロイド一筋で眼鏡をつくり続ける職人だ。

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伝統的な「ノー芯」製法でつくられる「泰八郎謹製」。丹念に手磨きすることによって生まれる柔らかい質感が魅力。

さらに同年、職人シリーズとしてフルハンドメイドの眼鏡ブランド「泰八郎謹製(たいはちろうきんせい)」「恒眸作(こうぼうさく)」を立ち上げる。そのきっかけとなったのは、鯖江で活躍する眼鏡職人、山本泰八郎氏との出会いだ。山本氏は分業体制には加わらず、すべて1人で眼鏡をつくり上げる昔気質の職人だ。ある時、山本氏がつくったセルロイド製の眼鏡を金子氏が目にする機会があり、まるでべっ甲のような奥深い艶に感動を覚えたのだという。最古の合成樹脂といわれるセルロイドは、硬くて丈夫なため、眼鏡のテンプル(つる)に芯を入れない伝統的な「ノー芯」製法でつくる。仕上げは美しいが、加工が難しく、また燃えやすいことから欧米では輸出入が禁止されている素材である。そのためセルロイドはアセテートに取って替わられ、今の眼鏡業界ではほとんどつくられることがなくなった。
そんな消えかけたセルロイド製の眼鏡に金子氏が着目したのには、伝統的な製法で「本物の眼鏡をつくる」という自負があったからだ。その思いは、職人の名前をそのまま冠したブランド名にも表れている。当時、横文字の名前ばかりだった眼鏡業界において、「泰八郎謹製」というブランド名が稀有な存在だったことは言うまでもない。

1991(平成3)年のバブル崩壊直後、世間の不景気とは反比例して、金子眼鏡株式会社の売上は右肩上がりだった。次々と打ち出したオリジナルブランドがこれまでの市場にはない商品だったことから、多くの引き合いがあったためだ。そして、2000(平成12)年、米国ニューヨークのソーホー地区に直営店「FACIAL INDEX NEW YORK」をオープンさせる。ソーホーという感度の高い地区に店を構えることで、世界のトレンドを肌身で感じることができ、日本人とは顔の骨格も違う欧米人にどういう眼鏡が受け入れられるのかなど、今後グローバル展開をするうえでのマーケティングに役立てることができたという。
ここでの日本製眼鏡に対する評価は一様に高く、品質の良さに驚く人が多かったという。場所柄、世界的なアーティストや映画監督などの著名人も来店し、同社にとって得難い経験の場となった。

しかしながら、好調だった国内での売り上げが2000年を過ぎる頃には陰りを見せ始める。中国・韓国製のフレームとレンズで「低価格」「明瞭会計」を旗印にしたショップの流行や不況による消費の低迷が、同社の卸売業に大きく影響していた。そこで卸売業と企画の両輪で進めていた経営にメスを入れる。小売り=「金子眼鏡のものづくりの世界観を直営店で伝えるビジネス」にシフトチェンジしたのだ。

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