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自社工場設立による一貫生産体制でブランド力を強化

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プラスチックフレームの切削から仕上げまでの一貫生産体制の拠点となる自社工場「BACKSTAGE」。

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「BACKSTAGE」という名前には「職人が精魂込めて眼鏡を生み出す裏舞台」という意味が込められている。

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眼鏡づくりの工程の約3分の2を占めるといわれる「バフ研磨」も職人によって1つ1つ手作業で行われる。

創業から現在に至るまで、金子眼鏡株式会社のターニングポイントは2つあった。1つは2006(平成18)年に自社工場「BACKSTAGE」を設立したことだ。 近年、鯖江の眼鏡産業は海外製品流入による低価格化などによって景気が落ち込み、事業をたたむ業者が続出。それに伴い、分業体制のいくつかの工程が順番待ちとなり、納期に大幅な遅れが出るようになった。そこで計画的に眼鏡を生産するため、同社は自社工場でのプラスチックフレームの一貫生産体制を築いたのだ。分業体制に比べると設備投資が必要なものの、製造過程で生まれるアイデアや修正点を積極的に取り入れることにより、さらなる品質向上、ものづくりにおける高みを目指したのだ。
自社工場では「不易流行」の精神で、先人たちが培ってきた伝統製法を継承しつつ、三次元切削機械なども取れ入れ、手と機械、つまりは伝統技術と最先端技術の両方を生かした発展的なものづくりを行っている。例えば、眼鏡づくりにおける最も重要な工程である研磨作業は、職人が何種類ものバフを使い分け、1枚1枚手作業で磨いている。フレーム1枚が完成するまでに十数回ものバフ研磨が繰り返されるが、ここで発揮される卓越した技術によって、機械では真似できない艶や光沢感を生むことができるのだ。
鯖江が誇る匠の技を守り、発展させた本物の眼鏡づくり。オリジナルブランド設立時から、同社が一貫してこだわり続けるそうしたものづくりに対する姿勢をよりダイレクトに伝えるため、直営店の出店にも拍車をかけた。国産眼鏡の中では高価格帯の商品を扱う同社は、売り上げに比べて売り場面積が半分ほどですむという効率のよさも追い風となった。こうして自社で川上から川下まで携わることで、商品やそこに込められた思いを自分たちの手でユーザーに届けることが可能になった。

もう1つは、2010(平成22)年に羽田空港国際線ターミナルに直営店「金子眼鏡店」をオープンしたことだ。金子眼鏡株式会社は1999年を皮切りに「FACIAL INDEX NEW YORK」「COMPLEX」など様々な業態の直営店を全国の都市部に展開していくが、いずれも社名を冠することはなかった。店舗の業態を分けることで幅広い客層を取り込む戦略をとってきたためだ。しかしながら、自社工場を構えたことによって、自分たちの手でものづくりができるという確信と自信が得られ、満を持して社名を冠した直営店の開店に至った。その後、既存店を「金子眼鏡店」にリニューアル。中高年層も入りやすい店構えとなり来客数が増え、客単価も上がり、売り上げを着実に伸ばすことができた。
また、「金子眼鏡店」のオープンと時を同じくしてオリジナルブランド「金子眼鏡」が誕生。自社工場で職人が丹念につくり上げる眼鏡で、同社の集大成といえるブランドだ。こうして創業から半世紀かけて、会社、店舗、商品すべてが一致する“金子眼鏡ブランド”が確立することとなる。

2016(平成28)年8月、金子眼鏡株式会社は同じく鯖江を拠点にメタルフレームを製造する株式会社栄光眼鏡を子会社化した。これにより自社工場設立時より悲願だったメタルフレームの内製化が叶うことになった。時代の流行に左右されやすいように見える眼鏡だが、かつてのライセンスブランドブームは収束し、3プライス眼鏡とのすみ分けも生まれ、今は人ぞれぞれの価値観で眼鏡を選ぶ時代となった。だからこそ、鯖江の誇りでもある職人の丹念なものづくりを礎とし、本物の眼鏡づくりに挑み続ける金子眼鏡の眼鏡は、“本物”を求めるユーザーに響くのだろう。

取材協力:金子眼鏡株式会社

2017/7/28

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