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賢いはたらき方のススメ
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< 結果に左右されない自己の成長方法 >

プロテニスプレーヤー杉山愛さんは、4歳でテニスを始め、世界トップランカーに上り詰めるまでには、ご自身が「どん底」と表現するほどのスランプに見舞われ、テニスをやめようとすら思ったこともあったとか。しかし、その苦境を乗り越えたプロフェッショナルとしての自己管理の意識や決断、実行力は、私たちビジネスパーソンにとって、学ぶべきことがたくさんある。

人の集中力には限りがある。メリハリをつけて取り組む

― 世界で闘うために、毎日の暮らしも相当に厳しいものだったのではと想像しますが…。

杉山愛さん

2008年4月フェド杯にて撮影

テニスに出会ったのは4歳のころ。楽しくて仕方がありませんでした。その後、小学2年生で、本格的なアカデミーに入ってからはテニス漬けの生活です。学校からテニススクールに直行し、一日3時間から4時間は練習していました。中学2年生になったころには、遠征試合に出ていましたし、中学3年では、ワールドジュニアランキングで1位になって、ますますテニスにのめり込む暮らしになりました。すでにプロになる意識もあったので、高校3年のころには、全てをテニスにかける暮らしになっていました。

― 私たちが普通に楽しんでいることができない、という厳しい制約があったかと思います。

プロのテニス選手というのは年間8ヵ月くらい海外での暮らしが続きます。その間、良いコンディションで過ごすために、確かに自分を厳しく律しなくてはなりません。ただ、8ヵ月ともなると、それが日常生活なので、オンオフの切り替えも大切です。

人間の集中力には限りがあるので、長く練習をしても身につかないんです。私は、試合の合間の気分転換に観光に出たりしていました。ツアーを始めて1、2年目は、ホームシックにもなりましたし、なかなか切り替えができずにいたこともありましたが、回を重ねてくると、やる時はやる、力を抜く時は抜く、というメリハリをつけられるようになりました。

―ビジネスの世界でも、座っているだけで良いアイデアは生まれません。ただプロのプレーヤーの場合、毎日、勝った、負けたという結果が出ます。オン、オフだけでなく、精神的な切り替えも難しいと思います。

本当に精神的な切り替えができるようになったのは、25歳で経験したスランプの後だと思います。それまでは、勝てば気分は良いですが、負ければすっかり落ち込んでしまい、結果に振り回されていたように思います。

ですが、スランプ後、自分と向き合う大切さを知りました。そして勝ち方、負け方、というプロセスを見つめ直すことができるようになったのです。

― 自分と向き合うというのは、どういうことでしょう?

その試合でどれだけ自分の力を出し切ることができたか、自分なりの“物差し”を持つことができたのです。たとえ試合に負けても、その時、自分の力を出し切り、自分がやるべきことをやりきって負けたとしたら、次にやるべきことが明確に見えてきますよね?解決すべき課題が見つかるというわけです。ですが、なかなか力を出し切れずに負けると、今まで積み重ねてきたことすらできなかったという、ふがいなさだけで終わってしまって、次のステップは見えてきません。

勝っても負けても、そのプロセスから学ぶことがある

― 負け方が重要だと。

杉山愛さん

そのとおりです。スランプ以降は、常に自分の力を出し切ることにフォーカスするようになったので、「今日はこれが足りなかったから負けたんだ」「これができたから勝てたんだ」と、振り返ることができるようになりました。そうすれば「ここを磨いていけば、次は勝てる」ということも見えてくるでしょう? 負けた中でも前進することができるのです。 プロとして「自分のやるべきことに徹する」という意識を持つことで、勝ちたい、負けたくないという感情に支配されることなく、雑念をシャットアウトすることもできるようになります。最終的な目標はもちろん、勝つことですが、そのために大切なのは、普段の練習で本番同様の緊張感を持って自分のテンションを作り上げていくこと。そして対戦相手に対して、どれだけ自分のテニスができるのかということですね。

― そうやって勝敗に気持ちを左右されることなく、勝ち方、負け方を冷静に分析して次につなげられるようになったのは、スランプを克服してからとのことですが、そのスランプとは、どんなものだったのでしょう?

最初にもお話したように、私はテニスが大好きです。それが、ボールが飛んでくるのが怖くて、体が動かなくなってしまうくらい、テニスがまったくできなくなってしまったのです。25歳、2000年のころです。当時、ダブルスはむしろ好調だったのですが、ダブルスでは使う頻度が少ないグランドストローク(コートにバウンドしたボールを打つこと)が本当に不調になってしまって、シングルスの試合で、体に拒絶反応が起きたのだと思います。もちろん勝てなくなりますから、このままではランキングも下がって、試合にも出られなくなるだろうと、とにかく不安でした。

― そこまで、調子を崩した理由をご自身ではどう考えていらっしゃいましたか?

まず、テニスのシングルスとダブルスのプレースタイルはあまりにも違うのですが、その時、ダブルスの調子がとても良くて、シングルスの準備がしっかりとできていなかったこと。そしてシングルスの調子が悪いなと思いながらも、そこに向き合っていなかったことが理由でしょう。調子が悪いなら悪いなりに、課題を見つけた時点で都度、解決していれば、あそこまで調子が悪くなることはなかったと思います。

ですが、見たくないものにふたをして、悪い部分にうすうす気付いているのに、気付かないふりをしてしまっていました。そうやって放っておいたために手の施しようがないくらい、悪くなっていたのです。

― ビジネスの場でもよくある話だと思います。そんな状態では、本当にどうしていいのか、途方に暮れることもあります。

何を練習していいかも分からない、目指すべきテニスも分からなくなってしまい、本当に辛い時期でした。そこで25歳で初めて、母に「やめようと思う」と相談したのです。すると母が「ここでやめたら、これから何をやってもうまくいかないんじゃない?」と言うのです。つまり、中途半端に終わるわね、ということです。続けて「自分のやるべきことをやりきれたの?」と聞かれました。私はそう聞かれて、「まったくやりきれていない」と即答していました。すると母がさらっと「じゃあ、やりきらなきゃ、じゃない?」と言うのです。それではっきりと自覚しました。

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