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IT大捜査線 特命捜査第011号:コンピュータは日用品になれるのか? 特命捜査第011号:コンピュータは日用品になれるのか?
   
  ユビキタスの本来の意味は「どこにでも」
 

今や流行語ともいえる「ユビキタス」。ユビキタス(Ubiquitous)とは、「偏在する」という意味のラテン語で、どこでもコンピュータが使える、ケータイやモバイル機器でいつでもネットワークにつながるという意味で使われている。なるほど便利になったが、コンピュータの操作自体は、テレビを見るように簡単というわけではない。
難しい操作なしにコンピュータの恩恵を受けられるよう、家具やキッチンといった日用品にコンピュータを組み入れる研究をされているのが、玉川大学工学部教授の椎尾一郎(しいお・いちろう)さんだ。
椎尾さんは、現在のいわゆる“ユビキタス社会”をどう見ているのだろうか。

 

「ユビキタス・コンピューティングとは、1988年にゼロックス・パロアルト研究所のマーク・ワイザーが提唱した考え方で、彼は『21世紀のコンピュータ』という論文の中で、近い将来、コンピュータは非常に安くなり、そこら中に埋め込んで使えるようになるだろう。また、それが身の回りにたくさんあるので、誰もその存在に気付かなくなるだろうと言っています。例えば、モーター。20世紀初頭、モーターはすごい技術で価格も高かったので、一つのモーターにいろんなアタッチメントを付けて、フードプロセッサーになります、床も磨けます、日曜大工の工具にもなります、と売られていたらしいんですね。でも今は一つのモーターを使い回すこともなければ、機器に組み込まれているモーターのことを気にかける人もいません」

一つの仕事に一つのモーターが使われる、つまり“単機能”になると、技術は爆発的に簡単になる。また、モーターが安くなり、空気のような存在になれば、それを使う人の意識も変わってくるというのだ。
「マーク・ワイザーは、単機能がこれからのコンピュータの一つの形だろうと言っています。そして、優れた技術は消えてなくなる、人から見えなくなると」
ユビキタスの本当の意味は「どこでも」ではなく、「どこにでもある」ということ。「どこにでも」という言葉には、大したものじゃない、ありふれたこと、というニュアンスが含まれているという。

玉川大学工学部知能情報システム学科の椎尾一郎(しいお・いちろう)教授
今回、お話を伺った玉川大学工学部知能情報システム学科の椎尾一郎(しいお・いちろう)教授。
 
 
   

  捜しものは引き出しに聞け!
 

どこにでもある、ありふれたコンピュータ……。それは、どんなものなのだろうか?
椎尾さんは、コンピュータが身の回りの日用品に組み込まれたら何がうれしいのかという視点で、次の3つの方向で研究を進めている。

第一に、インターネット上の情報を環境に溶け込んだ形で教えてくれる単機能の機械。例えば、明日の天気。現在はパソコンを起動してネットにつなぎ、サイトにアクセスして調べているが、椎尾さんいわく「天気を知るだけのために、プログラミングができるような機械はいらないでしょう」。
椎尾さんが試作したのが、モンドリアン風の絵画。額縁に液晶ディスプレイが埋め込まれていて、天気によって絵の色が変わる。また赤外線センサーによって、人が近付くと、文字で天気予報を表示してくれる。

第二に、人の記憶や度忘れをサポートし、捜しものの手助けをしてくれるもの。
「引き出しにコンピュータが組み込まれいて、放り込んだ書類のことを引き出しがみんな覚えていてくれる。服にコンピュータが付いていて、度忘れした人の名前をそっと教えてくれる……」。そんなふうに、人の記憶を補助する道具としてのコンピュータだ。
試作品に「Timestamp Drawers」という引き出し家具がある。各引き出しにセンサーが付いていて、何時何分にどの引き出しを開け閉めしたか自動的に記録してくれるのだ。開閉時に、キーボードやマイクからメモを入力することも可能。書類を捜す時は、時刻やこのメモで検索する。時間で一元的に管理しているので、書類を分類する手間もいらなければ、分類によって個々の引き出しの容量が片寄ってしまうこともない。

天気予報を表示する絵画
天気予報を表示する絵画。モンドリアン風のこの絵を玄関に掛けておけば、出かける時に天気が分かる。上辺の穴は赤外線センサーになっていて、人が近付くと、より詳細な情報を表示する(写真右)。
 
Timestamp Drawers
Timestamp Drawers
「Timestamp Drawers」。
一番下の引き出しにマザーボードが入っていて、各段には開閉センサーが組み込まれている。開閉時刻の記録は、写真右のように画面上に表示される。反転表示されている部分が現在開いている引き出し。「水曜日の会議でもらった資料」というように出来事は覚えやすく、スケジュール帳からも手がかりが得られる。
 
 
   

 
  目指したのはカジュアルなコミュニケーション
 

日用品コンピューティングが目指す3つ目の方向が、コミュニケーションのための道具。
「テレビ電話や電子メールではなく、もっとカジュアルなコミュニケーション。離れて暮らす家族の様子や雰囲気を何となく伝えてくれる道具です」
例えば、博物館のパンフレットがダイニングテープルの上に置いてあれば、おばあちゃんは「ああ、孫が社会見学に行ったんだな」と分かる。が、離れて暮らしていると、そんな毎日のささいな出来事は知りようもないし、孫もわざわざ電話や電子メールで伝えたりはしない。

離れて暮らしている家族の息遣いを伝えるために考案されたのが「Peek-A-Drawer」だ。“ちょっとのぞいてみる引き出し”と名付けられた「Peek-A-Drawer」は、ネットワークでつながった一対の引き出し家具。天板の裏にカメラが取り付けられていて、上段の引き出しにモノを入れて閉めると、これを自動的に撮影。下段の引き出しにはコンピュータと液晶ディスプレイが組み込まれており、送られてきた写真を表示する。

椎尾さんは一つを自宅に、もう片方を名古屋で暮らす母の元に置いて使ってもらったという。半年間で孫と祖母の間でやり取りされた画像は約200枚。この引き出し、特におばあちゃんには好評で、孫が興味を持ちそうな骨董や庭になった花や実、ぬいぐるみなどをキレイにレイアウトして、メモ書きを添えて送ってきたという。

Peek-A-Drawer
Peek-A-Drawer
左側の引き出しの上段にモノを入れて閉めると、引き出し内をカメラが自動的に撮影。画像はネットワークで送られ、右側の引き出しの下段に組み込まれたディスプレイに表示される。引き出しの中しか写らないので、ウェブカメラのように余計な所まで写す心配がない。カメラを使ったアプリケーションでは、プライバシーの確保が重要な問題となる。

Peek-A-Drawer――それは、聞いているだけで、何だかワクワクする楽しい家具。また、ここでやり取りされる情報は、明らかに電子メールの添付ファイルとは質が異なるだろう。引き出しにモノを入れる。この日ごろやり慣れた行動によって、温かくそして普段着のコミュニケーションが可能になるのだ。

 
 

  食のコミュニケーションでキッチンを活性化
 

椎尾さんが今取り組んでいるのがキッチン。住宅設備機器メーカーのクリナップ株式会社と、国からの研究補助金により公立はこだて未来大学と共同で進めているプロジェクトだ。

「キッチンをリフォームする人は増えているが、そのキッチンが十分に活用されていないのではないか、将来料理をしなくなるのではないか……。クリナップさんにはそんな危機感があるようです」と椎尾さん。一方、最近、インターネットでは自分の考えたレシピを画像付きで公開し、掲示板でコミュニケーションできるサイト「COOKPAD.COM(http://cookpad.com/)」が人気だという。椎尾さんはここに着目し、簡単にレシピの撮影ができるキッチンを考えた。
研究室に備え付けられたシステムキッチンには、流し、コンロ、調理スペース2カ所にそれぞれカメラとマイク、液晶ディスプレイが備え付けられており、足元でスイッチが押せるようになっている。完成した料理はもちろん、ここがポイントと思うところの画像も、フットスイッチで簡単に撮影できる。

 

さらに椎尾さんは、キッチン間のコミュニケーションも視野に入れている。
「離れて暮らす母に手料理の作り方を習ったり、学校の調理実習などに使えるのではないかと思います。また、料理は段取りが大切。レシピには個々の料理の作り方はあっても、食事全体を作るための段取りまでは書いてありません」
なるほど、段取りをそれぞれのディスプレイで確認できれば、例えば夕食に3品作る時、どんな手順で調理したら、すべての料理がおいしく仕上がるのか分かる。

この1台で何でもできますよと売られているパソコン。通話はもちろん、インターネットや撮影までできる多機能な携帯電話。私達はこれらの機器を駆使して仕事をしている状況を“ユビキタス”と思い込んでいたが、これは本来の姿ではないらしい。
コンピュータがモーターのように誰にも意識されずに使われるようになること。さらに、そうなった場合、コンピュータが組み込まれた機器を使いたくなるようなアプリケーションがあること。ユビキタスへ向かう流れは止まることはないが、本当の意味でのユビキタス・コンピューティングの恩恵を受けるには、まだまだいくつもの試行錯誤が必要なようだ。

取材協力:
玉川大学工学部知能情報システム学科椎尾研究室
http://siio.ele.eng.tamagawa.ac.jp/

キッチン
カメラとマイク
足元部分スイッチ
コンピュータが組み込まれたシステムキッチン「Kitchen of the Future」。吊り戸棚の下には4つのカメラとマイクが付いていて、手元の画像を撮影したり、ポイントを録音できる。足元部分がスイッチになっているので、つま先でここを軽く押せば、作業中でも簡単に撮影可能。
 
   

 
  追加調査
 

●日用品コンピューティング展示室

椎尾研究室には、本文で取り上げたもの以外にもたくさんの試作品がある。その中からいくつかをご紹介しよう。

 

Meeting Pot
 

ネットワークに接続されたコーヒーメーカーでコーヒーを入れると、離れた所に置いたアロマ発生器(写真右)のファンが回り始め、インスタントコーヒーの香りを拡散させる。はこだて未来大学で、コーヒーメーカーを談話室に、アロマ発生器を各教員の部屋に置いて実験。談話室に人がいてコーヒーを入れていることがさりげなく伝わる。

Meeting Pot Meeting Pot
Strata Drawer
 

“地層引き出し”と名付けられた収納家具。内部に取り付けられたカメラが引き出しの中身を撮影するとともに、レーザー光で書類の高さを測定。ビューワーには時間と高さを示す軸があり(写真右)、これをスライドさせることによって、積み重ねた書類の“地層”を見ていける。

Strata Drawer Strata Drawer
Active Book
 

ページに貼り付けたバーコードを起点に、フィールドマウス(ペン型マウスとバーコードリーダーを組み合わせたデバイス)を動かすことで、紙の上に埋め込まれた情報にアクセスできる本。左上のバーコードを読み取った後、登場人物の上に移動してボタンをクリックすると、セリフが音声で再生される。

Active Book Active Book
Icon Sticker
 

デスクトップにあるアイコンを画面の外に取り出す試み。バーコードにリンク情報が入っているので、これをバーコードリーダで読むと、画面内のアイコンをダブルクリックした時と同じように起動する。写真はコムジンのIconStickerを読んで、ホームページを開いたところ。IconStickerは人にあげたり、ファックスやはがきに貼って送ったりできる。

Icon Sticker
 
特命捜査第011号 調査報告:伊藤信三郎捜査員 特命捜査第011号 調査報告:伊藤信三郎捜査員
写真/海野惶世 イラスト/小湊好治 Top of the page

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