一覧に戻る
COMZINE BACK NUMBER
IT大捜査線 特命捜査第017号ITの導入が可能にする安心して暮らせる町づくり 特命捜査第017号ITの導入が可能にする安心して暮らせる町づくり
 
  産官学共同で行われた「e-ケアタウンプロジェクト」
 

4年前にスタートした介護保険制度をきっかけに、“介護”は私たちにとって随分身近な問題になった。なにしろ今の日本は、65歳以上の老齢人口が全国民の18%(平成13年総務庁調べ)にもなる超高齢化社会。2013年前後には、それが25%以上になると言われている。日本は世界のどの国よりも、介護が深刻な社会問題になっている国なのである。

 
慶應義塾大学看護医療学部専任講師の宮川祥子さん。
   
 
同大学環境情報学部専任講師の南政樹さん。

その介護に対して、ITはいったい何ができるのかという興味深い実験が、2002(平成14)年から2003(平成15)年にかけて神奈川県藤沢市で行われた。プロジェクト名を「e-ケアタウンプロジェクト」という。
これは、総務省がIT国家の姿を国民に、そして世界に分かりやすく示すために計画した「e!プロジェクト」における、介護福祉分野での実証実験だった。実施したのは、藤沢市・財団法人藤沢市保健医療財団・慶應義塾大学・NTT東日本の4組織で構成される「e-ケアタウンふじさわ実証コンソーシアム」。その目的は「ITを活かして地域住民の健康を支え、クオリティ・オブ・ライフを向上させること。そして、看護と介護の充実した新しい町“e-ケアタウンふじさわ”を市民モニターとともに創り出してゆくこと」にあった。

このプロジェクトにおいて、看護・介護における研究活動、ソフトウェア・デバイス開発の点で重要な役割を果たしたのが、ITの研究では最先端を行く慶應義塾大学藤沢湘南キャンパス(SFC)の研究者たち。具体的なプロジェクトの推進役となった看護医療学部専任講師の宮川祥子さんと、環境情報学部専任講師の南政樹さんに話を伺った。
「SFCは2001(平成13)年に看護医療学部を設置し、ちょうど地域における看護・介護・医療の分野でのIT活用を考えていたところでした。e-ケアタウンプロジェクトは、看護や介護を必要としている方だけを対象にしたものではありません。ケアが必要な方とその家族、ケアを提供する専門スタッフ、それぞれの立場の方々を支え、より質の高い看護と介護のゆきわたる町を作るために、さまざまなITを積極的に取り入れていこうという産官学共同のプロジェクトなのです」と宮川さんは語る。

地域住民すべてが安心して暮らせる町づくり─それがe-ケアタウンプロジェクトの狙いだった。従ってプロジェクトの内容は、直接的な介護を必要とする人に対する生活補助だけでなく、健康な人に対するヘルスケア意識の向上といった情報提供にまで及ぶ。SFCの研究者には、それらを可能にするシステム作りが求められた。
具体的には、モニター宅、SFCのe-ケア・スタジオ(最新の介護設備を導入した実験施設)、専門のスタッフが常駐する藤沢市保健医療センターを100Mbpsの専用光回線で接続。更にモニターには専用の情報端末やパソコンを提供し、健康に関するデータの送受信を可能にした。



「キーポイントはIPv6(Internet Protocol Version 6)でした。これはインターネットで使われている一番新しい通信手順で、利用できるIPアドレスの数が既存のIPv4と比べて大幅に増えるため、さまざまなものをネットにつなぎ、ネット上から制御できるようになるのが特徴です。またIPv4に比べ、セキュリティもずっと強化されています」(宮川)。
介護はプライバシー情報の塊のようなもの。IPv6なくして、このプロジェクトは成立しなかったという。

 
   
  モニター宅、e-ケア・スタジオ、藤沢市保健医療センターの間は、IPv6をベースにした高速光ネットワークで接続。個人情報の安全性を確保した双方向通信が可能だ。
 
 

  市民モニターも参加した、6種類のプログラムを実施
 
「e-ヘルスアッププログラム」で使用した自転車エルゴメーター。モニターの運動情報は遠隔地にいるトレーナーへ伝えられ、トレーナーからは適正なトレーニングメニューがモニターへフィードバックされる。
「e-ファミリーケアプログラム」「e-介護プログラム」で使用した「パッド・センサー」。ベッドや布団に敷いておくだけで、モニターの方の心拍や呼吸など空気の振動が電気信号に変換されサーバに伝送される。最初は大型でごわごわした物だったが、途中でコンパクトな物に改良された。
モニターの方の部屋に設置した「照度計センサー」。照度の変化を伝えることにより、就寝や起床のパターンを把握することができる。「パッド・センサー」と組み合わせることで、モニター宅にカメラを設置しなくても、「夜中なのに起きてテレビを観ているようだ」といった状況把握が可能になる。
インターネットにつながったv6「万歩計」。市販の製品を改造したもので、1時間毎の歩数を簡単にパソコンに伝送できるのが特徴。

e-ケアタウンプロジェクトでは、【1】e-ヘルスアッププログラム、【2】e-ファミリーケアプログラム、【3】e-介護プログラム、【4】e-専門家スキルアップ講座プログラム、【5】e-市民健康講座プログラム、【6】e-ケア情報セキュリティプログラムからなる6種類のプログラムが実施された。それぞれの内容を簡単に説明していこう。

【1】は中高年の生活習慣病予防を目的としたプログラムで、10名のモニター宅に認証デバイスを付けた自転車エルゴメーター(エアロバイク)を設置し、インターネットを利用して遠隔地にいるトレーナーの指導を受けながらトレーニングを行うというもの。モニターは時間や場所の制約を受けることなく、トレーニングに励むことができる。
「このプログラムの特徴は、トレーナーとのインタラクション(相互作用)がモニターの方の継続を促す点にあります。自分の努力に対する反応(トレーナーからのアドバイスやトレーニングメニュー)があると、人間はやる気を起こすものなんですよ。また、数少ないスポーツトレーナーを全国の人が共有できるというメリットもあります」(南)。

【2】と【3】は高齢者を対象にしたプログラムで、【2】は比較的元気な方(モニターは10世帯)を、【3】は介護度「要支援」、または「要介護1.2」認定の方(モニターは5世帯)が対象。モニターの方にインターネット接続した4つの機器、「元気コール」「パッド・センサー」「照度計センサー」「万歩計」を使ってもらい、健康状態や活動の様子を離れた場所にいる家族に伝えるという内容。もちろん、これらの機器はモニターに肉体的・精神的負担を強いることが無いよう工夫されている。またパソコンを利用して、介護に関するマルチメディア情報の伝達や、モニター宅とe-ケア・スタジオを結んで行われるインターネットTV会議も行われた。誰かとつながっているという安心感を得られる点が好評だったこのTV会議システムは、モニター宅とe-ケア・スタジオを1対1で結ぶだけでなく、3人のモニターとスタジオを結ぶ多地点の会議も実現。耳の不自由な方のことを考え、スタジオには字幕を打つタイパーも用意した。

【4】は、ホームヘルパー2級の方のスキルアップを目的としたインターネット講座。より高度なスキルを望む方に対し、オンデマンドのビデオ学習とリアルタイムの双方向遠隔講義を行う。

【5】は、インターネットを利用した市民健康講座。健康に関するさまざまな話題を専門家が分かりやすく解説してくれるビデオ講座で、誰でも見ることができる。

【6】は、ケアを受ける本人だけでなく、ケア提供者をも対象にしたプログラム。在宅ケアで課題となっているケア提供者間の情報共有を積極的に進めていくためのプログラムだ。そのために開発したシステムでは、単に情報を共有できるだけではなく、ケアを受ける人のプライバシーを保護し、誰がどの情報にアクセスできるかをケアを受ける人本人が決めることができる「プライバシー情報コントロール機能」を備えている。



 
 
   

 
  ITは人間の能力を補完し、活動を支援するもの
 
e-ケア・スタジオ内に設けられた最新の介護用入浴施設。上方にある複数のカメラにより、一方向からでは隠れてしまう手の動きもマルチアングルで撮影することができる。ここで撮影されたビデオコンテンツは「e-専門家スキルアップ講座プログラム」の教材となった。
「e-ファミリーケアプログラム」「e-介護プログラム」で使用したメール端末「元気コール」。3つのボタンには「元気です」といった任意のメッセージが割り当てられており、どれか一つのボタンを押すだけで、家族やケアスタッフの端末(パソコンや携帯電話など)にメッセージが送られる。もちろん、受信したメールを液晶部に表示することも可能。
 
 

では、これらの実証実験の結果はどうだったのか。IPv6のインターネット技術をベースにした数々のプログラムは、参加したモニターにどんなメリットをもたらしたのだろう。
「モニターの方からはさまざまな声があがったのですが、データを元にした的確なアドバイスをもらえることに安心感を得た、という声が最も多かったですね。例えば今話題になっている睡眠時無呼吸症候群ですが、これも患者がいれば今回の実験で発見することができます。自分がそうじゃないということが分かるだけでも、モニターさんにとっては大きな安心感につながるようです」(宮川)。

安心感の存在は、「元気コール」の実験でも確かめられた。介護の現場では、家にいる高齢者のことが心配で家族がなかなか外出できないというケースが少なくない。高齢者自身もそのことを引け目に感じ、お互いにストレスを抱えてしまうことがよくあるという。
「でも元気コールがあれば、高齢者は何かあったらボタンを押せば家族が駆けつけてくれるから安心だし、家族も気兼ねなく外出できるようになります。実際には99.99%の確率で何も起こらないとしても、0.01%の心配があるが故に生活の質が下がってしまう。その心配を取り除いてあげることが、ITの導入の目的なんです」(宮川)。
実際には離れていても、常に家族とつながっている、家族に見守られているという安心感があれば、高齢者の生活は大きく改善されるはず。ITはそれを可能にする有効な手段となるのだ。

「もう一つ重要なことは、ITがメディア変換の機能を果たせる、ということなんです。元気コールを頻繁に利用してくださったモニターのお一人に耳が不自由な方がいらっしゃるのですが、この方は電話を使うことができません。しかし元気コールなら、ある程度自分の意志を相手に伝えることができます。つまり、その人が使用可能なメディアに変換してくれるわけですね。僕がいつも言っていることですが、ITは基本的に人間の能力を超えられません。ただ人間の能力を補完したり、手間や時間がかかることを簡単にすることはできる。それがITの本質です。その本質を見失うと、技術者の思い込みだけで道具が開発され、結局は使われずに終わってしまうことになってしまうんです」(南)。

必要なのは、コミュニケーションという人間の基本的な活動を支援するためのシンプルなツール。元気コールはメール機能しか持たない端末を、極限までシンプルな形にしたものだ。かつて遠隔医療を実現するため、医療器具メーカーが電話機能や血圧計などを統合した機械を開発したことがあったが、結局は機能が複雑化して使いにくいものになってしまった。
「(複数の機能を)まとめることに意味はありません。それぞれの機能を必要なところに分担させることこそが、重要なんです」。
南さんは、今回の実験を通してそれが裏付けられたと語る。

 
 

  新たな産業を創出し、高齢化社会の問題解決を図る
 

e-ケアタウンプロジェクトの実証実験はひとまず終了した。これから求められるのは、実験から得られたさまざまなデータや研究結果を踏まえたうえで、いかにして介護福祉分野のIT化を実際に進めていくのかということ。サービスを受ける側からすれば、できるだけ早く実現して欲しいものばかりなのだが。
「それほど簡単なことではありません。システムを作るのは簡単ですが、継続するのが難しい。ひとつのサービス分野を実現するだけでも膨大なデータを蓄積・分析する必要がありますから、今すぐできるものではありません。また、平均して80年くらい生きる人間から発生する膨大な情報をどこが集め、どこが保存するのかという問題もある。つまり、時間が大きな壁になるのです」(南)。

ほかにも、現状ではこうしたヘルスケアサービスに対して健康保険や介護保険が適用できないという問題がある。元気コールがどんなに便利で使いやすいものであっても、使用するのに高額な費用がかかるようでは誰も使わないだろう。安心感の向上や健康維持・介護予防といった分野への保険の適用がサービスの普及の鍵となる。
また、ケア提供者側も情報共有に対する考え方を変えていく必要がある。守るために情報を閉じるのではなく、共有していくことでよりよいサービスを提供できるようになる可能性を検討することが必要だろう。
「更に一般の人がこうしたサービスを適切に評価できるかという問題もあります。特に医療行為は専門性が高いので、本人に適したものであっても、知識がなければそのサービスを見過ごしてしまう可能性がある。教育の問題にも関わってくるのです。そこにビジネスチャンスがあるとも言えるのですが」(南)。

e-ケアタウンプロジェクトのホームページ
http://www.e-care-project.jp)。プロジェクトの概要や詳細、研究結果、今後の予定などを知ることができる。
 
 

実現へのハードルはなかなか高そうだ。それでも今年3月、慶應義塾大学SFC研究所は「e-ケアコンソーシアム」を設立し、看護・介護・福祉・医療・ITなど各分野の専門家と事業者が横断的に活動し、情報交換・発信できる場を作った。そこでは行政や企業とのコラボレーションを視野に入れながら、社会制度・運用方法・ビジネスモデルの具体的な提案を行っていくという。
11月23〜24日には、六本木ヒルズ森タワー40Fで開催される「Open Research Forum 2004」(http://orf.sfc.keio.ac.jp/)において、e-ケアコンソーシアムは、公開セッションおよび展示を行う予定だ。

「ITは将来、密なコミュニケーションを取りたい人の目の前には認識されるような形で存在し、それを望まない人には見えないような存在になると思います。それでいながら、自分は誰かに見守られているという安心感はちゃんと残っている。そんな芸当ができるのも、ITだからこそなんですよ」。
いつの日か、介護の世界はITの導入によって大きく変わるに違いない。宮川さんが語る明るい将来像が印象的だった。

取材協力:e-ケアタウンふじさわ実証コンソーシアム
http://www.e-care-project.jp

 
   

 
  追加調査
 

●慶應義塾大学藤沢湘南キャンパス(SFC)って、どんなところ?

 

時代の変化に即応できる人材育成・研究の場として開設された、慶應義塾大学で最も新しい未来型キャンパス。1990(平成2)年に総合政策学部・環境情報学部が、1994(平成6)年に大学院政策・メディア研究科が、2001(平成13)年に看護医療学部が開設された。キャンパス内を車道が走っているのは、広すぎて移動が大変なためだろう。また、大学に隣接して中学・高校の6年生一貫教育を行う湘南藤沢中・高等部がある。敷地は合わせて約31万平方メートルもある。
豊かな緑に溢れた広大なキャンパスで行われる最先端の授業・研究は、その道を目指すものには憧れの的。大学院政策・メディア研究科、総合政策学部、環境情報学部、看護医療学部の附属研究所であるSFC研究所(所長:村井純 慶應義塾大学環境情報学部教授)では、幅広い領域にわたる研究活動が行われている。

 
研究棟(Δ館)。高度な情報収集とプロジェクトのあらゆる変化に対応するラボラトリー型の研究スペース。
研究棟(Z館)。こちらもラボラトリー型の研究スペース。屋上には衛星画像を受信できる巨大なアンテナが設置されている。
 
 
 

  特命捜査第017号 調査報告:安田邦夫捜査員 特命捜査第017号 調査報告
写真/海野惶世 イラスト/小湊好治 Top of the page

月刊誌スタイルで楽しめる『COMZINE』は、暮らしを支える身近なITや、人生を豊かにするヒントが詰まっています。

Copyright © NTT COMWARE CORPORATION 2003-2015

[サイトご利用条件]  [NTTコムウェアのサイトへ]