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IT大捜査線
特命捜査第021号 人間はどこまで数値化できるのか?ITによって再構成される人間モデル 特命捜査第021号 人間はどこまで数値化できるのか?ITによって再構成される人間モデル
 
  目的は、機械と人間の”ウィーケスト・リンク”をつなぐこと
 
 




デジタルヒューマン研究センターが入っている産業技術総合研究所臨海副都心センター。東京国際交流館、日本科学未来館とともに、国際研究交流大学村を構成している。
デジタルヒューマン研究センター・副センター長の持丸正明先生。人体形状と感性モデリングを研究する人間適合設計チームのリーダーでもある。

あらゆるモノに囲まれて成り立っている現代人の生活。近代以前に比べると、驚くほど便利な世の中になっていることは間違いない。コンピュータやクルマのない生活なんて、もはや誰にも想像できないだろう。
でも、日々いろんな機械や道具を使いながら、たまにこんなことを感じないだろうか。
「この掃除機、なんだかちょっと使いにくいなあ」「この靴、もう少し自分の足の形に合っていたらいいのに」等々。
そう、私たちの身の回りにあるモノは、決してすべてが使いやすく出来ているわけではない。

その理由は、設計者がもっぱら機械の物理特性にのみ目を奪われ、それを使いこなす人間の特性にはあまり注意を払っていないから。つまり、人間に対する理解が不十分なまま、モノ作りが行われているのだ。
そのため、便利なはずの機械が意外に使いにくかったり、市場に出てから予想もしなかったヒューマンエラーを起こしたりする。また生産者側は、それらのトラブルを未然に防ぐため、使用感や安全性の試験に多大なコストを負担しなければならない。

こうした問題を解決する根本的な研究を行っているのが、お台場にある独立行政法人、産業技術総合研究所のデジタルヒューマン研究センターだ。副センター長の持丸正明先生は、センターの研究目的をこう語る。
「例えばクルマは、構造力学や流体力学を駆使して設計されていますが、肝心のドライバーがどう行動するかはあまり考えられていません。ドライバーが行動する自動車システムになると、急に具合が悪くなってしまう。システム全体で考えると、マシンの部分はよく設計されているけれども、人とマシンが接するインターフェースの部分が弱い。これを我々は“ウィーケスト(最も弱い)・リンク”と呼んでいます。ならば、マシンがCADで設計できるなら、その中に人間のモデルを持ち込んで、設計段階から人とマシンが一体となったシステムを作ればいい。これが我々の根本的な考え方です」。

なるほど、人間を数値で表せるモデル(=デジタル化)にすれば、機械設計の中に組み込める。それゆえのデジタルヒューマン。ただし、持丸先生はさらに先があると言う。
「そうやってクルマを作ったとしても、そのクルマが人間を理解しないのは具合が悪い。ドライバーは眠いのにクルマはそんなこと知っちゃいないというのでは、デジタルヒューマンは完成しません。クルマ自体がドライバーの状態を理解し、運転を支援するところまで行かなければなりません。つまり設計段階だけでなく、運用する段階でも機械は人を知るべきだという考え方ですね」。
機械設計に人間尊重主義が持ち込まれたような話ではないか。
人間モデルを使えば機械は使いやすいものになる、ということなのだろうか。

 
 

  4種類に分類されるデジタルヒューマンの研究テーマ
 
「人に合わせるデジタルヒューマン」の応用例。向かって右は文化服装学院との共同研究によって開発された衣服設計用人台で、現代の若い女性の形状を計測し、その平均形態に基づいて作られたもの。既存の人台(左)とは形が異なっている。
「人を支えるデジタルヒューマン」で研究されているヒト型ロボット(ヒューマノイド)。人の機能をコンピュータ上に再現するだけでなく、実空間に再現するのもデジタルヒューマンの目的だ。

ここで、デジタルヒューマン研究センターの研究対象を整理しておこう。
同センターでは、人間が持っている機能を「生理・解剖学的な機能」「運動・機構的な機能」「心理・認知的な機能」の3つに分けて考えている。これが縦軸だとすれば、横軸にあたるのはデジタルヒューマンを特徴づける3つの技術的要素だ。具体的には、人間を精密に「計測する技術」、人間の機能を記述する「計算モデル」、そして人間モデルを形にして見せる「提示技術」を指す(下図参照)。
この3×3のマトリックスの中に、同センターの研究対象が点在しているわけだ。約40人いる研究者それぞれが専門分野を持っている。もちろん、各研究対象は互いに無関係なわけではなく、すべてがどこかでつながっていると考えて良い。

では、具体的にどんな研究が行われているのか。
研究内容は、大きく4種類に分類される。まず第1は「人を知るデジタルヒューマン」。人間の身体の形状や動き、心理機能を測定し、それらを計算機ソフトウェアとして実現する研究だ。例えば、局所麻酔下手術における患者の心理や生理反応を測定・モデル化し、計算機ソフトウェアを作成。それを応用した手術シミュレータなどが考えられている。
第2は「人を見守るデジタルヒューマン」。これは部屋や環境に沢山のセンサーを配置し、そこで得られたデータから人間の状態や行動を知り、状態・行動に応じたサービスを提供するための研究。老人ホーム内の事故防止システム、病床看護、成人病予防のためのヘルスケア支援、ホームセキュリティなどへの応用が想定される。
第3は「人に合わせるデジタルヒューマン」。人体表面の形状・変形・感覚をモデル化し、人体に適合する製品の設計を支援する研究を行う。具体的な応用例は、メガネ、靴、ガスマスク、カメラ、クルマなど。
第4の研究は「人を支えるデジタルヒューマン」。人間の生活・行動を支える技術として、ヒト型ロボット(ヒューマノイド)の研究を行っている。

デジタルヒューマン研究センターで行われている研究は、基本的にはすべて基礎研究だ。ただし、研究成果や活動が社会に還元されるよう、民間企業や大学、コンソーシアムなどの外部機関と積極的な連携を図っているのが特徴。国から独立した組織であるため、かなりフレキシブルに活動できるのだ。

 
デジタルヒューマンの研究テーマ
 
 
   

 
  解剖学的特徴を計測する足形状スキャナ「INFOOT」
 

人間モデルを広範囲に捉えると分かりにくいので、最も理解しやすそうな、「人に合わせるデジタルヒューマン」の研究に焦点を当ててみよう。
持丸先生は、“人に合わせる”必要性をこう語る。
「人体についていえば、日本人は今、大世代差時代の真っ只中にいるんです。明治期以前まで、日本人は老人も若者もそれほど身長差がありませんでした。ところが現代は成長過程での栄養状態が全く違うため、老人と若者の身長差が極めて大きい。あと50年もすれば現在の若者が老人になりますから、日本人の身長はみな同じような水準に戻るのですが。これは日本だけでなく世界中で起こっている現象です」。

様々な体型の人間が共存する現代。それは、量産品が身体に合わなくなる時代でもある。これからの日本は、ひとりひとりにフィットした製品をリーズナブルな価格で提供することが求められているのだ。
「お店でお客さんの身体を測定し、デジタル化(=人間モデル化)する。それを工場へ送り、CAD上でお客さんの身体に合うように製品を設計・製造し、お店で販売するわけです。集めたデータはサーバーに蓄積され、それぞれID番号で管理されますから、同じお客さんを何度も測定する必要はありません。この全体的なシステムを作るのが我々の目的です」。

  足形状スキャナ「INFOOT」。持ち運びできる小型サイズ(20kg)であること、誰にでも簡単に使えること、安価であることが大きな特徴。大手スポーツショップなどに導入されている。
足の形状モデルを作るまで。計測したデータは点の集合(左)だが、それに専用のマーカーを付けたポイントを解剖学的特徴点として抽出し(中)、最後に専用ソフトウェアを使って形状モデルを作る。ここから各人に最適な靴型を作ることができる。
 

その一例として、大阪のメーカーと共同開発した足形状スキャナ「INFOOT」が挙げられる。これは人の足を測り、それをモデル化することで、個人の足形状に適合する靴や中敷きを自動設計する測定器。装置に付けられた4つのレーザー投光器と8台のビデオカメラによって得たデータから3次元モデルを作り、それを元に個別の靴型を作る。片足の計測時間はわずか数秒。誰でも簡単に操作でき、価格も約150万円と、既存の同種の機械の1/10程度にすぎない。
「従来の機械は、ただ足の寸法を計るだけでした。INFOOTの特徴は、人体の解剖的特徴点(骨の突出、靱帯の走行などによって決まる点)を同時に計測できることにあります。抽出した解剖学的ポイントを足の形状データベースと照合して骨の位置を自動認識し、それに基づいて足の寸法を計算するのです」。

解剖学的特徴点に基づいた同一点数・同一幾何学構造からなる形状モデルを作るので、集めた足の形はバラバラでも、基本的なデータ形状は皆同じ。結果的に統計処理が行いやすくなり、平均的な足と個人の足の違いを定式化することができる。つまり、数種類の靴型データを少し加工すれば、個人にフィットした理想的な靴型を作ることができるわけだ。他人のフィット感を自分の靴に合わせることすら可能になるらしい。
もちろん、店頭で計測したデータはID登録され、店舗の顧客データとして厳重に管理される。将来的には、顧客はIDを通じてインターネットで靴が買えるようになり、子供の足の成長を記録することも可能になるだろう。店舗側からすると、年齢や顧客層に特化した足形データを収集できるので、様々な靴型の設計に役立てることができる。
大量生産に使えるものでありながら、個別の生産にも対応できるこのINFOOT。既に国内外で約100台が導入されていると言う。

 
 

  日本人の顔の形に合ったメガネフレームを開発
 
設計の際に使われた顔モデル。ピンク色の部分は人間の皮膚に近い素材でできている。

もうひとつ、“人に合わせる”人間モデルの応用例として、メガネフレームメーカーの(株)ホリカワと共同開発した新型メガネフレームがある。
従来のメガネフレームもサイズ展開はされていたが、フレーム開発のために利用できる顔の形状データが少なかったため、サイズ分類はあくまで寸法を優先したものに限られていた。各人の顔に合わせた微調整はお店の販売員が行うのが普通で、ある程度のフレームのズレや圧迫感は仕方がない面もあった。

このメガネフレームの開発に人間モデルの考え方を持ち込めば、日本人の顔の形にフィットするフレームができるのではないか、というのが発想の原点。理想はひとりひとりの顔の形に合わせたオーダーメード品だが、工業製品だからそこまでは不可能だ。

そこで持丸先生のチームは、成人男性約60名を対象に各人の顔を計測し、顔(鼻の下から額まで、耳の裏も含む)の3次元形状をコンピュータ上にモデル化した。その結果得られた「顔の形の分布図」から、日本人の顔のばらつきは「前後に長くて彫りが深い〜前後に短く平坦」という個人差が最も大きく、次に「幅が広く鼻が大きめで目が小さい〜幅が狭く鼻が小さめで目が大きい」という個人差があることを発見。
この特徴を4つのグループに分け、それぞれのグループの平均的な顔の形をコンピュータ上で計算し、それぞれにフィットする4種類のメガネフレームを設計した。

完成したメガネフレームは、顔の側面から締め付けるのではなく、耳の後ろまで包み込むようなフィット感を提案したものとなった。評価実験の結果も、「締め付ける力が弱いにもかかわらずズレない」と評価が高かった。このメガネフレームは(株)シャルマンから「co-co-chi ここち」というブランドで発売されている。

この人間モデル、靴やメガネのように、身体に直接触れる道具や機械を設計する際には非常に有効な手だてになりそうだ。何しろ設計を支援するコンピュータ自身が、製品を使う人間のことを良く知っているのだから。
応用次第では完璧にフィットする服をオーダーメードすることも可能だろうし、まったく疲れない椅子を作れるかもしれない。現在、急速に電子化が進んでいるクルマの開発に人間モデルを導入すれば、操作系の設計が大幅に変わってくる可能性もある。
本来、機械や道具は人間の生活をより豊かで快適なものにするために開発されたはずだ。それなのに、これまでは肝心の人間に対する理解が不十分なまま作られてきた。
工業製品の設計手法に新たな視点を持ち込む人間モデルという考え方。産業界との共同開発の話は引きも切らずあると言う。今後の製品開発が楽しみな研究ではないか。

 
 
調査の結果、日本人の顔の形の分布傾向が把握できた。4種類に分けたのは、できるだけ少ないフレーム数で全体をカバーすることを目指したため。   新開発の眼鏡フレーム(左)と従来の眼鏡フレーム(右)。新開発のフレームは耳の後ろまで回り込むような形になっている。
 
 

取材協力:デジタルヒューマン研究センター(http://www.dh.aist.go.jp/

 
   

 
  追加調査
 
●衣服用人台、デジタルハンド、そしてヒューマノイド……

本文で触れたとおり、デジタルヒューマン研究センターの研究テーマは大きく4種類ある。
「人に合わせるデジタルヒューマン」だけをとっても、本文で触れた「オンデマンド装着品」だけでなく、他に「デジタルハンドプロジェクト」と「デジタルマネキン」の研究が進んでいる。デジタルハンドはその名の通り手に特化した研究で、寸法・運動・触覚・エラーといった広範な手の機能を統一的な手のモデルとして構成・再現し、手で扱う様々な製品開発に役立てることが目的だ。
一方のデジタルマネキンは、身体の一部分だけでなく、全身の寸法・形状・運動機能を再現し、クルマや住宅など規模の大きな設計が必要となる製品の開発を視野に入れた研究。現在、自動車メーカーで構成される企業コンソーシアムと連携し、産学官が連携した研究が進んでいる。

デジタルハンドの研究は、手で操作する製品の、設計段階における事前評価の道具として役に立つ。同センターでは、日本人の手の個人差の95%をカバーする9体のデジタルハンドファミリーを生成した。

手のモデル開発のために作られた模型の数々。人間の手の骨格構造を理解するために、研究に際しては解剖学や医学の知識が援用された。
デジタルハンド研究で製作された指先変形計測装置。指先の変形状態を理解することにより、新たな製品設計の視点が得られることもあるという。
 
 

  特命捜査第021号 調査報告:高橋ひとみ捜査員 特命捜査第021号 調査報告
写真/海野惶世 イラスト/小湊好治 Top of the page

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