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IT大捜査線
特命捜査第023号 ITとバイクレースがどう結びつく?モータースポーツにおけるウェアラブルコンピュータの可能性 特命捜査第023号 ITとバイクレースがどう結びつく?モータースポーツにおけるウェアラブルコンピュータの可能性
 
  ウェアラブルコンピュータの第一人者、8耐に参戦する
 
 




ウェアラブルコンピュータ研究の第一人者である塚本昌彦先生。昨年までは大阪大学工学部に在籍し、今年から神戸大学で教鞭を取っている。トレードマークのHMDは、外出時は常に装着しているとのこと。
ウエストユニティス(株)代表取締役の福田登仁さん。レース参加に関する段取りからシステム開発、果ては宿の手配に至るまでプロジェクトのすべてに関わった、8耐プロジェクトの中心人物。
大阪大学サイバーメディアセンター講師の寺田努さん(工学博士)。塚本先生が大阪大学に在籍していた頃からの研究仲間だ。
 

鈴鹿8時間耐久ロードレース。通称“8耐(ハチタイ)”と呼ばれているこのレースは、バイクファンなら誰もが知っている、年に一度のビッグイベントだ。毎年、7月末から8月始めの夏の盛りに開催され、ホンダやヤマハなどのワークスチームやプライベートチームが多数参加して、熱い戦いを繰り広げている。

2003(平成15)年と2004(平成16)年の8耐に、ちょっと風変わりな人たちが参加した。その名は「チームつかもと」。といってもレーシングチームではない。正式名称を「ウェアラブルコンピュータ研究開発機構」といい、ウェアラブルコンピュータやヘッド・マウント・ディスプレイ(HMD)、ユビキタスコンピュータをキーワードにした研究開発を行っている団体だ(現在はNPO法人として活動中)。
ウェアラブルコンピュータといえば、身体に装着して使用する、いわばコンピュータの未来形。そんな未来的な団体が、なぜ老舗のバイクレースに参加することになったのか?
「チームつかもと」の理事長を務める神戸大学工学部教授の塚本昌彦先生、チーム運営等全般を担当したウエストユニティス(株)代表取締役の福田登仁さん、システム開発を担当した大阪大学サイバーメディアセンター講師の寺田努さんの3人に話を伺った。

塚本先生と福田さんの出会いは約4年前。アニメーションマニュアルの制作を手がける福田さんが、塚本先生に協力を仰いだのがきっかけだ。
「HMDで空中に投影するマニュアルの制作を考えたんです。作業のハンズフリーが可能になり、作業者もアニメと実際の現場を重ねて見ることができるから、効率が格段にアップするはずだと。その頃HMDを日常的に使っている人なんて、ウェアラブルで有名な塚本先生くらいしかいませんでした(笑)。一緒に仕事をするうち、僕も先生も大のバイク好きであることが分かった。話がどんどん進んでいって、では実際のレースでHMDを使ったウェアラブルコンピュータを試してみようということになったんです」と福田さんは語る。

実はバイクに限らず、レースの現場は意外なくらいIT化されていない。クルーはピット内にあるモニタを見てマシンの状態を判断するが、ラップタイムなどの情報はサーキットが一方的に提供するものなので、常に自分のチームの情報が表示されているとは限らない。クルーはモニタの前に集まってタイムが表示されるのを待たなければならないのだ。また騒音が大きいため、ピット内でクルーに情報を伝えるには大声を出す必要がある。そのため、ピットウォールでライダーにサインを出すクルーへの指示にはトランシーバーが使われており、たまに聞き違いもあるという。つまり、情報伝達の効率が悪いのだ。

03年、チームつかもとはプライベートチームのヤマモトレーシング(その後、TEAM京都デザイン専門学校にスイッチ)と組んで8耐に参加した。目的は、ウェアラブルコンピュータを使ってピット内の情報化をサポートすること。必要な情報を眼前のHMDから得られれば、クルーは無駄をなくして効率良く動くことができるに違いない。ピット作業の支援にHMDを利用した例は過去にいくつかあったが、実用化はされていない。
「8耐というビッグレースに我々のような新参者が挑戦するのは、大きなチャレンジでした」と語る塚本先生。さて、初年度の成果はどうだったのか。

 
 

  トラブルに見舞われながらも収穫を得た2003年の8耐
 
TEAM京都デザイン専門学校の田村監督。2003年はさまざまな問題が生じ、最後までHMDを装着したのは監督だけに止まった。
ヤマモトレーシングのピット内。サーバ用PCとウェアラブルPCをセッティングしているところ。
HMDのラップタイム表示。自チームの情報が下の方に隠れていても、画面をスクロールさせて見ることができる。写真は2004年のもの。
HMDのスケジュール表示。帯状のバーが2人のライダーの周回を示している(8耐は1台のバイクに2人のライダーが交互に乗る)。赤は走行中、オレンジは待機中のライダー。バー右上の数次は走行可能な周回数を示している。写真は2004年のもの。
HMDの走行位置表示。自チームのバイクとトップチームのバイクは、色を付けて分かりやすく表示している。2003年はバイクを点で表示していたが、2004年は写真のようにアイコン表示に変更した。

チームつかもとはヤマモトレーシングと打ち合わせを重ね、ピットクルーが装着したHMDへのリアルタイム情報表示(マシンのラップタイム、順位、走行位置等)システムと、騒音の中でも情報がしっかり伝わるよう、監督からクルーへのテキストによるインスタントメッセージシステムを構築した。
システム構成を見てみよう(イラスト1参照)。まず、サーキット側から送られてくる文字情報をトランスポンダ(通信用中継器)で受信し、サーバPC内で各種のグラフィカルなコンテンツに変換する。同時にオペレータは、監督から各クルーへのメッセージを入力する(監督は腰にキーボードを付けたが、あまりに忙しく打つ暇がなかった!)。それらの情報が、無線LAN経由で各ピットクルーが腰に装着したウェアラブルPC(小型のノートPC)に送信される。
HMDの画面は切り替え式で、ラップタイム、ライダー交代や給油のタイミングを計るスケジュール、そして他チームを含めた各バイクの位置情報を随時表示。ちなみにこの表示内容は、2004年大会でもほとんど変わっていない。

レース中、自チームのライダーについて現場のピットクルーが最も知りたがっているのは、前後ライダーとのタイムギャップ、ピットに入れるタイミング、そして走行位置だという。チームつかもとが提供した情報は、これらの要求に応えるものだった。
「例えばラップタイムですが、仮に見たいチームのタイムが画面外にあったとしても、身に付けた専用マウスをスクロールさせれば見ることができます。また、スケジュール画面の上部には常に1位チームと自チームを挟んだ前後3チームの情報を表示していますから、タイムギャップもすぐに分かります」(福田)。

監督始めピットクルーに好評だったのはスケジュール表示だ。ラップタイムや給油量、燃費などの基礎データを元に、ライダー交代のタイミングや給油タイミングをグラフィカルに表示するシステム。
「従来は毎回計算してホワイトボードに書き込んでいた情報ですが、これなら一度画面を見るだけで状況を把握できます。給油量だけはチームから教えてもらって手入力する必要がありましたが(笑)」(寺田)。実際、そのタイミングの正確さにはクルーも驚いていたという。

走行位置の表示機能も画期的だ。バイクには情報発信装置を積めないので、サーキットのどこを走行しているかは1週毎のラップタイムから判断するしかない。チームつかもとはHMDの画面上にサーキット図を描き、各バイクがどこを走っているか一目で確認できるようにした。
「1つ前のラップタイムを元に現在位置を算出しているので、厳密に言えば正確ではありません。途中でコースアウトしてもまだ画面上を走っていたりする(笑)。ただ、前後のライダーとのギャップを視覚的に把握できるメリットは大きいはずです」(寺田)。

チームつかもとが提供したシステムはそれぞれが好評だったが、現場では数多くのトラブルに見舞われた。ネットワークがたびたびダウンし、そのたびにPCを再起動しなければならなかった。また、熱のために多くのクライアントPCがダウン。多忙を極めるピット内ではテキストによるメッセージシステムもあまり役に立たなかった。結局、HMDを最後まで使ったのはチーム監督1人だけ。それでも、塚本先生は確かな手応えを感じたという。
「2003年は初参加だったこともあり、何から何まで手探りでした。でも、レースの現場で求められているものが何かということは分かった。03年の8耐は、ウェアラブルコンピュータの歴史にとっても大きな一歩となりました」。

 
2003年のシステム構成
2003年のシステム構成。ハード的にはピット内の無線LANがベースになっており、オペレータがサーキット側から提供された各種情報を加工してクライアントPCへ送信する。受信したクルーはHMDで情報を確認する仕組み。
 
 
 
   

 
  2004年は観客向けにもリアルタイム情報を提供
 
8時間を通してHMDを装着しながら指揮を執ったTEAM京都デザイン専門学校の上杉監督。HMDに対する違和感はほとんどなく、腰に付けたノートPCの重さの方が気になったようだ。
観客用の画面では、レポーターから送信される画像とコメントが一覧で表示される。赤い枠で囲まれているのは新着情報、緑色の枠は未読情報だ。
専用マウスで読みたい記事をクリックすると、記事と画像が拡大される。

2004(平成16)年、チームつかもとは再びTEAM京都デザイン専門学校と組んで8耐に参加した。
目的は、機能アップしたウェアラブル・サポートシステムの運用と、新たに開発した観客向けウェアラブル・サポートシステムの提供。ピット支援のためのシステムは基本的に03(平成15)年と同じなので、ここでは新開発の観客支援システムについて見てみよう。

新たに取り入れたのは、サーキット側から提供される情報を、ピット内だけでなく観客にも配信するという試み。具体的にはメインスタンド脇に特設ブースを設け、ウェアラブル・サポートシステム(小型ノートPCとHMD等)を装着したスタッフ数人を配置。ピットから送られる信号を長距離無線LANでスタンドに設置したアクセスポイントまで飛ばし、スタッフのPCで受信する仕組みだ(イラスト2参照)。
PCには、先に紹介したピットクルー向け情報のうち、ラップタイム表示と走行位置表示が表示される。しかも観客は自分の注目するチームを独自のカラーで表示できるなど、見やすさ、楽しさにも工夫が凝らされた。

さらに注目すべきは、レポーターによる記事投稿システムが導入されたこと。チームつかもとは第1コーナーやヘアピンカーブなど、サーキットの要所要所にウェアラブル・サポートシステムを装着した6人のレポーターを配置。彼らがバトルや転倒などの熱いシーンをデジカメやカメラ付き携帯等で撮影し、携帯を使ってサーバPCに次々と記事を投稿したのだ。
サーバPCのオペレータは投稿された記事をチェックし、管理者が承認したものだけを観客に公開。
特設ブースのスタッフはバイクのデータ情報に加え、こうしたユニークな投稿が読めることを観客にアピールした。
「システム上は静止画だけでなく、動画を扱うこともできます。お客さんの反応は良かったですよ。広いサーキットの中にいる観客には目の前の情報しかありませんから、これはレース情報を補完する有効な手段になると思います。HMDやウェアラブルPCに対する関心も高かった」(寺田)。

2004(平成16)年の8耐に参加したチームつかもとのメンバーは20人。03(平成15)年の経験を活かし、PCやネットワークには事前に対策を施していたため、ほとんどのクライアントPCは最後までダウンすることなく稼働した。ピットクルーで最後までHMDを使用したのは監督だけだったが、こちらもシステムは順調に稼働。04年の8耐で、チームつかもとは03年以上に大きな成功を収めた。
「一番の収穫は人間関係をしっかり作れたことでしょうね。スタッフは03年以上にまとまっていたし、周りのチームからも認めてもらえたと思います。ウェアラブルコンピュータ自体も、鈴鹿ではかなり認知されました」と塚本先生は語る。


2004年のシステム構成
2004年のシステム構成。ピット内システムは2003年とほとんど同じだが、スタンドにいる観客に向けて情報発信するシステムが追加された。
 
 
 

  ITの導入により、レースの楽しみ方は大きく広がる
 

チームつかもとが8耐に持ち込んだウェアラブルコンピュータは、ピット作業の支援と観客の楽しみ方を拡大するという2点において、大きな可能性を見出した。
ピット用ウェアラブルPCは、ケーブルの取り回しが煩雑、HMDに違和感を感じる、腰に付けたノートPCが重い、熱暴走の可能性がある等、まだまだ改善の余地はあるが、2年とも最もリアルタイムの情報を必要とするチーム監督が最後まで使用。そのメリットもまた想像以上に大きいことが分かった。監督はさまざまな情報を素早く入手し、常に適切な判断を下さなければならない。ピット内のどこにいても目的の情報を確認できるウェアラブルPCは、監督の作業効率を大きく改善したのだ。

一方、観客支援のために導入したウェアラブルシステムは、今後のモータースポーツのあり方を模索するうえでも大きなヒントになりそうだ。
現在、モータースポーツの観客は年々減少傾向にある。国内最大のバイクイベントである8耐にしても、最盛期には決勝日に16万人を集めたのに対し、2004年の集客は7万人止まり。もちろん、これは二輪だけでなく四輪レースについても同じこと。モータースポーツ全体が、かつて持っていた魅力を失いつつあるのだ。
サーキット側は観客を再び呼び戻すため、さまざまな試みを行っている。8耐に関しては、地上波やBSでのリアルタイムテレビ中継がなくなってしまった代わりに、数年前からインターネットによるリアルタイム中継を実施。03年には鈴鹿サーキット自らがコース内に無線LANのアクセスポイントを設置し、観客が持参したノートPCやPDAにレース映像をストリーミング配信するという実験を行った。意図するところは04年にチームつかもとが行った、観客向け情報提供システムに極めて近い。

塚本先生はこう語る。
「結局我々が意図しているのは、広いサーキットの中にあるすべての情報をリアルタイムで1ヶ所に集約し、その情報を観客が欲する形に加工して提供することなんです。モータースポーツのように観客が一度に全体像を把握できないスポーツを今まで以上に楽しむには、自分の目では入手できない情報を何とかして手に入れる必要がある。それを手助けするのがITであり、我々が研究しているウェアラブルコンピュータなのです」。
レースパドックでメディア関係者にウェアラブルコンピュータの説明をする塚本先生。ウェアラブルの伝道者はサーキット内でも多忙だった。
 
モータースポーツは、テレビで観た方が全体像をつかみやすいのは確かだ。ただ、テレビの前に座っているだけでは、あの迫力は体験できない。この2点が両立できたら、サーキットは再び熱気で盛り上がることだろう。

チームつかもとは今年も8耐へ挑戦する。さらに機能アップしたウェアラブルコンピュータの姿がそこにあるはずだ。
「5、6年先を目処に、民生用のウェアラブル携帯、ウェアラブルデジカメの実現を目指しています」と語る塚本先生。将来、鈴鹿サーキットのスタンドには、HMDを内蔵したサングラスをかけ、ウェアラブル携帯のキーを器用に操作して情報発信しているバイクファンの姿があるかもしれない。

取材協力:NPO法人ウェアラブルコンピュータ研究開発機構(チームつかもと)
http://www.teamtsukamoto.com/

 
   

 
  追加調査
 
●ウェアラブルコンピュータはファッショナブルに!
2003年、ヤマモトレーシングレースクイーンの2人(左右)と技術サポーターの板生さん(中央)。HMDとコスチュームがピッタリ決まっている。
 
2004年、京都デザイン専門学校レースクイーンの2人。白とピンクのコーディネーションが可愛らしさを演出している。   胸に付けたモニタが大きな話題となった2004年のウェアラブル・ファッション。もちろん、画面上では常に動画を再生していた。

2003年、2004年の鈴鹿サーキットを賑わせたのは、HMDを装着した異様な風体の男たちだけではない。その対極にあるような美しきキャンペーンガールたちが、ウェアラブルコンピュータ・ファッションを身にまとってパドックに現れたのだ。
「ウェアラブルでは機能性と並んでファッション性も重要」と考えるチームつかもとは、2003年、上田安子服飾専門学校の大江瑞子校長に衣装のデザインと製作を依頼。サーキットを疾走する風とバイクをイメージさせる「スパイラル」をテーマにしたスリムなワンピースが完成した。この衣装を着用した同チーム技術サポーターの板生知子さんは、キャンギャル以上に注目を集める存在となった。
2004年のキャンギャルコスチュームも大江瑞子校長が担当。胸にモニタを組み込んだ大胆なデザインが大きな話題となり、観客だけでなく周りのチームスタッフやキャンギャルからも熱い注目を集めていた。
確かに、ウェアラブルコンピュータが認知されるためには、機能や実用的な面だけをアピールするだけでは不十分。女性が進んで身に付けたくなるくらい魅力的でないと、普及は難しいのかも知れない。

 
 

特命捜査第023号 調査報告:高橋ひとみ捜査員 特命捜査第023号 調査報告
写真/海野惶世(インタビュー時) イラスト/小湊好治 Top of the page

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