ITワイド講座




イラスト:小湊好治


発想の転換がロボットを生んだ?!

もうすぐ鉄腕アトムの誕生日だ。手塚治虫原作の鉄腕アトムが誕生したのは、2003年4月7日。ジェット噴射で空を飛び、60ヶ国の言葉をあやつる10万馬力の力持ちのロボットが少年漫画に連載されたのは、昭和26年。今からちょうど52年前だ。

人間がロボットの夢を見始めたのは、随分昔のことになる。ギリシア神話にも、ホメロスの『イリアス』にも、人型のロボットと言えるものが登場する。日本では鎌倉時代の『撰集抄』に人間そっくりのロボットが描かれている。

そもそも“ロボット”という言葉自体が明確には定義されていないため、工場で溶接・塗装など単純作業をするものも、チェスの世界チャンピオンを破った『ディープブルー』もロボットと呼ばれる。でも、おそらく私たちがイメージする“ロボット”に近いのはやはり、ホンダの『ASHIMO』やソニーの『AIBO』だろう。

神話の中の存在でも、見せ物小屋の機械仕掛けでもなく、実際に人間に役立つものとしてのロボットが登場するのは、1960年代だ。もちろんこれは人型ではなく、手のような機械に、取るべき運動を教え、それを再現(プレーバック)するというものだった。これに外界センサが加わり、次に未知の環境でもセンサによって得た外界のデータを蓄積して判断するという学習機能を持ったロボットへと、進化を遂げていった。

 こうしたロボット達が登場して、人間の長らくの夢はずいぶんと実現に近づいたようにも見えるが、ことはそう簡単ではない。ロボット開発の歴史は、人間が、模倣するにはあまりにも複雑で精巧な生物だということを発見する歴史でもあったのだ。

 ロボット開発の難しさは、まずロボットそのものが、正確で繊細な動きをできるかどうかという「運動」と、周囲の環境をいかに感知するかという「認識」、そして「環境を認識して運動する」という二つを結びつける働き、という三点にあると言える。

 ロボットの開発によって明らかになったのは、何よりもまず人間の能力の豊かさだ。たとえば視覚という認識能力を例にあげよう。今パソコンに向かっている私の前には、モニタやキーボートのほかに、飲みかけのコーヒーや書類などが散乱している。これらはテーブルの上に乗っていて、その下にはテーブルの足があるはずだ。細かく言えば、テーブルの木目や、こぼれたコーヒーのシミも、私の目は見ている。これら無数の見える物と、見えないけれどもあると予想される物達を、私の目は瞬時に認識して、間違いなくコーヒーカップを手に取り、テーブルの下に足を伸ばしている。

 ではロボットはこうした環境をどうやって視覚認識するのか。ロボットはまず、それぞれの物のエッジを線という情報として得る。次に線で描かれた対象を、あらかじめ用意されたモデルと照合して、最も誤差の少ないモデルを見つけるという複雑なシステムによって、ようやく認識に至るのだ。

 触覚についてはもっとややこしい。私たちはものを持ち上げるのに、ある程度重さを想像しそれに応じて力を加減する。また、触ってみればそれが熱いのか冷たいのかも判断できる。これをロボットにやらせるとなると、力を感知するセンサだけでなく、視覚と触覚による情報を結びつける機能が必要になるのだ。なかでも「触ってみて熱いか冷たいかを認識する」といった皮膚感覚は、カメラのような精度の高い入力デバイスがないため、再現が困難だ。
 階段一段の高さを一々測って上がる人はいないが、そうした私たちが普段何気なくやっている行動を、すべて計算で再現するロボットにとっては、こうした人間の行動を再現するのは途方もなく複雑なのだ。

 ましてや、カップはコーヒーを入れるもの、本は開いて読むものといった常識や、酔っぱらっていても家に帰り着く、といった本能をプログラミングすることは不可能に近い。

 それでも、ASHIMOにダンスを踊らせるため、科学者達は人間の運動をつぶさに観察し、これを解明しようとしてきた。ロボット開発が大きく発展するとき、そこには、観察によって得られた発見や思いがけない発想の転換があったのだ。

 例えば黒板に字を書くとき、人間は、黒板より少し奥に焦点を定めてチョークを動かしているという。詳細は省くが、黒板という“面”に対して力を加えるのでは、黒板に小さなへこみやでっぱりがあったときにうまく書けない。力の焦点を少し奥に置いてみる、というごく小さな、しかし決定的な発想の転換によって、ロボットは字を書けるようになったのだ。

 視覚の研究でも、ひとりの科学者の発想によって、飛躍的に技術が進歩した。多くの科学者が邪魔なものだとして消そうとしてきた“影”に着目することによって、三次元の世界を認識することが容易になったのだ。言われてみれば当たり前のようなことに気付く、というのが世にいう天才ということになるだろうか。

 いずれにしろ、ASHIMOが私たちの前に姿を現すまでには、こうした人間に対する発見が数多く隠されていたのだ。まったく、気の遠くなるような話である。

 さて、今回はロボット開発のこれまでとその困難について書いたが、次回はロボットと人間はどう違うのか、などちょっと哲学的なお話をしたい。
(2003.3.11)

堀田ハルナ

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