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20回記念: 糸川英夫博士の「日本はこうなる」、その後
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◆ 日本は変わったか?

筆者がかつてむさぼり読んだ本のひとつに、糸川英夫博士の「日本はこうなる」(講談社発行、1985年)がある。あれから17年、日本はその通り変わったのか検証してみることで、日本がこのかつてない不況(果たして本当に不況なのかも含めて)を克服できるか、素人ながら予測してみたいと思う。

結論をまず先に言うと、日本は変わっていないと思う。

◆ 第一章「無頓着な日本人」

を読むと、全く日本人の無神経さに今でも気が付く。筆者自身がそうであるから、これは戦後の教育が大きく影響していることは間違いない。第2次大戦の反省が全く行われていないなどで、後の章で述べられている、驚嘆すれど愛されない日本人(田中角栄がその例に出されている)との形容に納得させられてしまう。

◆ 第二章「ロス五輪にみる日本人の宿命」

では、日本の根性論に対してアメリカが用いた科学的な管理について述べられている。あれからスポーツ界もかなりアメリカのマネをして科学的になったように思うし、個人がもっと主張をしだしたように思うが、会社や官僚の世界を見ると、まだまだ情緒的マネジメントがのさばっているように思える。曰く、アメリカが考え出したことにびっくり仰天して、一生懸命そのマネをして食べていくと言う状態が際限もなく続いている、ということになる。更に、第3の開国を提唱されていたが、未だにこれがなされていない。 面白いことに、こう述べられているのだ。 「貿易面のみならず、政府の手厚い保護を受けて来た金融面まで国際化を迫られている。当然日本人の生活態度まで国際化が必要になる」と。17年たってもまだ何も進んでいないようである。日本人の国際化は新聞や論評で、一時は大々的に取り上げられたようだ。今は余りその論議はなされていないようだが、これで良いのか?日本の教育改革はこの国際化に焦点を当ててなされるべきであり、香港やシンガポールの教育などが参考になるのではないかと思うが、そのような報道や論評はいまだ見たことがない。

◆ 第三章「なぜ日本人は欧米人に嫌われるのか」

では、とどのつまりが欧米の個人主義と日本の集団主義の違いにあるようだ。曰く「日本人は顔を見ていない者とは必ず対立する」。顔見せが日本では大事な要素だということは、日本で暮らしたことがある人なら容易に理解できる。個人主義のアメリカでメディアが発展する理由と、日本でのニューメディア(1985年当時の用語)が日本人の独創性をダメにする。との項は大変興味深い。曰く「情報のネットワークを作り過ぎて、同じネットワークで同じ情報が流れるようになると、日本人の集団主義志向はますます強まる」とは現在のケータイ文化のことではないか。筆者は日本の若者をターゲットにしたケータイ文化は日本をますますダメにするという結論に達したくらいだ。

◆ 第四章「日本と日本人のビッグトレンド」

では日本人の拡散現象(世界各国に飛び出して行く)と凝縮特性(心理的に一点に凝縮する特性、例えば古くは無条件降伏や経済成長)に触れられていて、異常な日本人のハイテクノロジー志向に警鐘を鳴らしておられた。曰く「ハイテクノロジーとはお鍋のことであり、中身の料理がどうなのかがすっかり忘れ去られている」とは今現在の日本の電気メーカー、特に半導体メーカーにすっかり当てはまるが、85年当時、日本のメーカーのマネジメントはこんなことには聞く耳を持たなかっただろう。今でも判っておられないメーカーのトップの方がたくさん居られるようなのは、新聞発表を見れば良くわかる。曰く「新技術の開発に成功したがどのような商品に、使われるのかまだわからない(決めていない)」などなど。

◆ 第五章「種族工学の発想と視点

「ベトナム戦争もソ連のアフガン侵攻も種族戦争である」というのは、今からすれば先見的な発見であり、ただただ感服するほか無い。アメリカやソ連(当時)が種族戦争に出ていっても勝てるわけがないのである。この観点からいけば、イラクをねじ伏せることはできても、その民族や宗教に勝てる訳ではないから、中東紛争は今後も続くと見て良いのだろう。

◆ 第六章「日本が選択すべき道はこれだ」

では戦前の軍部も、今の経営者も頭の構造は同じと見抜かれている。即ち「日本製品の品質は永久にアメリカ製品より良い、価格も永久に安い。従って、常にアメリカ製品に勝つ」という発想で行動しているとある。85年当時はそうだったが、今ではどうなっているのか?アメリカどころか韓国や台湾に全く同じ思想で攻められて負けてしまっている。日本が歴史から学ぶ必要を説き、相手としてユダヤ(イスラエル)を勧めておられた。確かにその長い、ユニークな歴史を学ぶのは日本にとっても良いことだろう。しかしアラブとの関係を考慮すると表だってユダヤの歴史を学ぶと言えるのは、政府、官僚や会社経営者で何人いるのだろうか?科学から宗教に立ち戻り、心の時代を切り開くことが今後の道だと述べられているのが印象に残るが、その宗教もオームのようなオカルト教とか時代錯誤の靖国神社に行きがちなのも、日本が1985年からちっとも変わっていないことを如実に表しているのではないか?

◆ 私の結論

2003年の年頭に当って、現在でも通用する糸川博士の「日本はこうなる」を筆者独自に解釈すると、一つは、日本は不況のままで良いということであり、不景気脱出より不況により痛手を受けている人たちに救いの手を、政府のみならず民間、個人レベルで差し伸べること。二つ目は、発想を変え 風変わりなもの、特異なものを、素晴らしいものと評価し、それを排斥するのではなく、むしろ歩み寄って行こうとする(アメリカ的な個人主義の)発想に切り換えていくことである。これができれば日本は変わったと声高にいえるのだが。


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