矢野 「連画」がちょうど10年目を迎えて、「連画とは何だったのか」をまとめておられるそうですね。
安斎 「連画とは何か」を説明しようと思うと、話せば話すほどわからなくなってしまうんです。連画の本質というのは、自分でやること。やってみてもらう以外に、本当の伝え方はないと思うんですね。連画というのは生きているシステムなんです。それぞれが自分の絵を1枚、その場にさらし、参加し合うことでいろいろな気持ちが動き出す。
 このあいだ、「カンブリアンゲーム」という連画を東大の安田講堂でやりました。公開の場だからだれでも参加できる。付せん紙にフェルトペンで参加者が思い思いの絵を描いて、イメージをつなげていくわけです。参加する人はワクワクして、次のイメージを貼りつけていこうとする。自分のひらめきを先取りされてがっかりしたり、自分の絵がどんどん展開するのに驚いたり、そういうふうに、生きたシステムの中で姿を現すものが連画です。しかし、その動きが止まってしまえば、単なる痕跡でしかない。
矢野 やっている過程が連画の楽しみである、と。「あなた方の連画作品を見せてください」と言われたら、何を見せるわけですか。
中村 私たちふたりの場合は、組み作品全部ですね。
安斎 手元に残った作品をホームページに掲載していますが、それは連画の結果でしかない。厳密には「やっているプロセスを見てください」としか言えないですね。
矢野 安斎さんと中村さんは、それぞれ自分の部屋にいて、通信で連画をやっている。しかし、観客はそのパフォーマンスをリアルタイムに見られないわけです。絵が変わっていくプロセスを見ることはできるけれど……。連画の本当のおもしろさは制作者の心理的な動きであり、自分が変わっていく過程であると安斎さんはおっしゃるわけですが、となると、連画として完成した作品は「残りカス」ということでしょうか。
安斎 言ってみればカスでしょうけど、それを解読することによって自分もやってみようと思ったりして、連画の手法をみんなが得られれば、十分価値のあるカスだと思います。
中村 もう1つあるんですよ。連画をしてきたこの10年間に、私たちの肩書きがどんどん変わってきたんです。
 最初は「CGアーティスト」だったのが、次に「ネットワーク・アーティスト」になった。 CG画像をやりとりするために、せっかくだから24時間営業のパソコン通信を使おう。なにせ、深夜族の安斎さんと早朝仕事をする私にとって、お互いのペースを最大限に尊重しながらデータをやりとりできる。いちいちフロッピーに入れて郵便屋さんに運んでもらっていたんじゃこうはいきませんよね。ネットワークのいいところをうまく利用できた。そして、インターネットが出てきて、「メディア・アーティスト」に変わった(笑)。
 世界中のアーティストにネットで呼びかけ、変遷する連画作品をホームページに逐次掲示しながら連画をやってみたわけです。そのときは、既存のブラウザーとメーラーでやったんですが、もっといい環境をつくりたくなって、連画環境そのものを支援するソフトウエアのデザインまではじめた。そういうふうにメディアの仕組みまでつくるようになったから「メディア・アーティスト」ですかね?!(笑)
安斎 最初は絵を見せるだけでよかったけど、やはり、連画というスタイルやシステムが僕たちの作品だということに気がついたんですよね。
中村 だけど、いまこの時点でも、すっきりと「これが連画のすべてだ」と見せるところまでいってないですね。いまはその途中でいろいろな実験をやっています。東大での「カンブリアンゲーム」も実験の1つで、かすかな満足感はありましたが、まだ、私たちの見せ方を見つけている最中ですね。

矢野 中国の『荘子』(天道篇)には、斉の桓公の逸話としてこんなことが書いてあります。 桓公が座敷で書見していると、庭で仕事をしていた車大工がそれをのぞき込んで「殿様、何を読んでおられますんで」と聞いた。「聖人の言葉を学んでいるのだ」、「聖人はまだご存命で?」、「いや、とっくにお亡くなりになった」、「ということは、あなたは聖人のカスを読んでおられるわけですね」。 むっとする桓公に、車大工はこう言ったという。 車をつくるときの木の削り方一つとっても、コツというものがあって、それは手ごたえでとらえ、心にうなずくだけ、言葉で伝えられるようなものではない。そのコツは子どもに伝えることはできず、子どもも私から受け継ぐことができない。だから70歳の今も私は車を作っているのです。私の小さな経験から考えても、古の聖人は、伝えることのできない体験的な真理とともに、すでに世を去っており、したがって、いま殿様の読んでおられるのも、聖人のカスでしかない、と。
 一番大事なのは、聖人が生きていたこと、考えていた過程だという。連画の話を聞いていて、ちょっとこの話を思い出して、「カス」などという不穏当な言葉を使ってしまったわけですが、この考え方は、連画が実現しようとしている一種のパフォーマンス的なものと共通しますね。
安斎 その通りです。近代の美術には300年ぐらいの歴史があるけれど、おそらくそれは「結果」を固定するための努力だと思います。作者が自分のすべてを賭けたタブローを1枚残す。そのタブローを見に行けば、作者が何を考えていたか、すべてが読み取れる。それを、みなさん鑑賞してください、と。
 そういう歴史のなかで「作者イコール作品」という関係性が築き上げられた。しかし、連画はそれを壊すことなんです。特定の作者の絵画であるにも関わらず、額の中に手を突っ込んでぐちゃぐちゃと描き換えてしまうのが楽しい。そうすると、作者が残そうとするものは破たんしてしまう。
矢野 そこまで行くんですね。先日、レオナルド・ダ・ヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」を見に横浜美術館まで行ったけれど、あの小さい絵だけを目的に、大勢の人が見に行くわけですよね。「素晴らしい」と。
中村 レオナルド・ダ・ヴィンチの時代は、絵画ってまだまだ教会や建築物といったシステムの中で機能していたと思う。何百年か経て日本のデパートや美術館に展示して、そこで感じられる美しさや感動ってのは、なんだか皮肉な感じがします。
安斎 『モナ・リザ』が1枚のキャンバスに描かれたというのは、絵画が建築物というシステムからはがされてポータブルになり、より一般的になったということ。それこそ「作者イコール作品」という関係性ができた契機がキャンバスの出現ですね。実際、額からはずせば1枚の布になるから、アトリエに持って行って描くことができるようになった。
矢野 絵画が建築物から独立したことで、自由を獲得したわけですね。現代のデジタル技術の出現も、いろんな意味で自由を与えたと受け止められています。インターネットによって、我々は時間や空間の制約から解放され、自由を得た。だからインターネットは素晴らしい、人間にとってプラスになると考えるわけですが、おふたりはデジタル技術がもたらす恩恵はもっと違うものだと考え、実践しているように思いますが……。

中村 それはどうでしょうか。会社務めをしていたころ、サイバースペースやネットワークの可能性が高く評価されていましたが、私自身はどこかしっくりきませんでした。インターネットが爆発的に広がった1995年ごろ、実際にアクセスしてみるとサイバースペースは真っ暗やみの印象で、人の気配や賑わいがなかった。当時、私たちアーティストが参加を求められたプロジェクトのひとつに「ポートレート・イン・サイバースペース」があります。これは、「サイバースペースの印象を創造してほしい」というもので、MIT(マサチューセッツ工科大学)の研究者 、ジュディス・ドナス が提案したプロジェクトです。私もさっそくサイバースペースに住むお姫様を想ってCG作品を創りました。
 そんなことをやっているうちに、サイバースペースのなかでの人と人とのつながりやコミュニティの現れ方、空気感といったものに興味がわいてきました。サイバースペースの感触とか空気感はどんな感じかなと。
矢野 なるほど。
中村 サイバースペースのなかで、どうしたら「空気感染」できるのかなと思うんです。素晴らしい絵描きでもノーベル賞受賞者でも、点在して現れるということはないんですよね。ある時期にある場所に集中して現れる。それを「空気感染」と表現した人がいますが。 絵の世界では、パリのカフェにたむろしていたなかからたくさんの天才絵描きが出た時代がある。いま、これだけ大きなネットワークができて新しい可能性が生まれたのに、いざとなると「現実世界で会わなきゃ空気感染しないよ」と言われるのは芸がないですね。
矢野 それはおもしろい。
中村 サイバースペースのなかの「空気感染」って何だろうと考えると、連画こそ、その鍵を握ってると思います。連画のシステムは、もっとも他人に深く関われるシステムだと思うんですよね。ネットワーク上の空気感染みたいなのを起こすんですよ。
安斎 はじめてワールドワイドウェブで世界の名画を見たときは、あまりにチープで、ネットは人間と絵が向き合う本当の環境じゃないなと感じました。人間が絵を見るというのは、ある心理的な受け入れ状態が必要なわけで、絵を見ることで貫かれるような感動を得られる環境でなければいけない。そういう点でウェブは、鑑賞のための装置としては、まだ駄目なんだなと感じました。
 ところが、ハイパーリンクという機能があり、クリックすることで1枚の絵になんらかの関連性が明示された。これは、多くの人がウェブではじめて身につけた感覚で、ものすごく新鮮でした。僕らが連画でやってきたのは、まさにこのハイパーリンク構造をつくることだと思うんです。鑑賞するための絵ではなく、関係するための絵が、ネットワーク時代の絵画のありようだと思う。どこでどんな絵をとってきたのか、どこにリンクしていくのか明示する仕組みをつくりたいんですね。
中村 伝染するさまを、まざまざと見ることができる。それがネットワーク上の空気感だと思うんです。これは連画をやっているうちにわかってきたことなんですが。ただ、単にコンピュータとか電話線をつなげるだけでは、何も切実なものは出て来ないし、迫真的なリアリティーも生まれない。私たちが一番興味があるのはリアリティーなんです。それを「空気感」と言うとすごく抽象的になるけれど……。
安斎 東大でやった「カンブリアンゲーム」では、自分の絵をパッと出すと、次にみんながどういう方向に持っていくのかすごくワクワクしました。自分が出したイメージを次は誰が持っていっちゃうんだろうって。あの感覚は、ふつうに絵を描いて美術館に展示するときにはないですよね。

矢野 空気感染の話を聞いて、「100匹目のサル」の話を思い出しました。宮崎県の幸島にいる1匹の野生ザルが、海水で芋を洗った。すると別のサルも同じことをして、100匹目のサルが洗うようになったときは、全員が同じことをしていた……。こういうことがインターネットで促進できるのでは、というわけですね。
安斎 100匹のサルの話はよくわかります。「セルオートマトン」は、無数の人や 生物に、習慣や病気やうわさが浸透していくのをうまく表現できる数理モデルなんですが、ごく小さいきっかけがいっきに全体に波及したり、同時多発したりする様子がパターンとして目で観察できます。たとえば、横一列に手をつないだサルたちが、隣のサルにだけ情報を伝達したとします。1時刻に1つの情報だけ伝達すると、 1クロックについて1匹ぶんの影響伝播速度が最高の速度=光速になります。ところが、ときどき光速を超えるんです。超えるように見える、というべきですが。
 同時多発を説明するのには絶好の 「セルオートマトン」の画像が連画のホームページにあります。
ここで、縦軸は時間、 横軸はセル空間ですので、45度の斜め線が光速になりますが、それよりも横に寝た同時多発の線があきらかに現れています。実際には、ある情報の種がまかれるとその影響はすぐには現れないけれど、潜在的な影響が徐々に蓄積していて、あるところで一気に発現するということなんです。それが一気に広がったように見えるから、 光速を超えているように見えるんです。
 おそらくこういう同時多発的な発現の事例は、たくさんあるでしょう。100匹目のサルにしても、芋を洗うのに必要な条件は、あるとき一斉に植えられているんです。それを何世代にもわたって、個々のサルが受け継いでいって、あるときパッと発現 した。そういうふうに「空気感染」を起こすには、局所的な関係を確実に結ばなければいけないと思います。たぶんネットワークの時代には、確実にみんなに伝播するでしょうね。
(参考:http://www.renga.com/archives/enc/#CA
中村 いちいちサーバーに戻らず、P2P(Peer to Peer)で個人が横に並んで情報をやりとりする方法もできるでしょう。
矢野 想像できないようなことが起こるでしょうね。
安斎 ブロードキャスト型の文化では、前日にだれかが言ったことに影響されて、何かが起こるということがあります。一方、ネットワーク型だと、だれも影響されていないように見えて、いつのまにか何かが起る。『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)という本もそうです。あれは「ネットロア」という形でネットワーク上に伝播して、少しずつ物語のバリエーションが変化した。ああいうタイプの文化形成は、おそらくブロードキャスト型の文化では起こらなかったでしょう。ネットワークの時代には、そういうことがたくさん起こると思うんです。まったく関係なかった人たちが同じことを考えているとか。
矢野 たしかに同時多発的に何かが起こっている。現代の空気のなかに何かが飛んでいき、ネットワークがそういうことを促進すると考えるのはおもしろいですね。
安斎 むかし飛んでいたものを消したのは、マスメディアじゃないかな。
矢野 それは言えるね。メディアの発達によって、絵画や小説が独立した文化として発達してきたと我々は自負してきたわけだけれど、じつは本当のクリエイティブな価値はむしろ衰退していたのかもしれない。それがネットワークによって復活するチャンスが出てくる可能性がある、と。



      コピーとオリジナルの差異が消失するデジタル世界
      いまオーラがあるのは「生きているふりをする」ロボット

      「連画」セッションは次世代の文化のひな型
      個人の創造力とネットワークの力が融合

      引き算された情報を解読する作業
      いかにコードをつくり変えるかが僕らの仕事


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