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寺垣 武さんプロフィールへ デジタル思考の陥穽を突く老機械技術者:寺垣 武さん 矢野直明プロフィールへ

寺垣武さんは、20歳から80歳の現在に至るまで、フリーの機械技術者として大手企業の特殊装置や機械の開発を手伝ってきた。その柔軟な発想力と天才的ともいえる「腕」によって、機械式表示装置、寿司ロボットなど数々の発明をしてきたが、寺垣さんの名を高めたのは「Σ5000」という究極のアナログレコード・プレーヤーである。17年という年月と5億円の費用を投じて開発されたこのプレーヤーは、レコードに刻まれた音をかつてない精度で引き出す装置であり、海外でも高い評価を受けた。価格数百万円というプレーヤーと巨大なスピーカーが鎮座する東京・大田区の寺垣さんの事務所で、すばらしい音の世界に触れながら、発明にまつわる苦労と喜び、デジタル技術とIT社会に関する忌憚のない意見を聞いた。

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Parat1 17年間と5億円を費やした「究極のプレーヤー」を開発

モーターを使わず、重力で動く「真に究極のプレーヤー」にも取り組む

Part2 デジタル化は手段であって、目的ではない

寿司ロボットを初めて開発

Part3 技術者は自然から学べ

つねって痛くないものは身につかない

Part1 17年間と5億円を費やした「究極のプレーヤー」を開発

矢野

寺垣さんは80歳を越えられても、かくしゃくとして現役の機械技術者を続けておられます。本日は技術者としての寺垣さんのエキスをお伺いするとともに、デジタル技術がもつ危険性というか、陥穽(落とし穴)についてお聞きできればと思います。
 この対談はこれまで、僕のサイバーリテラシーという考えに基づき、デジタル技術が生みだした新しい情報空間、サイバースペースと、それによって激しく変容する現代社会について、最先端で活躍してる方々のお話をお聞きしてきましたが、今日は趣向を変えて、むしろアナログ技術の世界についてお聞きしながら、同時にデジタル技術の賢い使い方を考えられれば、と。
 寺垣さんの本のタイトルは『知恵』ですが、今日のテーマはまさに知恵、IT社会を生きる知恵ですね。じつは僕は近く、『サイバー生活手帖―ネットの知恵と情報倫理』という本を出す予定です。
 まず、技術者としての寺垣さんの発明の数々についてお聞かせください。

寺垣

私の場合は、発明というより物事を素直に見て論理を極めることで、いろいろな機械や装置を開発してきました。その一つが昭和31(1956)年に日本電気の嘱託として開発した「誘導弾ジャイロ試験装置」です。ジャイロとはロケットなどの飛ぶ方向を制御するもので、その性能を試験する装置が必要だったのです。当時、日本にはアメリカ製の装置が2、3台あるだけで、私はそれすら見たことがなかった。
 そうした場合、普通はアメリカ製の装置を分解したり、膨大な資料を読み込むのでしょうが、私は新しい機械の開発に当たって、いつでも敢えて関連情報を入手しません。そのときも姿勢制御なのだから、xyz(縦・横・回転角)3軸の動きを正確に計測する装置を作ればいいのだろうと単純化して考え、結局、アメリカ製よりも小型の装置を完成させました。素直に考えれば誰でもできることなんです。ただ、多くの人は自分の歩んできた経歴や知識という重い鎧がじゃまになって、素直に物事を見ることができないんですね。
 私は学歴もなければ、権威や学説に左右されることもないので、身軽な発想ができる。えらい人は新しいことをやる時には理論を考えて、机上で100%まで完成しないと着手しませんが、私は50%の可能性が見えたら、手をつけてしまう。そして進めながら100%の完成まで持っていく。机上で100%というのはなかなか難しいですよ。

矢野

Σシリーズのレコードプレーヤー開発でも同じですか。

寺垣

そうです。昭和53(1978)年頃、ある音楽雑誌に載った短い文章に目がとまりました。そこには「レコードはカッティングするとき、片チャンネルに三〇〇〜四〇〇ワットのパワーを投入している」と書いてあったんです。カッティングとは、レコードを生産する際に、ラッカー盤という原盤に音を刻む作業です。その文章を見た瞬間、身体がるぶると震えるような驚きを感じました。私の本業は工作機械ですから、片チャンネル数百ワットのすごさというものが身体でよくわかったんです。そんなすさまじいエネルギーを投入して、軟らかいラッカー盤にわずか0.1ミリほどの溝を刻むというのは尋常ではない。
 おそらく膨大な情報がレコード盤に刻まれているにちがいないと確信しました。原盤を切るだけなら数十ワットで十分です。そこには芸術家の音をすべて記録しようとする人間の意思が働いたにちがいない。そのことに感動しました。
そう思った途端、既存のプレーヤーはレコードの情報量をほとんど再生していないのではないかと気づいたのです。というのも、カッティングマシーンがラッカー盤をターンテーブルに真空で吸着して、ヘッドを固定して音を刻み込んでいくのに対して、一般的なプレーヤーはゆがんだレコードの上をアームとヘッドがふらふらと上下しながら危なっかしそうに溝を走っている。これは違いすぎる。よし、カッティングマシーンの潜在能力をなるべく忠実に読み取れるプレーヤーを作ってみようと決めたんです。
 そのときも名器と呼ばれる既存のプレーヤや、オーディオ技術に関する資料類を調べませんでした。前例のないプレーヤーを作るのだから、過去を参考にする必要はないと思ったのです。だから私は、オーディオ機器を開発しようと思ったのではなく、レコード表面の粗さを限りなく正確に測って音を拾う「表面粗さ計」を作ろうと考えたわけですね。まさかそこから17年間と5億円をかけることになるとは思いませんでしたが……。

モーターを使わず、重力で動く「真に究極のプレーヤー」にも取り組む

矢野

レコード業界の人たちは、プレーヤーの再生能力がお粗末なのに、なぜその後もカッティングに数百ワットをかけ続けたのでしょうね。

寺垣

この世界は職人的なので、先輩を踏襲する気持ちが強かったんでしょうね。プライドも高くて、あるレコードメーカーの録音部長が「寺垣さんは機械には詳しいが、音響のことは知らないでしょう」とカッティングの現場や録音などについて、詳しく教えてくれました。

矢野

現場を見ても最初の仮説は揺るがなかった?

寺垣

ますます確信しましたね。ドイツ製のカッティング・マシーンは、カッティングし終わると、その場でラッカー盤の音を確認するプレーバックを行うのですが、それが素晴らしい音なんですよ。いまではそんな職人魂を持ったカッティング・エンジニアもいないし、カッティング・マシーンもありませんから、いいレコードソフトを作ることはできないでしょう。多くの技術が陥没してしまって、もう一度これを持ち上げるのはもう難しいです。

矢野

プレーヤーはお一人で開発を続けられたのですか。

寺垣

3号機までは自費で取り組みましたが、当時のおカネで600万円も使ってしまい、家計にも影響が出るようになって、ステレオ・カートリッジを作っていたオーディオテクニカに支援をお願いに行きました。創業者の松下秀雄社長(現会長)が理解してくださり、3年間に3億円ほど投資してくれました。この間、7号機まで作りましたが、この装置はハイテクの限りを尽くし、カッティング・マシーンに近づけました。音溝を半導体レーザーで読み取って、強制的にカートリッジを駆動させるもので、ベルリンのオーディオショーでも絶賛されました。ところがあまりにコストがかかるので、結局、製品化はできないまま終わりました。
 その後、一般の人にも買ってもらえる製品を作ろうと根本から考え直し、ハイテクをすべて捨て去って、機械的・物理的な“完全”を目指すプレーヤーを、個人で開発し始めました。音に影響を与える要素を排除するために、機械的な接合部分はすべて線あるいは点接触にし、音に変調をかける油・ゴム・バネなどは一切使わないことを決めました。ターンテーブルも中心に向かって1.5度傾く、すり鉢状に加工し、真ん中におもりを乗せてレコードの反りを取り除きました。
 さまざまな工夫を凝らしたプレーヤーは、リコーの協力を得て、昭和62(1987)年に「Σ3000」として発売されました。値段も230万円と高く、ちょうどCDが普及し始めたときで、6台しか売れませんでした。その後、セイコーエプソンなどが支援してくれて、平成6(1994)年に「Σ5000」を発売。320万円にもかかわらず、30台ほどは売れて評判になり、海外からの取材もありました。続けてセイコーエプソンから140万円の廉価タイプの「Σ2000」を出して、これは47台ほど売れましたね。

矢野

いまは生産中止ですか。

寺垣

中止したのですが、「買いたい」とお金を貯めている人もおり、いま真の究極のプレーヤーを作っています。Σシリーズは究極といってもトーンアームは通常のプレーヤー同様、支点を中心に半円状に回転するオフセット式で、カッティング・マシーンのように支点そのものがスライドして、レコードと平行に移動するリニアトラッキング方式ではないのです。オフセットはヘッドと音溝の位置関係が移動とともに変化するので、音の再生に悪影響を与えるんです。
 もう一つはモーターです。モーターの脈動は想像以上に再生への悪影響が大きい。試しにモーターを止めて、手でターンテーブルを回してみたら、知人の音楽家は「いい音になった」と言いました。蓄音機が癖のないいい音を出すのも、ゼンマイで駆動しているからです。プロの耳はモーターの脈動を聴き分けるんです。
 いまリニアトラッキング方式で、モーターを使わないプレーヤーを作っています。動力はおもりによる自然の重力です。機械的に工夫をして、おもりでターンテーブルを回しながら、おもりを巻き上げるときにも連続してトルクが出る装置を作りました。

矢野

このスピーカーも手作りですか。

寺垣

そうです。プレーヤーを開発するうちに、せっかくレコードの音を色づけせず、素直に引き出す装置を作ったのに、スピーカーが色づけをしてしまうことに気づきました。だいたい、どんなに名器と呼ばれるスピーカーも箱からできています。これがおかしい。箱というのは音を共鳴させる働きがあり、必ず定在波が発生して箱鳴りを起こす。これはぜったいに防止できないので、各メーカーは逆に定在波を利用して音作りをしているのです。つまり、箱は必要悪で、理想的なスピーカーは振動板だけのものです。
 もう一つ、オーディオ業界の人たちの大きな勘違いは、音を振動だけだと思っていることです。音の正体が振動なら、このスピーカーの振動板を押さえたら音が出なくなるはずですが、ご覧の通り、押さえても音は変わりません。実は音には波動が深く関わっているのです。波動というと怪しいものと勘違いされるかもしれませんが、一つの物理現象、エネルギーが分子間を移動する現象です。
 このスピーカーはバルサ材にストレスをかけて湾曲させた振動板からできており、箱はありません。波動はストレスをかけると分子間を通りやすくなりますので、音の波動がバルサ材の分子を通じて、空気の分子を揺り動かし、私たちの耳に届きます。だから、振動板を押さえても、スピーカーの後ろや横に行っても、音は変わらないのです。
 オーディオ技術者は、こうした原理や物理現象を正しくとらえず、電気電子技術を使って勝手に音作りに走った。これは手段と目的を取り違えたからです。音楽を聴く手段がオーディオだったのに、いつの間にかオーディオが目的になってしまった。レコードの原音再生に努力せず、一介の技術者が音をいじくり回すのは傲慢な話ですね。

Part2 デジタル化は手段であって、目的ではない
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