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矢野直明プロフィールへ デジタル時代の「知」の案内人:名和小太郎さん 名和小太郎プロフィールへ

古今東西にわたる該博な知識のもとに、デジタル社会の著作権や倫理をめぐる複雑な問題を鋭く切り取り、わかりやすくときほぐし、しかもエスプリを加えた達意の文章で丁寧に説明してくれる名和小太郎さんは、まさにデジタル時代の「知」の案内人といえよう。関心は科学技術と社会のあり方全般におよび、視点はつねに一般市民に向けられている。1回の対談でその全貌を見わたすのはとうてい無理と言ってよく、今回は、これからのIT社会と情報倫理のあり方について話を聞いた。

index
Part1 「情報倫理」とは何か

 専門家だけでコントロールするのは不可能

Part2 「セキュリティ」と自由のせめぎ合い

 S1文化とS2文化

Part3 情報倫理の土台は「自己決定」

 NPOが市民の代弁者に

Part1 「情報倫理」とは何か

矢野

民間企業の技術者から大学へと転じられた名和さんの活動範囲は広く、各分野で多くの業績を残しておられますが、本日はそのなかでも「情報倫理」にしぼってお話をうかがいたいと思います。
 デジタル技術が作り上げたサイバースペースには、現実世界がもっている「あいまいさ」、「不徹底」、「自然減衰」、「物理的障害」、「自ずからなるバランス」、「自然秩序」といった制約がありません。このデジタル情報の特質が、情報の徹底的な規制、コントロールを可能にし、それが現実世界にはね返って、さまざまな問題を引き起こしています。新しい事態に対応するための、あるいは過度に暴走しがちなデジタル技術をコントロールするための法整備も進んでいますが、それは一方で、私たちの生活がまず技術によって、ついで法によってがんじがらめにされる恐れをともないます。これからの私たちは、そういったIT社会の現状をきちんと見つめて、そこでの生き方を一人ひとりが考えていかなくてはならない。それを「情報倫理」との関係で捉えたいというのが僕の立場です(「サイバーリテラシーという考え方」)。いきなりで恐縮ですが、情報倫理とはいったい何なのか。そのあたりからお聞きしたいと思います(笑)。

名和

情報倫理にはいろいろな要素が入っており、ひと言でお話しするのは難しいので、まず、なぜ僕が情報倫理に関わるようになったかという経緯からお話ししたいと思います。
 情報技術の専門家が集まる情報処理学会では、1990年代なかばから「倫理綱領」を作ろうという動きがはじまりました。情報通信技術が社会に強い影響力をもつようになり、技術者も社会的責任を果たすべきだという声が強まってきたからです。技術が信用されなくなるなかで、研究者として社会的地位を確保したいという思いもあったでしょうね。
 この動きのもともとの原因は外圧でした。情報処理国際連合(IFIP:International Federation for Information Processing)という国際団体から日本の倫理綱領はどうなっているんだと、90年代初頭以来、さかんに問い合わせがあって作ることになったわけです。その際、外国の綱領を調べましたが、大半は技術者集団としての社会的役割を果たすことが内容でした。ところが日本ではそれほど職業集団としての意識がない。それより、○○会社の社員という意識の方が強かったわけです。
 そこで、我々が作った倫理綱領「情報処理学会倫理綱領」では、前文で「我々情報処理学会会員は,情報処理技術が国境を越えて社会に対して強くかつ広い影響力を持つことを認識し,情報処理技術が社会に貢献し公益に寄与することを願い,情報処理技術の研究,開発および利用にあたっては,適用される法令とともに,次の行動規範を遵守する」とうたった上で、「社会人として」、「専門家として」、「組織責任者として」という3本柱のもとに具体的な項目をまとめました。問題はこの綱領に違反したらどうするのかということでした。果たして学会から追放できるのか。弁護士にも入ってもらって検討しましたが、やはり追放を綱領として規定するのは難しい。仕方がないので、問題が発生したらしかるべき場を作って個別に検討することにしました。
 結局、倫理を定める権威の正統性を主張できないんですね。利害関係者の価値観が多様です。だから行為のルール化が難しい。これは情報倫理を議論するときの本質的な問題です。

専門家だけでコントロールするのは不可能

矢野

僕が朝日新聞時代に担当していた夕刊コラム「ねっとアゴラ」に、「情報倫理の行方」という原稿を書いていただいたことがありましたが、その中に「『情報倫理』という言葉はむなしい。ただし確実なことがある。それは野放図な悪戯はかならずどこかに被害者を作っているということだ」というくだりがあります。

名和

学生などによるインターネット上の悪戯もドンドン"進化"して、教師や専門家の目も行き届かなくなった。そのため倫理教育も右往左往せざるを得ないという面がありますね。情報処理学会の倫理綱領には、米国計算機学会(ACM:Association for Computing Machinery)の規約にもないような、時代を先取りした文言を加えました。それはインターネットを視野に入れたもので、今後はさまざまな世界観や価値観をもった人びとが登場してくるから、倫理も多様性を配慮すべきだということでした。この倫理綱領は1996年施行ですから、当時としては先を見すえた内容で、それだけは自慢できますね。
 個人としての倫理もさることながら、会社としてはどうするのか。一応、社内教育の重要性などは指摘しましたが、要するに経営者が情報処理学会の会員になってもらうことが最も有効ではないかということになりました(笑)。ただし仮に問題が起きても、医者や弁護士のコミュニティとちがって学会の権威が法的に裏付けられていないから、追放されても仕事はできます。この問題はいまも残っています。

矢野

それで情報処理学会員は増えているのですか。

名和

情報処理会社は増える一方ですが、学会員は減っており、当初のもくろみ通りには進んでいません。情報処理の世界も国際化の波にさらされ、日本の学会に入るよりもACMや米国電気電子技術者学会(IEEE=Institute of Electrical and Electronics Engineers)に入会した方が、論文なども国際的に流通しやすいからです。

矢野

なるほど。

名和

もう一つ、議論になったのはまさに「倫理とは何か」ということです。一般的には法律の周辺で守るべき慣行といった程度の認識でしょうが、哲学者も入れて議論したところ、「悪法も法」という言葉があるように、ときには法律と倫理が衝突するというわけです。それは困ったことだが、ありうる話でしょうし、結論は出ませんでした。

矢野

情報倫理に関する名和さんの基本的なお考えは?

名和

「情報倫理」という言葉は、1990年代なかばのインターネット商用化後にさかんに使われるようになりました。情報倫理には次の3つのパターンがあるといえます。
1. ネチケット ……レイマン型倫理
2. ハッカー倫理 ……ハッカー型倫理
3. 専門家責任 ……専門家型倫理

ネチケット、すなわちネット上のエチケットは、インターネット上のさまざまな迷惑行為をユーザー、つまり市民や消費者などごく一般の人(レイマン=lay-man)が協力して抑止しようという趣旨です。
 ハッカー倫理は、インターネットを自律的かつ公正な人間交流の場にしようというネットの伝統的な考え方で、ある種の破壊活動が正当化されることもありますが、基本的にはエリートとしての自律性と公正さを追求するものです。
 3つ目の専門家責任とは、ソフトウエア生産に関わるシステム技術者の職業的な倫理ですね。
 当時はインターネットの世界も、まだ専門家たる技術者の倫理でコントロールできるという気分、あるいは希望があったのですが、それがもはや崩れてしまった。これほどに一般の人、レイマンが使うようになると、技術者だけがいくら頑張っても難しいですね。

矢野

ねっとアゴラの記事の中では、「この綱領が役に立つかどうかを日常的にチェックしようということで研究会を設けた」とお書きになっていますが、技術者だけのコントロールには限界があることを予見されていたんですね。この研究会というのは今もあるんですか。

名和

今でも続いております。年に数回、会合を開き、情報倫理や現実のインターネットのさまざまな問題を議論しています。現在でも法律家が参加するなど、この手の研究会では珍しい構成です。ただ、幹事の交替もあり、今は技術サイドの話が中心になっているようです。昔はインターネットに対して多少批判的な面もあったのですが、現在はe-Japan戦略の発想なのか、何とか前へ進めようというムードが強いようですね。

Part2 「『セキュリティ』と自由のせめぎ合い」
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