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第15回「人がおいしいと思うものは、本能が決めるんです」
第15回 京都大学大学院教授 伏木 亨さん
おいしさ決める5つの要素

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「おいしいものを食べたい」という気持ちを持つ人はたくさんいますが、実際そのおいしさを科学的に説明することはできません。先生はそこにメスを入れられたわけですが、つまり「おいしい」とは、どういうことなのでしょう?

伏木

人はなぜ「おいしい」と感じるのか。現時点では、私は少なくとも五つの要因があると思っています。
一つ目は、生理的に必要なものが「おいしい」。お腹がすくとご飯をすごくおいしく感じたり、疲れると甘いものが欲しくなる。このように体が欲求するものを取ったときに「おいしい」と感じます。
例えば、動物が生命維持に必要で、かつ体内で合成できない「必須アミノ酸」という物質がありますが、その内の一つを抜いた餌を与える実験をすると、動物は餌をあまり食べなくなります。そこに色々な餌を並べると、欠乏しているアミノ酸を含む餌をぱっと選んで摂取します。自分の体が今、何を欲しているか、つまり生理的に必要なものを選べたら、それを「おいしい」と感じている。

二つ目は、食文化に合致するものが「おいしい」。京都近辺では、卵焼きに砂糖を入れませんが、名古屋や東京は入れるでしょう? 私は東京で卵焼きを食べて「甘い!」とびっくりしたんですが、東京の人が京都に来ると「卵焼きが甘くない!」と言って驚くんですよ。これは身近な例ですが、自分の食文化、国の文化、民族、地域、家庭、そういう単位の中で小さい頃からなじんできた味、食べ物によって、その人の基本的な味の範囲が決まります。そしてそれと合致すると「おいしい」と感じるんです。

三つ目は「情報のおいしさ」です。これは人間特有の事なんですが、高いワインだと言われればおいしいし、行列ができる店のメニューがおいしい。つまり実際にそれを味わって「おいしいか」という問題よりも「どういうものがおいしい」のか、という情報の方が優先されているんです。情報で味わっている。これは「味わう」という感覚を越えた、先入観としての情報が「おいしさ」をリードしている例です。

四つ目は、「薬理学的なおいしさ」とでも言いましょうか。世の中には、無茶苦茶おいしいものが3つあります。それが「油」と「砂糖」と「だし」。「病みつきになる」つまり「中毒になる」ものは、全てこの3つからできています。例えば、砂糖と油が一緒になるとケーキ。油とだしが一緒になるとラーメン。

これにもう一つ、類人猿の研究者からの指摘で気付いたことなのですが「人が集まると何でもおいしい」。猿が食事を取るときに、仲間同士集まって餌を食べる。私たちも、科学的な理由は分からないけれど、一人で食べるご飯よりも、気の合う仲間で食べた方がおいしいと感じている。
このように、薬理学、情報、文化人類学、生理学といった全然違う分野の「おいしさ」が交錯しているから、これまで誰も「おいしさ」とは何なのか、分からなかったんだと思うんです。

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そこで先生はご専門である栄養化学の視点から、四つ目の「砂糖と油とだし」のおいしさに注目されたのですね。

伏木

「砂糖と油とだし」は、糖と脂肪とたんぱく質。つまり動物が生命維持に最も必要とするものをおいしいと感じ、それに執着しているということなんです。

最初にマウスを使って油に対する反応を見る実験をしました。その結果、マウスが油を食べると、モルヒネの快感と全く同じ反応をすることが発見されたんです。食べ物のおいしさの快感には、βエンドルフィンやドーパミンという脳内物質が関わっているとされていますが、油を食べるとこれらが放出されます。つまり「味覚」で感じているのではなく「脳の快感」がそれを「おいしい」と感じさせていたんです。これはドラッグと同じメカニズムなんですね。このメカニズムはだしや砂糖でも同じです。

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だとしたら、私達は油の呪縛からは逃れられませんね(笑)。

伏木

たぶん無理ですね(笑)。ケーキを食べてはいけない、と言われても止められないでしょう? 我々は少なからず何かに中毒しているんです。

油はおいしい?

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ところが、油分だけを摂取してもおいしいとは思えませんよね? そんな油の秘密がご著書にありました。

伏木

油を含む食品はほとんど例外なくおいしいと感じます。ですが新鮮でピュアな油というのは全くの無味無臭なんですよ。にもかかわらず油分を料理から抜くと、途端においしくなくなる。不思議でしょう? 
これも実験したところ、舌には油の受容体があり、油を取ったということによる興奮が脳に伝わっていることがわかりました。そのため油で興奮している最中に食べたものは、何でもおいしくなるわけです。
こんな仕組みがどうして必要かといえば、人間を含め、動物が飢餓に備えてできるだけカロリーを取りたいという本能があるからです。油は非常にカロリーが高く、その本能に合致しています。ところがその油に味も匂いもないので、手がかりとして油と一緒に食べたものをおいしいと感じるような仕組みになっているわけです。
だからというべきか、さらに胃の中でまったく消化吸収されない油と普通の油をマウスに与えて、どちらを好むかという実験を行いました。結果は最初の数十分は同じように食べていましたが、その後、消化吸収されない油、つまりエネルギーにならない油は食べなくなりました。生命維持には役立たないからで、そうなるとおいしさは舌だけでなく、消化器官の反応にも左右されるということになります。

 

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「おいしさ」の基準の中に、「情報」がありましたが、これは社会学や心理学、さらにはマーケティングにも関わってくるものです。

 

伏木

人間とネズミとでは、脳の構造で大きく違う点があるんですが、それが「情報」に関わる点です。動物は、栄養素を取る事にすごく忠実ですし、自分の舌だけが頼りの動物は、誤って毒物を食べてしまったらそれで終わりですから食べ物の安全性に対してものすごく敏感で、食物を取るときには非常に恐れながら、かつ的確な栄養素を取ろうと必死になります。ところが人間は、味から得た情報の価値が判断される直前に「情報」が入ります。賞味期限が過ぎると、例えそれが腐っていなくても危ないんじゃないかと思う。これは文字情報の方が味より優先しているからです。

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しかし情報が優先している状態というのは、見方を変えると危険な事ではないでしょうか?

伏木

そうですね。我々は、情報に寄りかかり過ぎて、味から得た情報を感知する能力が退化しちゃったんじゃないかと思うんですよ。自分の舌で感じる自信があれば、うまいかまずいかも分かるし、安全かどうかもある程度判断が付くと思うんですが、自分の舌で判断する能力が無いと分かっているから、情報に左右されてしまうんです。今、塩の量や栄養素、カロリーなど表示がどんどん詳しくなっていますね。つまり情報で食べているんです。

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今「おいしいもの」が流行っていますが、それと「食」に対する興味が高まっていることとは異なるということでしょうか?

伏木

パンのブーム、ラーメンのブーム、辛いものブーム。おいしさを競うテレビ番組もたくさんありますが、ちょっと異常な感じがあります。必ずしも食に対する興味が高まっているのではなく「その先に何があるか」という刺激や快感を求めているんではないでしょうか。ということは、コンピュータゲームに夢中になるのと変わらない。より強い快感を与えてくれるものを探しているわけです。
いわゆる「グルメブーム」が、本来の食べ物の食べ方を壊している一面があるかと。それがなければ、我々は普通のもの、つまり本来の食文化に合致した「おいしいもの」を食べていると思います。

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「おいしい」という感覚は、本来自分の中に培われた食文化であるはずなのに、それを放棄している部分があるかもしれません。
正しい食を伝えるためにすべきこと--離乳食

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心臓疾患や糖尿病など、いわゆる生活習慣病が問題になっていますが「おいしい」要素の砂糖とだしと油の内、「だし」だけはこの問題をクリアしていますね。

伏木

ですから、日本は、元々生活習慣病が少なかったんですよ。
1977年にアメリカで理想的な食事を探求すべく巨大なプロジェクトが組まれました。国内で急増する肥満に対して、世界中の科学者たちに調べさせ理想的な食事の在り方を探った訳です。現在、理想的な食事というと、その報告書がベースになっているんですが、その中で理想的な食事をしている国として日本が紹介されています。しかし、日本の食文化はその当時から比べて崩れてきている。何を食べるかというのは個人の好みだし、別に何を食べても構わないと思いますが、栄養学的な観点からすると、やはり伝統的な「だしの文化」を大事にしなければいけないのではないかと思います。「だし」が、油と砂糖に対抗して、本能的な執着を起こさせる「おいしさ」を持つものだということも実験の結果が出ています。ですから、その大切さをもっともっと、広げていこうと考えています。

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未来食開発プロジェクトでは、どのような研究をなさっているのでしょうか。

伏木

今、離乳食に非常に興味があります。日本人の健康のためにも、もっと、だしの味を子供にも広めていく。それが、日本の将来のために大事だと考えています。これもマウスで実験したのですが、生まれてからいろいろな時期にだしの味を与える。そうすると離乳期前後にだしを与えたマウスは、ものすごくだしの味を好きになるんです。離乳期というのは、母乳を飲みながら母親が食べている餌を覚えていく時期。その時期に子供は「これからこういう餌を食べていくんだ」という情報収集をしているんです。その時に味わったモノは、大人になってからも好きな味です。人間で言えば、離乳食で日本的な、だしの味わいのものを食べさせるべきだと考えています。

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離乳食も市販されているものが数多くありますよね。

伏木

離乳食は買うものではないと思います。僕らの子供の頃は、母親が食べるものをちょっと薄味にして軟らかくして食べていました。それは親の味を子供に伝えるという意味でとても良いことです。でも今の若いお母さんたちは、いかに子供を効率よく大きく育てるかってことを考えるでしょう? 平均より下だったら、ショックを受けたりする。日本の伝統的な味付けの食べ物というのは、必ずしも子供が最も早く大きくなる食事ではありません。欧米から輸入された高脂肪、高たんぱくの離乳食の方が、早く大きくなります。しかしそれと引き換えに子供は日本の味を全く知らずに、幼稚園まで育ってしまう。そうすると、だしを与えてもそれをおいしいと思わなくなります。
向こうが知らない間に、刷り込んでしまえということです(笑)。

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親の味を受け継ぎ、なおかつ個々の食文化がある。つまり「おいしいものはこれだ」というものはないということですね。

伏木

すべての人にとっておいしいのは、だしと脂肪と砂糖。それ以外は、文化で食べるか、情報で食べるか、生理的欲求で食べるか……その違いです。それらは、如何様にも出来るもの。出身地が違うだけで、卵焼きのおいしさは違うわけだから、普遍的においしいものなんてないわけですよ。だからこそ、正しい食事を小さい頃に伝えることが大切です。そこでの経験が「おいしさ」を決めていくのですから。

 
インタビュア 飯塚りえ
伏木 亨(ふしき・とおる)
京都生まれ。京都大学農学部卒業。現在京都大学農学研究科教授。専門は食品、栄養学。主な著書に『子供を救う給食革命』(新潮社)、『食品と味』(光琳)、『ニッポン全国マヨネーズ中毒』(講談社)、『グルメの話おいしさの科学』(恒星出版)、『魔法の舌』(祥伝社)『うまさ究める』(かもがわ出版)など。
情報が優先する「おいしさ」

撮影/海野惶世 イラスト/小湊好治 Top of the page

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