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第16回 東京工業大学 幸島司郎さん


寒くないと生きていけない昆虫

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先生は雪氷生物学という、世界的にも珍しい研究をされているとのことですが、私たちからすれば雪と氷だけの世界に生息する昆虫がいるというのが、ちょっと不思議な感じがします。そもそも、雪氷生物を研究対象にしようとしたきっかけは?

幸島

僕はもともと、ゴリラやチンパンジーを研究しにアフリカに行くことが夢だったんです。当時の京都大学には今西錦司さんとともに日本のサル学を創設された伊谷純一郎さんがおられたこともあって、その研究室を目指したんですが、動物を研究している人の経歴を見ていくと、皆、山岳部出身なんですよね。「そうか、フィールドワークをするには、山に登らなければいけないのか」と思って、山岳部に入ってしまった。これがきっかけと言えばきっかけですね。
ところが、在学中は、結局山ばっかり登っていて勉強を全くしなかった(笑)。しかも猿の研究は、人気があって、競争が激しい。そんな折りに昆虫の研究をしている日高敏隆先生が京都大学にいらっしゃった。それで講義を受けたところ、これがとても面白くて、先生に師事しようと。そしたら先生が「何でも好きなことを研究していいけど、僕は昆虫が専門だから、できれば昆虫の研究にしてほしい」とおっしゃったんです。ところが僕は昆虫のことをあまり知らなかったので、遅ればせながら『ファーブル昆虫記』などを読んで昆虫について勉強を始めたんです。

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『ファーブル昆虫記』ですか。小さい頃に読んだ記憶があります。基本に戻られましたね。

幸島

はい。それに僕は一年の半分は山に行っていたので、研究室に籠もって実験することが出来ない。そしたら日高先生が「何でもいいから山で不思議な現象を一つ探してこい」と。「そんなこと言われてもなぁ」なんて思っていたんですが、雪山に行った時でした。ふと「この辺りは夏の間、虫がたくさんいるのに冬の間はどこにいるんだろう」と不思議に思ったんですよ。日高先生にそんな話をしたら、シベリアなどで冬眠する虫は、血液の中にグリセロール(グリセリン)をたくさん放出して、血液が凍らないように調整している、というんです。例え凍ってしまっても、細胞膜が傷つかないように粒子が丸く凍るような仕組みがあると教えていただきました。また高山帯に生息する蝶など、寒冷地に生息する昆虫は、日に当たって体温を上げないと飛べない。つまり寒い時は温かい所に、暑い時は涼しい所に移動しながら自分の体温を調整しているんです。面白いでしょう?

太陽コンパスで目的地を目指す
   

幸島

そこで改めて冬山の雪の上を観察すると、なんと雪の上にも虫がいることに気付いたんです。初めて雪山で見付けた虫が、僕が卒業論文で研究したセッケイカワゲラでした。セッケイカワゲラは、カワゲラの仲間で体長1センチくらいの、羽根が無い真っ黒い虫です。初めて見た時、こんな小さな虫が、どうしてこんなに寒い中を動けるのだろうかと思いました。
というのも普通の虫は、寒いと動けません。例えば普通の蝉を冷蔵庫に入れたら、ぴたっと黙って、長く置いておくと死んでしまう。だから最初は、天気が良い日に雪の上に出てきて、太陽光を浴びて体温を上げているのかと思いました。ところが体温を測ってみると、気温が0度の時は体温も0度。考えてみたら体重あたりの体表面積が大きいので、熱力学的に見ても周囲の環境より温度を高く保つことは出来ない。
調査の結果、セッケイカワゲラは、-10〜+10度位の温度範囲で活動することが分かりました。だから、彼らは体温が+20度位になると、暑くて死んでしまいます。雪山で捕まえたセッケイカワゲラを手のひらに乗せていたら動けなくなってしまうのです。つまり、彼らは寒くても生きられるのではなく、寒くないと生きられないのです。

 

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雪山で生活する「寒くないと生きていけない」昆虫が、他にもたくさんいたことが、その後の雪山での昆虫採集で分かったのですね。では、セッケイカワゲラの生態はどんなものだったのでしょう?

 
太陽コンパスの実験でセッケイカワゲラが歩いた跡

幸島

最初は、セッケイカワゲラの幼虫がどんな姿で、どこで暮らしているのかなど何も分かっていませんでした。そこで川底をさらってそれらしいカワゲラの幼虫を見付けては研究室で成虫まで育てて、セッケイカワゲラの幼虫かどうかを確認しました。……その結果。約3年かかって、セッケイカワゲラが春に卵を生むこと、卵から孵った1ミリにもならない小さな白い幼虫は、夏場でも水温10度位の川底の砂の中に潜って、秋までずっと眠ること、そして秋になると、落ち葉の堆積物を食べて成長し、川が雪に埋まってしまう12月半ば位に親となって上陸することが分かりました。つまり、この虫は、普通の昆虫とは逆の生活史を持っており、夏に寝て冬に活動するんです。また、普通の水生昆虫の成虫は、3日程度、長くても2週間位の儚い命で、親になった時点ですでに卵や精子が成熟していて、あとは卵を生むだけ。餌もほとんど食べません。だから消化管が退化して、中には口が無いものまでいます。ところがこのセッケイカワゲラは雪の上を何ヶ月もうろうろしながら、春の雪解けまで生きている。しかもセッケイカワゲラは口も消化管も立派だし、上陸した時点では、メスはまだ卵が産めない状態なんです。雪の上で微生物を食べ、生活していくなかで成熟していく。そうして、雪が融けて埋もれていた川がオープンになった時に、初めて交尾して産卵する。
それから、この虫、羽根がないので雪の上での行動をずっと追いかけられるんです。細い棒で、セッケイカワゲラが歩いた後をずずーっとトレースしていたのですが、そうやって何匹もトレースしている内に、みんな同じ方向に動いていることに気が付いたんです。しかも自分が生まれた川の上流方向に向かっている! これは卵から親になるまでに水流で下流に流された分を取り返す行動なのですが、なぜ、自分の生まれた川の上流方向が分かるのか……。
結局、その理由が分かるまでにも10年位かかりました(笑)。太陽コンパスを使っていたんです。セッケイカワゲラが歩いている時に、太陽光を遮って虫から本物の太陽が見えないようにしておいて、反対側から鏡で照らして実際とは逆方向から太陽の鏡像を見せるという実験をしました。そしたら、全く反対方向に歩き出したんです。こうして彼らが太陽コンパスで方向を定めていることが分かった。しかし自分が進むべき川の上流はどのように分かるのか? 実はセッケイカワゲラは歩きながら川周辺の地形、特に斜面の傾斜方向を測ることで目的地を定めていたんです。斜面の最大傾斜に真っ直ぐに向かえば両足に均等に負荷がかかります。ところが最大傾斜方向からずれて歩くと、一方の足に負荷がかかってよけいに疲れるので、上流がどちらかが分かるというわけ。そして何ヶ月もかけて上流に向かい、産卵し命を果てる。彼らが他の水生昆虫と違って長生きなのは、雪の上を長い間歩いて上流へ帰ってから産卵しなくてはライフサイクルが繋がらないからです。

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なるほど!でも雪渓などに棲む昆虫の生態研究には先人がいなかったために手探りだったと伺っています。ご苦労も多かったのではありませんか?

 

幸島

 

僕にとっては、セッケイカワゲラが、どうして川の上流を間違いなく目指せるのか、何もない冬に雪の中で何を食べて生きているのか、など本当に不思議でした。それを自分で調べてその生態を解明できたということは、表現できないくらい嬉しいことでした。
僕は「不思議だ」と思ったことを自分の手、自分の頭で解決することは、とても楽しいことだと思うのです。子供って「あれ何?」「どうしてこうなるの?」ってやたらと聞きますよね。やはり、分からなかったことが分かる、あるいは知らなかったことを知るというのは楽しいことなんです。これが科学の楽しさでもあります。だから僕たちは、こういう研究を続けていかれるんでしょうね。今までそんなところに生物はいない、と思われていた場所に昆虫がいた。それだけでもモノの見方が変わります。そういう幸せを他の人にも分けてあげたいと思いますね。

 

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大学の授業でも「自分の目で見て考え、不思議だと思うことを追求しなさい」というのが先生の教えだとか。

 

幸島

そうですね。だから大学の授業ではフィールドワークを多く取り入れています。ゼミの学生はそれが高じて、野生のイルカの生態やオラウータンの顔の形態、ウニの行動と、ユニークな研究をしています。ただ、そうした研究を生かした就職先が見つかるか、というと非常に厳しいんです。僕自身も当時、雪氷生物学など需要もなく35歳まで無職の生活を送っていましたから。彼らには「就職も難しいし、道のりは厳しいぞ」といつも言うんです。それでもやはりその研究をやりたい、ということは、それが楽しいわけだし、それなら辛くても耐えられるものなんです。

 

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先生はその後、ヒマラヤの氷河調査に参加され、新種のユスリカを発見されました。学名には「Diamesa kohshimai」と先生の名前がついていますね。

 

幸島

私は「ヒョウガユスリカ」と呼んでいますが。彼らはセッケイカワゲラ以上に寒いところが好き-16度でも活動することができます。昆虫の活動温度としては、新記録ではないでしょうか(笑)。その後生態を調査した結果、彼らが氷河の上で増殖する雪氷藻類とバクテリアを餌としていることが分かりました。そしてこの氷河には、これらの微生物を食べるトビムシやミジンコまでいました。つまり、これまで無生物的環境だと考えられてきた氷河にも、予想以上に豊かな生態系があったのです。

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氷河に、そんな生物の世界が広がっているとは思いませんでした。そして最近ではその氷河での生物活動が、地球環境にも影響していることが分かったとか。

幸島

一つは、氷河生態系で虫の餌になっている雪氷微生物が、過去の環境を知る手がかりになると分かったことです。氷河の氷は昔降った雪が固まってできており、降水と大気の化石のような物です。だから、氷河をボーリングして深い部分から氷を取り出して分析すれば、過去の気候や環境を復元することができます。でも、氷河に生物がいるとは誰も考えなかったので、これまでは化学成分や同位体など、物理・化学成分だけが分析されてきました。ところが我々の研究によって古い氷の中には過去に氷河の表面で増殖した雪氷微生物が保存されており、その種類や量が過去の環境を反映していることが分かってきました。例えば、温暖な時代の氷ほど微生物量が多く、暖かい環境に適応した種類をたくさん含んでいる訳です。
また、氷河生態系の一次生産者である雪氷微生物が、氷河の色を変えて、氷河の融解速度を左右していることも分かってきました。地球上で一番白いものは、雪や氷です。そして白いということは、ほとんどの光を反射しているということを意味します。一般的な新雪では、入射光の約97%を反射するので、雪はほとんど溶けません。ところが、氷河の上で増殖する雪氷微生物由来の黒い汚れが氷河の表面を覆うと、反射率が約5%、つまり入射光の約95%を吸収してしまい、氷や雪がどんどん溶けていくことになります。私が調査したヒマラヤの氷河では、この生物起源の黒い汚れによって、氷河の融解速度が真っ白な時に比べて3倍以上大きくなっていました。氷河の大きさというのは、氷の生産量と融解量の微妙なバランスによって決まっているわけですが、もし、生き物がいなければ、この氷河はもっと大きくなっているはずです。つまり生物の活動が、氷河の大きさをコントロールしているということなんです。

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わずか数ミリの昆虫や目に見えないほどの微生物が氷河の大きさを決定しているんですね。

幸島

今、温暖化の影響を一番受けているのはグリーンランドです。世界の氷の約90%弱が南極にあって、グリーンランドはその次に大きく、世界の約10%を占めている場所です。研究する内に、このグリーンランドのごく一部の氷河が生物起源の汚れで黒くなっていると分かりました。今後気候変動が起きると、黒いところが拡大するかもしれません。今、単純に、気温が何度上がると、氷河の氷が溶けて海面が何メートル上昇すると、物理的過程だけを考慮して推定されていますが、これは氷河で活動する生物のことを考慮に入れた数字ではありません。温度が上昇することによって、生物活動が活発になり温暖化を加速する可能性もあるのです。

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私たちが想像もしない雪氷環境に小さな虫がいて、その虫の研究が地球環境にまで展開するとはわくわくしますね。

幸島

一つの不思議が次の不思議に繋がるというのが科学の面白さです。それに最近思うのですが、僕ら人間は中温域の生物だから、高温域や低温域に暮らす生物を見ると「どうしてそんな棲みにくいところに」と思いますが、セッケイカワゲラにしてみれば、きっと人間のことを「よくあんな暑いところで生きてるなぁ」と思っていますよ。
生き物というのは、必要があれば低くても高くても、ある程度の気温に適応して生きることができる。たまたま雪氷生物のような生き方の可能性を見つけた種が少ないだけで、論理としては同じです。人間相手でも相手の立場に立って考えるのが難しいんですから、虫の身になって考えるのはもっと難しいでしょう。でも、生物なんて必要があればどんな環境にだって適応します。必要ならそのように進化をするだけですから。そういうことを私達は普段、思い描かないんでしょうね。

 
インタビュア 飯塚りえ
幸島司郎(こうしま・しろう)
1955年、愛知県生れ。京都大学入学後、山岳部に入部。85年、同大学大学院理学研究科博士課程満期退学。日本学術振興会奨励研究員、同特別研究員、京都大学研修員などを経て、90年より現職。35歳まで無職、と異色の経歴を持つ。理学博士。氷河ボーリングで掘り出したアイスコア中の生物の痕跡をもとに、過去の気候や環境を復元する研究も進めている。
雪氷生物を通して見えてくる地球環境
撮影/海野惶世 イラスト/小湊好治 Top of the page

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