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言葉遣いで重要なことは相手に対する配慮があるか、どうか、なのです
第17回 国立国語研究所 吉岡泰夫さん


心理的距離を縮める方言

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ご著書を拝読して、自分が方言とは意識せず使っていた言葉が、実は方言だと書かれていて非常に驚きました。そもそも私達は、何をもって「標準語」と言っているのでしょうか?

吉岡

「標準語」は、明治時代の中ごろ政府が制定したものです。全国各地で特色ある方言が色濃く残っていた江戸時代、各藩のひとにぎりの上士(上級武士)は江戸屋敷に勤めており、幕府との、あるいは藩同士のコミュニケーションの必要から、江戸弁を土台にした上士階級の共通語は生まれていましたが、大多数の人は明治時代まで方言だけで生活していたのです。
国家統一、富国強兵が急務であった明治政府は、統一された言語「標準語」が必要と考えて、話し言葉、書き言葉、両方の改革を同時に進めました。書き言葉は、それまでの文語体を改め、言文一致体にしました。簡単に言うと、なるべく話すように書こう、書き言葉を話し言葉に近づけようということです。
一方、話し言葉は、日本初の全国方言調査をして標準語を選定しました。そこで、標準語の土台として選ばれたのが政治・経済・文化の中心地、東京の方言です。当時残っていた江戸下町方言などは削り落とし、全国的に通用するような敬語などを加え、現実には存在しない理想の言葉として、標準語を制定したのです。そして、学校教育によって国民に標準語を広めようとしました。日本は就学率が高いので「書き言葉の標準語」は確かに普及しました。書き言葉に関しては、現代でも国語審議会が仮名遣いや漢字の使用について答申を出していますから、標準語があると考えて良いでしょう。
さて、それでは話し言葉ですが「教科書に書かれている通りに話しましょう」と、学校で言われたことがありますか?

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ありませんね。とすると私達が標準語と思って話している言葉は…?

吉岡

「共通語」と呼ぶのがふさわしい言葉です。現在、ほとんどの日本人が方言と共通語の使い分けができるようになっています。「共通語」とは、発音やアクセントに多少方言色はあっても、全国共通に意思を通じ合うことができる言葉です。私達は、異なる地域の人と話す時や、ちょっと改まった場面で共通語を使い、地元の人や友達と話す時は方言を使っています。共通語は「よそ行き言葉」、方言は「仲間うちの言葉」なのです。もし教科書や新聞に書かれている文章の通りに、東京方言の発音やアクセントで話すことができる人がいたら、その人は「標準語も使える人」と言えるでしょう。
「全国共通語」略して「共通語」は、国語研究所が名付けたものです。そう呼ぶにふさわしい「よそ行き言葉」が全国各地で自然に発生していることが調査研究で分かったのです。国語研究所が1948(昭和23)年に創設されて間もない頃、調査研究の大きな課題として、敬語と方言がありました。日本が戦後復興から、経済成長に向かっていた当時は、敬語と方言が社会的な言語問題となっていたのです。方言について言えば、地方から都市部に労働者が集まってきた時代、特に東北地方から東京に出てきた人々が、方言でいじめられて方言コンプレックスに悩んでいたんです。こういう問題を解決するために東北地方の方言の実態と共通語化を調査研究したのです。

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東北弁は、共通語のベースとなった東京方言とかなり発音が違いますね。

吉岡

今の東北弁はそんなことはないんですが、昔の東北弁の場合、例えば「息」と「駅」が同じ発音というようなことがあったのです。国語研究所が昭和20年代に東北地方で調査をした時、調査員が聞いて東北方言とも東京方言とも限定できない話し方をする人が、特に20代後半から30代にたくさんいらした。こんな話し方なら全国共通に意思を通じることができるので、それを「全国共通語」略して「共通語」と名付けたのです。
その時、方言しか使えないと異なる地域の人との意思疎通が困難であるという言語問題、方言によっていわれなき差別を受けるという社会問題を解消するために一番良い方法は「方言」ともう一つ、全国どこの人とも共通に意思を通じることができる「共通語」の両方を話す「バイダイアレクタル」になる事だと分かりました。テレビ、ラジオなどのメディア、高速交通網、電話やインターネットなどの通信網が発達し、広範囲な地域間交流が盛んな現在、日本国民のほぼすべてが共通語と方言のバイダイアレクタルになったと言えますね。
更に言えば、方言の多様性はもちろんのこと、共通語の多様性も広く受け入れる度量が今の日本人にほしいですね。欧州の人が話す日本語も、アジアの人が話す日本語も、れっきとした日本語なんですから。

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英語にシンガポールの「シングリッシュ」などがあるように、日本語の中でも九州風、東北風の共通語があってもいいということですね。

若者の方言志向

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最近は、若者の中に、既成の言葉に縛られず、遊びの感覚で方言を使う傾向があるように思うのですが、いかがでしょうか。

吉岡

確かにあります。今の若い人は、テレビなどを通じて共通語を覚えて、日常生活で方言を覚える。生まれながらにして、バイダイアレクタルなんです。ですが、今の若い人にとって共通語はよそ行き場面で使う言葉で、面白みがありません。仲間うちでは、斬新で、面白くて、インパクトのある方言を使うと受けるんです。それが発展して、その方言を自分達でインパクトのあるものに作り変えたり、全く新しい方言を作り出したりするんです。例えば、熊本の若者は伝統的な方言「あくしゃうつ(困り果てる)」を復活させ、さらに若者方言「だご(チョー、非常に)」を付けて「だごあくしゃ」という新方言を作ったり、「だご」と「顰蹙」で「だごひん(非常に顰蹙)」、「だご」と「乗り(乗車)」で「だごのり(過密乗車)」という若者語を作ったりしています。なかなかクリエイティブですよね。若者はいつの時代も、言葉遊びを楽しむ余裕がある世代なんです。

 

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例えば携帯のメールのやり取りでも、全く解読不可能なものなどもあるように、ある一つのコミュニティの中でしか使われていない言葉があります。方言を使うのはそれと似ていますね。

 
 

吉岡

方言は、仲間うち言葉でもあるから、連帯を強めお互いの心理的距離を縮める働きがあります。若者集団語や、通じる人にしか通じないメールの言葉も同じです。

   

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今までは「敬語を使えない」というと、「言葉遣いがぞんざい」という意味合いが強かったと思いますが、今は反対に過剰な敬語表現に向かっているように感じます。

 

吉岡

敬語の適切な使い方が出来ない人が増えているというのは事実でしょう。これは「敬語は何のために使うのか」を考えていないためです。敬語は、相手に敬意を表すことによって、コミュニケーションを円滑にし、良好な人間関係を築き、相手に対する配慮を示すために使うものです。自分が礼儀正しい人間であることを装う化粧品ではありません。そもそも日本人には「言葉は他者とのコミュニケーションの大切な手段である」という考え方が足りなかったのです。ですから日本人の多くは、コミュニケーションスキルとして、敬語を効果的に使う訓練を受ける機会がなかったと言えます。
例えばファストフードで、「以上で、よろしかったでしょうか?」と聞かれます。敬語を使っているのにもかかわらず、そう言われて客が不愉快になるのは、メニューの選択、あるいは、会計に入ることについて客の許可を仰ぐべき場面で、確認を求められるからです。早く確認して、素早く客をさばきたいという店側の意図が見えます。店員は、自分で客への応対を工夫する事なく言葉を発する。そこには、その場面にふさわしい表現か、客にどう受け取られるかなど、客の立場に立った検討が加えられていません。そのため、客に配慮した対話のキャッチボールになっていないのです。何となく敬語っぽい言葉を使うということでは、「?のほう」という言い方もそうです。「コーヒーです」と言うと、ぶっきらぼうに聞こえるからと「こちらコーヒーの方になります」と言う(笑)。「コーヒーをお持ちしました」と言えばいいのに、「お持ちする」という謙譲語は使えないから、曖昧なぼかし表現を付けるわけです。

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それは、聞き手の立場に立っていない、相手に対する配慮がない言葉ですね。

吉岡

はい。同じファストフードチェーンでも、ロサンゼルス空港の店では全く対応が異なりました。付け合わせのフライドポテトを通常より少な目にして欲しいとお願いをしたところ、若い店員が「これからどこに行くのか?」と聞いてきました。「ユタまで行くんだ」と答えると「あそこは遠い。ここでしっかり腹ごしらえしておかないとお腹が空くよ」と言われて、たっぷりフライドポテトをもらいましたよ(笑)。でも全然悪い気がしない。むしろ遠くへ旅立つ客への配慮が見えるからです。値下げ競争の挙句、デフレ不況に陥った業界は、客にとって心地良いコミュニケーションが顧客満足度を高め、売り上げ向上につながることに早く気づいてほしいですね。

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これだけ、コミュニケーションの重要性があらゆる場面で言われていながら、私達が敬語、広くは言語をコミュニケーション・ツールとして意識することは少ないと思います。

吉岡

敬語は、対人関係を円滑にするための、有効な手段。適切に使えたら、社会で生きていくために非常に強力なコミュニケーション・ツールになります。しかし、相手に対する配慮をしないで使っている敬語や、敬語を過剰に使った二重敬語は慇懃無礼になってしまいます。敬語をコミュニケーション・ツールとして使いこなすには、単に敬語形式や使い方が適切であるだけでなく、まず相手に配慮することが重要なのです。

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逆に言うと、相手に配慮する気持ちがあれば、敬語でなくとも不快感を与えないということですね。

吉岡

その通りです。敬語を抜きにしたことで、お互いの距離がぐっと縮まり親近感が湧く。私は「敬語回避」と呼んでいますが、私達日本人は、どちらかというと上下関係や礼儀正しさ、言葉遣いの形式ばかりを気にして、お互いの心理的距離を近づける工夫を忘れがちです。敬語は相手に敬意を表すとともに、相手の立場を侵さないよう距離を保つものです。普段は「これ、おいしいわよ」なんて話しているのに、夫婦喧嘩になると突然「食事はどうなさるんですか?!」なんて言葉遣いになったりしますね(笑)。これは「あなたとは、親しく接したくない! 距離を保ちたい!」という意志表示です。
これを、ネガティブ・ポライトネスと呼んでいます。逆に敬語を抜きにしたことで、お互いの距離がぐっと縮まるのは「敬語回避」がポジティブ・ポライトネスの働きをしますね。

   

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敬語を適切に使おうと、皆さん意識していると思うのですが、なぜ適切に使うべきなのか、敬語を適切に使うと人間関係にどういう効果があるのかということは意識していない。敬語にしても先の方言にしても、人間関係を円滑にする大事なコミュニケーション・ツールなのですね。

   

吉岡

そういう意味では、仲間うち言葉としての方言や専門家同士が使う専門用語も大事なコミュニケーション・ツールです。しかし、それらが相手に配慮することなく、聞いても分からない仲間以外の人や非専門家に対して、不用意に使われることに問題があるんです。
敬語や方言と同様に、今、私がコミュニケーションの言語問題と考えていることに、専門家が非専門家に対して使う専門用語があります。国際化・情報化が急速に進んだ現在、さまざまな分野でこれまで日本語になかった新しい外来語や略語が増えています。それらが専門家から非専門家へ不用意に発信されると、円滑なコミュニケーションが阻害されます。これも配慮のないコミュニケーションと言えるでしょう。相手にとって、心地良く、分かりやすく伝えようとする配慮、それが言葉を強力なコミュニケーション・ツールにするのです。

 
インタビュア 飯塚りえ
吉岡泰夫(よしおか・やすお)
国立国語研究所上席研究員。専門は社会言語学。1948年熊本県生まれ。熊本大学で敬語研究の第一人者に師事したことから、敬語研究に目覚める。兵庫教育大学大学院で社会言語学の方法による敬語行動研究を行う。国立国語研究所言語変化第一研究室長、言語変化研究部長を経て、現職。社会が大きく変動するなか、日本語コミュニケーションの言語問題を探索し、円滑なコミュニケーションのための言葉遣いを研究している。目下の研究テーマは、行政や医療のコミュニケーションにおける「敬語や方言とポライトネス」。
相手への配慮を示す道具が敬語
撮影/海野惶世 イラスト/小湊好治 Top of the page

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