発売当初から好調な売れ行きを示した角瓶は、戦後の高度経済成長時代、さらにその販売数を伸ばしてゆく。背景にあるのは大衆バーの出現だ。55(昭和30)年頃から盛り場にトリスバー、サントリーバーが次々と現れ、仕事帰りのサラリーマンたちが集まる都会のオアシスとして活況を呈するようになる。寿屋も自社製品を専売するバーをチェーン組織にし、積極的に支援。やがてトリスやサントリーの名を冠したスタンドバーは、全国で35,000軒を越えるまでになった。
好景気は、生活の西洋化を加速させた。アメリカ映画のように、バーで一杯やることがサラリーマンの憧れのスタイルとなった。人々はバーでトリスから飲み始め、角瓶、オールドへと酒のグレードを上げていった。この頃の角瓶の出荷数は、年間50万ケースにも達したという。
高度経済成長期、角瓶は酒好きの庶民にとって憧れのウイスキーだった。特別高価ではないが、さりとて安くもない。ちょっと背伸びをして飲むウイスキーという位置付け。そのポジションが89(平成元)年、大きく変わった。この年、従価税制度及び級別制度が廃止され、酒類全般の値段が一挙に下がったのだ。角瓶の値段も従来の3,500円から1,980円になり、ぐっと身近な存在になった。90年代初頭、角瓶はなんと年間300万ケースを出荷するまでになっている。
同時にこの年、角瓶はその中味を若干変えた。日本人の食がライト嗜好に変わりつつあることを受け、アルコール度数を43度から40度に下げたのだ。これにより、角瓶はコクがありながらもすっきりとキレの良い香味を実現した。
しかし、その一方で時代が進むにつれ、ウイスキー市場自体が徐々にシュリンクしてきていたのだ。ワインや焼酎にスポットがあたり、若い世代はビールや発泡酒など、軽いテイストの酒を好むようになった。彼らから見れば、ウイスキーは父親の世代が飲む酒。「バーで飲むのはカッコはいいけど、自分が飲むにはちょっと早い」ということになるらしい。
現在、サントリーは若い世代を中心にウイスキー文化の再生を図るべく、さまざまな仕掛けを行っている。その軸になるのが、メインブランドの角瓶。ウイスキー文化を再生するためには、まずは核となる角瓶を若い世代に飲んでもらう必要がある。
角瓶のコミュニケーションは2004年(平成16年)から大きく変わった。若い世代が格好良いイメージを持っているロックスタイルをアレンジし、角瓶と割り物を1:1にするハーフロックという新しい飲み方を提唱。テレビCMには、1:1の見事なハーモニーを聴かせるケミストリーを起用した。さらに、ハーフロックを実際に体験できるイベント等を実施し、ウイスキーの飲用シーンを拡げる展開を続けている。
事態は好転しつつある。ずっと右肩下がりだったウイスキー市場の縮小が続く中で、角瓶レギュラーサイズの販売数は、昨年、対前年比で100を超えた。
ウイスキーは生き物であると良く言われる。時代と共に人が変わるように、ウイスキーもまた変わらなければならないと。21世紀に入り、70余年もの間ほぼ変わらずにあった角瓶もまた、大きな変革期を迎えているのだろう。
それでもなお、亀甲紋を刻んだ瓶のデザインと肩ラベルに書かれた創業者・鳥井信治郎のサインは、角瓶が存在し続ける限り継承されていくに違いない。このふたつは、ジャパン・オリジナルのウイスキーを作ることに一生を捧げた男の信念の証なのだから。
取材協力:サントリー株式会社(http://www.suntory.co.jp/) |