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サントリー角瓶 ニッポン・ロングセラー考 信念の男が求め続けたジャパン・オリジナル

周囲の大反対を押し切り、ウイスキーづくりに着手

寿屋(現サントリー)創業者・鳥井信治郎。大阪道修町の薬種問屋で7年間の丁稚奉公を経た後、20歳で独立。当初はぶどう酒の製造販売を手がけていた。
   
 
創業当時の山崎工場。周囲の人々はこの偉容に相当驚いたことだろう。中央に見えるのは工場のシンボルともいえる麦芽乾燥塔(キルン)だ。
   

京都郊外の山崎峡。京都盆地と大阪平野の接点にあたり、北の天王山、対岸の男山を挟んで3本の川が合流するこの場所は、湿潤な風土と良質な水が湧き出ていることで知られている。
1924(大正13)年、この地に不思議な建物が姿を現した。地元の人々はこう噂したという。
「何を作っとるんやろ?」「なんでも、ウスケとかいう麦を喰らう怪物が棲んどるらしいで」。
それは、人々が初めて目にするウイスキーの蒸溜所だった。作ったのは、寿屋(現サントリー)の創業者・鳥井信治郎。後に「日本のウイスキーの父」と呼ばれることになる人物である。

1899(明治32)年、大阪に個人商店を興した鳥井は、1907(明治40)年に発売した甘味ぶどう酒「赤玉ポートワイン」の成功によって大きな財を成す。21(大正10)年に寿屋を設立した鳥井は、かねてから抱いていたある壮大な計画を実行に移すことにした。
「日本の風土に合った、日本人に愛されるウイスキーを作る」。
当時の日本で酒といえば、まずは日本酒。加えて、その頃流行り出したカフェではビールが大衆酒の地位を獲得しつつあった。ウイスキーは輸入物しかなく、値段はサラリーマンの給料の1/10ほどもした。一部の上流階級しか飲めない酒だったのだ。

国産ウイスキーをつくるため蒸溜所を建設するという鳥井の提案に、周囲は驚愕し、大反対した。
無理もない。当時、本格的なウイスキーづくりはスコットランド以外の地では不可能といわれていた。日本では初の試みだし、蒸溜所を造るとなると社運をかけた一大事業だ。しかもウイスキーには熟成期間が必要だから、製造してから商品になるまで何年も待たなければならない。リスクはあまりにも大きかった。

「わしには赤玉ポートワインという米のめしがあるよって、このウイスキーには儲からんでも金をつぎ込むんや。自分の仕事が大きくなるか小さいままで終わるか、やってみんことにはわかりまへんやろ」。相談相手にこう語った鳥井は、蒸溜所を建設すると同時に、スコットランドでウイスキーづくりを学んで帰国していた竹鶴政孝(後のニッカウヰスキー創業者)をスカウトし、山崎蒸溜所初代工場長として迎え入れた。
準備は整った。鳥井と竹鶴を中心に、夢への第一歩が踏み出された。

 

幾多の失敗を経て、ついに日本人の嗜好に合うウイスキーが誕生

初期の角瓶製造工場の様子。ラインでは女性工員が手作業で瓶にラベルを貼っていた。
38(昭和13)年、大阪・梅田に開店したサントリー直営のバールーム。昭和初期の都市圏にはこうしたバーが数多く存在し、ウイスキーの需要を賄っていた。

29(昭和4)年、寿屋はついに国産初のウイスキー「サントリーウイスキー白札」を世に送り出した。価格は1本4円50銭。輸入品よりやや安かったが、高価な酒であることに変わりはなかった。広告の文面には、「断じて舶来を要せず」の文字が誇らしげに踊っていた。ちなみにこの時初めて使われた「サントリー」というブランド名は、赤玉ポートワインの赤玉=太陽(サン)と、鳥井(トリイ)を繋げたものだ。
社運を賭けて発売した白札だったが、市場の反応は冷ややかだった。ピート臭が強すぎたため「焦げくさい」「煙くさい」といった声が多くあがり、従来の洋酒ファンにも新しもの好きの一般層にも不評だったのだ。

翌年、普及用として値段を下げた「赤札」を発売したが、これもまた売れなかった。資金繰りは逼迫し、31(昭和6)年にはついに原料の麦を買う資金が底をついた。鳥井は涙をのんで、この年の仕込みを中止した。
この頃、寿屋はカレー粉や半練り歯磨き、調味料などを製造販売し、多角化経営を行ってウイスキー事業の費用を捻出していた。追い詰められた鳥井は32(昭和7)年、ドル箱だった半練り歯磨きの製造販売権を売却して蒸溜を再開。その2年後には横浜のビール工場も売却した。どんな犠牲を払っても、原酒だけはつくり続けなければならなかったのだ。

共に白札をつくった竹鶴は、34(昭和9)年に寿屋を去った。鳥井は技術者をスコットランドに派遣し、自らも工場に泊まり込んで原酒の改良とブレンドに没頭した。
「もっと日本人の繊細な味覚に合った香味にせなあかん」。白札の失敗を踏まえ、鳥井はそう考えた。煙くささを和らげるため、ピートの焚き方を変えた。テイスティングを繰り返し、数え切れないほどのブレンドを試みた。鳥井自らが料亭の宴会に顔を出し、持参したウイスキーを客に注いで意見を聞くこともあったという。
鳥井は、日本屈指の酒問屋の重鎮である3人の利酒師にブレンドの試飲を依頼していた。苦心してつくり上げたブレンドにも、彼らはなかなか首を縦に振らない。それでも鳥井は諦めなかった。白札発売から8年後、ついに3人の利酒師が口を揃えて「これは旨い」と言ったブレンドが完成した。

37(昭和12)年、寿屋は捲土重来を期して「サントリーウイスキー角瓶」を発売。
評判は想像以上だった。ピート臭が少なく、辛口でしっかりとした味わい。繊細でありながら豊かでもあるその香味は、発売後すぐに多くの人々の心を捉えた。白札や赤札の売れ行きが低迷している間に、原酒が熟成されたこともプラスに働いた。
この頃、ウイスキーを巡る社会環境も大きな変化を遂げていた。昭和に入ると東京や大阪は都市化が進み、時代の先端を行くファッションに身を包んだモダンボーイやモダンガールが街を闊歩するようになった。彼らの一日の疲れを癒す場として、カフェやバーなど洋風の酒場が急増していたのだ。もはやウイスキーは特別な酒ではなくなっていた。角瓶の出荷量は、年間2万ケースにまで達した。

 

亀甲紋のボトルと黄色いラベル、それが角瓶のアイデンティティ

肩ラベルに書かれた鳥井信治郎のサイン。中味や瓶、ラベルのデザインは時代に合わせて幾分変わったが、このサインだけは不変だ。写真は2003(平成15)年、2004(平成16)年に発売された復刻版の肩ラベル。
   
 
発売当時の角瓶。正式な名称は「サントリーウイスキー12年もの化粧瓶入り」だった。価格は12円前後で、庶民にとって憧れの存在だった。

角瓶と聞いて誰もがすぐに思い出すのは、あの独特のボトルデザインだろう。ウイスキーづくりにあたってジャパン・オリジナルであることを重視した鳥井は、中味だけでなく瓶にも日本らしさを感じさせる強烈な個性を求めた。
このデザインを手がけたのは、当時寿屋のチーフデザイナーだった井上木它(ぼくだ)。元々は俳画を得意とする日本画家だった。
「世界のどこにもない瓶を作らなければ。しかも日本的な……」。困難な仕事を任された井上は、世界中から集めた山のようなウイスキーボトルを前に頭を抱えた。
「これに失敗したら寿屋はつぶれるでしょうな」という鳥井の言葉が、井上の背に重くのしかかっていた。

ヒントは、目の前にあった。井上の目にふととまった小さな香水瓶。それは鳥井が九州へ出張した時の土産に買ってきてくれた薩摩切り子の骨董品だった。
「亀甲紋か……。そうか、この手があった。亀甲紋は日本のオリジナルデザインだ。これを瓶のモチーフにすればいいじゃないか」
井上はすぐさま瓶に亀甲の美しいカットを入れ、角瓶のデザインを完成させた。それを見た鳥井は目を細めて喜び、こう言ったという。
「亀は万年。井上はん、ほんまにええ仕事してくれましたな。この瓶はきっと万年も残りまっせ」。

このデザインの素晴らしさは、角瓶という名称そのものが証明している。現在に至るまで、このボトルに「角瓶」と書かれたことは一度もないのだ。正面ラベルにある名前らしきものは、「Suntory Whisky」のロゴのみ。角瓶は単なる愛称に過ぎない。
戦後の高度成長期、人々は親しみを込めてこのウイスキーを角瓶と呼ぶようになった。ラベルには書かれていなくとも、瓶の形からして角瓶としか呼びようがない。井上の仕事は、優れたデザインが商品に普遍性を与えることを示唆している。

角瓶のもうひとつのアイデンティティは、そのラベルにある。瓶のショルダー部分に貼られた肩ラベルと、楕円形の正面ラベル。どちらも鮮やかな黄色に塗られており、ウイスキーの琥珀色とのマッチングが絶妙だ。
肩ラベルにあるのは、墨痕鮮やかな「S.Torii」のサイン。瓶が完成したとき、井上がマスターブレンダーとしての鳥井に敬意を表して書いてもらったものだという。その後、瓶の形は徐々に変化して丸みを帯びたものとなり、正面ラベルの向獅子マークも現代風のものに変わったが、肩ラベルには今も鳥井のサインが残されている。それは「断じて舶来を要せず」という初志を貫き、稀代の傑作ウイスキーをつくり上げた鳥井の信念そのものといっていい。なくすわけにはいかないのだ。

 
ボトルデザインは発売当時からその形が微妙に変化しているが、角瓶のアイデンティティである亀甲瓶、黄色いラベルは変わっていない。
 

誕生から70年余り──変わるものと、変わらないもの

昭和30年代のトリスバーの様子。当時は連日連夜、サラリーマン客で満員だったという。バーテンダー背後の棚に角瓶とオールドが置かれている。

昭和20〜30年頃のポスター。背広姿の紳士がグラス片手に一杯やるという、サラリーマンが憧れる世界観を打ち出していた。まだ角瓶という名は使われていない。

発売当初から好調な売れ行きを示した角瓶は、戦後の高度経済成長時代、さらにその販売数を伸ばしてゆく。背景にあるのは大衆バーの出現だ。55(昭和30)年頃から盛り場にトリスバー、サントリーバーが次々と現れ、仕事帰りのサラリーマンたちが集まる都会のオアシスとして活況を呈するようになる。寿屋も自社製品を専売するバーをチェーン組織にし、積極的に支援。やがてトリスやサントリーの名を冠したスタンドバーは、全国で35,000軒を越えるまでになった。
好景気は、生活の西洋化を加速させた。アメリカ映画のように、バーで一杯やることがサラリーマンの憧れのスタイルとなった。人々はバーでトリスから飲み始め、角瓶、オールドへと酒のグレードを上げていった。この頃の角瓶の出荷数は、年間50万ケースにも達したという。

高度経済成長期、角瓶は酒好きの庶民にとって憧れのウイスキーだった。特別高価ではないが、さりとて安くもない。ちょっと背伸びをして飲むウイスキーという位置付け。そのポジションが89(平成元)年、大きく変わった。この年、従価税制度及び級別制度が廃止され、酒類全般の値段が一挙に下がったのだ。角瓶の値段も従来の3,500円から1,980円になり、ぐっと身近な存在になった。90年代初頭、角瓶はなんと年間300万ケースを出荷するまでになっている。
同時にこの年、角瓶はその中味を若干変えた。日本人の食がライト嗜好に変わりつつあることを受け、アルコール度数を43度から40度に下げたのだ。これにより、角瓶はコクがありながらもすっきりとキレの良い香味を実現した。

しかし、その一方で時代が進むにつれ、ウイスキー市場自体が徐々にシュリンクしてきていたのだ。ワインや焼酎にスポットがあたり、若い世代はビールや発泡酒など、軽いテイストの酒を好むようになった。彼らから見れば、ウイスキーは父親の世代が飲む酒。「バーで飲むのはカッコはいいけど、自分が飲むにはちょっと早い」ということになるらしい。

現在、サントリーは若い世代を中心にウイスキー文化の再生を図るべく、さまざまな仕掛けを行っている。その軸になるのが、メインブランドの角瓶。ウイスキー文化を再生するためには、まずは核となる角瓶を若い世代に飲んでもらう必要がある。
角瓶のコミュニケーションは2004年(平成16年)から大きく変わった。若い世代が格好良いイメージを持っているロックスタイルをアレンジし、角瓶と割り物を1:1にするハーフロックという新しい飲み方を提唱。テレビCMには、1:1の見事なハーモニーを聴かせるケミストリーを起用した。さらに、ハーフロックを実際に体験できるイベント等を実施し、ウイスキーの飲用シーンを拡げる展開を続けている。
事態は好転しつつある。ずっと右肩下がりだったウイスキー市場の縮小が続く中で、角瓶レギュラーサイズの販売数は、昨年、対前年比で100を超えた。

ウイスキーは生き物であると良く言われる。時代と共に人が変わるように、ウイスキーもまた変わらなければならないと。21世紀に入り、70余年もの間ほぼ変わらずにあった角瓶もまた、大きな変革期を迎えているのだろう。
それでもなお、亀甲紋を刻んだ瓶のデザインと肩ラベルに書かれた創業者・鳥井信治郎のサインは、角瓶が存在し続ける限り継承されていくに違いない。このふたつは、ジャパン・オリジナルのウイスキーを作ることに一生を捧げた男の信念の証なのだから。

取材協力:サントリー株式会社(http://www.suntory.co.jp/



                 
         
  1992(平成4)年に登場した「白角」(700ml・希望小売価格1,420円・税別)。食中酒というコンセプトから淡麗辛口タイプのモルト原酒を採用し、なめらかな口当たりとすっきりした味わいを実現した。   角瓶第3の商品として1999(平成11)年に登場した「味わい角瓶」(700ml・希望小売価格1,420円・税別)。淡麗辛口の白角に対し、華やかな香りとモルティーで柔らかな味わいを打ち出した。   一昨年、昨年と限定発売された「角瓶〈復刻版〉」(700ml・希望小売価格1,750円・税別)。昭和20年代の味わいとパッケージを忠実に再現し、往年のファンの郷愁を誘った。好評のため、昨年も限定発売された。   昨年11月に限定発売された「角瓶 ウインターブレンド〈レッドボトル〉」(1,600円・税別)。20〜30代がターゲットで、甘い口あたりで飲みやすく、後味がすっきりしているのが特徴。  

「角瓶」の新アイテムが、缶入りの飲みきりサイズで登場
   
  角瓶の新アイテム「角SHOT」は3月22日発売。各タイプとも160ml入りで、価格は95円(税別)だ。  

若い世代をターゲットにしたサントリーの角瓶戦略はまだまだ続く。
3月22日に発売予定の新商品「角SHOT」は、従来の角瓶ファンから見ればかなり意表を付く商品ではないだろうか。飲みきりワンショットサイズの缶入りアルコール飲料。といっても角瓶をそのまま缶に入れたのではなく、角瓶をベースにジンジャーエール、コーラ、トニックなどで割ったカクテル感覚の飲み物だ。ラインアップは「角ジンジャーショット」「角コーラショット」「角トニックショット」「角ソーダショット」「角ハーフロックショット」の5種類。角ハーフロックショット以外はアルコール度数5%なので(角ハーフロックショットは12%)、女性でも気軽に楽しめそうだ。
面白いのは缶のデザイン。角瓶のアイデンティティである亀甲紋と黄色のカラーがしっかり踏襲されている。瓶入りの角瓶とは流れが異なる新商品だが、この商品で初めて角瓶を知った若い世代が、やがては角瓶のファンになるかもしれない。もちろん、サントリーの狙いもそこにある。若い世代にウイスキーの魅力を知ってもらうために、角瓶の世界はこれからもますます広がっていくに違いない。


撮影/海野惶世(タイトル部、プレゼント) Top of the page

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