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デジカメ散歩
第11回 世界有数の電気街から最先端IT基地へ「秋葉原」

電気街として、世界に名を知られる秋葉原。第二次世界大戦後、一面焼け野原となったこの街に、真空管ラジオ部品や電子部品を売る店舗が集まり、現在の電気街の元となったことは有名な話。さらに「おたく」という文化を世界に知らしめたのも、この地。そして今、IT産業の拠点として、さらなる進化を遂げるべく、大規模再開発が進行中だ。どんな姿を見せつつあるのか、この目でとくと拝見。

 
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JR秋葉原駅、AKIHABARA CROSSFIELD

駅のホームに降り立ち、まず気づいたのが駅前に建設中の高層ビル。それこそが、現在、秋葉原で進行している再開発事業「AKIHABARA CROSSFIELD」だ。駅前に広がる、約15,730平方メートルの神田青果市場跡地に地上31階、地下2階の秋葉原ダイビルと、地上22階、地下3階の秋葉原UDXという2棟が建設中だ。商業施設や産官学連携の研究・開発施設、情報ネットワーク施設などが計画されているという。
JR4線、東京メトロ線に加えて、今年8月には、つくばエクスプレスがいよいよ開業する。新たな東京の顔が、出来つつある。

 
完成に向けて着々と工事が進む、AKIHABARA CROSSFIELD
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完成に向けて着々と工事が進む、AKIHABARA CROSSFIELD
「電気街」秋葉原!
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「電気街」秋葉原!

続いて電気街のメインストリート、中央通りへ。ぎっしりと立ち並ぶのは、パソコン関連製品や家電、電子部品などの販売店。すごい数! 特に電子部品の販売は、電気街の元祖ともいうべきラジオ部品販売を継承するもの。総武線のガード下周辺では、小さいながらも各種電子部品を扱う通称「パーツショップ」が軒を連ねる。何に使うのか、皆目検討もつかない品々だか、そうした品々目当てに店を訪れる人の波が途絶えることはない。

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各種電子部品が並ぶパーツショップ
各種電子部品が並ぶパーツショップ
中央通り
神田明神

秋葉原電気街からほど近い、神田明神へ到着。家庭円満、縁結び、商売繁盛の守護神として、またIT守護(!)としても知られる神社。お賽銭箱の隣には、神社の紹介を行うパソコンが据えられている。
創建は、730(天平2)年。1616(元和2)年に、江戸城の表鬼門にあたる現在の場所へ移転。関東大震災で社殿などが倒壊した後、1934(昭和9)年に鉄骨鉄筋コンクリート造りの現在の社殿が造営されたのだという。本殿を中心に、さまざまな石碑や記念碑、お社がある。特に気になったのが「銭形平次碑」。「架空の人物なのに、なぜに石碑が……」と思うなかれ。野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公として、知られる銭形平次(アニメ、ルパン三世の銭形警部は平次の末裔という設定)。物語の中で、平次が暮らしていたのが、明神様のお膝元に位置する「明神下」だったという。そこで有志の作家や出版社らが発起人となり、街を見下ろすこの場所に1970(昭和45)年に石碑を建てたのだそうだ。寛永通宝の銭形を型取った土台の中央に平次の碑を建立するとは、何とも粋。平次の石碑に寄り添うように、相棒の八五郎の小さいな石碑がある。

神田明神。境内には、日本一大きい石造りの大国様がおわします
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神田明神。境内には、日本一大きい石造りの大国様がおわします

高台に位置する境内から、秋葉原を一望。AKIHABARA CROSSFIELDも見える
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高台に位置する境内から、秋葉原を一望。AKIHABARA CROSSFIELDも見える
梅の花のいい香りが漂っていました
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梅の花のいい香りが漂っていました
銭形平次の碑
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銭形平次の碑
 

 

明神さま近くの「明神男坂」
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明神さま近くの「明神男坂」

勇ましい名前がついた「男坂」。その名の通り、男性の姿しか見かけない。いや、偶然だったのだろうが、なぜか坂を上り下りしていたのが、皆男性だった。坂を上りきると、神田明神が目の前にある。
文献には神田の町火消しが、この坂を明神様に献上したとあるそうだ。今はもうないが、坂の脇にあった大銀杏は、安房上総辺りから江戸へやってくる漁船の目標になったという。その当時に比べれば、眺めの良さは劣るだろうが、それでも坂を上りきり街を見下ろすと気分は爽快。いい運動になりました。

 
明神男坂
万世橋

この一帯の呼び名にもなっている萬世橋(万世橋)へ。万世橋の名は、1873(明治6年)に架けられた萬代橋(よろずよばし)を、人々がいつの頃からか「まんせいばし」と呼ぶようになったことから広まったのだとか。1903(明治36)年に、ほぼ現在の場所に架け替えられ、現在の橋は1930(昭和5)年に竣工したもの。
橋から神田川の流れを眺めるも良し、電車の行き来する様子を観察するも良し。電気街に残る、名橋です。

万世橋からの眺め。下を流れる神田川は最近水質改善され魚が戻りつつある
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万世橋からの眺め。下を流れる神田川は最近水質改善され魚が戻りつつある
途中、立ち寄ったラジオ会館。食玩の制作で知られる海洋堂の直営店も入っている
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途中、立ち寄ったラジオ会館。食玩の制作で知られる海洋堂の直営店も入っている
交通博物館。親子で楽しむ人が多いようだ
 

続いて交通博物館へ。この施設、旧万世橋駅の建物なのだそうだ。当初、ターミナル駅として建設された万世橋駅だが、東京駅の開設、さらに関東大震災で火災にあうなど次第にさびれ、1943(昭和18)年に廃止。廃止になる少し前、東京駅近くにあった鉄道博物館の移転先として、万世橋駅の建物の大部分を博物館施設に転用。それが現在の交通博物館となっている。

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交通博物館。親子で楽しむ人が多いようだ

博物館の建物から飛び出すように、新幹線の先頭車両と蒸気機関車の前頭部の実物が展示されている。この新幹線の先頭車両は、世界で初めて最高時速210キロの営業運転を実現した車両なんだとか。1963(昭和38)年製造とあるが、それから42年を経てもなお、堂々たる姿を失っていない。

 
来館者を出迎える新幹線の先頭車と蒸気機関車の前頭部。実物ならではの重厚感
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来館者を出迎える新幹線の先頭車と蒸気機関車の前頭部。実物ならではの重厚感
交通博物館
神田須田町1丁目

交通博物館からほど近い神田須田町一帯は、「かんだ薮蕎麦」や「神田まつや」、「竹むら」など、老舗の飲食店が集うエリア。それぞれの店構えも、歴史を感じさせるものばかり。ビルの谷間にあって、今なお古き良き木造建築が残る。と、小腹もすいてきたので、この辺で本日のお散歩を終了。

木造建築が今なお残る
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木造建築が今なお残る
都内でも数少ない、戦前の店構えを残す蕎麦屋「まつや」
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都内でも数少ない、戦前の店構えを残す蕎麦屋「まつや」
 

ぐるりと散策してみて、とにかく密度の濃い街という印象を受けた。モノ、ヒト、そして歴史もすべてが濃い。そのためか、本日のお散歩の所要時間は約3時間半。距離は短いものの、おのおのスポットでの滞在時間が長かったようだ。たっぷり歩いて、小腹がすいたら、須田町辺りで、ソバと御ちょうしで一杯つける……なんて、池波正太郎を気取ってみるのも良いかもしれない。

秋葉原
イラスト/小湊好治 Top of the page

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