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「夢や志は自分の外にはありません。僕の心が世界一周をしたいと言っているのです。」
第23回 海洋冒険家 白石康次郎さん


自分の心の声からは逃げられない

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白石さんは、海洋冒険家として、ヨットを操り26歳の時に最年少単独無寄港世界一周記録、また太平洋横断最短記録を樹立されるなど活躍されていらっしゃいますが、ヨットとの出会いは?

白石

小さい頃から船が好きで、プラモデル作りが趣味でした。その延長線上で、船に乗って世界一周をしたいと思っていました。それで、船のことを学びたくて水産高校に進みました。ここでヨットに乗る機会があったんです。「音もなく風の力だけで、海の上を滑るように走る。なんて素晴らしい船なんだ」と、とにかく感動したことを覚えています。

その頃、僕が高校2年生の時でしたが、世界一周ヨットレース「アラウンドアローン(単独世界一周ヨットレース。次回から「5-OCEANS」として開催)」の第1回が開催され、後の師匠にあたる多田雄幸さんが優勝しました。世界で最初のヨットレースで、日本人が優勝したんです。すごいことです。それを知って「俺もやってやろう」と奮起したわけです。とはいっても、ヨットのことを専門に教えるヨット学校なんてないし、ヨット世界一周会社なんてものもない。「ヨットで世界一周」の頼りは唯一、多田さんだけですから、それなら、直接話をしなければと思い、東京駅の公衆電話の電話帳で番号を調べて電話して「会って欲しい」と言いました。

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電話帳で調べて、ですか……。

白石

そうです。弟子入りをお願いしました。多田さんは、とても素晴らしい人で「春風の如し」とでも言うのでしょうか、自分が成し遂げたことを大袈裟に言うわけでもなく「世界一周なんて、大したことじゃない」という様子でした。弟子入りした後も、あまりヨットについては教えてくれませんでしたが、いろいろと遊びに連れて行ってもらいましたね(笑)。それは冗談にしても、多田さんは、冒険家の植村直己さんと一緒に北極点に行った人でもあり、一緒にいて話をするだけで、どんどん世界が広がっていきました。

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その後、ヨットに乗るために、いろいろと修行をされたそうですね。

白石

水産高校は、3年間の教育過程に加えて、2年間の専攻過程を修了すると、上級の船の免許が取れます。僕は高校を卒業する頃には「世界ヨットレースに出たい」と本気で考えていたので、就職はせず、多田さんと懇意の仙台の造船所に押し掛けて行って、住み込みで、ヨット作りを学ばせていただきました。ヨットの中などで寝泊まりしながら、多田さんのレースにクルーとして参加したり、アルバイトしたりしながら2年間、そこで学びました。

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第3回目の世界ヨットレースに多田さんは再び挑戦されています。しかし、レース中に自殺というニュースが流れました。白石さんが第6回のレースに出場された時の船は、多田雄幸さんにちなんだ「スピリット・オブ・ユーコー」でしたね。

白石

大変に辛い出来事でした。船の名前には、思い半ばで亡くなってしまった多田さんの意志を受け継ぎたいという意味もありましたが、僕がヨットを続けた理由は、それだけではありません。もともと僕自身が世界一周をしたかったという思いの方が強かったんです。また、多田さんの船は、調整が良く出来ていなかったこともあり、僕はエンジニアとして船をしっかりと整備したいという思いもありました。だから多田さんの意志を尊重して、受け継ぎながらも、僕自身の夢も叶えたかった。

ただ、船を修理しようにもお金がありませんでしたから、伊豆松崎にある造船所の親方のところに世話になりながら、一人で船を改造し出したんです。それが25歳の時ですね。

二度の失敗を経て
   

白石

修理したヨットで、いよいよ世界一周に挑戦する時がきました。初めての出航が1992(平成4)年の10月でした。しかしグアム島付近で舵が利かなくなって、小笠原まで戻るという結果。修理をして同じ年の12月に再び出航したのですが、今度はサイパン沖でマストを支えるワイヤーが切れてしまって……。2度挑戦するも、2度とも失敗して引き返してきたわけです。修理をするお金も尽きました。それで、一年間働いて稼いだお金で改めて船を修理して、翌年(93年)の10月3日に出発したんです。94(平成6)年の3月28日に世界一周して無事戻ってきました。

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その3度目の挑戦で、最年少単独無寄港世界一周記録を樹立されましたね。

白石

そうです。ただ、僕の目標は、あくまで世界一周ヨットレース「アラウンドアローン」に出ること。レースに出るとなると、お金もかかりますし、それまでに実績を上げることも必要です。だからこの航行は、僕自身どれくらいできるのかを試すためのものでもありました。フルマラソンのレースに出場する前に、その距離を完走したという感じです。成功してみたら、世界記録だったというわけです。

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ただ、フルマラソンを走れと言われても、そう簡単にできることではありません。ましてや世界一周を無寄港で、海の上をずっと一人で過ごすわけです。想像するだけでも大変そうです。敢えて挑戦するのは、どうしてでしょう?

白石

僕がヨットで世界一周をするのは、自分が幸せになるためです。それが僕の夢であり、楽しみであって、その楽しみを得るためには、多くの苦しみを乗り越えなければいけない。不幸にして、僕はヨットで世界一周したいという過酷な夢を持ったわけですが(笑)、達成するのが過酷だからやっぱり止めよう、とはなりません。人を好きになるのと一緒ですよ。高収入だからといって、それだけで相手を好きになれますか? もっと違う理由がそこにはあるものです。

僕は天才でもなければ、金持ちでもなかったので、夢を実現するために、多くのことをクリアしなければなりませんでした。失敗もたくさんしました。実際、ネガティブなことを考えれば山のようにありますよ。でも、それを「したい」と思っているのは自分だし、そう思う自分からは逃れられません。だから、一つ一つ、とにかくクリアするしかありません。時間はかかりましたが。

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それは、第6回のアラウンドアローン(単独世界一周ヨットレース)に出場するまでのことですね。

白石

そうです。「世界一周したい」と思って多田さんに弟子入りしてから、実際にレースに出るまで17年かかりました。一番大変だったのは、スポンサーを集めること。バブルが崩壊した後でしたし、それだけで10年かかり、実際に世界一周ヨットレースのスタートラインに立ったのが2002(平成14)年です。レースは4年に一度行われるのですが、資金不足で、二度、諦めました。

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ようやくスポンサーも見つかって準備も整い、レースに出られたわけですが、世界一周をするのに、一年弱かかるとか。更に運搬代節約のため、レースのスタート地点まで、自身でそのヨットに乗っていったと伺いました。となると、一年半も海上の生活ですが、海の上に一人でいるというのは、どんな感覚でしょう?

白石

一人という感覚は全くありませんでした。陸の上と違うのは、海の上では常に「生き抜くことを考えなければいけない」ということです。休まず船を走らせているので、風が変わったり、岩にぶつかったりしないか、24時間体制で計器やセイルを常にチェックします。連続してとれる睡眠は長くても1時間。起きている時は、今はナビゲーションをするのか、ご飯を食べるのか、リラックスするのか、トイレに行くのか……一時、一時の行動を吟味して決断する。だから随分と忙しいし充実しているんです(笑)。

海の上というのは、自然界であって、人間界ではありません。時には美しい風景も見せてくれます。赤道直下で、風が全くなくて、海が鏡のようになる時があるのですが、夜になると満点の星空が海にも映るんです。空も海も一面星だらけで、自分が宇宙の中に生きていることを実感できる。生きるということの素晴らしさを実感できます。

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世界一周して戻ってこられたら「欲が全部なくなってしまった」そうですね。

白石

素直になったんです。自然というのは人間の都合に合わせてくれません。こちらが走りたい時に、走らせてくれるわけではない。だから、自然のリズムに自分を合わせていかなければいけない。そのリズムが合えば、楽しいのだけれど、それに逆らおうとすると大変です。

今は、仕事にしてもお金にしても、外的要因に左右され過ぎだと思います。全部、外のことであって、自分の心のことではないでしょう? むしろ孤独とか、悲しみといった自分の心の動きを受け入れるのではなく抵抗しようとする。経験から判断したり、人と比べたりしようとする。だから乱れるわけです。素直にそれを受け入れれば、心が乱れることはないはずです。僕は、海に出る時は、毎回遺言状をしたためます。つまり死を見つめている。そういう時に、今までに出会った人達のことを思い出して、素直に感謝できるし、生きることの素晴らしさを実感します。無事に戻ってきたら、なおさらです。

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アラウンドアローンの時は、母校の小学生達に向けて洋上授業を行ったと伺いました。

白石

きっかけは、師匠である多田さんが出場したレースを題材に、主催者が教育プログラムを展開していたことでした。多田さんの元にも、世界中の子供たちから応援の手紙などが届いていましたが、このレースの途中、多田さんは自殺してしまった。応援していた子供達にとっては、とてもショックだったはずで、そのことを主催者に問い合わせてみました。そしたら、ある学校では、多田さんの自殺について授業をしたと言うんです。なぜ多田さんが亡くなったのか、子供達皆で話し合ったと。驚きました。ヨットレースはサクセスストーリーばかりではありません。亡くなる人もいるし、リタイアする人も優勝の栄冠をつかむ人もいる。一つのレースの中でこれらが同時に起こっているんです。人生も同じです。だから彼らは、そこから逃げずに、死について討論したというんです。僕は感動しました。

今の子供たちというのは、情報はたくさん持っているけれど、実体験が少ないようです。そこにあって、ヨットいうのは良い教材だと思うのです。生死についてはもちろん、世界を旅することを通じて、環境や歴史についても学べる。それで、母校の子供達を対象に授業を行いました。

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子供達とのやり取りの中で、印象に残っていることはありますか?

白石

彼らがくれる手紙の変化がとても興味深かったですね。初めて彼らと会った時は、ヨットがどういうものか、僕が何をしているのかも良く分かっていない状態でした。だから最初は、僕がどこに向かっているのかを地図上で追っていただけ。そしたら「サンフランシスコに行くのに、なんで遠回りするんですか?」と聞くんです。メルカトル図法の地図を見て質問しているので「地球儀で見てみて」、というところから始まりました。そのうち、次に僕が寄港する土地のことを調べるようになりました。パナマに寄港する時には、その土地の言語を調べたり、パナマ運河の模型を作ったり、レースに参加する他の選手達のことを調べたり、そうやって、教室を飛び出して動き出し始めたんです。僕が修行をしていた造船所に、見学にも行ったそうです。

メールのやりとりは、回線の都合もあって1ヶ月に1回程度でしたが、僕の様子は大会主催者のWebで確認できます。そうやって一緒に航行していくうちに、最初は「白石さんがんばって」と書かれていた手紙が「がんばっている人に、がんばって、はないだろう」ということで「楽しんで」となってきました。次に僕が危険な場所を通過すると知ると、また「がんばって」となったんです。後で聞きましたが、この間、子供たちがすごく緊張していたそうです。もしかしたら、僕が死んでしまうかもしれないと分かっているから。だから最初の「がんばって」とは、違った意味を含んだ「がんばって」という言葉をくれたんですね。そうやって、子供たちが成長していく姿を見るのは、とても楽しかったですね。一緒に世界一周をしたんだという一体感が常にありました。


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アラウンドアローンのレース中「35歳にもなって、こんなことをしていていいのか」と脳裏を過ぎったそうですが、そうした迷いのようなものは、今でもありますか?

白石

迷いはありません。ただ、一般的ではないでしょうね(笑)。僕がしていることは、一見無鉄砲に見えるかもしれません。でも、夢や志というのは、自分の外にはありません。自分の心の中にあるものです。僕の心が世界一周をしたいと思っているのですから、周りは関係ありません。

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次の目標を教えていただけますか?

白石

まず2006年11月に開催される「5-OCEANS」のクラスIに、日本人として初めての出場を目指しています。その次は、08年に開催されるノンストップ世界一周のヴァンデグローブ(単独無寄港世界一周レース。世界で最も過酷なヨットレースと言われる。4年に一度開催)に出場することが夢です。その後は、教育や若手を育てることにシフトしていくことも考えています。ヨットの場合、多くの選手が3レースくらいで引退していきます。1レース1レース、命懸けで出場するので、3回も4回も命をかけると、人生に対する負担が大きいんです(笑)。もちろん、その時になってみないと分からないですし、次のレースに出られるかどうかも確定しているわけでもない。その時の風を読んで、決めるつもりです。

インタビュア 飯塚りえ
白石康次郎(しらいし・こうじろう)
1967年東京生まれ鎌倉育ち。神奈川県立三崎水産高等学校専攻科卒業。1986年第1回単独世界一周レース(BOCレース)優勝の故多田雄幸氏に弟子入り。1988年ナホトカ-室蘭「日本海ヨットレース」クルーとして出場。1991年シドニー-伊豆松崎太平洋単独縦断に成功。1993年10月3日-1994年3月28日(176日)、26歳の時、「スピリット・オブ・ユーコー」で46,115kmの世界最年少単独無寄港世界一周を達成。1997年2月世界でもっとも過酷なアドベンチャーレース「レイド・ゴロワーズ」南アフリカ大会で日本過去最高の11位、2003年5月「アラウンドアローン クラスII」4位など、世界のヨットレースで活躍する。著書に『七つの海を越えて』(文藝春秋社)、『僕たちに夢と勇気を…冒険者』(宝島社)、『アラウンド アローン』(文藝春秋社)。
僕と一緒に世界を廻った子供達
撮影/海野惶世 イラスト/小湊好治 Top of the page

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