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「我が家」というのは、ずっといたい場所であるはずなんです。
第24回 建築家 手塚貴晴、由比さん


良い家とは何かが見えてきた

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今、多くの人が、住宅に目を向け始めていると感じます。建築家として、この状況をどうお考えでしょうか?

貴晴

そもそも日本人は、生活の質などに非常に敏感な国民であったと思います。それが第二次世界大戦の後、生活の質などよりも、皆に平等に家を提供するという思想をベースに、極端な言い方をすれば、バラックの延長で住宅が作られてきました。天井高も低く、部屋も狭い─それが当たり前の事として住宅が建てられてきてしまったと思います。

ところが、国が豊かになり、海外に行く人が増えて、そこで「あれ、なんか僕らって貧乏なところに住んでいるんじゃないか」と気付き始めたところから、現在の「住宅ブーム」が起きているのだと思います。

僕たちも、学校を卒業してから、ロンドンの建築事務所に勤めましたが、住環境の豊かさの違いには驚きました。

同時に「リサイクル」についても関心が高まっていますが、建物というのは、リサイクルするものではなくて、大切に長い間使うのが一番大事な事。本来は、100年、200年、300年先を考えてつくるものです。ロンドンに住んでいると、100、200年前の家がたくさんあって、そこにそのまま住める。だから、大したお金を払わなくても、皆良い暮らしができる。「数字だけでは表れない、豊かな暮らし」と言ったら良いのでしょか。これまでの日本人というのは4畳半に住んで、金庫に札束を入れて「私は金持ち」と言っているようなものだったのではないでしょうか。それに対して例えばイギリス人は「お金がないから」と言いながら、素敵な家に住んで、紅茶を飲んで、素敵な景色を見て暮らしている。どちらが豊かかと問われたら、一目瞭然だと思いませんか? お金があるということと、豊かな暮らしとは違うものです。

世代を越え、長い目で住宅を見る

貴晴

家を作るということを、30、40年という短期的な視点ではなく、長期的な視点で考え直す必要があると思います。

日本の法律では、隣の敷地境界線から最低50センチずつ離して家を建てなければならないと決められています。しかしこれも、戦後の住宅事情からできた法律です。戦時中、万が一火事になっても隣家に延焼しないように、互いに迷惑をかけないようにと作られた法律です。街とは本来、そういうものではありません。

例えばイギリスなどを見ると、厚い壁を介してぎっしりと家が建ち並んでいますが、各家の裏手には大きな庭があったりする。また、日本の場合、道路に対して塀を作り、それが街並みを作り出していますが、本来は、建物自体が街並を作るべきだと思います。よく「人気のない夜の住宅街」と言うけれど、考えてみれば夜の住宅街には人がたくさんいるはずですよね? 法律で道から離して家を建てなさいと決められているから、道と建物の間に隙間ができて、そこに塀を立ててしまう。結果、皆隠れるように住むことになり「人気のない」ような街並が出来てしまう。そうしたおかしなことに、今、気付き始めているのだと思います。

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自分の家だけでなく、外の環境も含めた住環境に目が向くようになったということでしょうか?

貴晴

それもありますが、今までは「良い家とは何か」ということが分からなかったのだと思います。これまでは、商品の種類がとても少なくて、皆、その中から買っていたんです。でも「これから50年使うのに、果たしてこれで良いのか?」と思い始めたのだと思います。孫やひ孫の代、もしくは街のこと、良い環境をつくること、自分たちが良い暮らしをすることといった長期的視点で、家作りを考えるようになったのだと感じます。

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日本は紙と木の文化と言われています。そうした文化を背景に、建物も壊して作るを繰り返す思想があるようにも感じますが。

貴晴

それは大変な誤りです。日本には本来、築100年、200年という木造住宅の歴史があるんです。

他にも「東京は狭いから、住宅が狭いのも仕方ないんだ」という考え方がありますが、実は、東京の人口密度って、パリの半分なんですよ。1ヘクタール当たり、東京は100人位なのに対して、パリは200人位住んでいる。それでもパリでアパートを借りると、天井高が4メートル近くもあって、庭もある。そうした住宅の作り方、街の作り方が、日本で今まさに変わろうとしているところなのでしょう。

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手塚さんが手掛けれられた住宅を拝見すると、いわゆる「LDK」と言われる空間とは違う空間の作り方をされているように感じます。手塚さん自身、どのような空間を作り、そこでどのような暮らしを提案したいと考えておられるのでしょうか?

貴晴

そこに「長いこと居たい」と思えるような、家族が一体となるような家を作りたいですね。子供が自分の部屋にこもって出てこない家というのは、感心しません。子供を仲間はずれにするような作りではなくて、仲間に入れてあげる。皆が当たり前に話をして、いつもコミュニケーションをとっていれば、気持ちのズレも生じないと思う。そういう家を作りたいですね。

昔の日本の家というのは、大家族に対応できる柔軟な空間でした。それがいつの間にか、中途半端に西洋の形を入れたことで崩れてしまった。

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西洋の形と言うと?

貴晴

ベッドルームがいくつあって、リビングがあってという形です。それを導入するにあたって、部屋の「大きさ、広さ」が伴ってこなかったのです。本来「リビングルーム」というのは、その中に全員が集まれる広さを持っていて、皆が集まっても、お互いのことを気にしなくて良い広さがあった。日本は、そこを考えずに空間を切っていったから「リビングルーム」が本来の役割を果たせないのです。

由比

家というのは、家族が暮らす場ですから、お互いに迷惑をかけあわずには暮らせない。「屋根の家」の場合、一つの大きなワンルームになっているのですが、おねえちゃんがそこで宿題を始めると、妹は気を遣ってテレビの音をイヤホンで聞いたりする。そんな風に家族がお互いに相手のことを気にしながら暮らしていくことで、社会性が身に付いていくのだと思います。個室にとじこもって「誰にも迷惑をかけないから何をしても良いよ」という環境より、何かしたら、皆に迷惑がかかるという環境で、お互い気を遣いながら暮らしていく方が良いのかなと(笑)。

貴晴

ただし、空間が狭いと、それは無理ですね。

由比

一定の広さが大事ですね。本当に狭い空間の中で、お互いに違うことをしようとすると辛い。広ければ、多少相手を気にしながらも、自分のことに集中できますから。

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家が人を変え得るということでしょうか。これまで設計をされてきて、それを感じたことはありますか?

貴晴

「屋根の家」の奥さんは中学校でカウンセラーをしていたのですが、グレれている学生をご自宅に連れて来るんだそうです。屋根の上に上ってごろんと横になりながら話をすると、皆、憑き物が落ちたように人が変わっていくと言うんです。いじめられる側と、いじめる側が「屋根の家」では、同じ景色を見て互いに言葉に交わしたりする。

どういう状況に置かれるかよりも、どういう環境にいるかで人の心が変わっていくということがあると思います。写真には映りませんが、空間って、すごい力をもっているんです。

由比

本当に気持ちの良い家に住むと、休日に、皆家から出なくなってしまうんですよね(笑)

貴晴

日本人は、休日になると出かける人が多いですが、要するに、家の中にいられないから出かけることになる。「ホーム」、「我が家」というのは、本来ずっといたい場所であるはず。以前、設計を手掛けたある家で、「この家ができたら、あとは何もいらないわね」と言われたことがありました。住むところ─つまり家があって食べるものがあれば何の不自由もない。それが本来の家の在り方だと思いますし、最高の生活だと思います。

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なるほど。現在のブームには、ともすると、格好良いデザインという面に目が行きがちです。そうではなく、そこからさらに一歩進んで、そこに住んで初めて分かるものが空間にはあると。

貴晴

家は椅子に似ています。面白い椅子なら、いくらでも作ることが出来ますが、座りにくい椅子は、すぐに売れなくなってしまうし、飽きてしまう。椅子なら買い換えれば良いけれど、家はそう簡単に捨てられるものではありません。住みやすくて、気持ち良いと思ってもらえるものを作れば、長く使ってもらえるはず。

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椅子だったら実際に座ってみて判断することもできますし、買い替えることもできます。しかし住宅の場合は、そうした「良さ」を、どう判断すれば良いのでしょうか。

由比

「こういうのが気持ち良い空間だ」というのは、おいしい料理を食べたことがない人がおいしいものが分からないように、やはりある程度、経験がないと分からないところではあります。

しかし、おいしいものって人それぞれ全く違うというわけでもなくて、やはり本当に美味しい手打ちのお蕎麦は8割位の人がおいしいと言う。建物も同じで、皆が共通認識として「良い」と思えるものがあると思うんです。

空間の在り方が与える影響
   

貴晴

そう。ある方向性の中には、圧倒的な優劣があると思います。よく「デザインというのは、人の好みだから、その善し悪しを言っても仕方がない」と言われますが、そんなことはないはずです。英語でデザインとはもともと「計画する」ということ。デザインによって、新しいものが生まれてきて、人の生活が変わる。それは圧倒的な力を持っている。人の住む空間には、明らかに「こっちの方が気持ち良い」という絶対的な価値があるはずだと思います。

 

由比

そういう空間を作っていきたい。私たちは、何をつけ足しても、何を引いてもいけない、そういう究極の状態をつくれれば良いなと思っています。いろいろ足していくのは簡単なことです。そうではなく、「屋根の家」だったら屋根とは何だろうか、「窓の家」だったら窓とは何かを突き詰めて、それだけで勝負する。そういう住宅を作っていきたいと考えています。


   
  インタビュア 飯塚りえ
手塚貴晴( てづか・たかはる )
1964年東京都生まれ。1987年武蔵工業大学卒業。90年ペンシルバニア大学大学院修了後、94年までリチャード・ロジャース・パートナーシップ・ロンドン勤務。94年手塚建築研究所を手塚由比と共同設立。96年から武蔵工業大学専任講師。2003年から武蔵工業大学助教授

手塚由比(てづか・ゆい)
1969年神奈川県生まれ。92年武蔵工業大学卒業後、ロンドン大学バートレット校に留学。94年手塚建築研究所を手塚貴晴と共同設立。99年から東洋大学非常勤講師。2001年から東海大学非常勤講師。

1997年『副島病院』でグッドデザイン賞金賞(通商産業大臣賞)、98年『副島病院』で日本建築学会作品選奨賞、2001年新潟県松之山町自然科学館公開設計競技1位、02年『屋根の家』で第18回吉岡賞、JIA新人賞、03年『屋根の家』で日本建築学会作品選奨賞、05年『越後松之山「森の学校」キョロロ』で日本建築学会作品選奨賞など受賞多数。主な関連著作として『住宅論─12のダイアローグ』(INAX出版)、『僕らはこうして建築家になった』(TOTO出版)、訳書に『都市 この小さな惑星』(鹿島出版会)などがある。
 
●取材後記
雑誌の住宅特集などに、必ずと言って良いほど登場する、若手の注目建築家であるお二人。取材はお二人が設計したご自宅で行われた。南北は一面に大きな窓、真ん中に大きなテーブルが置かれ、家族が「何となく」一緒にいる空間が実現している。家の作りが、住む人の幸せに多分に影響を与えているという事が実感できた取材だった。
撮影/海野惶世 イラスト/小湊好治 Top of the page

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