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「体の使い方を覚えれば人間はくつろいだ社会生活が送れます」
第25回 文化人類学者 野村雅一さん

存在を象徴する人間の手

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私達は手ぶりやしぐさでいろいろな表現をしていますが、そもそも人間の身体表現とは何なのか、また何のためにあるのかということから、お話いただけますか?

野村

人間は、表現する方法を二つ持っています。「言語」と「しぐさ」です。まずは、それらの表現がどのように生まれてきたかを考える必要があります。
人間とは何ぞやと言うと、それは、直立して二足歩行するものです。他の動物、例えば猿にしても、樹上生活を送るために手足は似たような形をしています。しかし人間は、直立するために「足」を持ち、体を支えるような仕組みになりました。それによって大きく変わった点が二つあります。一つは「手」を獲得したこと。さらにそれによって口が自由になったことです。つまりそれまで口で行っていた、物を持つ、相手を威嚇するといった行為が手で行われるようになって口がその役割から解放され、発声器官が発達して、結果的に言葉の表現に繋がったのです。
一方で、手にも身ぶりという表現が生まれました。口以上に表現力を持つ手ぶりは、何か具体的な行為を示していて「手を出す」という表現があるように、強い決定的な表現になるため、言葉以上に注意して使わなければいけないものなのです。

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それは、相手を侮辱するような言葉を発するよりも、手ぶりでそのような意味の表現をすることが、一層忌み嫌わる、例えば、左手で子供の頭をなでるのを非常に嫌がる民族がいるといったことですね。手による表現は、言葉以上の強い意味をもっていて、決定的なものになってしまうのですね。

野村

ヨーロッパの言語に、男性が女性に求婚あるいは求愛することを「手を乞う」、女性がその求愛を承諾する、つまり相手に身を委ねることを「手を与える」と言う表現があります。手がその人の存在そのものを表しているということです。だから、うっかり手を出してはいけないんです(笑)。手に触る、手を握るという行為も、顔や肩を触るより重要な意味を持ちます。

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そういえば、映画でも手が象徴的に扱われますね。手を握り合うシーンをアップにしたり。

野村

そうです。象徴的な意味が、そこに入っているから、キスシーンよりインパクトがあるんですね。

所在のない手
   

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ただ日本では「手は口ほどに物を言う」とはならず「目」が口以上の表現力を持っていますね。

野村

日本は、基本的に接触型の文化ではないため、存在としての手の意味が弱いのだと思います。しかし、例えば挨拶で握手をする地域は、ヨーロッパだけでなく中東なども含めて相当に多いんです。そういう所は、手の存在がものすごく大きなものとなっています。実際、西洋人などがやる握手は、日本人が思っている以上に重要な意味があり、その握り方によって、会えてどの程度喜んでいるのか、別れる時には、また近いうちにぜひ会いたいのか、あるいはあまり興味はないのか、などいろいろなメッセージを表現しています。

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日本で手ぶりというと、ピースサインなどが思い出されますね。

野村

日本人は身ぶりが少ないので、写真を撮る時の手持ち無沙汰を解消するために、あのポーズが型にはまったのではないでしょうか。元々アメリカのヒッピー文化が発祥ですが、今、アメリカ人にこれをしても分かる人はいないでしょう。
先にも触れたように、手の動きというのは、表現行為に繋がり、意味が過剰になるのです。黙っていても、手は勝手に動いてしまう??手は沈黙せずに、しゃべり続けているから、手の始末というのはかなり難しいんです。西欧の場合は、握手を始め、身ぶりや表現として手を使ったコードがたくさんあり、その使い方を知っていますが、日本人は慣れていない。ピースサインによって、日本の写真文化は救われたところがあるとも言えるでしょうね(笑)。
知人の脚本家によると、日本のテレビドラマや演劇に、食事の場面が多いのは「下手な役者でも、箸とお椀を持たせておけば、ちゃんと様になる」からだそうです。茶碗や箸がないと、ぎこちないと言うんです。これも日本に手の表現が少ないことの一例でしょう。

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そうすると、日本における身体表現的なものは何がメインなのでしょうか。

野村

日本人の場合、表現というと、まず「抑制」を考えます。どうやって自分の感情や考えを上手に抑えるかを考える。日本人のコミュニケーションの半分は、この抑制の仕方に重きを置いていると言えます。100%自己主張するのは、嫌がられる。人当たりが良い社交上手な人や遠慮上手な人が、表現上手な人とされるわけです。

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なるほど。一方で、日本人の身体表現の変化を感じることはありますか?

野村

表現性が乏しくなったということでしょうか。顔が画一的になってきましたし、話し方も一様になってきたように感じます。日本人の表情や身動きが、今、どんどん受け身になってきているのではないかと思うのです。
受け身というのは相手からの反応を待っている状態です。自分が積極的に働きかけるというのではなくて、何かをされた、何かを言われたことに対する表情。学生にも見受けられるのですが「指示待ち顔」というのかな(笑)。「どうしたらいいのか、教えてくれ」という感じの顔つきで待っている。そういう人が増えたように思いますね。電車の中や、公の場で、自分に働きかけてくる人がいなかったら、反応をしようとしない。逆にいかにして「私は知りませんよ」と言う顔をするか訓練しているようにも感じられます。抑制が強くなってきているとも言えますし、これは言語でもそうですが、思ったことを言っては傷つけるのではと、考え過ぎているのではとも感じます。

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今、自分の体に対する関心が薄れているように思われるのですが、一方、言葉を発するのでも、表情を変えるのでも、そこでは当然、生身のぶつかり合いがあります。それを避けようとする傾向と、身体感覚の喪失という傾向には通底するものがあるように感じます。

野村

外見、つまりルックスに関心を持つ方は多いですが、反面、体そのものを粗末にしているように感じますね。体に対する距離感と言えるかもしれません。
最近、「自己表現」「自分探し」と言われますが、それも体がなければ出来ないこと。「心のケア」とも言いますが、「体」があって「心」があるわけで、逆はあり得ません。心だけあって体がなければ、少なくとも、この世には存在し得ない。
さらに言えば、心というのは体の一部だと言っても良い。そのくらい、体は大切なものなんです。この場合の「体」というのは、単なる「肉体」ではなく、動きをもち、生きているものです。その生きた体が心を持っている。だから体の動かし方やしぐさが重要なんです。ところが、それがちょっと軽視されているのではないかと。
さらには、命をも粗末にする人が増えています。自ら命を断つ人にしても他人に危害を加える人にしても、本当に「死」ということを分かっているのかと疑いたくなるような場面が増えてきたように思いますが、これも体に対する距離感が広がったことに繋がっているのではないかと思います。

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「心というのは体の一部」だというのは、非常に印象的な言葉ですね。

野村

そうですね。心の状態というのは、体のコンディションによる所が大きいのです。社会生活における体の使い方というのは、要するに、自分の体を持て余さなくても良い状態を作ることにあるんです。それができれば、どんな場面でもくつろげる。だから栄養や美容がどうのこうのと言う以前に、人間は、まず体の使い方を覚えることが必要なんです。それによって、身体感覚が身についていくのだと思います。例えば、お茶やお花のお稽古では、しぐさや身ぶりまでを習いました。それによって人前に出ても、過度に緊張することなく、くつろいでいられました。自分の立ち居振る舞いに納得がいくからです。これは自分が「こういう存在である」ということに納得がいくことなんです。だって、人前に出て、まず見られるものは「体」。心は見られないでしょう?(笑) 自分の体のことが分かれば、心も自ずとついてきます。

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なるほど。自分探しが流行っていることも、身体的感覚を喪失していることの、一つの表れかもしれませんね。

野村

体から始まらない自分探しでは、地に足がつきません。

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体の事が、実にいろいろなところと繋がってきました。自分でもあまり意識をせずに、生活をしていたと思うのですが、もっと自分の体を見つめ直したいと思います。

インタビュア 飯塚りえ
野村雅一(のむら・まさいち)
文化人類学者。国立民族学博物館教授。1942年広島県生まれ。京都大学文学部卒。イタリア、ルーマニア、ギリシャなど南ヨーロッパを主なフィールドにして、身ぶりやしぐさを含む人間のコミュニケーションのあり方を研究している。主な編著書に『しぐさの人間学』(河出書房新社)、『身ぶりとしぐさの人類学』(中公新書)、『技術としての身体』(大修館書店)、『老いのデザイン』(求龍堂)などがある。
 

●取材後記
正直なところ、今、社会問題になっているようなことと、身体感覚の喪失感がこれほど密接に結びついているとは考えていなかった。「体に良いものを摂る」とか「睡眠を十分に取る」ことももちろん大切なのだろうが、そこには体を「器」としてしか見ていない、という側面もあるのかもしれない…などなど、思うことが多かった。私は一体、体をうまく使えているのか? 自身の立ち居振る舞いや所作と心の有り様も、もう少し研究してみる必要がありそうだ。

身体感覚の喪失
撮影/海野惶世 イラスト/小湊好治 Top of the page

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