ナビゲーションを読み飛ばすにはここでエンターキーを押してください。
COMZINE BACK NUMBER
ニッポン・ロングセラー考 “安全・簡単・使い捨て!すべてが革命的だったゴキブリ捕獲器
ごきぶりホイホイ

ゴキブリを見ずに捕獲でき、手軽に処理できる製品を

「ごきぶりホイホイ」生みの親ともいえる、アース製薬顧問の西村昭さん。京大で農芸化学を専攻し、アース製薬入社後は除虫菊を研究。業界では誰もが知る有名人である。


「ごきぶりホイホイ」登場以前に主流だった生け捕り式捕獲器。円の中央にエサを置き、周囲の穴からゴキブリを誘い入れる仕組み。

黒光りする不気味な体、くるくるとよく動く長い触覚、細かいトゲのはえた六本の足……深夜、ふと明かりを点けた台所で出くわすゴキブリほどゾッとするものはない。
見た目の気味悪さだけならまだしも、夜中に家中をゴソゴソと動き回って食べ物を食い散らかすゴキブリは、病原菌や食中毒菌など様々な細菌やウィルスの媒介要因となる。昔からゴキブリの駆除は、家庭衛生における大きなテーマのひとつだった。

そのゴキブリ駆除の歴史において稀代のロングセラーとなった製品が、アース製薬の「ごきぶりホイホイ」。どの家庭でも一度は使ったことがあるだろう。粘着シートを貼った紙製のトラップを組み立てて、台所や洗面所の隅に置いておく。数日後には何匹ものゴキブリがシートにくっつき、弱々しく触覚を動かしている。あとはそのままゴミ箱にポイと捨てるだけ。
考えてみれば、本当に良くできた製品だ。不快なゴキブリの姿を直視することもないし、使い捨てだから気軽に使える。一体誰が開発したのだろう? と思っていたら、お話を伺った同社の西村昭顧問その人が「ごきぶりホイホイ」開発のリーダーだった。

「1960年代に入って住環境が大きく改善され、殺虫・防虫業界のターゲットが蚊やハエからゴキブリに移っていったんです」と、西村さんは開発当時の様子を語ってくれた。
60年代末頃、市場では「生け捕り式」のゴキブリ捕獲器が販売されていた。プラスチックでできた箱形トラップの中央にエサを置き、後ろに戻れないよう工夫された通路を通って入ってきたゴキブリを捕獲する。多くのメーカーから発売されていたが、この方式にはプラスチックの容器を通してゴキブリが丸見えになるという大きな欠点があった。しかも生きたままだから、直射日光に当てるか水に浸けるかしてゴキブリを始末しなければならない。家庭の主婦にとってはやりたくない不愉快な作業だった。

「ごきぶりホイホイ」の開発は、こうしたネガティブな要素を排除するところから始まった。目標は、ゴキブリの姿を見ずに捕獲でき、主婦が安全かつ手軽に処理できる製品。1970(昭和45)年、西村さんが中心となって本格的な研究がスタートした。
「社内に4畳半くらいの部屋を2つ作り、ゴキブリを大きな容器に入れて飼育していました。ゴキブリは寒さを嫌うので、床暖房付き(笑)。ここでゴキブリの誘因捕獲物質を探っていたんです。いろいろやりましたが、結局分かったのは、"ゴキブリは水が好き"ということだけでした」。
今からすれば、それは常識的な結論に過ぎない。けれど、アース製薬のゴキブリ研究は、すべてここから始まった。西村さんたちの努力は間もなく実を結ぶ。


ヒントはアメリカ製のネズミ取りにあり!

 

「ごきぶりホイホイ」の前身にあたる「ゴキブラー」のパッケージ。市場には登場しなかった幻の製品だ。

 

「ごきぶりホイホイ」開発のヒントとなったアメリカの家庭用品雑誌に載っていたねずみ捕りの広告。

 

1971(昭和46)年4月、西村さんたちは誘因剤を選定することに成功。コードナンバーAF6と名付けたそれは、生物的な要素を多く含んだ混合香料だった。次の課題は、この誘因剤をどのような形でトラップに仕掛けるか。固形エサにしたのでは、既存の生け捕り式トラップと変わるところがない。作るべきは"ゴキブリの姿を見ずに捕獲でき、主婦が安全かつ手軽に処理できる製品"なのだから。

同年9月、ヒントは突然訪れた。
「たまたま私がアメリカの家庭用品雑誌を見ていたところ、『ワンダーラットボード』という商品の広告が載っていたんです。これはネズミ捕りの一種で、誘因剤を含んだ粘着シートでネズミを捕獲するものでした。これだ、と思いましたね。そもそも誘因剤には殺虫剤が含まれていませんから安全ですし、ゴキブリを粘着シートで動けなくすれば、次第に弱ってきて最後には死んでしまう。人間が自ら処理する必要はありません。あとはトラップを使い捨てできる紙で作り、ゴキブリの姿が見えないようにすれば良い」
この時、西村さんの頭には、ほぼ現在の形の「ごきぶりホイホイ」のイメージが浮かんでいたという。

研究は更に進んだが、解決できない問題もあった。当時のアース製薬は粘着剤製造技術が不足しており、粘着シートの採用を諦めざるを得なかったのだ。
「剥離紙が簡単に取れるような粘着剤だと、粘着剤が固すぎてゴキブリが捕まらない。逆に柔らかくすると粘着剤がくっついて紙が上手く剥がれないし、流れてしまう。結局、チューブ入りの粘着剤をその都度、消費者に塗ってもらうことにしました」。
西村さんたちはその塗り方にもこだわった。ヘラやブラシのようなものも試してみたが、結局、チューブの頭をそのまま台紙に押しつける方法に決定した。この段階で基本的な研究は終了。製品化への目処は付いた。

1972(昭和47)年3月、西村さんをリーダーに、製品化を前提にした社内プロジェクトがスタート。西村さんたちは細部を詰めていった。まず、壁に密着して置けるようトラップの断面を三角形から五角形に変更。更に、粘着剤を前に後ずさりして引き返す慎重なゴキブリがいることを発見。この問題も、トラップの入り口に坂道を設けることで解決した。
「いったん坂道を上って下に落ちるようにすれば、ゴキブリはバックできなくなりますからね」。
粘着剤をチューブへ充填する際にも液漏れの問題が発生したが、これも加熱試験を徹底し、全数テストを行うことで乗り越えた。
同年5月、ついに試作品が完成した。仮の製品名を、社内から募集して語感がよかった「ゴキブラー」に決めた。

 

開発にあたり社内から公募したアイデアの一部。シーソー式で捕獲するもの、渦巻き状のトラップに呼び込むもの、水車が回って水の中に落とすものなど、様々なアイデアが寄せられた。


大塚グループ総帥の英断で、価格とネーミングを変更

 

記念すべき初代の「ごきぶりホイホイ」。箱は黄色ベースで現行製品とは異なるが、トラップの赤い屋根はまったく変わっていない。

   
 

初代「ごきぶりホイホイ」の特徴は、粘着シートではなくチューブ入りの粘着剤を使用したこと。台紙ごとに消費者が塗っていた。


「ゴキブラー」完成後、西村さん始めプロジェクトのスタッフは、夏のテスト販売を計画していた。が、ここで超大物の"待った"がかかる。当時のアース製薬会長であり、大塚グループの総帥でもあった大塚正士(まさひと)がこう言ったのだ。
「ものは簡単だが、これは非常に面白い商品だ。ただ、今市場に出すとすぐに類似品が出回るだろう。1年待って、その間にもっと練り上げなさい」。

それを受け、西村さんたちはさらに細部を改良し「ゴキブラー」のフィールドテストを行うことにした。大塚グループの部長達に依頼し、生け捕り式捕獲器と「ゴキブラー」の3週間比較テストを実施。ルールはゴキブリ捕獲数が多い方が勝ち。結果は18勝7敗で「ゴキブラー」の勝利。西村さんたちは、「これならいける!」という確信を得た。

1973年(昭和48)年に入り、いよいよ本格的な販売を目指して価格を設定することになった。アース製薬の販売を担当していた大塚製薬の営業担当は、5枚の台紙と30g入りのチューブ1本が入ったシンプルな「ゴキブラー」を見て、250円くらいで売り出そうと考えていた。ところが、ここでも正士会長の待ったがかかった。
「商品の価格は原価で決まるのではない。商品が消費者に与えるメリットによって決まるもの。この製品にはそれくらいの価値がある。450円にしなさい」。
このひと言が、アース製薬成長の原動力となったのである。製品利益率が高かったため、会社復興の立て役者となった。

正士会長の功績はまだある。どこかおどろおどろしい響きがある「ゴキブラー」という名称ではなく、もっと親しみやすい名前が良いと考え、自ら「ごきぶりホイホイ」という名称を考案したのだ。
また、初代のパッケージデザインは、当時の大塚正富社長自らが描いたもの。「ごきぶりホイホイ」は社運を賭けた大事な製品だ。絵心があった正富社長は自分がデザインすることで、力の入った製品だということを内外にアピールした。
同年3月、ついに粘着式の画期的なゴキブリ捕獲器「ごきぶりホイホイ」が売り出された。



 
主婦層の支持を獲得し、爆発的なヒットを記録
 

キャラクターに由美かおるを起用した初代「ごきぶりホイホイ」のパンフレット。

   
 

2代目「ごきぶりホイホイ」。誘因剤がチューブタイプから粘着シートタイプになり、使い勝手が大きく向上した。

 

足ふきマットが付いた3代目「ごきぶりホイホイ」。粘着力を弱める原因だったゴキブリの足の油分・水分を取り除くことに成功した。

 
     
 

4代目「ごきぶりホイホイ」は4種類の強力な誘因剤を新採用。ゴキブリを集める能力が一段とアップした。

 

現行商品となる5代目「ごきぶりホイホイ」。もがけばもがくほどゴキブリの足がのめり込む、デコボコ粘着シートを装着。

 
 

晴れて売り出された「ごきぶりホイホイ」。市場の反応はどうだったのだろう?
「これがもう、最初から爆発的な売れ行きでした。東京の支店にはひっきりなしに電話がかかってきて、営業マンが電話を取るのを嫌がったくらい。工場がある坂越でも、地元のスーパーが直接トラックを寄越して商品を持って行きました(笑)」。
想像を超える売れ行きだったという。同社のユーザーアンケートによると、「とにかくよく捕れる」「殺鼠剤では難しかったハツカネズミが捕れた」「蛇が入ってる!」などという、驚くべき声もあったらしい。

ここまで売れた背景には、当時のゴキブリ事情(?)がある。高度経済成長とともに住環境の改善が急速に進み、家屋の暖房化率が上昇。また集合住宅が増え、ゴキブリにとっては活動範囲が一挙に拡大した。どの家庭でも、必ずといっていいほどゴキブリには悩まされていたのである。
そこに登場した「ごきぶりホイホイ」。殺虫剤不要で簡単に使え、ゴキブリの姿を直視せず、箱ごとゴミ箱に捨てることができる。それでいて、値段は今までのゴキブリ捕獲器とほとんど変わらない。売れるのは当然だったとも言えるだろう。
この「ごきぶりホイホイ」の好調な売れ行きを更に後押ししたのが、積極的に展開したTVコマーシャルと雑誌広告だった。キャラクターには蚊取り線香「アース渦巻」でも使った由美かおるを起用。当時、絶大な人気を誇っていたタレントによる宣伝効果は、極めて大きかった。

初代製品発売後も、「ごきぶりホイホイ」は細かな改良を続けていく。
1978(昭和53)年、チューブタイプの粘着剤からシートタイプに変更を追加。94(平成6)年、ゴキブリの足についた油分・水分を取り除く足ふきマットを追加。96(平成8)年、キッチンにある食材を再現した4種類の強力誘因剤を採用。98(平成10)年、粘着シートに凸凹を付け、ゴキブリ捕獲効果を上げた「デコボコ粘着シート」を採用。同年、姉妹品「ちびっこホイホイ」発売。
そして2003(平成15)年、「ごきぶりホイホイ」発売30周年記念として「復刻版ごきぶりホイホイ」が発売された。トラップの形やチューブ入り誘因剤など、何から何まで昔のままという、昔懐かしい製品だ。

現在、殺虫・防虫業界におけるアース製薬のシェアは48%にもなる。もちろん、業界のトップメーカーだ。ゴキブリ用に限っていえば、そのシェアはさらに高くなるという。
ただ「ごきぶりホイホイ」の売れ行きは長らく横ばい状態が続いている。環境問題が声高に叫ばれる今だからこそ、殺虫剤を使わない「ごきぶりホイホイ」はもっと注目されていいような気がするのだが。
その点を西村さんに聞くと、こう答えてくれた。
「ゴキブリの数が少なくなったんでしょう。『ごきぶりホイホイ』が捕りすぎてしまったのかもしれませんね(笑)」。

取材協力:アース製薬株式会社(http://www.earth-chem.co.jp/

ゴキブリ研究の最先端を行く「生物研究所」
2002(平成14)年に竣工した研究所。この中で日々、ゴキブリを始め、蚊、ダニなどの害虫研究が行われている。
 
ゴキブリが入ったケースが整然と並ぶ飼育室。放し飼いスペースの写真も撮ったのだが、掲載は控えよう。
ゴキブリ、蚊、ハエ、ダニなどの害虫研究では、おそらく最先端を行っているのがアース製薬の生物研究所だろう。2002(平成14)年に完成した研究所の一棟の2階が生物飼育エリア、3階が効力試験エリアになっており、日々、様々な研究が行われている。
圧巻は生物飼育エリア。世界中の主なゴキブリの標本、サンプル入りのケースがズラリと並んだ飼育室、約50万匹のゴキブリが蠢いている放し飼いスペースなど、ゴキブリが苦手な人ならたちまち卒倒しそうなゴキブリワールドが展開する。案内してくれた研究員によると、すべての研究員が最初からゴキブリに馴れているわけではなく、飼っているうち徐々に平気になっていくそうだ。面白いのは、ここではゴキブリを1匹2匹とは数えず、1頭2頭と数えている点。愛着が湧いたとしてもゴキブリはペットではなく、あくまでも研究対象なのだ。当たり前だが……。
ゴキブリは3億年以上も前から地球上に存在し、全世界では3500種以上、日本には約40種類いると言われている。そのうち家の中を徘徊しているは、主にクロゴキブリとチャバネゴキブリ。
「ごきぶりホイホイ」の歴史は、この2種類のゴキブリとの格闘の歴史でもあったわけだ。

撮影/海野惶世(タイトル部、プレゼント)、ジオラマ制作/小湊好治 Top of the page

月刊誌スタイルで楽しめる『COMZINE』は、暮らしを支える身近なITや、人生を豊かにするヒントが詰まっています。

Copyright © NTT COMWARE CORPORATION 2003-2015

[サイトご利用条件]  [NTTコムウェアのサイトへ]