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サトウの切り餅
ニッポン・ロングセラー考 お正月商品から通年商品へお餅の概念を変えた革命児

包装餅の歴史は、“カビ対策”から始まった

昭和30〜40年代初期の工場の様子。餅つき自体は機械で行っていたが、その他の工程はほとんど工員の手作業で行われていた。


包装餅の変遷は、第1期の殺菌包装餅期から始まる。これは最も初期のロケット包装餅。まるでハムのようなパッケージで、とにかく食べにくかった。

   
 

ロケット包装餅に比べ、格段に食べやすくなった「サトウの板餅・サクラコトブキ印」。それを可能にしたのが、このリテナー成型機だ。

   
   

いつからだろう。臼と杵で餅をつくという光景を見掛けなくなったのは。今やお正月でも、とんと目にする機会がなくなってしまった。昔はご近所さんのどこかで、必ず餅をついている家があったはずなのに。
ひと昔前まで、私たちはこう思っていたはずだ。「餅は正月にしか食べられないもの」と。
餅つきの光景を見かけなくなった代わりに、私たちは季節を問わずいつでも食べられる餅を手に入れた。一切れずつきれいに包装された、加工食品としての餅を。
その代表的存在が、「サトウの切り餅」。新潟に本社を構えるサトウ食品が世に送り出したこの餅は、包装餅の歴史を塗り替えるエポックメイキングな製品だった。

サトウ食品のルーツにあたる佐藤勘作商店が、初めて正月用のし餅の製造を始めたのは1958(昭和33)年。のし餅の製造・販売数は順調に伸びていったが、終始、大きな問題が付きまとっていた。「餅に生えるカビは、防ぐことができない」──それは餅製造業者にとって、ほとんど解決不可能と思われていた難題だった。包装餅の歴史は、餅の宿敵“カビ”を防ぐところから始まったのである。

1963(昭和38)年、薬品メーカーの指導で、餅製造業界は餅のとり粉に防腐剤を混ぜたのし餅を発売した。ところがこれが食品衛生法に抵触し、業界は壊滅的な打撃を被る。
事態を回復するためには、カビが発生せず、長期保存が利き、安心して食べられる餅の開発が急務だった。
その翌年、新潟県食品研究所(現食品研究センター)が、フィルム包装ごと80度で湯殺菌する画期的な包装餅の技術(ロケット包装)を開発。それはハムのような形をした包装餅で、保存期間は約2週間にまで延びた。サトウ食品もすぐに製造販売に乗り出した。

鳴物入りで発売されたハム型包装餅だったが、いかんせんこの形では食べにくい。消費者の評判も今ひとつだった。そこで同社は1965(昭和40)年、のし餅の縦横に筋を入れ、簡単に割れるようにしたリテナー成型板餅を開発。「サトウの板餅・サクラコトブキ印」と名付けて発売した。食べやすくなっただけでなく、半真空状態で餅を保存することにより、保存期間も6ヵ月まで延びた。「サトウの切り餅」の基礎を作ったこの商品は、今も生産が続けられている


殺菌包装餅の大ヒット作「サトウの切り餅」誕生

 

同社発展のキーマンとなった佐藤功社長。強力なリーダーシップで、会社を業界一位に育て上げた。

 

包装餅に革命を起こした「サトウの切り餅」。殺菌包装餅の完成形と言って良い。

 

サトウ食品の包装餅開発を推進していたのは、現社長の佐藤功。新潟の餅製造会社の多くが地元を離れず細々と営業を続けていたのに対し、佐藤は技術革新こそが経営の命と考え、新しいアイデアを次々と餅の製造開発に導入していった。同時に全国各地に工場を設立し、規模拡大に力を注いだ。
佐藤の狙いは明確だった。餅米の種類によって当然餅の味は変わるが、それは消費者を驚かせる程ではない。だったら包装の仕方と餅の形を改善し、消費者にとって“いいもの”を作るべきではないか。佐藤が目指したのは、消費者の視点に立ったモノづくりだった。

食べやすいと評判の「サトウの板餅・サクラコトブキ印」だったが、それでもまだ消費者の視点に立った餅とは言い難かった。一度包装を開けると16切れの餅を一度に食べなくてはならなかったし、もっと長く保存したいという声も多かったからだ。
1973(昭和48)年、同社は「サトウの切り餅」を発売。これはレトルト殺菌釜、ロータリー真空機、三連包装機、耐熱性資材という多数の革新的な機械を導入して完成させた、佐藤の自信作だった。
巨大なレトルト殺菌釜とロータリー真空機は作業効率を向上させ、更なる長期保存を可能にした。「サトウの切り餅」は、なんと1年もの保存期間を実現したのである。更に、食べやすさを考えて導入した三連のコンパクトな包装が消費者の支持を獲得した。

1年も保存が利くのだから、これはもういつでも食べられる通年商品である。しかも封を切っても餅を余らせることなく使い切ることができる。消費者にとってまさしく“いいもの”だった「サトウの切り餅」は、当然のように爆発的なヒット商品となった。
同社は全国的に「朝食もちキャンペーン」を張り、ポスターやチラシ、小冊子などを通して大々的な宣伝を実施。新しい餅の食べ方を日本人に浸透させていった。

印象的なTVコマーシャルもまた、「サトウの切り餅」の知名度を上げる要因となった。「サトウの切り餅♪あ、モチモチ、モチモチっと♪」というメロディを覚えていないだろうか? 当時の人気歌手・西川峰子を起用した様々なCMは、餅が既にお正月だけの食べ物ではなくなったことをアピールしていたのである。
「サトウの切り餅」発売から3年後、同社の生産量は約3万トンに達する。板餅の製造を始めた頃の、約30倍もの量になっていた。

 
 

あらゆるレトルト食品に幅広く使われていたレトルト殺菌釜。これにより効率的かつ安全に殺菌を行えるようになった。

 

TVコマーシャル「ハワイアン編」。常夏の島と餅という異色の組み合わせは、「餅は正月のもの」という一般常識に対するアンチテーゼだった。


無菌化包装技術により、本当のおいしさを実現

 

最初の無菌化包装餅「サトウの切り餅・つきたてバラ入り」。短命に終わったが、包装餅の歴史においては重要な製品だ。

   
 

無菌化包装餅の完成形、「サトウの切り餅・つきたてシングルパック」(表示内容量400g・475円)。パッケージデザインは発売以来ほとんど変わっていない。


殺菌包装は衛生的に優れ、長期保存にも適した技術だったが、ただひとつ欠点があった。それは加熱処理することによって、つきたての餅が持つおいしさを失ってしまうこと。
長期保存とつきたての餅のおいしさを両立させることが、次なる開発テーマとなった。
時代は1980年代にさしかかろうとしていた。飽食・グルメ・個食が急速に進み、変わる要素が少ないと思われていた包装餅であっても、消費者は“更においしく、更に便利な”商品を求めていた。

それを可能にしたのは、1979(昭和54)年に登場した“脱酸素剤”だった。これは食品などと共に容器内に密封することで、その中の酸素を吸収し、食品のカビ発生や変色、風味の低下を防ぐもの。菓子、調味料、生鮮食品など様々な食品分野で「おいしさ」や「鮮度」の保持と、保存期間延長のために脱酸素剤は急速に普及した。

その翌年、サトウ食品は「サトウの切り餅・つきたてバラ入り」を発売。これは無菌状態のクリーンルームで生のままの餅をまとめて袋に入れた、同社初の無菌化包装餅だった。加熱殺菌していないから、餅本来の風味はそのまま。脱酸素剤のおかげで長期保存中もその風味を保つことができるようになった。消費者の反応も良く、それまでは外袋を開けてしまったらすぐに食べるしかなかった生切り餅を、最後の一個まで新鮮に味わえるようにした。
更に1983(昭和58)年、同社は「サトウの切り餅・つきたてシングルパック」を発売。これは業界で初めて、生の餅を一個一個無菌的に包装した製品だった。つきたてのおいしさをいつでも味わえるだけでなく、唯一残っていた酵母による発酵問題も起こらない。
発売から3年後、「サトウの切り餅・つきたてシングルパック」は、売上げで同社の殺菌包装餅を追い抜いた。現在も主力製品としてベストセラーを続けている。



 
次世代の包装餅が目指すもの──機能の追求
 

鏡餅の概念を変えた「サトウの鏡餅」。開発の背景には、「鏡餅だって食べ物だ」という佐藤社長のポリシーがあった。写真は「サトウの鏡餅・福餅入り鏡餅(16個入り)」。

機能追求型包装餅の代表例「サトウの切り餅・パリッとスリット」(表示内容量400g・475円)。焼いた時のパリッともっちりした感覚は独特のもの。

 
 

殺菌包装時代から無菌化包装時代へと移行してきた包装餅の歴史。製造技術的には現在の形でほぼ完成したと考えられており、ここ20年ほど大胆な変革は起こっていない。
それでも消費者にとって包装餅が“いいもの”であり続けるためには、さらに新しい魅力が必要となる。
同社開発陣が出した結論は、食べやすさ、使いやすさ、上手に焼けるといった“機能の追求”だった。包装餅は付加価値を競う時代に入ったのである。

その第1弾が、1993(平成5)年に発売した「サトウの鏡餅」。それまでの鏡餅は成型容器につきたての餅を詰め込んで包装した殺菌餅がほとんどで、飾るのはいいが、非常に食べづらいものだった。「サトウの鏡餅」は、中身の餅を丸餅のシングルパックに変更。外から見るときれいな鏡餅だが、中を開けると食べやすく切り分けられた餅が入っているという、実用本位の製品に生まれ変わった。
発売当時は業界内からの批判もあったらしいが、結局、この製品は消費者の圧倒的な支持を獲得。今ではこのタイプの鏡餅が市場の主力となっている。

機能追求型包装餅の第2弾は、2003(平成15)年に発売した「サトウの切り餅・パリッとスリット」。これは従来の「サトウの切り餅・つきたてシングルパック」のひとつひとつの餅に切れ目を入れ、焼いた時にふっくら焼けるよう加工した製品。また、調理前に切れ目から手で簡単に割ることができるので、小分けして料理に使うのが便利な餅に仕上がっている。「ふっくらうまく焼きたい」「パリッともっちりと食べたい」「もっと割りやすくしてほしい」という消費者ニーズを巧みに吸い上げて開発した。消費者の反応も良好という。

現在、同社の包装餅の生産量は年間5〜6万トン前後。売上げも増減が激しい市場全体に比べると、極めて安定している。包装餅市場におけるシェアは約25%。もちろん、業界トップの地位にある。

ひと昔前まで、私たちは「餅はお正月に食べるもの」と思っていた。「餅にはカビが生えて当たり前」だと諦めていた。しかし今では、「餅はいつでもスーパーで売っている」と信じ、「カビが生えたらクレームもの」だと考えている。
私たちの餅に対するイメージは、包装餅の革命児「サトウの切り餅」の出現によって大きく変わった。変わっていないのは、つきたてのおいしさを今でも味わえるということくらいだろうか。
そう、それが消費者にとって最大の“いいもの”なのだから。

 
取材協力:佐藤食品工業株式会社(http://www.satosyokuhin.co.jp/

包装餅と並ぶ主力商品に成長した「サトウのごはん」
包装餅に並ぶ基幹商品に育った包装米飯。写真は「サトウのごはん・新潟県産コシヒカリ」(表示内容量200g・170円)。
 
トレーサビリティモデルの実証商品「サトウのごはん・いわて純情米減農薬栽培米ひとめぼれ」(表示内容量200g・170円)。
日本の伝統食である餅にこだわり続けてきたサトウ食品。ただ、餅だけを経営の基盤とするには、何かあったときに心許ない。包装餅に並ぶ基幹商品の開発は、同社にとって長年の課題だった。
目を付けたのは、日本人の主食である“お米”。お米なら、包装餅の製造で培った無菌化包装の技術を応用することができる。
1988(昭和63)年、包装米飯「サトウのごはん」を発売。それは米どころのブランド米を贅沢に使用し、独自の厚釜でムラなく炊飯、じっくり蒸らすという本格的な製法を取り入れたご飯だった。炊飯後の微生物の混入を防ぐクリーンルーム内で、炊き立てのご飯をそのままパッキング。その結果、常温で6ヵ月もの保存を可能にした。
その後「サトウのごはん」は商品ラインアップを拡大。電子レンジの普及が後押ししたこともあり、販売数は順調に延びている。今では売上構成比で包装餅と並ぶまでになった。
「サトウのごはん」は、食の安全性に関しても注目すべき試みを行っている。「サトウのごはん・いわて純情米減農薬栽培米ひとめぼれ」という商品で、お米のトレーサビリティを実現しているのだ。パッケージに記されたID番号をホームページ上で調べれば、いつ・どこで・誰がどのようにして作った米で、いつ米からごはんになったのかが分かるようになっている。これもまた、消費者本位の姿勢の現れと言えるだろう。

撮影/海野惶世(タイトル部、プレゼント)、ジオラマ制作/小湊好治 Top of the page

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