家庭やオフィスで誰もが当たり前のように使い、もはや生活に欠かせないものとなっている「セロテープ」(R)。これが商標登録された固有名詞だということは、よく知られている話。一般的には「セロハン粘着テープ」というのが正しい。
市場にはセロテープ以外の製品もあるのに、今も多くの人がセロハン粘着テープのことを「セロテープ」と呼ぶ。セロテープは、それ程までに私たちの生活に浸透しているのだ。
世界の歴史に残る発明といわれているセロハン粘着テープを開発したのは、実は日本の会社ではない。1930(昭和5)年、アメリカの3M社が開発した「スコッチテープ」がその始まり。当初は自動車の塗装用マスキングテープとして使われていた。
それと相前後して、日本の会社でも独自にセロハンを生地とした粘着テープの開発が行われていた。その中の一つが、ニチバンの前身にあたる歌橋製薬所。膏薬の開発からスタートし、絆創膏などの医療用粘着テープで高い実績を上げていた。
ある会合でスコッチテープを目にした当時の社長・歌橋憲一は「こんなに便利なものはない。日本でも絶対に売れる」と確信し、自社開発に乗り出す。
長年にわたって培ってきた粘着テープの技術が、セロハン粘着テープづくりに活かせるという読みからだった。
時は太平洋戦争終結後の1947(昭和22)年9月。日本に駐留していたGHQから、願ってもない話がニチバンに舞い込んできた。GHQは検閲後の私信を再び封かんする際、アメリカから調達したセロハン粘着テープを使っていたが、輸入が遅れたため品不足に陥り、日本製のテープを使う必要が生じたのだ。
その発注先に選ばれたのがニチバンだった。会社にとっては巨大な需要が見込める千載一遇のチャンス。開発陣は努力を重ね、11月には早くも試作品を完成させた。
ところが、その試作品には思わぬ欠陥があった。当時脚光を浴びていた合成粘着剤を使っていたため、夏場はいいが冬場になると、とたんに粘着力がなくなってしまったのだ。既に特別注文の原料を大量に購入している。資本金100万円の会社にとっては存亡の危機だった。
だが、ニチバンの経営陣はセロハン粘着テープの将来性に賭けていた。「これは将来の日本に絶対必要な商品だ。一からやり直そう!」
この英断に開発陣も奮起した。原料を最初から研究し直し、天然ゴムを使うことで冬場でも固くならない粘着剤の開発に成功。1948(昭和23)年1月、晴れて最初の製品をGHQに納品することができた。
GHQの将校たちの評価は、ニチバンの予想をはるかに越えたものだった。
「アメリカでもこの程度の品質になるまで10年近くかかった。こんな短期間にここまでのものを作るとは。ニチバンの技術力は素晴らしい。このまま生産を続けてくれ」
将校の大きな手が、開発責任者に差し出された。 |