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人間の性別は、細胞の戦略なんです。
第34回 団まりなさん

2種類の細胞の不思議なシステム

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これまで生物の性別については、その意味を考えたことはなかったのですが、これは元もと生物の生き残りの方法だったとのこと。まずはこれについて伺えますか。

生物学の視点からすると「性」というのは生殖、つまり、自分と全く同じものを作り出すというメカニズムを指します。こう言うと、一から何かを作り上げる印象を受けるかもしれませんが、そうではありません。例えば、一番原始的な生物であるバクテリア(細菌類)が自分の体をぶちっと二つに割ること、これを生物学の世界では生殖と言います。細菌類の体は仕組みが単純ですから、生きていくために必要なタンパク質を作る情報、つまり「DNA」さえきちんと分かれていれば、こうして適当に分かれても、活動のためのシステムに矛盾が生じることがありません。例えて言うなら、あんこ餅をふたつに引き千切ったようなもの。両方にお餅もあんこも付いてくるでしょ?これが単細胞が自分と同じものを作る仕組み、つまり生殖の基本です。しかし言わずもがなですが、人間の構造は複雑だから、細菌類のようにばっと割って作ることはできません。その仕組みを理解するためにも、まず細胞のメカニズムについてお話しなければなりませんね。
細胞には「原核細胞」と「真核細胞」の2種類があります。ご存知ですか?

 
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染色体が核膜に包まれていないのが原核細胞、染色体が核膜に包まれたものが真核細胞。真核細胞の方が構造も複雑で大きいのでしたね。

 

 

原核細胞は、現在のバクテリア(細菌類)に似て、細胞膜の内側に、核やその他の構造を持たない、地球上最も単純な生物です。それに対して、真核細胞は、体の中にミトコンドリアなどの細胞内小器官を作って体内をいくつかの区画に切り分けることで、体を能率良く使うことができます。この区画の一つが、遺伝情報を保管、修理、コピーするためのDNAやRNAを収納する「核」です。

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私達の体は、その真核細胞からできているのですね。

そうなのですが、実は真核細胞にも2種類あるんです。DNAのセットを1セットしか持っていない「ハプロイド細胞」と2セット持っている「ディプロイド細胞」です。進化の階層で見ると、ハプロイド細胞が先にあり、その後ディプロイド細胞が出現しました。

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何がきっかけなのでしょう。

「飢餓」の状態が、ハプロイド細胞をディプロイド細胞へと変身させました。この場合の細胞にとっての「飢餓」とは、タンパク質を作り出すために必要なチッ素が周囲からなくなること。細胞の中のタンパク質は、DNAに負けず劣らず重要な役割を果たしているのですが、何かのきっかけで周囲のチッ素が減少することがあります。そうした時に2匹のハプロイド細胞が合体することでチッ素飢餓に対して立ち向かうことにしたのです。その状態が、DNAを2セット持ったディプロイド細胞へのきっかけになったのです。

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ハプロイド細胞2匹が合体してディプロイド細胞になる。これも生殖にあたるのですね。

   

そうです。この飢餓と合体(生殖)の状況は、植物を見るとイメージが沸くでしょう。花を良く咲かせたかったら、水や栄養をやり過ぎるなと言うでしょう? この花を咲かすというのはめしべと花粉を作る生殖なんですよ。栄養たっぷり、水たっぷりなら、花など咲かす必要がないけれど、水や栄養が不足した状態になると花を咲かせて、実を成らせて次の世代を作る。つまり、細胞レベルのメカニズムと同じことなんです。

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細胞のレベルで、ハプロイドからディプロイドという変化をすることによって、環境の変化に対応したということですね。私達がいわゆる「動物」と思っている生物の細胞は、皆、ディプロイドだということを考えれば、これは生物の進化において非常に大きなステップですね。

   

ディプロイド細胞とハプロイド細胞の大きな違いの一つは、自分の中にある相同のDNA分子を見分けることができるかどうか、ということ。単純に言うと、DNAの2本セットを正しく認識して分け合い保持できるかどうか、ということです。もし、これができていなければ、未だに地球はどこまでいっても、ハプロイド細胞ばかりで単細胞生物レベルで終わっていたでしょうね。しかし2匹の細胞が寄ったままで暮らし始めて更に分裂の方法を工夫し、ディプロイド細胞の仕組みを得て、ここまで進化できたという点では、ひとつの大きなステップです。ただ、生物の進化について言うと、全ての段階が重要なんです。だってハプロイド細胞がなければ、ディプロイド細胞はできないわけですから。私は「階層性」と言っていますが、下のレベルがなければ、上のレベルは存在し得ません。どの階層が抜けてもそれより先の生き物は存在しないのです。バクテリアなんて些末なものに思えるかもしれないけれど、それがいなければ、そこから派生する生物はいないのです。
例えば無生物から生物への発生の仕方なんて、未だに誰も机上の答えすら出せずにいるんです。無生物から生物が誕生するためには、ものすごい数のファクターが同時に起こる必要があります。すごいことなんです。

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どれ一つが欠けても、現在の私達は存在しなかったわけですね。

そうなんです。進化の各過程では、何か困った状態が起きた時に、その状態を解消しようと、それまでとはちょっと違うことをする者が出てきて、次の階層に進むんです。新しく出てきた悪条件を逆にテコにしながら、うまく工夫して生き延びる者が出て、更にまた困った状態が起きて…というのを積み上げながら、生物は進化してきているのです。今、現在だって、私達はこうした進化の過程にいるんですよ。
しかし、どんな生物であれ、もともと人間になろうと思って進化してきたわけではないはずです。たまたまその時代を生きた細胞たちが困難に対して工夫を重ねてきた結果が今の私達なんです。

 

細胞というレベルで、前提となるお話をしたので、いよいよなぜ「性」があるかということをお話しましょうね。
ハプロイド細胞が2匹寄り集まった状態では、まだ「性」とは言えません。性のひな型みたいなものと言ったらいいでしょう。ただ飢餓に陥りそうだったから集まっただけ。次の状態として、ディプロイド細胞として、うまく生きられるようになった…つまり、ディプロイド細胞の状態で分裂が出来るようになったわけです。ところがここが未だに理由は不明なのですが、どういうわけか足かせというか、バグができてしまって、ディプロイド細胞は、ハプロイド細胞と違って、ある程度分裂すると、細胞全体がぼろぼろになってしまって無限に分裂を続けられないんです。

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ハプロイドは不死なのに、私達の体を作っているディプロイド細胞には寿命があるのですね。

そうです。老化の原因にはものすごく多くのファクターがあるのですが、いずれにしても今、私達の目に触れる全ての生物は死を避けることができません。その理由の一つが、ディプロイド細胞にあるんです。私たちの体の細胞は、ディプロイド細胞であるがゆえに無限には分裂できない。それでは、どうやってその死を避けるのか。どうすれば種として絶滅せずに生き延びているかというと、いったん「バグ」のない、ハプロイド細胞の状態に戻って新しい「分裂回数券」を手に入れることなのです。これが減数分裂、そしてこの減数分裂と合体とを合わせたものがいわゆる有性生殖なのです。
生物の卵子と精子は、実はハプロイド細胞…つまりDNAを1セットしか持っていない細胞なのですが、その持ち主であるこの「体」、つまり人間はいつか必ず死んでしまうから、種としてつなげるために、卵子と精子というハプロイド細胞を持ち寄って、新しい体を作って、それを大事に育てていく。そしてまた、その新しい体の中にまた生殖細胞ができるというメカニズムを持つことで、種をつなげていくことにしたのですね 。

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メカニズムとしては、ちょっと面倒ですね。

確かに人間の体は60兆もの細胞でできているんだから、そんな複雑なものをわざわざハプロイド細胞の卵と精子から作らなくたって、例えば体の一部分をぽいっと切って、ミルクで湿ったガーゼに入れて、暖かい所に置いておくだけで大きくなっても良さそうなものでしょ?(笑)。

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うーん、確かに(笑)

ヒドラやクラゲなど原始的な多細胞生物は、我々と同じような細胞でできているけれども、そういうことができるんです。でも、高等な生物になればなるほど、全ての個体を必ず卵と精子から作っているんです。

   
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私達人間を含め高等な生物の場合は、ディプロイドでできているがゆえに限界がある。それでハプロイドの卵子と精子を作って、次の世代へとつなごうとしているわけですね。

ディプロイドからハプロイドになり直して暮らさなければいけない。それが性別の始まりであり、性の根源的な理由です。我々は、それ以外には、もう一人人間を作る方法を持っていないのです。自分と同じ体を作る、その方法として、いったんハプロイドに戻って組み立て直しているわけです。2匹のハプロイド細胞からまた真新しいディプロイド細胞、つまり1個の受精卵ができて、それが分裂し分化して、爪になったり、皮膚になったり、神経になったりと何段階かのシステムを組み上げ、最終的にカエルになったり、人間になったり、犬になったりしていくんです。

   
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細胞ってすごく、かしこいのですね。しかしそこでもう一つ疑問が沸いてきます。卵と精子を作る個体が分かれたのはなぜでしょう。

非常に早い時期に、そうなったんです。原始的なものをみると、卵も精子も同じ形をしているのですが、ある時期にそれが役割分担をすることにしました。
つまり卵子は、たくさんの栄養分を蓄えて生存の可能性を高める。そして、精子は、その卵に出会うために運動能力を持つ、ということです。
この時点で、卵はそのほかの細胞に比べて非常に大きくなってしまい、自分で身動きが取れなくなってしまいました。なので、大きな卵子というものを作る傍ら、それと出会える、そこまで辿り着けるハプロイド細胞を作らなければならなくなった。必要な栄養素などは、全部卵に入れてあるので、出会いに行く精子は、DNAを1セットと運動能力を持っていれば良い…実際精子を見ると、DNAをがっちがちに「梱包」した包みと、モーターと泳ぐためのべん毛しか持っていません 。

   
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精子と卵子を別々に持つというのも理由があるのですか?

2つの個体からの遺伝子をミックスすることで、強い遺伝子が残せるという考え方は、良く言われていますね。それに加えてディプロイド細胞がハプロイド細胞と違っているもう一つの大きな点は、細胞に個々の役割を持たせることができるようになったこと。だから卵と精子という別の性質を持つ細胞を作り出したのです。そこで話をもう一歩進めて、卵と精子を作る個体を別にしたほうが、効率が良いということになったんですね。栄養をいっぱい持った卵を作るのと、命からがら走り回ろうという精子を作ろうと言うのでは思想が全く違うじゃないですか。それを、個体レベルで分業しようという工夫があった結果、雄と雌の分化が生まれたのです。その先に人間の場合は男と女という性別があるということになります。
多くの生物がそうですが、雌の方が大きい体をしているでしょう? 人間がたまたま違うから、ちょっと分からないかもしれませんが、雌の方が大きいのも、こうした理由からです。そのためか、雌の方がどっしりした感じがしませんか?

   
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そういう一面があるかもしれません(笑)。細胞から見ていくことで、性について、人間について、これまでとは全く違う見方をすることができました。もっともっと、色々なものが見えてきそうです。

性別の成り立ちは寿命を乗り越える仕組み
 
インタビュア 飯塚りえ
団まりな(だん・まりな)
1940年東京生まれ。階層生物学研究ラボ責任者。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。大阪市立大学理学部助手、同大学教授を経て退官後現職。著書に『生物のからだはどう複雑化したか』(岩波書店刊)、『動物の系統と個体発生』(東京大学出版会刊)、『生物の複雑さを読む?階層性の生物学』(平凡社刊)、他。
 
●取材後記
房総半島の突端で、晴耕雨読の優雅な生活を送られている団さんのご自宅にお邪魔してお話を伺った。取材後、団さんが耕す畑で取れた菜の花と金柑をお土産にいただき、すっかりリフレッシュして帰路に着いた。細胞もリフレッシュして分裂の限界回数が少し増えたようだ。
撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

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