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クラシックは堅いもの、そう思って楽しむのが良いんじゃないでしょうか
第35回 青島広志さん

クラシックのルーツは「堅苦しい」もの

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「クラシック音楽」というと、何となく敷居が高く、演奏会に行くにも身構えてしまいます。

青島

クラシックが堅苦しいと感じるのは、クラシック音楽の歴史から見たら当然のことなんです。その昔、王様や貴族に仕えて、彼らの前で演奏する「楽志」という人たちがいました。今でいえばミュージシャンですね。王や貴族の前で演奏するために燕尾服やタキシードを着て、皆カツラをかぶって正装して演奏に臨んだわけです。演奏する側にとっては、王様や貴族の前で、演奏を失敗したらクビになるかもしれないし、面白い演奏ができなければ、お金ももらえないかもしれないしということで、非常に緊張もする、堅苦しいものだったに違いありません。
それでは聴く側はというと、やはりドレスを着用して、正装の上、演奏を聴いていました。貴族達が人の前に出る時は、必ずきちんとした服を着ていましたから。つまり聴く側も演奏する側も、どちらも「堅苦しい」というのが、そもそもクラシック音楽の根本にあるんです。その「堅苦しさ」が、現在まで残っていたとしても、それほどおかしなものではないと思います。考えてみてください。家の近くの喫茶店だからといって、部屋にいたジャージ姿のままで出かけますか?

 
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ちょっと恥ずかしいですね。

 

 

青島

演奏会に行くのもそれと同じです。つまり音楽を聴きに、公共の場所に行くわけです。複数の人が集まって音楽を聴こうという時には、やはりある程度、身なりをきれいにしなければいけませんよね? 家でお茶漬けを食べた方が気楽なのだけど、たまにはフランス料理のフルコースを食べたいという気持ちもある。そのフルコースを食べに行く時には、ある程度のドレスコードに則った格好で行く。それと同じことです。要はその「TPO」とどのように付き合っていくかが大切なんです。

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一方で、気楽に聴くためのクラシックもあるのとか?

青島

セレナーデやオペラの序曲などの演奏は、聴く側、つまり観客が騒々しいことを前提にして書かれています。序曲ですから一番始めに演奏するものですが、お客様が遅れて来るようなこともありますね。序曲はその間に流れるBGMの役目でもあるんです。『フィガロの結婚』の序曲を聴いてみてください。客席がざわざわしているので、それに合わせて曲もざわざわとした雰囲気を持っていますよ。モーツアルトのセレナーデ『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』は、聴く側が、食事やお酒を飲んでいる状況を前提に作られています。逆に言えば、これらの曲も聴く時に、客席が静かな方がおかしいわけです。

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静かに黙って聴くのがルールだとばかり思っていました。

青島

小さい頃から演奏会に親しんでいるヨーロッパの聴衆は、セレナーデなど黙って聴きません。セレナーデや序曲以外にも「嬉遊曲」というのがあって、これは文字通り、喜びのための音楽、あるいは気晴らしのための音楽です。演奏を聴きながら一緒に体を揺らしたり、隣同士で「ごきげんいかが」とお話をするために作られた音楽です。私は演奏会をする度に、そうした背景をお伝えするようにしていますが、ぜひそういった曲の背景を知っていただきたいですね。

 

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曲について少しで良いから予備知識を持つということがひとつの手がかりになって音楽の楽しみ方も変わりますね。他にも、音楽を楽しむ方法があるのでしょうか?

   

青島

私はクラシックを楽しむには3つの方法があると思っています。一つは、今お話したように「曲」から入っていく方法。もう一つは、雰囲気やTPOから入っていく方法。3つ目は、演奏家のファンとして入っていく方法です。
まず「曲」ですが、いかめしい気分になりたいからベートーヴェンを聴きに行くとか、明るい世界に浸りたい時はモーツアルトを聴きに行く、といったように、作曲家による曲の違いを知ることで更に楽しくなるでしょう。
ベートーヴェンは、とても激しい性格の持ち主で、真面目な人だったようです。ベートーヴェンの曲というと「楽しそうだ!」という印象よりも、激しく、暗いものだと考えるでしょう。

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ベートーヴェンは、耳が聞こえなくなるという不運に見舞われていますが、それも作品に影響を与えているのでしょうか。

   

青島

そうですね。『田園』は、ちょうど耳が聞こえなくなった時に書いた第五シンフォニー『運命』の後で作られたものです。『運命』は、皆さんご存知のように暗い曲です。では、その直後の『田園』は、なぜ明るい曲なのか。 彼の日記にも書いてあることなのですが、彼は耳が聞こえなくなることによって、音が聞こえなくなるのが怖かったわけではなく、作曲家として周りが自分を哀れんだり、あざ笑ったりするのではないかと不安になっていたのです。ところが、耳が全く聞こえなくなっても、想像していたようなことは起きなかった。本人がその時点で音楽の勉強を終えていたから、音符を読めば曲が分かるようになっていたことも、救いだったのでしょう。
暗いと言えば、むしろシューマンの方がそうかもしれません。彼は、ベートーヴェンが亡くなってから作曲を始めたロマン派の一人ですが、もともとはピアニストを目指していました。ところがピアニストになるためのトレーニングによって、指の腱を切ってしまった。漫画の『巨人の星』で、星飛雄馬が大リーグ養成ギプスを付けていたのと同じように、薬指を上からゴムで吊って鍛えていたんですが、それが仇になりました。そこで自分は作曲家になり、妻になる人にピアノを弾いてもらおうと、天才ピアニストのクララという女性と結婚しました。しかし彼は、結局、精神的に混乱を来して『流浪の民』、『謝肉祭』といった非日常的な世界を曲にするようになっていった。幻想の世界で遊ぶようになってしまったんですね。自殺未遂を2回して、3回目を起こしそうになった時には自ら病院に行ったのですが、病院では毎夜天使が歌ってくれる歌を書き取っていると思っていました。そして、それが彼の最後の曲となりました。

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ベートーヴェンにしてもシューマンにしても、そうした人間像が見えると曲の聴き方が変わってきます。

青島

シューマンのようなタイプの人は、ロマン派に多いんです。同じくロマン派のショパンなども、自分のことを庇護してくれる、愛してくれる人がいる間は、素晴らしい曲を書けるけれども、その人と別れると曲も書けなくなり、健康も害して、結局亡くなってしまった。一方、モーツアルトやハイドンといった古典派は、自分の状況がどうであれ曲は書く、つまり「職人」でした。例えば、畳職人が恋人に振られたから、もう畳は作れません、なんて言いませんね。それと同じことです。自分の気分と、作曲という行為は別だったのです。ところが、ショパンやシューマンなどロマン派の人たちは、作曲と自分の気分とが一致していた。私は、後者を軟弱だと思う面もあるのですが、自分に忠実で良いという見方もあるでしょう。その点ではロマン派の曲の方が分かりやすいということがあるでしょうね。
次に、雰囲気やTPOから入っていく方法です。つまり自分の社交場だと思って演奏会に行くのです。家の近くではドレスを着られないけれど、演奏会ならばロングドレスも着ていけるとか、そうした雰囲気を楽しみ、社交の場として捉えるわけですね。

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日常とは違う心地よい緊張がありますね。

青島

3つ目が、演奏家のファンとなって、その人の「演奏」を観に行く、言ってみればスポーツ観戦のように、演奏家の技術や表情を観るということです。演奏家は、例外なく高い技術を持っています。例えばピアニストならばミスもせずに鍵を打つ技術を、またバイオリニストであれば10分の1ミリ程の差で半音を弾き分ける技を、フルートやトランペットなど普通の人だったら、あんな長い一つのフレーズを一呼吸では吹き切れないはずです。そして声楽。同じ人間という体を持っていながら、鍛錬の積み重ねによって、オーケストラの音を越えて、客席まで届く声や広い音域を開発している。曲のことを知らなくともいいから、そうした演奏家の技術や表情、動作を楽しみに行くわけです。
この3つのどれから入っても良いと思います。そして、いずれはその他の2つにも目を向けてみてください。演奏そっちのけで、自分を見せることだけに集中してTPOだけで楽しもうとすると、やがてはつまらなくなるし、曲が好きだとしても、作曲家の多くは遥か昔に亡くなっている人が多いですから、知ろうという情報も限りがあります。会いたくてもすでにこの世にいないわけですし、次のステップとして演奏家のファンになる、あるいは社交の場として演奏会を捉え直してみることも大事でしょう。また演奏家のファンだと言う方は、最終的には「曲」を知って欲しい。演奏家はとても素晴らしいけれども、詰まるところ演奏家である限り、「曲」を超えることはできないわけです。
もちろん、どこから入っても良いのです。けれど次のステップに進むことで、本当のクラシックの楽しさが味わえると思うのです。街を歩いていて、様々な音を耳にするかと思います。けれども、それは「音楽」ではありません。音楽というのは、少なくとも自分がそれを聴きたいと思った時に、初めて「音楽」になるものなのです。ぜひ自分なりの音楽の楽しみ方を知っていただきたいですね。

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「堅苦しくて当然」のクラシック音楽とはいえ、やはり音楽や作曲家の背景を知ることで身近に感じられます。有り難うございました。

音楽を楽しむ3つの方法
 
インタビュア 飯塚りえ
青島広志(あおしま・ひろし)
1955年東京生まれ。東京芸術大学大学院修了。作曲家としてオペラ『黄金の国』『火の鳥』『黒蜥蜴』管弦楽曲『イソップ動物記』など作品多数。
ピアニスト、指揮者としても活躍する一方、NHK教育テレビ「ゆかいなコンサート」「みんなのコーラス」「高校音楽講座」にレギュラー出演。テレビ朝日「題名のない音楽会」では、ブレーンを務めるなど、多くのメディアで解説者として活躍。著書に『楽典ノススメ』『作曲ノススメ』(共に音楽之友社)『作曲家の発想術』(講談社)、『ブルー・アイランド氏の音楽家ってフシギ』(東京書籍)など。東京芸術大学、都留文科大学、都立芸術高校講師。東京室内歌劇場運営委員、日本現代音楽協会、作曲協議会会員。
 
●取材後記
青島さんは、音楽家としてだけでなくイラストレーターとしても活躍されるなど類い希な才能を発揮している。お話はいろいろな例を挙げて分かりやすく、しかし豊富な知識に裏打ちされており、いちいちうなずくことしきり。取材後早速に「脳に効く」と昨今評判のモーツァルトの音楽会のチケットを手に入れたのだった。
撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

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