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かしこい生き方 元町民生活部門参事 森澤茂さん
未経験の分野、町役場の職員へ

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まったく行政経験のない森澤さんが「一流の田舎町」づくりに参加されたわけですが、まずはそのきっかけを伺えますか?

森澤

この町が2000(平成12)年に行った教育長の全国公募に応募したことがきっかけでした。募集要綱の一つに「論文の提出」とあったのが、強く興味をもった理由ですね。最終的には、教育長ではなく、役場の町民生活部門の参事を2年間、社会福祉協議会の副会長を2年間務めました。

 

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どのような論文の提出を求められたのですか?

森澤

テーマは2つありました。募集当時、その少し前に発表になった中央教育審議会の答申を読んで、その感想を書くというのが1つ。2つ目は自分が教育長になったら、何をしたいかを記せというものでした。 私はもともとグラフィックデザインを専門にしていまして、大学の頃からどのように活字を組めば読みやすいか、ということを研究し、論文を出したりしていましたが、この教育長の公募があった時期は、ちょうど自分の論文の書き方を模索していた時でした。その時、難しい言い回しはしない、結論を先に述べる等、自分なりに工夫をして新しい論文スタイルに変えたのですが、周囲からそれについての反応がまるでない(笑)。それで、果たしてこの論文スタイルが正しいのか、どこまで通用するのか試すために「論文提出」が条件だった、この町の教育長の公募に応募したんです。

 
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職そのものよりも、論文の書き方を確かめるための試みだったのですか! でも最終選考まで残られたということは、当初の目的は果たされたわけですね(笑)。それでは論文の内容はどのようなものだったのでしょうか。

 

森澤

「教育」に関しては、過去に専門学校で教鞭を執った経験がわずかですがありましたし、私自身が、小学校、中学校時代に受けた教育の経験を軸にして意見をまとめました。更に一時期PTAに加わったこともあって、学校とPTAのあり方についても意見を述べました。

 
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そうした教育のバックグラウンドと意識をお持ちだったからこそ、450人以上の応募があったなか、最終選考まで残られたのですね。

 

森澤

どうでしょうか(笑)。最終選考に残ったと分かって初めて、家族に応募したことを打ち明けたのですが、分不相応だと娘に言われてしまいました。私としてはスタイルを変えた論文の是非を知りたい、いわば他流試合のつもりでした。

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町はどんな印象でしたか?

森澤

この町は、いろいろな改革を行っているのですが、教育においても非常に先進的な取り組みを行っている町なんです。最終選考の時に、実際に町の小学校や中学校を見学したのですが、校舎のつくりもユニークなら、授業の行い方も特徴的。例えば、小学校では廊下と教室の間に仕切りとなる壁がありません。ちょうど見学した時は、子供達が車座になって本読みをしているところでした。そこに先生の姿はありません。生徒達自身が授業を進めているのです。じゃあ、先生はどこにいるかというと、隣の教室で、2人がかりで生徒を教えている。中学校も非常に印象的でした。教科ごとに教室が割り振られていて、時間になったら、社会なら社会の教室へ、国語なら国語の教室へ移動して授業を受ける。驚くことにチャイムは一切鳴りません。こうした取り組みは、長年にわたって、この町が進めてきたものでした。

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その後、教育長は別の方に決まったけれど、参事として町役場で働かないかと町長から誘いを受けたそうですが、実際、どのようなことをされたのですか?

森澤

私が参事として配属されたのは、町民生活と密接に係わる5つの部署を取りまとめる「町民生活部門」というところでした。いろいろな届け出を受ける町民担当と、税務、生活環境、保健福祉、「敬老園」という高齢者施設、これら5つの担当部署を取りまとめるトップに就任したわけです。

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そのような重要なポストにあえて、部外者を据えると決断されたのは、町長だったのですか?

森澤

そうです。町長は、行政機構改革をするために「外の目」引いては「外の知恵」を積極的に入れることが必要と考えていたようです。

 

森澤

この町では、何かをする時にはとにかく「町の外」の専門家に必ず入ってもらうということをずいぶん前から、徹底して続けてきていました。結果「一流の田舎町」へと生まれ変わっていったのです。教育改革を行う時もそうです。大学の教授にアドバイザーとして入ってもらい、学校建築や授業の組み立て方について相談したり、また当時は制度化されていなかったAET(Assistant English Teaching)も、独自に取り入れて実践してきました。この取り組みをきっかけに、アメリカのライスレイクという町と姉妹都市として提携したのですが、名目だけでなく、相互に活発に行き来し合う、実のある国際交流を続けています。

町のメインストリート(撮影:伊藤進哉)

また町の景観づくりにも積極的です。町の大工さんを中心に「住宅研究会」という会を立ち上げて「この町らしい」景観をつくるべく研究をしています。それによって、たとえば町のメインストリートでは、商店の看板を景観に溶け込むものにする、壁の色は町の公共建築よりも派手にしない、瓦はできるだけグレーを使用する、中心市街地の建物はなるべく和風のつくりにする等々のコンセンサスを得ていました。強制力のない申し合わせにしか過ぎないのですが、これを町の皆が実行していくんです。更に、都市計画の専門家や照明デザイナーなど外の知恵を得て、車線と同じ幅の歩道を確保したり、信号ポールや街灯のデザインを揃えたりといったことも行われました。

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住宅研究会だけでなく「研究会」と名の付くものがたくさんあり、それらが、かなり活発に機能しているようですね。

   

森澤

中心市街地の再開発の場合は、景観に関しての先進地をあちこち見学していました。自分自身が良いものを見ることで「どういう町が素敵なのか」を理解していきました。また、景観に寄与するような素晴らしい建物には、建築の専門家も加わった選考委員会を組織して、賞を与えています。そうやって専門家の説明や意見に耳を傾けているうちに、どういう建物が素晴らしいのかを自然に会得していく。また景観条例を設けたりと、町の景観を美しくしていく何重もの仕掛けがあって、それが上手にかみあった結果、あのような美しい街並みが生まれたんです。

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町で福祉会館を建設する時には、住民や保健福祉担当職員の要望を積極的に取り入れ、それが結果的には、ユニバーサルデザインとなっていた、というお話がありましたね。
面白いのは、取り組み方が一般と逆というか、普通は「ユニバーサルデザイン」という概念があって、それを取り込もうとすることが多いかと思うのですが…。

森澤

そうなんです。町の人達は、自分達のやっていることが、どういう言葉で括られるかには、あまり興味がないんです。でも、誰にでも使いやすいトイレや、スロープなど、自分達の欲しいものを積極的に設計者に出していった。何度も設計変更になるので設計者が根を上げたほどです。そうして作っていったら、ユニバーサルデザインになったという点が興味深いですね。

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特徴的なこれらの取り組みも、参事という立場にいたからこそ見えてきたものなのですか?

森澤

行政については、まったくの素人でしたから、最初のうちは、何をするか分からなくて…。では、なぜ町長が私という素人を参事にしたか。町長は最初に「町民生活部門というのは、町の人たちがたくさん来るところだ。その町民の視線で、ものごとを考えてほしい」と言いました。またデザインを生業としてきたのだから、そういうものの見方をしてほしいと。だから、できるだけ多くの人と顔見知りになろうと、自分から積極的に声をかけ、様々な会合や集まりにも、進んで参加しました。それで、見えてきたのです。

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町民の方の気持ちを感じつつ、それをすくい取って行政側に伝えていくパイプの役目ですね。町の外から来た、しがらみのない人物であることが、非常に有効だったのではないでしょうか。

森澤

そうですね。外の目の手法は、ここでも生きているわけです。それに私は行政経験ゼロの人間。一方、役場の職員の多くは、民間企業で仕事をした経験がない。だからこそ、そうありたいとは考えていました。 参事という立場から見えてきたことは、「一流の田舎町」を目指したさまざまな取り組みは、住民と行政とが手を取り合わないとできないということです。先ほどお話したような、研究会や委員会についても、確かに個々のグループの活動は活発だけれども、メンバーだけだとその枠の中で終わってしまう。そこに行政が全体を見る役目として力を発揮できるでしょう。
印象的だったのが、私が書いた本を読んだ85歳のおじいさんが「俺は85年間、この町に住んでいる。この人は4年しか住んでいないのに、俺の知らないことをいっぱい知っている」と言ったことです。「よそ者」の私からは良く見えることが、そこにずっと住んでいると分からない。「田舎は空気がおいしい」と言ったって、そこにずっと住んでいる人は分からないでしょう? つまり「よそ者」である私は、比較できる対象を持っているんですね。東京や現在住んでいる埼玉の町と比べることが出来たんです。一方、田舎にずっと住んでいる人には、どのくらい自分たちのところが素敵なのかを計る物差しがない。立派な活動をしていながら、その意識もない。更に田舎暮らしはつまらないという気持ちも、みんなどこかに持っている。この町の小学生たちが「未来の町」をテーマに絵を描いたことがあるのですが、どの絵も皆、高架駅と高層ビルを描いているんです。新幹線が止まっていて、その上にヘリコプターが飛んでいる絵。テレビの影響もあるのでしょうし、子供は都会に憧れている…それはある程度、自然なことです。でも、僕らが「すごく良いところだ」と思うところに住んでいながら、それを感じられないというのももったいないことです。都会的なものだけが、決して未来ではない。そのためにも、外の目が必要だと思うのです。

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「よそ者」だからこそ、できることがあるということですね。

森澤

そうです。もうすぐお盆を迎えますから、田舎に帰省する方も多いかと思います。そういう、日頃、都会で過ごしていて盆暮れには田舎に帰るという方は、比較するための「物差し」を持っています。その「物差し」で、町や村にある良さを感じるとることができるはずです。それを、田舎に帰る度に声に出して言ってください。そうすることで故郷の人たちは、都会にはなくて自分たちの町にはある良さを、改めて知ることができるんです。
私たちは、自分の故郷やあるいは住んでいる町でもそうですが、都会と同じようなものを作ろうとするのではなく、その町のことを理解するところから、暮らしやすい町ができるのではないか、と思います。

一流の田舎町をつくる「外の知恵」手法
森澤 茂(もりさわ・しげる)
1943年秋田県生まれ。グラフィックデザイナー。武蔵野美術大学副手、専門学校の講師などを経て、外資系出版社、国際会議運営会社にデザイナーとして勤務。ある町の教育長公募に応募を契機に、2001年参事として行政に参加。2003年からは社会福祉協議会の副会長を務める。
 
●取材後記
まちづくりに参加した経験をもとに記した著書だが、著書では町名を明かにしていない。「お国自慢の本を書いたわけではなく、魅力的なまちづくりには『外の目』が必要だと言いたかったから」とのこと。それに従ってここでも町名は伏せておこう。だが、話を伺えば伺うほど、そんな町に是非行ってみたいと思う。そうお話したところ「町名を伏せたのは、一流の田舎町といえるところはたくさんあるに違いない、と思ったからです。そこに住んでいる人たちが気づいていないことが多いのです」とのお答え。確かにそうだ。もう一度違う物差しを持って、町を見渡してみよう。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

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