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かしこい生き方 ツリークライマー ジョン・ギャスライトさん
ツリークライミングは木に登るだけじゃない 日本的作法と心が大切

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小さい頃に木登りをしたことは覚えていますが、ツリークライミングとの違いはどこにあるのでしょうか。

ジョン

まず、木登りは、低い木しか登れないでしょう? ツリークライミングは、80m級の木に登ることもあります。そして今、日本で行われているツリークライミングは、ヘルメットを着けて、専用のロープやサドル(安全帯)、保護具を使って行うものです。大人でも子供でも、あるいは身体に障がいがあっても、皆が安全に登ることを意図しているのです。発祥の地アメリカでは、アーボリストという木の剪定作業をする人たちの技術であり、またツリークライミングチャンピオンシップを開催し、競技としても広まったので順位を争ったりしています。今は「木を傷つけない」「木に感謝する」など、日本で生まれた環境教育にもつながるプログラムが浸透しつつあります。僕が日本で普及しているツリークライミングは、登った後に自然に対する優しい気持ちを残したいんです。

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単に素手で木に登る遊びということを越えて、いろいろ展開しているようですね。

ジョン

そうなんです。ツリークライミングの技術を使えば、高い所まで登れるし、枝の上を歩く事も出来るし、家族全員で登って木の上でダンスしたり、泊まったりする事も出来ますよ(笑)。それはきちんとリスクマネジメントされているから。そして、どの木でも「登れる」けれども、登ってはいけない場合もあります。樹皮が弱くて木が傷つきやすい時期や天然記念物に指定されている木には登りません。そうした事をきちんと見分けて、守る心がとても大切です。木に、人に優しい――全体のプログラムがツリークライミングなんです。

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そうした木や森への心のようなものもツリークライミングの中では大切な部分なんですね。

ジョン

必ず木に感謝し、木の感触を意識し、そして森で学んだ事を社会に戻すという深い思いがツリークライミングの中に盛り込まれています。日本では古来、木は神様としてあがめられてきた歴史があり、そうした背景がある日本だからこその発展をしてきたのが、今のツリークライミングですね。根を痛めないために、ツリークライミングの後には、木の根っこに葉っぱをかけるのは、木に感謝の気持ちを表しているのですが、こういう事は全て日本で生まれたものです。
ちなみに、ツリークライミングで森に入る時には「お邪魔します」、出る時には「有り難うございました」と言うんです。それをアメリカでも実践するため最初は日本語でやっていたのですが、間違えて覚えて「ごちそうさまです」って言った人もいるけれど(笑)。

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不登校の子供達や身体に障がいを持つ方々と一緒に登るといった活動にも広がっていますが、きっかけはどんなことでしょうか。

ジョン

ツリークライミングの技術自体は、高校生の時に仕事で覚えたのですが、その時は楽しくも何ともなかったから、人に教えようなんて気にはもちろんなりませんでした。ところが日本に来て、結婚して、子供が生まれて、夢だったツリーハウスで生活を始めたら、子供達とか仲間が集まるようになってきました。その中に重度身体障がいのある彦坂利子さんという女性がいました。彼女は「今は車椅子の生活だけれども、僕のように、そして昔、木に登ったように、鳥のようになりたくて仕方がない」と言う。それで彼女に「登れるよ」と約束したんです。ですが、元々のツリークライミングは、最初にも言ったようにスポーツ。重度の身体障がいのある人を登らせるなんて技術はないので、手探りでした。でも彼女の夢を叶えようと、いろいろと調べ、工夫しました。そして「今こういうことに取り組んでいる」と彦坂さんの話をあちこちでしていたら、協力してくれる人が集まってきてくれ、ついに10m程の木に登ることができた!彦坂さんがすごいのは、その後挑戦を重ねて、3年足らずのうちに、アメリカのカリフォルニア州にある80mのジャイアントセコイアに登るという快挙を成し遂げたんです。

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彦坂さんは、具体的にはどうやって登るのですか?

ジョン

高さ80mの木だと、一番下の枝で高さ40mくらい。そこに向かって、弓矢でロープを飛ばして巻き付けます。彦坂さんの場合は、滑車を使って自分の体をちょっとずつ引っ張り上げていきます。もちろん誰かが引っ張るとかではなくて、全身を使って、自分の体を引っ張り上げるんです。一回で5cm位。その繰り返しで、4時間半、休憩無しで登り切りました。僕らは、「身体障がい」とは言わずに「身体チャレンジャー」と言っているのですが、彼らにとって、80mの木に登るというのは、健常者がエベレストに登るようなもの。途中、器具が壊れたり、彼女の体調が悪くなったりして、思わずスタッフが手を貸そうとしたのだけと、彼女は「だめ!」と言う。「ここまで登った事が嘘になってしまうから」って。ツリークライミングをしながら死ぬのなら幸せだし、何としてもやり遂げたいという強い思いを彼女は持っていたんです。そして彼女は見事やりきった。アメリカ中ですごいニュースになったんですよ。

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木に登る事の素晴らしさ、そして登り切った時の爽快感が伝わります。

ジョン

彦坂さんはツリークライミングを始める前は、自分でトイレに行くことができなかったんですが、ツリークライミングのトレーニングを続ける過程で、自分で立てるようになったし、更にはトイレにも行けるようになったんです。お医者さんもびっくりしていました。彦坂さんも本当に喜んでいたし、他の身体チャレンジャーの励みにもなり、自分もチャレンジしたいと言う人がすごく増えましたね。台湾やシンガポール、アメリカなどに呼ばれて講演したり、身体障がい者用のプログラムを作ったり。だからツリークライミングの種をもって来たのは、僕かもしれないけれど、今広く知られているツリーセラピー効果などは、彦坂さんが生みの母なのは間違いない。

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大学では、ツリークライミングの効果を研究されていたそうですね。

ジョン

「木に登るのは気持ち良いし、ストレスや怒りがなくなる、痛みを忘れる」と皆、言う。何でだろうと思って。それでツリークライミングの効果を研究するために、大学に入って勉強しました。世界初の「木登り効果」の研究ね(笑)。

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どんな研究を行ったのですか。

ジョン

例えばコンクリートの塔と、それと同じ高さの木に登った時の心拍数や呼吸、脳波、唾液などを比較しました。森の中に入るのは良い事だと言われるけれど、更に木に登る事でどんな効果があるのか、あるいは木の種類によって違いがあるのかを調べたり、人が怖いと感じる高さの研究もしました。登る前に呼吸を整える、木の話をする、世界一大きな木の写真を見る、木の上で10分以上ゆっくりと呼吸を整えてリラックスしてから下りてくる――そうした今までにないプログラムを加えた場合と、ない場合とでは、効果がまったく違うという事も分かりました。つまりツリークライミングの中で一番重要なのはプログラム。今では、その効果も広く知られて、いくつかの大学では、セラピーとしてのツリークライミングをどう活用していくかの研究が進んでいます。

 

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ジョンさん自身の木、そしてツリークライミングの出会いはどんなものだったのですか。

ジョン

ちょっと長くなるけどね(笑)。僕の人生の節目には、いつもツリークライミングがあるんです。
僕はアメリカ生まれだけど、両親はカナダ出身で、夏はカナダ西海岸の海辺にあるおじいちゃんの家で過ごしました。毎朝早起きしては海に出かけるんだけど、当時、一番好きだったのがゴミを拾う事(笑)。海辺でいろいろなモノを拾ってきては、親や友達に見せるのだけど、皆びっくりするようなものばかり。後で調べて分かった事だけど、黒潮の関係で、日本のモノが一番多かったんです。そして面白いのも日本のゴミ。専門家によると、日本からカナダに流れ着くまで5年から10年かかるのだそうです。当時5歳の僕が拾ったのも、かなり古いもので、一升瓶や桝、お弁当箱もあったし、焼き印が付いたものもたくさんあった。カナダでは焼き印といったら、牛に付けるものだからね。

   

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ジョンさんは日本に来る運命だったようなお話です。

ジョン

本当にそう。それである日、下駄を拾ったんです。女性が履く高下駄です。今なら分かるけど当時は、それがどういうものなのか全然分からなくて、お父さんに聞いたんです。そしたら逆さまにして、歯の間に本を挟んで「これはブックエンドだ!」って言う。それでずっとブックエンドとして大事に使っていたのだけど、ある日テレビを観ていたら、ブックエンドを履いた女性が出てきて…やっと日本の靴なんだと知りました(笑)。その時から「絶対、ブックエンドの靴を履いた日本に行きたい。お侍と友達になりたい」と思い始めたんです。お父さんには「世界中にこんなにたくさんの人がいるのだから、君が下駄を拾ったのは偶然じゃない。日本に呼ばれているんです」と言われて、それを信じていた。「僕は大きくなったらジャパンに行きます!これはジャパニーズシューズだ。侍と友達になるんです!」と全校生徒の前で話した事もあった(笑)。「リトル侍」って、あだ名が付いてね(笑)。
その頃は、ものすごくエキサイティングだったんですが、その後、仕事がうまく行かなくなったお父さんがアルコール中毒になり、家庭内暴力が起きて…。両親は離婚し、僕は一年間施設に入れられたんです。そこで大好きだったのが施設の真ん中にあった大きな木でした。施設の子供達に蹴られたり、傷付けられたりしながらも、じっと立って「いらっしゃい」と言っているようで、よく登っていました。一年後、母が戻ってきて、再婚もして、一家揃ってカナダに引っ越しましたが、しばらく僕にとってはとても厳しい時期でした。弟や妹はすぐに新しいお父さんにもなじんだし、友達も出来たけれど、僕はお父さんと上手くいかないし、学校ではいじめられるし…。でも長男だからと思って、誰にも言えない。学校に行きたくない、どうして僕だけこんなに不幸なんだろうってとても辛かった。そんな僕を見ていたおじいちゃんがごく自然に「そんな時はツリークライミングだ!」って言って僕を木登りに連れて行った(笑)。

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普通なら慰めてくれそうなのに、突然そんな事を?

ジョン

そうそう(笑)。「辛いだろう」とか慰めるようなことは一切言わない代わりに、一緒に10mくらいの木に登ったんですよ。そしたらそこから見る景色で、僕の気持ちはいっぺんに変わってしまいました。木の上からは、海も見えるし、山も川も町全体も見える。学校も見える。おじいちゃんは「こんなにも面白いものがたくさんあるのに、ジョンはそれを見ていない。学校なんて、この中のあんな小さなものだ。視点を変えれば他のものがたくさん見える」と言うんです。更におじいちゃんは「一番欲しいものは何ですか?」と聞くので、僕はすぐさま「友達」と答えたら「友達を作るのなんて簡単だよ」と言う。僕は大泣きですよ。いじめられてるし、仲間に入れてもらえないし、簡単じゃない。でも、おじいちゃんは「友達を作る秘訣は一つだけ。自分が面白い事をやれば、友達がやって来るものだよ。この木の上にツリーハウスを作ったら面白いじゃないか。こんな丘の上で何かやっていたら目立つし、面白そうだし、人も来るよ!」って。

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またすごい提案ですね(笑)。

ジョン

ねえ(笑)。で、僕はその言葉を信じて、廃材を集めてコツコツとツリーハウスを作り始めたら、学校の帰りに、皆が寄って来るようになってね。とうとういじめっ子まで「何やってるんだ」って。そうやって友達になったら、皆も僕と同じように、親とうまくいかないとか、お兄さんにいじめられているとか悩みを抱えていた。それで、僕は救われた。その時、僕には二つの夢ができた。一つは日本に行くという事、もう一つは本当に住める大きなツリーハウスを作るという事。後になって夢が現実になった時に、困っている子供達が違う視点で周りを見ることができるような場所にしようと思ったんです。

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木に登るということが、固まっていた心をほぐしてくれたんですね。

ジョン

そうです。それから結婚をして、自分の子供が生まれる時もとても不安でした。家庭が複雑だった僕がどんなお父さんになれるのかと。悩んだ末、自然が好きで、夢があって、問題があっても乗り越えていく、そんなパパになろうと。それで今住んでいる、このツリーハウスを作ったんです。ツリーハウスがあれば、人が集まってくるから(笑)。
長男がI型糖尿病と分かった時もツリークライミングに助けられました。彼は、数時間おきのインスリン注射や採血がイヤで、もう学校に行きたくない、死にたいって言い出した。それで、彼を木の上に連れていったんです。

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おじいさんがジョンさんを連れていったようにですね。

ジョン

そう。僕が子供だった頃、おじいちゃんは、僕に視点を変えるという事を教えてくれました。だから息子にも「辛いだろうけれど一年間頑張ってみて。そしたら糖尿病になる前よりも、もっと面白い人生になるから。一年経って、それでも死にたければその時は、パパも一緒に死にます」って約束をしたんです。その後、同じ病気の子供達ともたくさん会ったり、身体チャレンジャーの子供達と一緒にツリークライミングをしたりする内に、自分はラッキーだ、頑張ろうと思うようになったみたい。糖尿病でも自分よりずっと重い子もいるからね。自分の事を「スゥイティー」って呼んで、特別だと思っている。視点が変わったんだよね。

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苦しい場面で、木が手を差し伸べてくれているようですね。

ジョン

そうなんです。僕たちの活動には、不登校の子供達や虐待された子供達などと一緒に行うものもあるのですが、ツリークライミングの効果を調べていて興味深いのは、子供達は4m以上の木じゃないと達成感や喜びを感じないという事。なぜだと思います?

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高くて気持ちがいいから…?

ジョン

大人の手が届かない高さだからです。この違いは、はっきりと調査結果にも出ました。一般的な大人だと6〜8m位が「登った」という達成感はありながら、恐怖を感じない快適ゾーン。それが8m以上になると、エキサイティングと思うか、怖いと思うか、人によって違いが出てきてしまう。これらは木の場合であって、これがコンクリート製だと、怖いと感じる高さはもっと低い。木は枝があって、安心感があるからね。大人に怯えている子供達は、木に登ると「自分が大きく感じる」「人が怖くない」と、よく口にします。逆に、やっと自分の居場所を見つけたという思いからか、木の上からなかなか下りてこないんです。だから「いつでも登れるよ。木はずっと待っているよ」と話をするんです。
人にあまり「ハグ」された経験がない子供も多いので、木をハグする事もあります。そうやって抱きしめる事でどんな気持ちがするかを感じてもらうためです。釘で木を傷付けた子もいました。樹液が出て「木が泣いているよ」と言うと「泣いてなんかいない。声も出てないじゃない!」と答えが返ってきた。「そうじゃない。声が出てなくても泣いている人はいるんだよ」と教えてあげたら、その子は、辛いけれど泣かずに耐えている自分と重ね合わせて、その傷みを分かってくれた。そして自分と同じように、荒れた気持ちを木にぶつけている仲間に、僕に代わって同じ話をしてくれました。これが木が持つ力なんだと思います。傷ついた木でもすごくがんばって生きていると知る、例え折れていても別のところから枝が出てくると知る――木に登って、木を好きになって、更に木を見る目を持って森の中を歩くと、面白い事が見えてくるようになります。

大切な時、辛い時にはいつも そばに木があった
ジョン・ギャスライト(じょん・ぎゃすらいと)
1962年アメリカオレゴン州生まれ。85年来日。93年南山大学経営学部経営学科卒業。日本人女性と結婚。二児の父親。日本と北米の文化を比較しながら国際交流、教育、子育てなどの講演、テレビコメンテイターとして活躍中。現在は愛知県瀬戸市の森に味噌ダルの廃材を利用したツリーハウスに住まう。ツリークライミングを通じて自然と触れ合い、その中で環境にやさしい心を育てる活度の拠点として2000年ツリークライミング(R)ジャパン(本部アメリカ)を設立。07年には、ツリークライミングを利用したセラピー研究で名古屋大学大学院生命農学研究科終了。農学博士。著書に『ツリークライミング〜樹上の世界へようこそ〜』(全国林業改良普及協会)『森が生きる勇気をくれた』(ウェッジ)など。
 
●取材後記
来日したのがほとんど運命だったかのようなジョンさんは、日本人が自然に対して持っている感謝や畏敬の概念を理解して、海外に伝えてくれているように思える。そういえば、幼い頃は、木にも花にも気持ちがあると思っていたっけ。辛い経験を乗り越えたのは、もちろんジョンさんの力だが、やはりおじいさまのどんと構えた姿勢には、頭が下がる。ジョンさんのおじいさまもまた、木の力を知っていたのだろう。小さい頃登って今は、老木になった実家の木に、話しかけてみようかなどと思いながら、帰路に着いた。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

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