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かしこい生き方 農学博士 藤井建夫さん
食べておいしいなら、それは発酵 誰の仕業か分からない

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日本の食卓には、味噌や納豆など発酵食品が欠かせませんが、そもそも「発酵」とは、どういう仕組みなのでしょうか。

藤井

では、まず発酵と腐敗の違いは何だと思いますか。

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関係している微生物が違うのでしょうか…。

藤井

発酵と腐敗は、基本的には同じ事なんです。例えば蒸した大豆に納豆菌を加えれば納豆になる。これは「発酵」と言いますね。ところが蒸した大豆を放置して粘ついて納豆と同じようなにおいがしてきたら、これは「腐敗」と言われます。でも現象としてはどちらも同じなんです。牛乳でもそうです。放置しておいてドロッと固まってくると「牛乳が腐った」。しかし牛乳に乳酸菌を入れて、一晩置いておくと「ヨーグルト」になります。「ヨーグルト」も「牛乳が腐った物」も、ドロリとした酸っぱい物ですが、結果として出来たものを人が食べて「おいしい」と思えば発酵と呼び、「食べられない」と思えば腐敗と呼んでいるわけです。

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そんなに感覚的なものなのですか?!

藤井

そうです。更に言えば、同じ乳酸菌でも、牛乳に加えればヨーグルトですが、清酒の中で発生すれば「火落ち」と言って酒が腐ったということになります。納豆などは日本人から見れば発酵食品だけれど、それを知らない人にとっては、豆の腐った物でしかない。他にも、くさやなんて明らかに腐ったにおいがするでしょう? くさやをおいしいと思う人からすれば発酵食品ですが、知らない人にとっては腐った干物と感じるはずです。

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くさやは、におい故に好き嫌いがはっきりと分かれますね。

藤井

ええ、くさやは主に伊豆諸島で作られている魚の干物(塩乾魚)の一種で、魚の貯蔵方法として生まれたものです。干物を作るには、塩水に浸けてから魚を干しますが、伊豆諸島では、塩は年貢として納める献上物であって貴重品だったのだそうです。だから干物を作る度に、塩水を替えるなんて出来ない。仕方なく塩水を繰り返し使い続けた結果、独特なにおいの、くさや汁が出来上がったとされています。おいしいから作ったわけではないんです。

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発酵という過程を経る事で、保存ができるようになるだけでなく、例えば生で食べるよりも栄養が吸収されやすくなるなど、機能面でのプラスアルファもありますね。

藤井

結果的にそうした事が分かってきただけであって、発酵食品というのは、栄養価や機能性などを意図して作られたわけではありませんよね。最初の目的は食べ物を保存することだったはずです。「おいしさ」は、食べる中で気付いたでしょうが、「こうすれば栄養価が上がる」なんてことは感知しようがない。ですが、特に魚の場合、他の食物と比べてとても腐りやすいですから、冷蔵や冷凍がない時代には、すぐに保存のための措置を施さないといけません。水産物には、干物や塩蔵、薫製や糠漬けなどさまざまな加工品がありますが、その多くが貯蔵のために生まれたものです。

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水産物で言えば、イカの塩辛といったものもありますね。

藤井

塩辛という発酵食品も、腐りやすいイカを保存するために生まれた工夫の一つ。ただ、塩辛の場合は微生物ではなく、イカの筋肉にある酵素がタンパク質を分解して、アミノ酸に変化することを利用しています。自身が持っている酵素で自分を消化するので、この酵素を自己消化酵素と言いますが、この分解作用によって原料の時のアミノ酸が発酵させることで10倍以上に増える。つまり、うま味が増すんです。タンパク質からアミノ酸へ変化させるには時間を要するため、そのままでは有害な微生物が繁殖して腐ってしまうし、低温にすると酵素が働かずタンパク質がアミノ酸に分解されない。そこで塩を加えるわけです。10%程度の塩ならば、自己消化酵素は働きつつ、他の微生物の繁殖を抑えられる…そうした工夫で生まれたのが、塩辛なんです。

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最近は要冷蔵の塩辛を目にすることが多くなりました。

藤井

そうですね。でもそれは「塩辛ライクな塩辛」。今は低塩分、ソフト化が好まれているでしょう? ソフトとは、水分が多いということ。塩分も10数%というのは歓迎されません。ですが塩が少ないと腐敗しやすくなって自己分解させる時間をおけないし、低温で貯蔵するから酵素が働かない、つまり本来の塩辛は出来ない。そこで生のイカにアミノ酸を加えて塩辛のような味にするというわけです。昔の塩辛は筋肉がアミノ酸に分解されるから、イカが丸く柔らかくなっていたんですが、最近のものはイカが角張ってピンピンしている。要するにイカの刺身を調味料で和えたようなものです。また昔ながらの塩辛は、発酵することによって多数の味の成分であるアミノ酸が含まれていますが、今の塩辛は、うまみや甘みのアミノ酸を加えて作っているものが多くあります。

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出来たものは、本来の味と違ってきますね。

藤井

ええ。最後に、調味のためにみりんや麹を加える場合があるけれど、オーソドックスにつくれば、本来、イカの塩辛の添加物は塩と原料のイカとイカの肝臓だけですからね。

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イカの塩辛を作るのに微生物は関係ないんですね。ということは発酵をどのように定義したら良いのでしょうか。

藤井

「塩辛の発酵は変則的」と言いましたが、厳密な意味での発酵というのは、微生物の作用を指します。微生物がエネルギーを作る時に、空気がある場合は「呼吸」と呼び、空気が無い場合を「発酵」と呼んでいます。つまり発酵とは、微生物が空気の無いところで生きるための一つの方法なんです。その結果として、微生物の種類によって、アルコールや乳酸などを作るものがあり、その産物としてお酒や乳酸発酵食品が出来、それらを我々は発酵食品と呼んでいるのです。ところが塩辛なども発酵食品と言われています。経験的な背景しかない時代には、微生物の作用なのか、塩辛のように自身が持っている酵素の作用なのか、あるいは両者が一緒に働いているのか、見かけ上、区別がつかないでしょう? 塩辛などは、においがしますから「これは微生物がやっているな」と思われがちなのですが、実はタンパク質からアミノ酸を作るという過程は、自身の酵素によって行っている。経験的に発酵食品と呼んできたものにも、いざ中身を調べてみたら、実は自己消化酵素という酵素が主体だと分かったというものがあります。そういう流れがあるために、一口に発酵と言っても、少々複雑な事になってしまうんです。
他にも、紅茶を発酵茶と言いますが、これも微生物ではなく酵素が関与したものですし、日本酒などは並行複発酵と言って、2つの微生物が関与した発酵です。お酒は、お米のデンプンが分解されグルコースになり、そのグルコースを酵母、つまり微生物がアルコールに変えるというのが大まかな過程ですが、酵母が分解できるのはグルコースであって、デンプンは分解できないのです。そこで別の「何か」にデンプンを分解してもらわないといけない。これを行っているのが、日本酒の場合は麹カビ。麹に含まれるアミラーゼという酵素がデンプンをグルコースに分解しているのです。
ビールも複発酵によって出来ていて、原料である大麦のデンプンから出来たグルコースを、酵母がアルコールに変える過程は日本酒と同じです。ただし大麦のデンプンをグルコースに変えるのは、微生物ではなくモルツ、つまり麦芽自体に含まれる酵素が行っています。このように、同じ酒でも微生物と酵素が複雑に関わっていて、私達は、それらを同じように「発酵」と呼び習わしてきた側面があるんです。

 

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「発酵」という作用は知れば知る程に、奥深いですね。

藤井

身近な例は他にもたくさんあります。例えばお醤油は、蒸した大豆に麹菌を加え、その麹菌が豆のタンパク質を分解してアミノ酸に変えた結果出来る発酵食品です。塩を加えるのは、腐敗防止のためですね。一方、似たような食品に魚醤油があります。こちらは魚のタンパク質をアミノ酸に変えて作ったもの。大豆の醤油の場合は、麹菌という微生物がタンパク質をアミノ酸に変えるわけですが、魚醤油の場合は、魚自身が持っている自己消化酵素が魚のタンパク質をアミノ酸に変えているんです。前者は微生物、後者は自己消化酵素と、違ったものが関与しているけれども、結果として出来たものは、どちらもアミノ酸の調味料ですし、その製造過程も似ている。そして、いずれも「発酵食品」と呼ばれています。

   

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大豆の醤油も魚醤油も、見た目もよく似ているのに、そのメカニズムはかなり違いますね。改めて、先人がいろいろと工夫してきたのがよく分かります。

藤井

そうなんです(笑)。さまざまな試行錯誤があったと思います。妙なにおいがするから、もっと塩を入れてみたらどうかとか、人間にとって有害な腐敗を起こさない温度はどの位か等々、経験を積み重ねていって出来たのが発酵食品なんです。塩辛の場合は自己消化酵素によって発酵が進みますが、腐敗菌の類は塩分が10%を超えると増えないということが分かったんでしょう。腐敗菌の中には生き残って良い菌もあって、むしろそれが乳酸を作ったりするんです。と同時に、においも作る。けれども経験的に生では腐ってしまうものが、そうする事で保存も出来て、おいしく食べられると知ったから発酵食品が生まれたのでしょう。

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なれ鮨なども、においの強い食品です。

藤井

乳酸発酵による食品ですね。魚の発酵食品には大きく2つあって、塩辛や魚醤油のように主に自己消化酵素が行う発酵と、鮒寿司やなれ鮨、粕漬けなどのように、ご飯や糠を使って乳酸発酵させるものがあります。ただ鮒寿司やなれ寿司の場合、何かが糖分をグルコースに変えているはずなんです。乳酸菌はグルコースを使って発酵しているのですが、糖分をグルコースに分解することが出来ませんから…。

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何が関与しているのか分からないのですか?

藤井

共存するバクテリアがいますから、それが行っているのだと思われますが、クリアにはなっていません。ご飯や糠に含まれるデンプン質をグルコースなどの低分子の糖に変えて、その低分子の糖を乳酸菌が分解して乳酸を作ると、酸性度(PH)が低くなるので他の微生物の繁殖が抑えられて保存性が増す。詳しいメカニズムは分からないけれど、その「保存性が増す」ということを先人達は知ったわけですね。pH5以下になると他の微生物が活動できなくなるのですが、鮒寿司はpH4程度、なれ鮨はpH5程度とpH値が低いため、なかなか腐りません。味は酸っぱいけれど、それが乳酸の力です。

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微生物の力ということでいうと、フグの卵巣を糠漬けにすると毒が抜けて食べる事が出来ますよね。これも微生物の力によるものなのですか?

藤井

そこはクエスチョンですね。私も詳しく調べましたが、微生物が関与しているという証拠を見出す事は出来ませんでした。ただ少なくとも先人は、詳しいメカニズムは分からないけれども、そうすれば「毒が減る」ということを知っていたのでしょう。試行錯誤の最中に毒にあたった人もたくさんいるはずです。そうやって作る時期や温度、塩の量など、経験的に積み重ねて改善を加えた結果、食べられるようになったんです。それも名の通った科学者でも偉い先生でもなく、普通の人が何百年という間に積み重ねてきたもの。塩辛にしても、くさやにしても、確かに作ってきたし、食べてきたけれど、必ずしもその発酵のメカニズムは詳しく分かっていません。こうした食品だけでなく、発酵食品というのは土地、土地に独自のものがありますが、それらの中には消えつつあるものも多い。水産物に限らず農産物の発酵食品でも、まだ知られていない食品がたくさんあるんです。

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どのようなものがあるんでしょう。

藤井

微生物を使った発酵茶・碁石茶などがそうです。高知県内の町で作られているものですが、生産者は国内で数軒しかいません。かまぼこも、地方毎に製法が異なりいろいろな種類がありますが、それを伝承する人がいなかったりして、絶えるものがたくさんあります。でも、もしそれらが消えてしまったら、例えば微生物を使っているものであれば、その食が消えたら、そこで一緒に生きてきた微生物もいなくなってしまうんです。そのためにも保存する必要があると思うんです。
「伝統食品は、発展的に継承していくものだ」と言う人もいます。確かに、ある程度基本が解明されたものは、それでも良いでしょう。けれど基本すら解明されないままに発展はあり得ません。現状を正しく理解し、そこで何が起こっているのか明らかにするためにも、絶えないように保存する事が重要だと思うんです。

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もしかしたら、そこに今はまだ知られていない、有用な遺伝資源があるかもしれないわけですね。そして、それが途絶えつつある状況にあるというのは、食文化という視点からも、遺伝資源という視点からも、非常にもったいないと思います。

藤井

そうなんです。現代的な嗜好のせいもあって、絶えようとしているものがたくさんあります。漬け物がポリ袋に入れられて売られていたとしましょう。本来、漬け物は微生物が関与して生まれた保存食ですから漬け汁が濁るのは当然なのですが、見かけ上、濁っていたり色が鮮やかでなかったりすると、今は好まれない。また食生活が変化して、昔は家庭で作っていたものが商業化された事で、例えば塩辛のようにアミノ酸を自己消化酵素によって作るという塩辛の本質的な部分がなくなってしまいます。私は長年、水産物の発酵食品について調べてきましたが、例えば、くさや汁という、臭くてどろりとした塩分3%位の、ほとんど空気が無い世界には、他では到底見つからない螺旋菌など、珍しい微生物がたくさんいるんです。私達がくさや汁の中で見つけた微生物は、「種」ではなく「属」のレベルでの新種でした。魚醤油の中にも、味噌や醤油の中にいる菌と非常に似ていながら、新種の乳酸菌が発見されました。新種がいるという事は、新しい機能を持った微生物がいる可能性があるという事です。遺伝的にも、宝の宝庫。だから地域に伝わる発酵食品を始め、何とか絶やさずにいきたいと願わずにはいられないんです。

遺伝的な資源も豊富に含まれる 知らない微生物の宝庫
藤井建夫(ふじい・たてお)
1943年京都府生まれ。京都大学大学院農学研究科博士課程修了。75年水産庁東海区水産研究所(当時)勤務。東京水産大学食品生産学科教授を経て、現在山脇学園短期大学教授。
 
●取材後記
藤井さんによると、なれ鮨は現在の寿司のルーツだそうだ。元禄時代になってご飯に酢をまぶして魚を漬ける「早ずし」が関東地方で生まれ、それが現在の酢飯を使った握り寿司や海苔巻きになったのだとか。食材を保存するための知恵として生まれた発酵食品だから、土地毎、更にはその家だけに伝わる発酵食品の例もある。発酵という仕組みは奥が深く、分かっていないことも多いというが、いろいろな発酵食品の中に見つかる新種の微生物が病気の治療に役立つかもしれないなど、可能性を秘めた分野であることは間違いなさそうだ。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

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