|
夜のコースの目玉となった「松葉屋」のおいらんショー。
|
|
外国人向けコースのパンフレット。いずれも昭和30年代のもの。 |
|
1981(昭和56)年の「隅田川屋形船夕涼みコース」では浴衣姿のガイドが復活。 |
|
オリンピック開催時には「はとバス」が大活躍した。右は「オリンピック施設廻りコース」の乗車券。 |
ほとんどの観光バス会社はバスの運行のみに特化し、観光コースの設定などプラン作りは旅行代理店に任せている。「はとバス」が他の会社と違っているのはこの点だ。設立当時から一貫して自社で旅行プランを企画し、宣伝、営業を行っているのである。バスという乗り物を知り尽くしているからこそ、コースの面白さや斬新さだけでなく、バス旅行そのものの楽しさを追求できる。そうした観点から、開業以来「はとバス」は多種多様な観光コースを作成・運行してきた。代表的なコースをピックアップしてみよう。
最初期の「都内半日Aコース」に続いて登場したのは、1951(昭和26)年の「夜の定期観光コース」だった。午後6時にスタートし、歌舞伎座とフロリダダンスホールで下車。当時の銀座はまだ寂しいものだったが、地方客にとってはいたく感激する風景だったらしい。350円の料金ながら人気を集め、以降も新しい下車スポットを組み込んだコースが続々と誕生する。よく知られているのは、51(昭和26)年に登場した「夜のお江戸Eコース」だろう。60(昭和35)年からは老舗料亭「松葉屋」でのおいらんショーが組み込まれ、人気はさらに高まった。現在の夜のコースはニューハーフショーを組み込んだ企画が中心だが、おいらんショーも現代風にアレンジされ、複数のコースに組み込まれている。
外国人向けコースの登場も早かった。1952(昭和27)年に「昼の外人Sコース」を導入して以来、歌舞伎や日本舞踊、相撲など日本文化を採り入れた個性的なコースを次々と運行。70(昭和45)年には、外国人向けコースの輸送人員がピークに達している。
季節限定のコースが多いのも「はとバス」の特徴。最も早く登場したのは51(昭和26)年の「納涼コース」だ。東銀座で温泉に入り、向島で団子を食べてアサヒビールの工場を見学するこのコースは夏の恒例となり、67(昭和42)年には趣向を変えた「納涼スリラーコース」も登場。他にも、相撲や野球などの開催時期に合わせたスポーツ観戦コースが定番となっている。
「はとバス」は東京に新名所ができると、いち早くコースに採り入れていった。1958(昭和33)年に東京タワーが完成すると、翌年には「東京タワーAXコース」を運行。昭和40年代に高層ビルの建築ラッシュが続くとすぐさまコースに組み込み、昭和末期から平成にかけて大型テーマパークのブームが到来した時は、「東京ディズニーランド一日」「サンリオ・ピューロランド一日」などのコースを運行している。平成になってからも、「臨海副都心とゆりかもめコース」「東京ベイサイドとアクアラインコース」など多数のコースが登場。新名所を巡るコースは常に人気が高いという。
大型イベントと絡めたコースも数多く登場している。1964(昭和39)年の東京オリンピック開催時に運行した「オリンピック記念コース」は大ヒットを記録。以降も78(昭和53)年の宇宙科学博覧会や89(平成元)年の横浜博覧会などで特別コースを運行し、入場客の便を図ってきた。
1960(昭和35)年の「ボウリング・ゴルフBGコース」、93(平成5)年の「夢舞台・ジュリアナ東京と舞浜リゾート」のように、世相を反映したコースも数多い。経済が成長して高級志向が加速した昭和50年代には「東京フレンチナイトコース」、バブル期には「粋と雅・赤坂高級料亭コース」などが登場。2万円近いコース料金にも関わらず、女性を中心に人気を集めた。
ロングセラーもあれば、短期間で姿を消すコースもある。60年の歴史で作成・運行されたコースの数は、もはや数え切れない。毎年5、6回発行されるパンフレットには、定期観光・募集型企画旅行合わせて常時100以上のコースが掲載され、ホームページ上には300種類以上のコースが掲載されている。もちろんすべてのコースが毎日運行されているわけではなく、季節や日時が限定されているものがほとんどだが、この選択肢の多さには舌を巻く。中にはそれほど人気のないコースもあるが、あえて残しているのは、利用者に「はとバスに乗れば東京のどこへでも行くことができる」という夢を持ってもらいたいからだという。
ちなみに最初に登場した「都内半日Aコース」は、名称(「東京半日Aコース」)とルートこそ変わったが、今もしっかり残っている。都内半日観光の決定版として、これだけあるコースの中でも人気は常にNo.1。選択肢は山のようにあるが、「はとバス」の原点は今も全く変わっていないのである。 |