ナビゲーションを読み飛ばすにはここでエンターキーを押してください。
COMZINE BACK NUMBER
ニッポン・ロングセラー考 Vol.72 ベッセルのドライバー ベッセル 1本のネジ回しに魂を込めて国産ドライバーのパイオニア

「VESSEL(大きな商船)」の商標を掲げて世界へ進出

田口儀之助
創業時の田口鉄工所倉庫

創業者の田口儀之助。ドライバーの将来性を見抜いていた。

創業して間もない頃の田口鉄工所倉庫。製造はほぼ手作りだった。

見える部分は丸軸、柄の中は平軸のドライバー

田口儀之助が触発された舶来のドライバー。見える部分は丸軸、柄の中は平軸。1923(大正12)年頃のもの。

商船の絵柄

宝船の夢から生まれた「VESSEL」ブランド。1933(昭和8)年に商標登録した。

初期のカタログ

初期の製品カタログ。モダニズムを意識したロゴやデザインが秀逸だ。

どこの家庭にもある工具箱。ペンチやニッパー、スパナなど中に入っている工具は様々だが、最も多いのはドライバーだろう。何しろ出番が多い。電気製品の修理、DIY家具の組み立て、家の補修等々。たいていは必要に応じて買い足していくため、種類もサイズも雑多なドライバーが工具箱の中に集まってしまう。プラスとマイナス、刃先の大小、軸の長さ、グリップの素材など、確かに1本1本違っている。中にはなぜか同じものもあるけれど。
つらつら眺めているうちに気が付いた。「VESSEL」と記されたドライバーが多いのである。作りもしっかりしている。「これはドイツのメーカーなのかな?」そう思って、ちょっと調べてみた。
意外にも、「VESSEL」は大阪にある工具メーカー、株式会社ベッセルのブランド名だった。なんでも、日本で初めてドライバーを量産したメーカーだという。そういえば、工具箱の中にある木柄(もくえ)のドライバーは随分昔から売られていたような気がする。知る人ぞ知るロングセラーの系譜を辿ってみよう。

ベッセルの歴史は1916(大正5)年にまで遡る。創業者・田口儀之助が現在の大阪市城東区諏訪に興した田口鉄工所がその母体だ。儀之助は農耕具を作る親戚の鍛冶屋に奉公するうちにドライバーの製造を思い付き、若干15歳の若さで独立。生家の納屋を作業場に改造して事業を開始した。
なぜ儀之助はドライバーに目を付けたのか? 当時盛んだった紡績業をはじめ、多くの工場で使われる産業機械は、そのほとんどが海外からの輸入品だった。初期のドライバーは機械の付属品として日本に入ってきたのである。
「これを自分で作れば商売になる」そう思った儀之助は、刀鍛冶のようにフイゴで火をおこし、真っ赤になった平板の鋼鉄を叩いては伸ばしてドライバーに仕上げていった。ドライバーといっても、当時の製品は今とはだいぶ違っている。使われていたのは、スコッチ型やロンドン型と呼ばれた、軸が平らのマイナスドライバーだけだった。
ドライバーの将来性を確信していた儀之助は、最初からドライバー1本に絞った専業量産体制を整えた。それでも、1本1本を手作りするため、生産量は1日300本が限界だったという。

やがて丸軸のスマートなドライバーが輸入されるようになると、儀之助は柄に入る部分は平軸にしたまま、目に見える部分だけを丸軸にしたドライバーを製造。軸部をペーパーで研磨する作業は時間と手間がかかるが、儀之助はロクロを用いた足踏み方式を考案して作業の効率化を図った。ここに、儀之助の才覚が見て取れる。品質さえ維持できれば目に見えないところに時間をかける必要はない。それよりも生産効率を上げ、事業を軌道に乗せることの方が大切だ。儀之助がそう考えたのは、海外への輸出を想定していたからだった。スタート時こそ舶来工具を真似ていたが、儀之助の目的はオリジナルの国産ドライバーを作ること。最初から海外の製品と勝負するつもりだったのである。

量産化の目処が付いたのは1930(昭和5)年頃。海外へ出るとなると、商標を作らなければならない。ある夜、儀之助は宝船の夢を見た。金銀の財宝を満載した船に七福神が乗り込んでいる。「これはめでたい」と喜んだ儀之助は、「FUNE」というブランド名を考えた。だが「FUNE」では外国人に通じない。そこで、英語で大きな商船を意味する「VESSEL」に決めた。商品を満載した貿易船のイメージが気に入ったし、「VESSEL」なら語呂もいい。この時代に横文字のブランド名は珍しかったが、儀之助はそれもまた誇らしかったのだろう。


たゆまぬ技術革新と生産性向上で市場をリード

木柄貫通ドライバーNo.350

ベッセル最初のロングセラー「No.350 木柄貫通ドライバー」。

木柄普通ドライバーNo.310

こちらは「No.310 木柄普通ドライバー」。マホガニー色が特徴。

国内初のユーライトドライバー

「ユーライト柄絶縁ドライバー」。柄の素材は熱硬化性樹脂エボナイト。

プラスチック柄ドライバーNo.1300

もうひとつのロングセラー、「No.1300 プラスチック柄ドライバー」。

田口輝雄

ベッセル中興の祖、田口輝雄。進取の気風で会社を引っ張った。

製造工程の効率化はその後も続き、足踏み式から手動の研磨ベルト方式、電動の研磨ベルト方式、さらには研磨盤方式へと進化していく。そうした中から1937(昭和12)年、日本の工具史に残る傑作が誕生した。ハンドルを貫通した軸の後部に六角ナットを付け、金槌で叩きやすくした「木柄貫通ドライバー」である。これは、マイナスドライバーをタガネのように使う工員の姿からヒントを得て開発した製品だった。この頃の田口鉄工所が作っていたのは、全て木柄ドライバー。後にほとんどのドライバーが樹脂製柄になるが、この時代に開発された「木柄貫通ドライバー」と「木柄普通ドライバー」は、今も昔の姿のまま販売されている。国産ドライバーを代表するロングセラーと言っていいだろう。

戦前から戦中にかけて会社の土台を築いたのが儀之助なら、戦後の飛躍的な発展を牽引したのは、後に二代目社長となる田口輝雄だ。父親の儀之助以上にチャレンジ精神が旺盛だった輝雄は、戦後間もない1949(昭和24)年に欧米メーカーを視察。この時の経験から、技術革新と生産性の向上こそが成長への鍵になると確信した。帰国した輝雄は、ドライバーの新製品を次々と世に送り出していく。

1950(昭和25)年には国産初のプラスドライバーを発売。アメリカで目にして以来、輝雄はこれからの生産現場にはマイナスよりもプラスのドライバーの方が重宝されると考えていた。事実、発売後の産業界の反響は想像以上に大きかったという。この時期に培ったプラスドライバー開発のノウハウは、10年後の産業用ビットづくりでさらに大きな花を咲かせることになる。

1952(昭和27)年には「ユーライト柄絶縁ドライバー」を発売。これは硬質ゴムの一種であるエボナイトを柄の素材に使ったモデルで、絶縁効果が高いため、主に電気工事の現場で使われた。この製品は初めての樹脂製柄ドライバーだったが、素材の性質上、柄に使う分の原料の重さを慎重に計って金型に注入しなければならず、生産性に問題があった。そこで2年後の54(昭和29)年に、射出成形方法によるプラスチック柄ドライバーを開発。射出成形とは、軟化する温度にまで加熱したプラスチック素材を、圧力を加えて一気に金型に流し込む成形法。金型を変えれば様々な形が生み出せるのが特徴で、以降、同社の重要な製造技術となっていく。この時発売されたアセテート樹脂を使ったプラスチック柄ドライバーは、飴色の透明ドライバーとして大人気を博し、今もよく売れている。おそらくどの家庭の工具箱にも、1本や2本は入っているはずだ。こちらも木柄ドライバーと並ぶロングセラーである。

 

日本の製造現場を支えたエアードライバーと両頭ビット

最初のエアードライバーGT-F

ベッセルのエアードライバー第1号「GT-F」。

両頭ビット3種類

両頭ビットの数々。左が大ヒットした「No.A14」。もちろん現行製品だ。

現行のエアードライバー「No.GT-PLZ」

最新の衝撃式エアードライバー「No.GT-PLZ」。消音装置付。

セールスカー

東京や名古屋など各地に設けた拠点では、営業車が走り回っていたという。

1950年代以降、日本は高度経済成長に突入。白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が三種の神器としてもてはやされ、家庭用電化製品の需要が一気に拡大した。大量生産を迫られたメーカーは設備投資を推し進め、組み立て現場ではドライバーの必要性がかつてないほど高まった。現場では柄を押すだけでネジを締めたり緩めたりできるオートマチックドライバーが使われていたが、もはやそれでは追い付かない。そこで、電動コンプレッサーで空気を圧縮し、その圧力を利用して先端部(ビット)を高速回転させるエアードライバーが使われるようになった。

ビジネス感覚の鋭い輝雄が、この変化を見逃すはずがなかった。エアツール時代の到来と需要の伸びを見込んで、1954(昭和29)年には本格的にエアツール用ビットの生産を開始。同時に社内にエアードライバーの研究開発部門を設け、4年後にはベッセルブランドの衝撃式エアードライバー「GT-F」「GT-PS」「GT-PM」を発売した。狙いは的中。ベッセルのエアードライバーは、電機メーカーや住宅設備メーカーなど、各地の生産現場で引っ張りだこの人気となった。需要増は凄まじく、ベッセルはエアードライバー専門工場を新たに設立するほどだった。

ベッセルのエアードライバーが成功した理由のひとつに、1961(昭和36)年に売り出した両頭ビットの大ヒットがある。そもそもビットはエアードライバーの先端に付けるもの。刃先は軸の片方だけにあればいい。それまでのベッセルも、軸の両端を十字の刃先に加工してから真ん中で切断していた。ところが技術革新を標榜するベッセルは、この切断前のビットを両頭ビットとして売り出したのである。両端に刃先が付いているので、1本のビットを2度使える。片方が駄目になってももう片方を使えばいい。ユーザーなら誰もが納得する画期的なアイデアだった。
両頭ビットの代表的な製品「A14」は、ベッセルブランドのエアードライバーと共に爆発的な人気を博した。この両頭ビットは70年代後半から続々と登場した電動ドライバーのメーカーも採用したため、現在に至るまで事実上の業界スタンダード(国内)になっている。

ちょうどこの頃、ベッセルのドライバー生産量は、ついに月産100万本を突破するようになった。創業時は日産300本がやっとだったことを考えると、50年かけてついにここまでやって来たという印象だったろう。輝雄はこの時期、タイミングを計ったかのように全国の販売網を整備している。各地に置いた営業所の所員は全てエアードライバーのPRとアフターサービスに振り向け、ドライバーの注文を受けても本社に取り次ぐだけという徹底ぶりだった。「ドライバーと名のつくものは全てベッセルにある」という姿勢で、積極的な拡販に乗り出したのである。
輝雄が社長に就任し、グループ全体を指揮するようになったのは1966(昭和41)年。ドライバーの分野で、既にベッセルは押しも押されもせぬトップメーカーになっていた。


 
ホームセンターの発展と共にDIY市場向けの製品を展開

クリスタラインドライバーNo.6300
水晶の輝きが美しい「No.6300 クリスタラインドライバー」。
サンラインとタイガーラインのセット品
「サンライン」と「タイガーライン」のセット品。シャレが効いていて楽しい。
ボールグリップドライバーNo.220
電工用ドライバーを発展させた「No.220 ボールグリップドライバー」は力の入りやすいグリップ形状。女性など力の弱い人でもしっかりと締め付けができる。
パワーグリップドライバーNo.4500
「No.4500 パワーグリップドライバー」。スパナをかけられる六角部付。
クッショングリップドライバーNo.600

「No.600 クッショングリップドライバー」。弾力のあるグリップが手の平にフィットする。

陳列棚

ホームセンターに置かれた回転式のディスプレイ。これも従来にはない試みだった。

日本経済の成長と歩みを合わせるように成長してきたベッセルだったが、まったく試練がなかったわけではない。1973(昭和48)年の第一次オイルショックの際は、販売不振による過剰在庫が経営を圧迫した。どの工具メーカーも規模はそれほど大きくない。不況が長引けばメーカーの倒産もあり得る状況だったが、そこに予想外の救世主が現れた。日用雑貨やDIY関連の製品を扱うホームセンターである。
日本に初めてホームセンターが登場したのは72(昭和47)年。モータリーゼーションの発達を背景に、以降、郊外型のホームセンターは年間100店のペースでその数を増やしていった。

それまでの工具は、一般向けには金物販売店、工場向けには看板を掲げない機械工具商しか販路がなかった。ホームセンターのように大量陳列・大量販売を行う売り場は、どのメーカーも経験がなかったのである。もちろん客層も今までとは違う。アメリカほどではないが、日本にも少しずつ根付き始めてきたDIY市場の日曜大工ユーザーが相手となる。
ここで及び腰にならなかったのがベッセルらしいところ。そもそも新製品の開発こそがベッセルの生命線である。他社がまだ進出しないうちに、ベッセルはこれまでのように実用一点張りのドライバーだけではなく、ホームセンター向けの商品を次々と発売していった。

1973(昭和48)年に発売したのは「クリスタラインドライバー」。これは同社が始めて押出成形を使って製造した製品で、歪みのない断面形状に押し出すまで2年もかかったという。手の平が触れる部分を滑らかに削り落としているため、手触りがいい。外形が大きいため握りやすく、外国でも評判がよかった。エルゴノミクスを重視したグリップデザインは、このドライバーから始まった。
クリスタラインドライバーに続いて発売したのが、75(昭和50)年の「サンラインドライバー」。この製品で、ベッセルは世界に先駆けてグリップの多色成形に成功した。鮮やかなカラーリングを施したドライバーはそれまでの常識からはかけ離れていたが、日本のDIY市場だけでなく、世界の市場で受け入れられた。「ウイスキーライン」「タイガーライン」「ペアライン」などのカラフルなドライバーは、7本組、10本組などのセット品を中心に世界中で売れた。
一方で、新しいドライバーの開発スピードも緩んでいない。1984(昭和59)年には、今に続く大ヒット作となった「ボールグリップドライバー」を発売。続いてリリースした「パワーグリップドライバー」や「クッショングリップドライバー」も、価格はやや高めながらプロだけでなく幅広い層で人気を博している。
80年代以降、それまでドライバー一筋にやってきたベッセルは、好不況に左右されない経営を目指して事業の多角化を進める。自らホームセンターの経営に乗り出したり、エアーニッパー、エアーマイクログラインダー、エアーインパクトレンチ等を発売。ここ数年は防犯機器や静電気除去装置など、意外な分野にも積極的に進出している。

ベッセルが作るドライバーの特徴を簡潔にまとめると、「プロも愛用する高い品質・時代をリードする優れたデザイン・手頃なプライス」ということになるだろう。国内ドライバー市場のシェアは約60%。ホームセンターに限れば、ベッセルのドライバーを置いていない店はほとんどない。
輝雄は1997(平成9)年に亡くなったが、生前、わずか1本の不良品の出荷も許さなかったという。「1本のドライバーは数千、数万のネジを相手にしなければならない」──ものづくりにかける厳しい姿勢と確かな自信は、ベッセルイズムとなって三代目の社長以下、社員全員に受け継がれている。

 
取材協力:株式会社ベッセル(http://www.vessel.co.jp/
     
フィット感を追求する最新のベッセルドライバー
メガドラ普通ドライバーNo.900
「No.900 メガドラ普通ドライバー」。ドライバーらしからぬ中間色を使ったカラーも魅力。
スーパークッションドライバーNo.700
「No.700 スーパークッションドライバー」。独特のフィット感が特徴。

「お洒落なドライバーだなあ」と思って手に取ったら、それはベッセルの最高級ドライバーだった。1997(平成9)年発売の「メガドラ」シリーズ。日本初の三重成形モデルで、リサイクル樹脂の周りにエラストマーと呼ばれるゴム状の素材と硬質樹脂を一体成形している。手で握ったときの当たりの柔らかさは、一般的な樹脂製柄のドライバーとはかなり違う。すんなり手の平に馴染む印象で、力もロスなく伝わりそう。フィット感の追求は今のベッセルの大きなテーマらしく、最新モデル「スーパークッションドライバー」では、なんとグリップが手の平の形に合わせて変化するようになっている。グリップの中にゲル状の樹脂が入っているのだ。一方で、ロングセラーの木柄ドライバーもまだまだ健在。ドライバーの世界は奥が深い。


タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 取材編集/バーズネスト Top of the page

月刊誌スタイルで楽しめる『COMZINE』は、暮らしを支える身近なITや、人生を豊かにするヒントが詰まっています。

Copyright © NTT COMWARE CORPORATION 2003-2015

[サイトご利用条件]  [NTTコムウェアのサイトへ]