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かしこい生き方 家事塾主宰 辰巳渚さん
正しい片付け、家事のやり方などない 自分なりの生活秩序を作るだけ

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いわゆる「家事」をすることが、しっかりと生きることにつながるんだというのは、改めて言われてみれば共感する方も多いと思いますが、そういう風に家事について考えるようになったのはどんなきっかけでしょうか。

辰巳

私が家事と生きることとを結びつけて考え始めたのは、一人暮らしを始めた時だったのですが、私は、すごく過保護な親に育てられて(笑)、例えばちょっと気温が下がると「もう一枚着ていきない」と服を着せられる。家に帰ってくると部屋がきれいに掃除してあって、洗濯物はきちんと畳んでしまってあるし、「おいしいから、これを食べなさい」「そう食べるとおいしくないから、こう食べなさい」と、食べ方まで一部始終、面倒を見てくれる。私は小学校に入る前から小児ぜんそくとアレルギー体質だったので、母は心配したのでしょう。ちょっと体を動かすと息が切れるから、母が掃除をしていれば、「埃を吸うからあなたはあっちに行っていなさい」と追いやられ、薬を飲むとなれば、きちんと数を数えて水と一緒に出てくるわけです。でもそうしたことは、私にしてみると一種の束縛でもあります。その頃、はっきりと意識していたわけではありませんが、そこには母が好き、嫌いというのではなく、とにかく私を一人の人間として独立させて欲しいという葛藤があったんだと思います。確かに、すべて母がやってくれるから楽なのですが、その反面、自分が自分ではないような気がずっとしていました。

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それが、一人暮らしをすることによって、解放されたわけですね。

辰巳

社会人になって、いざ一人暮らしを始めてみると、解放感と同時に、初めて「自分は自分だ」という感覚を覚えたんです。その時に「そうか。私が求めていたのは、一人になることそのものではなくて、自分で自分の暮らしを管理したいということだったんだ」と気付いたんです。

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確かに一人で暮らしていたら、いつまでも寝ていられる反面、寝坊しても誰も起こしてくれませんね。

辰巳

そうなんです。まず、一人で暮らしたら、毎日のご飯を考えないといけませんよね。洗濯をしないと、明日着ていく物が無いということもあります。でも洗濯物を取り込んだら「ああ、きれいになったな」なんて、しみじみ思ったりする(笑)。あるいは、お風呂に生えたカビに気付いて掃除をしたり、石けんが小さくなってきたら「買いに行かないといけないな」なんて思ったり。そういう「家事」をしているうちに、「私は今、ここに居る」という感覚を覚えたんです。つまり、私が一人暮らしをしたいと思っていたことは、自分の暮らしを自分で管理することで、そういう実感を得たいと思っていたということなんだ、と分かったんです。

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洗濯や掃除、料理に片付けなどなど、「家事」という言葉で思い浮かぶ仕事というのは、結局「衣食住」に結びつく、それはつまり生きることに直結していますね。

辰巳

家事という言葉で表されているのは自分の体の営み、あるいは家族全体の営みであって、それを自分の手ですることが、すなわち生きる喜びになるんだということでしょうね。会社勤めをしていた20代半ば頃にも、ストレスから体調を崩してしばらく家にこもっていたことがあります。後から考えれば、その時も一人で家にいながら身の回りのことをしていた、つまり家事をすることで、こわばっていた体と心がほぐれてきて、自分があるべき状態に戻っていけたのでしょう。そんな経験を通して分かったのは、人間は、自分で決めること、自分のことは自分ですること、自分の力で食べていくことによって、健やかになれるんだなということなんです。

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ここで辰巳さんがおっしゃる「家事」というのは、例えば「毎日手間をかけたご飯を作りましょう」ということではありませんね。「丁寧に暮らす」とも違います。

辰巳

私が家事や暮らしの事を話すと、時々「そうですよね、丁寧に暮らさなくては」と言われます。でも「毎食手作りして、一日30品目食べる」などという意味ではないんです。「今日の晩ご飯は、炊きたてご飯にごま塩だ!」というのでも「お腹いっぱい。幸せ!」と思えれば、それで良いのではないでしょうか。ごく当たり前の事として、日々の営みを自分が主体的に管理しましょうというだけです。時には外食で済ませたり、ハウスキーパーに掃除を任せたりしたってかまわないと思います。大切なのは、自分がどこに軸足を置くのか、依って立つのかという、それだけの話なんです。
本来、人の生活というのは、食事をしたり、洗濯をしたりという暮らしに土台があるはずですが、今の私達は、毎日の家での暮らしを顧みていないような、ちょっと宙に浮いている感じがしています。

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家のことを軽んじる傾向は、あるかもしれません。

辰巳

家事について考えたのは、一人暮らしを始めた時と言いましたが、もう一つには、学生時代から今も続いて、マーケッターとして消費財について考えてきたからでしょう。
というのは、人がモノを買うのは、楽しい、あるいは幸せという快感を求めてのことです。だから消費者のニーズを探るということは、究極的には現代の人にとっての幸せとは何だろうかと考えることとも言えます。人が豊かに生きるとはどういうことなのか…漠然とした幸せではなく、今この世の中、人間関係、消費財、社会構造の中で得られる幸せとは何なのか、そんなことをずっと考えてきました。そうして突き詰めて考えていった結果、幸せとか生きる実感というのは、自分の暮らしを自分で主体的に行うこと、つまり自分の体の営みなんだ、というところに戻ったんです。

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レストランで高い料理を食べるのが幸せではないということですよね。

辰巳

それも幸せかもしれないですよ。でも家でご飯を作って「おいしいな」と思って食べたり、あるいは洗濯をして「きれいになったな」という実感が根底にあってこそ、レストランで食事をする喜びが深くなるものじゃないでしょうか。その根底が無ければ、高いお酒を飲もうが、海外旅行に行こうが、喜びが薄っぺらになってしまいます。日々の当たり前の営みがある事で、消費やハレの喜びの深みが増すというのでしょうか。

 

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「家事塾」を主宰していらっしゃいますが、そこでは具体的にどのようなことをするのでしょうか。

辰巳

家事塾でやろうとしていることはいろいろありますが、例えば、親子で掃除、配膳などの家事をしてみるという講座や、片付けについて学ぶ講座の開催などがありますね。

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家事というのは、実際にやってみるととても奥が深いし、そんなに簡単なものでもありませんね。

辰巳

一見、単調な作業ですが、毎日の積み重ねによって身についていくものですし、これで完璧!というものもありませんよね。

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ということは、家事塾では家事や片付けのテクニックを教えていらっしゃるのですか。

辰巳

いいえ。家事のテクニックは簡単ではありませんが、難しくもありません。技術としてはすぐ身につきます。けれども、家事を、自らを生かすこととして、ある種の喜びと充実感をもって、生活の中で続けていくのは、たいへん困難なことです。ちょっと哲学的になってしまうのですが、家事は生きることであり、家事が人を自立した存在にし、家族を家族としてつなげる、だから大切なんだということを伝えたいと考えています。でも、そうした哲学をいきなり語るのではなくて、物や行動を通して伝えていくほうが、分かってもらえるんじゃないかと思います。暮らしへの実感がないとは言っても、自分の手で食事を作ったり、洗濯をしたりという作業を通じて得られる、生に対する実感への回路というのは、皆持っているもののはずです。ただ、今の日本の日々の暮らしでは、そういう回路が閉ざされがちなので、それを開くための媒介になりたい――それが家事塾の一つの目的ですね。

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講座では、家事について、ひいては自分の生について考えることになりそうですね。

辰巳

片付けの講座で言えば、皆さん、最初は片付けのテクニックを教わりたいと参加される。でも私はテクニックは教えません(笑)。重要なのは、自分なりの生活秩序を作ること。それはつまりは、自分がどういう暮らしをしていきたいかを明確にすることなんです。そしてその秩序に則るように物を配置すれば、おのずとそれが片付けになっていきます。逆に言えばどんなに分類法を学ぼうが、毎日掃除をしようが、自分なりの秩序がなければ、あっという間にぐちゃぐちゃになってしまいます。

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「誰もがうまくいく収納技術」が確立されていれば、収納に関する本がこれほどたくさん出版されることもありませんね。

辰巳

そうです。収納法の決定版とか、「三食手作りが正しい」というような家事の正しいやり方というのはあるわけがないんです。それは「この生き方が正しい」と言っているようなものなんじゃないでしょうか。人それぞれ、自分の仕事や家族、あるいは好み、趣味があります。それらを鑑みながら、「私はこうやっていけば、一番楽で気持ちが良いな」というものを見つけていけば良いんです。

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本当ですね。本の大好きな人は、たくさんの本に囲まれているのが幸せですね。考えてみれば、自分が気持ち良いと思えば、「モノがあふれて困る」とは、そもそも思わないはずですよね。

辰巳

モノというのは暮らしの道具であるというだけではなくて、自分がどう生きたいかによって変わってきます。本がたくさんある人、調理器具をいくつも持っている人、テレビが無い暮らしが良いという人…。モノと価値観と生き方は直結しています。だからモノの秩序を考えることによって、自分が、どういう価値観に基づいて生きてきたのか、そしてこれからの生活をどう作っていきたいのかによって、おのずと考えることが出来るんです。

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モノを買うことが、どういう暮らしをしたいのかと問われているような気がします。

辰巳

こういうお話をすると、「収納を学びに来て、生き方について学ぶとは思っていませんでした」と、皆さんおっしゃる(笑)。私が家を見て、懇切丁寧に片付けのテクニックを教えてくれるものだと思っていたけれど、そうではありません。生き方ですから、人から教わってもだめ。頭ではなく、自分の体を動かす作業を通して考えてみる必要があります。

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家事塾は、生活体験を提供する場ともなりますね。

辰巳

特に子供たちの生活体験の少なさが気になります。小学生のお手伝いに関する国際比較調査があるのですが、これによると、東京における子供の家事参加率がとても低いんです。あらゆる「実感」というものは、基本的な生活体験が軸にあるはずで、それを考えるととても大きな問題だと思います。

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家族にご飯を作ったら「おいしい」と言ってくれた時には、なぜだかすごく嬉しいとか、そういう実感のことですね。

辰巳

そうです。そういう生活経験をたくさん持つためにも、更に自分に役割があって「私は家族にとって必要な人間なんだ」と自尊感情を持つためにも、家の事をするのはとても大切です。心理学的には、人から褒められ、保護されるだけでは自尊感情は持てないという説があります。自分が何かしたことで大好きな家族が喜んでくれたという気持ちが、自尊や自信をもたらすのだと思います。そして、自尊感情は、おのずと他者を尊ぶ気持ちも生み出します。そんなことは頭で理解することではなく、日々の生活の中で生きる営みを通して実感する積み重ねによって、身に備わるのではないでしょうか。

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自分の手を使って暮らすことで養われることが、たくさんありますね。料理を作る段取りにしたって、考える力を培いますね。

辰巳

ある親御さんのお話ですが、小学校2年生の息子さんにお風呂の掃除をさせ始めたそうです。最初は拭き残しがあったり、時間もかかる。それでもお母さんは「ありがとう」「上手に出来たね」「きれいにすると気持ちが良いね」と言っていたそうですが、ある時、その拭き残しにお風呂に入った息子さん自身が気付いて、次はきちんと出来るようになった。そして、毎日やるうちに、自分のやりやすい方法を見つけ、自分の役割としてやるようになって、お母さんが代わりに掃除をしておくと「やっておいてくれてありがとう」と言うようになったんだそうです。最初は時間もかかって、しかも下手くそだったのが、自分の手を動かした回数だけ上手になっていって、更に楽しさが加わってくる――それが家事の良いところです。もちろん他にもそうした楽しみを得ることはあるでしょうが、家事は、自分や家族の身体を養う仕事である分、じんわりと深い喜びにつながるのではないかと思います。

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そうした作業を通じて、確固としたものが得られるような気がします。

辰巳

暮らすこと、生きること、生きる哲学は、実際の生活からしか出てこないもの。自分の生活に立脚して生きていくという当たり前のことを、皆さんと一緒に見直していきたいなと思います。

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辰巳渚(たつみ・なぎさ)
1965年福井県生まれ。家事塾主宰。お茶の水女子大学文教育学部卒。雑誌記者、編集者を経てフリーランスに。マーケティングの一環として、ライフスタイルの変遷の分析と予測、世代論や経済理論を超えた買い手理論について、また豊かに暮らすにはどうすべきか、等身大の言葉で発信し続ける。著書に『「捨てる!」技術』(宝島社新書)、『いごこちのいい家に住む!』(大和書房)、『子どもを伸ばすお手伝い』(岩崎書店)、『家を出る日のために』(理論社)など多数。
 
●取材後記
子供は大きくなると何をするにも「自分で」と言って、一人でできることを主張したがること、生き生きと暮らすお年寄りに自分で食事を作っている方が多いこと。何となく、身の回りのことを自分でしたほうが良さそうだ、と思っていたのだが、辰巳さんは著書の中で、「家事と生きること」について、誰もが漠然と心の底に感じていることを、的確に、かつ気持ちにすっと落ちる言葉で語っている。お話を伺って、一層共感することに。私自身はもう手遅れかもしれないが、「子ども達はお手伝いをしなくちゃいけない」、と触れ回ることにしよう。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

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