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かしこい生き方 NPO法人まちの縁側育くみ隊代表理事 延藤安弘さん
自分のまちの「資源」を見つけてみよう まちの元気は人の元気が作る

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延藤さんは、これまでさまざまな土地のまちづくりに関わり、現在は名古屋は代官町に「まちの縁側MOMO」、長者町に「錦二丁目まちの会所」という拠点を設けて、NPO法人「まちの縁側育くみ隊」を組織し、まちと暮らしを支援する多様な活動を展開されています。

延藤

「まちの会所」がある名古屋市中区錦二丁目は「長者町」の名で知られる繊維問屋街です。私たちは、2004年に地元の繊維問屋街の業者らが立ち上げた錦二丁目まちづくり連絡協議会から依頼されて昨年やって来たのですが、ここは名古屋城と名古屋市美術館、名古屋駅とテレビ塔とを結ぶ交点に位置する「名古屋グランドクロス」とも言える場所です。かつて徳川家康は、この街区の中に、神社仏閣や火の見やぐら、あるいは人々が集まる場をいくつも造って「会所」と称して、短冊上の敷地の中央に置きました。そうした400年の歴史を持つ地域的伝統を、現代の新しい状況の変化の中で、まちづくりの視点に生かそうという思いから、ここを「錦二丁目まちの会所」と名付けて、錦二丁目まちづくり連絡協議会と共に、まち育ての拠点として営んでいるんです。
来年は、愛知県が主催する国際美術展「あいちトリエンナーレ」が本番を迎えるのですが、そのプレイベントとして、先日は錦二丁目を舞台に「長者町プロジェクト」が行われました。

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長者町繊維卸会館や、周辺の空き店舗や空きビルを使って作品を展示したり、ワークショップを行ったそうですね。

延藤

そうです。「アートがまちに飛び出す」というコンセプトの元、空き店舗や空きビルなど空間の隙間に、いろいろな驚きと感動を埋め込んでいこうと、僕らはまちとアートを結ぶコーディネートを行いました。そのために、こういうおしゃれなマップを作ったり。これは、遊びなんですけれど、こうやって折ると…(笑)。

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可愛らしい! シャツになりました(笑)。しかも折り方つきなんですね。

延藤

こういう活動も行っていますし、ここは愛知産業大学大学院の学生たちのデザインの実践的活動の場にもなっています。またここに出入りするデザイナーの原あきさんは「わたしのすきな長者町」という地域まちづくり絵本を作りました。こうしたことを通して、まち行く人と交流して、子どもからお年寄りまで「あそこに行けば何か良いことがあるかもしれへん」と気軽に立ち寄れる、地域に開かれた新たな公共の場、つまり「まちの縁側」を営んでいます。

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延藤さんのキーワードの中に「まちの縁側」と「まち育て」という言葉があります。私たちがよく聞く「まちづくり」というのは、マンションを建て、学校を作り、スーパーを誘致して…といったハード面ばかり頭に浮かびますが、延藤さんの「まち育て」は、とてもユニークな活動ですね。

延藤

「まちづくり」というのは、1960年代に生まれた言葉です。当時は「自分たちのまちは、自分たちで守り、育もう」という意味合いをもって住民たちが「街づくり」という言葉を使い出したんですが、70年代、80年代と時代が流れる中で、道路や建物といった目に見えるハードの建築環境と、子育てや福祉といったソフト面を結び合わせる時に、ひらがなの「まちづくり」と言われるようになり、90年代になると、そのひらがなの「まちづくり」を、行政が制度のようにして、区画整理も駅前再開発も、公共事業やトップダウンの都市計画も、皆「まちづくり」と言うようになりました。昨今「まちづくりとは何ですか?」と聞くと、「行政がやるものでしょう」という答えが返ってくることが多くなりましたが、僕は「まちづくり」という言葉が、元々持っていた、ソフトも大事にしながら、ハードも育む――人が元気であればこそ、まちが元気なのであって、まちの元気を育むには人が元気にならないといけない。つまり、人をより良く育み、まちも育まれるという思いを込めて「まち育て」という言葉を提起したんです。

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先ほどのマップもそうですが、講演会やイベント、アート活動などを通して、そのまちに対して積極的な思いを抱く仕掛けを作っておられるということですか。

延藤

まち育てというのは、行政のみならず住民も専門家も関わる人々が主体的に参加していきながら、土地の資源を発見し、それをどう有効に活用するか、次世代に継承していくか、まちの人々のつながりを促していくものです。例えば、琵琶湖の湖西地域には「シシガキ」というイノシシや土石流を防ぐための、この地域独特の防災の仕組みがあります。地元でも知っている方は少なくなっていますが、そうした目に見えないものも含め、地域固有の資源を大切にしていく。更に、こうした気づきや学びの過程を経て、人がより良い生き方を目指していくようになる点が、まち育ての大きな特徴です。

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武蔵野緑町の団地の建て替えも、団地の住人が育った結果、住宅都市整備公団(現都市再生機構)を動かしました。ただ反対するのではなく、最後には公団とパートナーシップを組んで建て替えに至った経緯は感動的でした。

延藤

住民主体のまち育ての好例ですね。緑町の場合、皆がその豊かな自然とコミュニティーを守りたいと考えていた。公団側は、通常の団地と同様の計画を作っていた。住民の思いは、最初は漠然としてばらばらでしたし、内部での意見の食い違いもありましたが、住民同士の話し合いを重ねて段々と形になっていきました。この例で大切だったのは、住民の思いをどう伝えるかということ。住民が、公団に対して怒りのつぶてを投げても、公団側は防御の姿勢をとり「住民って嫌なやつ」と思うしかない。そうした対立の構図を対話の構図に変えるための仕掛けとして、住民が何を目指しているかをビジュアルで表現して、提案型にまとめていきました。
話し合いを繰り返しても公団からは「予算を組んで事業をやっているのであって、緑町だけ特別扱いできません」という答えが返ってくるばかりだったんですが、ある日、住民たちが「私たちは、緑町の土と緑とコミュニティーを守りたい」という願いを、絵地図などにまとめてパネル化して、集会場いっぱいに張り出したんです。団地で発見した宝を「素晴らしいね」で終わらせるのではなく――感動は瞬間に逃げていくものですから、その感動を定着させるために、何を目指しているかという気持ちを造形的に表現したわけです。具体的なプランニングや団地のレイアウトそのものを描くのは、我々専門家ではありますが「何を目指すか」という気持ちづくりは住民の役割です。コンセプチュアルなものを提案したり、ビジュアルに緩やかに描いていけるのは、その土地に住む人々なんですよ。緑町では、そうした表現を続けていくことによって、ある日、それまで「No」と言い続けていた公団の課長さんが「これ程、団地の魅力を住民が読み解いてくれたことに対して、私は感動を覚えました。私も子の親です。子供の視点から団地建て替え計画をもう一度考え直しましょう」という発言が出た時は、感無量でした。それで、建て替え計画の内容が、がらっと変わりました。

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自分のまちに対する深い愛情と暮らしに対する積極的な参加が、公団を動かし、また公団の担当の方にも住民の方の熱意に応えるセンスがあったんですね。

延藤

まちを育てるということは、より良く生きることにつながるということを、彼らは示したと思いますね。

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「便利」という意味ではなく、「暮らしやすいまち」かどうかというのは、人が生きる上で基本的な問題だと思います。緑町は、豊かな暮らしを実現するステップを一つ上がったのじゃないかという気がします。

延藤

現代社会は、人の生活をどんどんパーソナル化し、一人でも生きられるという利便性の仕組みや技術的機器がたくさんありますが、どんな状況になっても、人が生きる豊かさの原点は、他者との関わりの中にある――「私」というのは、周りによって豊かに育てられている存在だと思うんです。そういう意味で、いかに個人的に閉じこもっていようと、一人で過ごすことができようとも、真の豊かさは、周りとのつながりがあってこそなんです。そもそも人間というのは、風や鳥の声、あるいは子供の声、よその人とのおしゃべりなど、たゆまない他者との関わりの中で、自己を育て続ける存在です。だからこそ、人の生き方とまちの生き方はつながっていると思うのです。

 

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もう一つのキーワード「まちの縁側」というのは、会所を設けるといった「縁側」的な装置を実際に提供することに加えて、縁側的発想を持ち込むという意味も持っていますね。

延藤

物理的、伝統的和風空間である「縁側」というのはメタファー(比喩)でもあって、内と外とがつながり、その場を介して互いの縁がつながっていくという振る舞いを通して、元気をかきたてていく――そういう「縁側」の持っている力を現代地域社会の中に、あちこち広げていこうという思いから「まちの縁側」を提唱しています。

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それは地方でも都心でも、人が住むあらゆるまちに必要な考え方ですね。

延藤

そうなんです。最近、すごく面白いなと思っているのが、長野市なんです。彼の地の社会福祉協議会が主催するボランティアセンターに、3年程前に講演に呼ばれました。その時に参加して下さった100人ばかりの住人が「まちの縁側という発想こそ私たちが求めていた活動である」と膝を叩いたんです。
長野市ボランティアセンターでは、各グループや地域ごとに年間予算を割り振って、地域の高齢者たちに対して集いの場を開くよう勧めていました。そこで年に1回、地域のお年寄りを集めてどんちゃん騒ぎをするところもあれば、月1回茶話会を催すところもあったりと、いろいろやっていたわけですが、どれも多くても月1、2回程の集まり。それに対して、まちの縁側は、日常的に人の出入りがある場です。その実例をお見せしたら「それこそ、未来像だ」と思われたようで、それから毎年「まちの縁側大学」が開かれるようになりました。長野のいろいろな地域に出前に行って「まちの縁側講座」を開いていました。その活動が、昨年位から目覚ましい展開を見せたんです。彼らは「今あるものが、縁側だ」と言い出したんです。

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何か新しく作るのではなく、今あるものを縁側として仕立てていくということですか。

延藤

そうです。例えば、そこにある居酒屋が縁側だという発想です。3、4ヶ月前に訪れた時には、ワークショップを終えて、ある居酒屋に連れて行かれたところ、何と夕方の6時なのに20代の女性から、70代のお年を召した方までがそろっていて、2時間半も歌い続けました。しかもカラオケじゃなくて、全盲のおじさんがアコーディオンで『カチューシャの唄』とリクエストすれば『カチューシャの唄』を弾く、『埴生の宿』と言えば『埴生の宿』を弾く。そうやって歌い続け、おいしいものも食べて、払ったのは1,000円(笑)。

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お店は大丈夫でしょうか(笑)。

延藤

善光寺界隈では「夜のまちの縁側大学」を開いたのですが、偶然にも、長野駅から善光寺までのメインストリートの界隈は、かつて水路の網目がいっぱいあったことが分かりました。その発見を元に、その水路をまちの中に呼び覚ますプロジェクトが動き始めました。水の復活というのはものすごく難しいことですから、行政の協力が不可欠ですが、少なくとも市民の側からプロジェクトを立ち上げて、実現しようと動いている。
あるいは「まちの縁側」のキャラクターマークとロゴを作って、店の看板に刷り込んだり、店の人自らがこの縁側マークを使ったりといった活動もされています。そうやって長野では、まちの探検をしながら、縁側になるような資源を探そう、宝物をまち中からすくい上げて生かしていこうという活動が始まっています。

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縁側的発想を、地域の中に浸透させようという活動ですね。

延藤

長野ボランティアセンターが中心になって進めているのですが、この前聞いたら「まちの縁側5,000カ所を目指す!」と言っていました(笑)。

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5,000カ所!

延藤

人口37万の都市で、5,000カ所といったら、1町内に1カ所じゃきかない位、ものすごい数ですよ(笑)。でも元々、長野にはまちの縁側活動が始まる以前から、縁側的発想があったんです。例えば自宅の玄関先を「お休み処」として開放しているお宅があります。病院帰りの道筋で、お年寄りがうずくまっているのを見た方が「どうぞここでお休み下さい」と、玄関先のちょっとしたスペースに、小さな椅子と机を置いて、庭にも入れるようオープンにしたり、敷地の一部にパーゴラを作って「東雲サロン」と名付けて、地域の人に開放している方もいる。
そうした活動は郊外の戸建住宅地でも行われています。郊外の戸建住宅地って、確かに宅地も家もしっかりしているし、立派な生垣を巡らしていたりもしますが、人間関係は希薄なことが多い。事実、東雲サロンを造った、西三才地区にお住まいのご夫婦は、現役の間は忙しくて、地域のことに何ら関われないまま定年を迎え「さあ、これから」と思ってご近所を回ったら、玄関さえも開けてくれないという現実にぶち当たったそうです。「うちの地域ってこんなだったのか!」と。ならば自分たちから開いていこうと、東雲サロンを作り、縁側の発想をもって、「西三才地区寄り合い広場・ボランティアの会」と称して呼びかけていったら、地域の人が段々と心を開いて、皆がやって来るような場に育っていった。気持ちがあれば、つながる仕掛けはいろいろと作ることができる、そういう実例がいくつもあるんです。家の背後に残る雑木林の木を彫って犬を作るおじさんがいて、その犬が何軒もの玄関先に置かれていたり、木彫りのお地蔵さんを作って街角に飾ったり、そういうユニークな表現が、まちのあちこちにある。そこでは住民たちが自分らでお金を出して土地を買って、神社まで作った地域もあるんですよ。

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神社ですか?!

延藤

「コミュニティー教」による神社ですね(笑)。

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そこまでとは驚きました。不謹慎な言い方かもしれませんが、映画か小説か、現実とはにわかに信じがたい例です。住民自らということは、先生が何かされているわけではなくて…。

延藤

郊外の戸建住宅地は、全国である時期に一斉に開発が進み、今、一斉に高齢化を迎えています。そうした問題を超えるための仕組みは、住民自らが作っていかないといけないわけですが、僕は、それこそ「まちの縁側」の視点を種まきしただけで、その種があちこちに花を咲き始めた――いや、すでに種をまく前から、住民の気持ちの行動化と驚くべき創意性による見事な縁側活動があって、まち育てが進んでいた地域だと言えます。

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犯罪が多いといった、明らかな問題があったわけではなくても、もうちょっと豊かに暮らしたい、どこかでつながりたいという思いが、そうした行動に表れたのですね。

延藤

長者町でも、2、3年前から、地域の住民の方々と一緒に「まちづくり憲章」を作ろうと呼びかけました、長者町には、街路に緑が一本もないから「緑を増やそう」、16街区あるけれど夜間人口は400世帯しかいないから人を増やすために「マンションを作ろう」といった標語っぽい言葉で語っても、誰も聞く耳を持たないので、短歌を詠もうと提案したんです。そうしたら皆「歌なんて詠んだことない」という。いや難しい話じゃない、皆が集まって、こっちの並びの人は上の句の「五七五」、こっちの列の人は下の「七七」を詠む。それをランダムに組み合わせて、まちへの思いを自由に表現してみようと言ったところ、何と168首も集まりました(笑)。それら168首を16街区のグリッドパターン上にレイアウトして、ただそれだけでは芸が無いので9つのカテゴリーに分けて、代表首を大きく掲載した。例えば「街角で、花を育てて、守りゆく、優しさあふれる錦二丁目」という句があるのですが、実際に、錦二丁目に花屋さんが2軒程出来たり、個人でアーケードの柱に花を生ける女性や若い経営者が現れたりと、詠んだ歌が実際の振る舞いになり始めたんです。

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こうして伺うと、皆、あからさまに表に出さなくても、自分のまちは、こうありたいという気持ちを持っていて、更にそれを伝えたいという思いを抱いているものなのですね。

延藤

そうなんです。人って本当に「表現者」なんですよ。まちづくり、まち育てで大事なのは、人の表現力を引き出し、表現することによって、その土地の住人が何を目指しているかが分かるということ。専門家や行政が描ききれない、あるいは見つけられたなかったことを、表現することによって、互いに共鳴、共感しあって、更なる次の方向性を見いだしていける。そういう意味で、長野の人たちが多様な自己表現をいろいろな場面で行う仕組みと活動を広げているように、僕らもこのまちで、表現することを通してコミュニケーションを深めていこうと取り組んでいます。

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自分の周りにあるモノを再発見し、それをどのように表現するかが大事なのですね。

延藤

ここ長者町は繊維問屋のまちですが、繊維問屋そのものは、時代の流れの中で変貌を余儀なくされています。まちは生き物のようなものですから、底上げするためには、新しい生命力を導入していかないといけない。同時に、その新しい生命力の引き込みの仕掛けを、どう進めていくかを考えていかないといけない。その時に、儲かるか、儲からないかだけにこだわるのではなく、この間の状況の変化を見つめて――まちの人も変わってきているし、まちの外から「まちの会所」を作る我々のような者が来たり、あるいはここは学生たちの学びの場、交流の場にもしているので、そうした若者たちが、まちへの提案をしてくれていたりする。昔からの住人や経営者も意識が変わってきた。人によってまちは変わっていく。厳しい状況にあっても、必ず良いまちの姿が見えてくると、楽観的に期待しています。

人と人、組織と組織を緩やかにつなぐ「まちの縁側」という発想
延藤安弘(えんどう・やすひろ)
1940年大阪生まれ。北海道大学建築工学科卒業。京都大学大学院博士課程中退。京都大学助手、熊本大学教授を経て、千葉大学教授を定年3年間を残して2003年に退官。同年4月からNPO法人まちの縁側育くみ隊代表理事。2005年愛知産業大学大学院教授。全国で行う幻燈会形式の講演では、各地のまち育ての事例を紹介し、参加者にまちの縁側作りの種をまいている。著書に『「まち育て」を育む―対話と協働のデザイン』(東京大学出版会)、『何をめざしていきるんや―人が変わればまちが変わる』(プレジデント社)、『私からはじまるまち育て―“つながり”のデザイン10の極意』(風媒社)、『おもろい町人(まちんちゅ)―住まう、遊ぶ、つながる、変わる、まち育て』(太郎次郎社エディタス)他、多数。
 
●取材後記
再開発のような大きなプロジェクトに対してだけでなく、普段の生活の中でも自分の住むまちに対して「こうだったらいいのに」という思いは誰しも持っているものだろう。建物を建てるというだけの話ではなく、まちをどんな風に「育てて」いくのか、それは、自分がどんな生き方をしたいのかを考えることに直結する、と実感したインタビューだった。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

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