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かしこい生き方 ヤイリギター社長/現代の名工 矢入一男さん 木を触る人は、人間的にもまろやかだと感じます。


何年もかけて自然乾燥させる木材を在庫にモノづくりは効率だけではできない

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日本製のギターが、世界中のミュージシャンから支持されているのを知って、正直驚きました。

矢入

今、写真を撮っていただいていますが、立派なカメラもあれば、ただ撮れればいいという何千円のカメラがありますよね。楽器も一緒で、ただ音が出るだけじゃない物を求める人がいる。私たちとしては、好きな事をやっているだけですが。

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子供のころからギターに親しんでいたのですか。

矢入

親父が戦前から楽器製作に関わっていたので、確かにそういう影響があったかもしれませんねぇ。この4月に、私どもの会社は75周年を迎えました。今、私は78歳ですが、小さいころは戦前だったものですから、身近にギターがあるような時代じゃありませんでしたし、あっても買えるわけでもない。うちの親父は、名古屋にある鈴木バイオリンという明治時代から続くバイオリンの製作所で働いていまして、1935年に独立して矢入楽器製作所を設立しました。でも名古屋が空襲にあって、ここ岐阜県可児市に疎開したんです。

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30歳の時に単身で渡米されましたが、そこでの経験がその後のヤイリギターのこだわりにつながったとか。

矢入

今から思えば非常に無謀でしたね。ちょうど日本が高度成長を迎えつつある時期で、ビートルズが来日したり、フォークブームになって、ギターの流しも増えて、ギターの空ケースを持っていれば女性にもモテた時代です(笑)。ところがアメリカに行って驚いたのは、日本で作っていたのは「3ドルギター」といって、アメリカではトイギターとして扱われていたことでした。つまり楽器ではなく、おもちゃのレベルであって、向こうの有名なブランドであるマーチンやギブソンなどとは、比べものにならない。それでメイド・イン・ジャパンの本格的ギターを作ろうと思って、帰国後、ヤイリギターを設立したんです。

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そうして作ったメイド・イン・ジャパンのギターがアメリカで認められ、1970年にはアメリカの大手楽器商セントルイス・ミュージックと契約されました。画期的なことだったでしょうね。

矢入

アメリカと日本では楽器のレベルがまったく違っていましたし、そこでいろいろなものを見る機会もありました。「べっぴん」を見たら誰でも「ええな」と思うでしょ?(笑)。それと一緒で、良い楽器を見る機会がたくさんあったんです。その時分、こんな田舎では味わえない強烈な体験でした。だからこそ、それに対してチャレンジ精神を持ってやってきた、それが今日につながっているんだと思います。
もう一つ、あれもこれもやらなかった事も良かったんでしょうね。蕎麦屋なら蕎麦、ピザ屋ならピザ、寿司屋なら寿司というのと一緒で、何でもやるのではなく、うちはアコースティックギターのみにこだわって作ってきました。そして、ここ日本で、ここヤイリで作り続ける事にこだわってきたんです。だから、うちで働いているのは皆、職人だけ、すべてここで作っています。

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月の生産量はおよそ350本程度とか。一本ずつ手作りともなれば、そうなりますね。

矢入

例えばギターを安く買ったとします。ところが壊れて直してもらおうと思った時、どこで直してもらえばいいか分からない。分からないから、また買えばいいか、となりますが、ヤイリのギターは確かに高級品かもしれないけれど、買って頂いた方を大切にし、作った楽器に対しては絶対の責任を持っています。だから製品には「永久保証」を掲げて、メンテナンスとリペアをしっかりしているんです。そうやってお母さんやお父さんから子供へ、そして孫へと受け継がれていく――使い込めば使い込む程、古くなればなる程に毅然としていく…子供と一緒です。親子が肌と肌でスキンシップをとることで育っていくように、楽器も弾きこんでいくことでボディに感受性が生まれてくるんです。ギターが持つ素質を引き出しいく。そういう楽器作りをしてきました。

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材料にもこだわりをお持ちですね。

矢入

そりゃそうですよ。今は流通が整って、ある程度、木が手に入りますが、地球上には、まだまだたくさんの木があります。そうした中で楽器に使うのはマグロで言えばトロの中でも良いところだけですから、木を探してカナダのバンクーバーから奥地へ入ったりもしました。ギターの素材選びは家の素材選びと一緒。例えばギターの表板は、北緯50度程の寒い地で採れる木を使う。ギターのパーツに適した材料は、それぞれ産地が違うから、ゆっくりと乾燥させて細胞を落ち着かせて馴染ませないといけません。合板を使うメーカーもありますが、やはり本当の音は出ません。

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学校の工場見学でも人気のコースとか。

矢入

全部解放していますからね。買って頂く方はもちろん、生の木からそれを乾燥していく過程も含めて、工場をいつでも見学してもらっています。ギターが好きな人は、自分の好きな楽器が工場のどこにあるかを探したりしますよ。
今は生活を取り巻く品があり余っている状態ですが、ヤイリのギターは一つひとつ音が違います。そういう物を作っているんです。だから現場を見てもらって――すっぴんを見てもらって、好きな人に好きなギターを作ってあげるというシステムを取っているんです。店頭にきれいに並んだところを見ても気付かないけれど、こういう現場を見ることで、例えば暖房の前に置くと楽器は傷むし、荒れるということが分かる。木というのはデリケートなんですよ。

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アコースティックギターにおいては先輩だった西洋の人達にとっても、モノづくりに真摯に取り組んでらっしゃる、そうした姿勢は魅力の一つなのでしょうね。

矢入

日本製とかにこだわっているのではなくて「面白いと思うことをやる」というのが、うちの社風です。難しい事ばかり言っても面白くないじゃない?(笑)。そういう中で、もとは西洋の楽器であるギターを本物にしていくのと同時に、三味線や三線(さんしん)といった日本の文化も取り入れていこうと思います。
この「一五一会」は、ビギンというグループと共同開発したもので、三線という沖縄の楽器にギターの音をプラスした楽器です。指一本で簡単にコードを押さえられるので、誰でも弾き語りができます。普通ギターというと左右対称の形状だけれど、一五一会は左右非対称でしょう? 持ちやすく音を簡単に出せるようにと、この形にしたんです。楽器に触ったことがない方も、障がいのある方も弾くことができると、評価していただいていますよ。

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一五一会は、若手の方が作っていると伺いました。職人技というと、若いうちは、修行中で、一つの仕事などさせてもらえないという印象がありました。

矢入

こんなオジンがやる時代じゃないというか(笑)、若手は「TEKTEK」「Nocturne」「Shizuku」といった、手にやさしいコンパクトギターを開発していて、私はモノづくりの理論というか、その「味付け」を担当しています。味付けは若い者がやるところじゃない。でもその本質は「木」。木から離れてはいけないし、源が違うことはやりません。K.Yairiモデルでも、コンパクトギターでも、一五一会でも、その本質は一緒です。

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工房には、幅広い年代の方がいらっしゃいますね。

矢入

技術を固めるという意味もありますが、彼らは30、40年のベテランです。普通ベニヤ板というと一律10ミリとかにスライスするけれど、ギターの心臓部は、その木が生まれた時の性格で、削り方が一つずつ違うんです。それを彼らは手の感覚で、一つずつ切っていく。木をとにかくたくさん触って熟知していないと出来ないことですし、出来上がった楽器も一つずつ違うわけです。
うちは会社ですから、もちろん定年があるけれど、退職後も仕事をしている者が4人程います。60歳までは仕事として、その後は好きな人とデートするような感覚で、好きな楽器を作るんです。例えば浮世絵を描いたギターがありますが、これも定年を過ぎた人が作っているものです。楽器作りというのは、趣味の延長で作るものとも言えるでしょうね。この4人は、今はコンピューターでやってしまっているような事や小さな部品も一つずつ手で切り出し、組み立ててきた職人たちであって、マシンに左右されない生き方をしてきた人たちです。皮膚感覚です。



大切だと思うことを実直に守ってただ好きなことを続けてきた

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本当に木がたくさんありますよね…。

矢入

ここで、大体2000坪程あります。立派な工場じゃないけれど、材料である木だけはたくさんもっています。木は、極端に乾燥はさせません。こうして静かに、5年、10年寝かせておるわけです。非常にロングランだから、ビジネスとしては成り立ちませんねぇ(笑)。

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材木屋さんみたいですね。

矢入

木の他は何もない(笑)。育てたり、乾燥させたり――そうやって自然に逆らわずやっています。今は、そういう余裕がないんでしょうね。ギターを作っているところは世界中にあるけれど、自然の物を生かして楽器を作っているのは本当に少なくなりました。楽器というのは、マニュアルを見て、その通り組み立てれば完成するというものじゃない。木は生き物だから、その都度変わりますし、マニュアル化なんてできないんです。

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新人はまったくの手探りということなんですか。

矢入

東に行くか、西に行くかを示すようなものはありますけれど、細かいマニュアルなんて作っていません。同じ物がたくさんあっても、つまらないでしょう? ファッションだって、自分でコーディネートして、自分のファッションを作るから面白いのであって、ギターも同じ。自分だけのために自由にコーディネート出来なければ、好きにはなれないでしょう。

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マニュアルのようなものは必要ないですか。

矢入

字もよう書かんし、面倒くさいわ(笑)。ただ、あっちに行くか、こっちに行くか、どういう楽器を作るかは、しっかりと決めています。それにギター作りは総合力に長けていないといけませんから、そこからどう作るかは自分の才能次第。その反射神経は、スポーツ選手と一緒ですね。

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工房では、最初から最後まで一人の職人さんが担当するのですか。

矢入

今日はここをやって、明日はこっちをやってと手伝うところは手伝います。何年もかけて、すべての工程を経験して、その感覚を自分の身体で習得して、だんだん成長していくんです。

(ここで、若者が自作の楽器の持ち込みに来ました)

矢入

どれ、見せてみ。ほお、良い音に出来上がったなぁ。

若い人

いただいたアドバイスのおかげです。どうしてもヤイリギターに入りたくて、他で働きながら自分の技術を上げて、ここで働くことを目標にしているんです。

矢入

追い出してはまた来て、また追い出して…。こういう優秀な人が、うちにはたくさんいらっしゃるんですよ。好きな事をやって、好きな人と一緒になって、飯を食っていければ一番良い。我慢して嫌なことをやって、飯を食って腹が膨れても、自分で何かチャレンジしようという気にならんでしょう。
こういう若い人材を1、2年のスパンで入れて、育てていかれれば一番良いんだけれど、彼の一生の問題ですからね。今、OEMで海外で製作された安い楽器がたくさん出回っていますが、本物の楽器はこうした個人プレー的なところから生まれるもの。マニュアルによって組み立てていくような時代だけど、楽器は料理と一緒。機械化して、無人化していくと、人間的な「味」が無くなってしまうんですよ。そこに手間をかけないと、家庭という「味」が無くなってしまうように、ギターも本当は一人の手で、大きな木から小さなパーツまで関わらないと、味が出ないんです。

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(若い人に)ギターづくりを本職にしたくて、アルバイトをしながら修行をしていらっしゃるのですか。

若い人

そうです。何回か作り直して。去年の9月に1本目を見て頂いて、これで4本目です。

矢入

最初はボロクソ言われてね。

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そんなにいろいろ言われましたか。

若い人

実績を残されている方ですし、自分は、まだほとんど素人に毛が生えた程度なので、自分では気付かないところを指導して下さって。ちょっとした事ですが、実際にそれを改善してみると「あ、こんなに変わるのか」と。そういう事って、言われなければ分からないので。

矢入

ギターの演奏も好きだという人は、自分の好みがあってそれが全面に出る嫌いもあるけれど、私は幸い、そんな時代に育っていないし(笑)、いろいろなギターに触れてきたから、楽器を持つと鳴る楽器と鳴らない楽器とが肌で分かるんです。

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矢入さんもおっしゃっていましたが職人の道って10年後、一人前になっていないかもしれないわけですよね。そこに躊躇はありませんか。

若い人

ありません。学校で2年学んだ後、実際に作り始めてまだ3年しか経っていませんから。

矢入

自分で作って、自分で触って、そこにモノづくりの魅力があるんです。子供と一緒で親しみがわくんですね。それに木を触る人は、人間的にもまろやかだと感じます。
先日、アメリカの商社の方が見えたんですが、並んだギターを見て大はしゃぎで(笑)、商談もそこそこにずっとギターを弾きまくっていました。そして、こんなギターメーカーは、もうほとんどない。アメリカの有名ブランドだって、パーツ毎にラインがあって、大量生産だ、と。一方ここでは、職人が小刀でネックを切り出して、使う人の手にしっくり馴染むようにと職人が根を詰めて作業をしている。本当のギターだと言っていました。
私は、どうあっても、ただモノを作ることが好きな「たわけ」ですが、日本のモノづくりの現場は、もっと恵まれなければいけないと思うし、実際「渋さ」は、何十年もかけて匠の世界にならないと出てきません。結局はそういうところを大切にすることが、続けられることにもつながるんじゃないでしょうか。


矢入一男(ヤイリ・カズオ)

1932年、名古屋市出身。父、義市氏が経営する矢入楽器製作所の仕事を手伝いながら、楽器制作を学び、1962年30歳の時で渡米。65年、社名を「ヤイリギター」に変更し、社長に就任。中部楽器製造協会会長などを歴任、2005年現代の名工に選出。2006年黄綬褒章受勲。ギターブランド「K.Yairi」を始め、Wネックの開発など、海外でもその評価は高く、名だたるミュージシャンが愛用する楽器となっている。

●取材後記

受勲もされ、事務所の壁にはたくさんのミュージシャンと肩を組んでうつる写真が並んでいる。ちょっと緊張しながら事務所に入ると、ニコニコと迎えていただき、すぐに取材が始まった。ハッとする感覚的な言葉がふとした拍子に出てきたり、就職希望の若者に対する温かい言葉にじーんとなったり…。晴れ晴れとして帰路に着いた。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治
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