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かしこい生き方 理学博士 鈴木 忠さん

「至るところにいるのに、ほとんど知られていなかった 4対の足で歩く最小の動物、それがクマムシです。」

私たちの世界の多様性を改めて教えてくれる「クマムシ」という生物がいる。 あまりに小さいので、普段目にすることはないが、 私たちのそばにいるありふれた動物だ。 4対の足でのそのそと歩くその姿は、とにかく愛嬌があるが この生物の興味深いところは「小さくて愛らしい」だけではない。 極端な乾燥状態、超低温状態でもへっちゃらというのだ。 このクマムシの研究で知られる鈴木忠さんに 不思議な生物、クマムシについてお話を伺った

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すぐそばに、たくさんいる、知られざる動物 8本足で歩く愛らしい姿に感嘆

鈴木

クマムシの研究をしていると、人からまず「クマムシって虫?」と聞かれることが多いんです。

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「クマムシ」は、虫、つまり昆虫ではないんですよね。

鈴木

ムシではありますけれど、昆虫ではありませんね。緩歩(かんぽ)動物門に属する動物です。「緩歩」というのは、ラテン語では、タルディグラーダ(tardgrada)と言います。「テンポの遅い」という意味です。緩歩動物門にはクマムシしか分類されておらず、足で歩く動物では、一番小さいと言えるでしょう。

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しかも陸上から海の中まで、至る所にいるんですよね?

鈴木

確かにヒマラヤの山の上にもいますが、バクテリアや人間も至るところにいますから(笑)。しかし、どこにでもいると言ってもオフィスの机の上にいるというわけではありませんよ。例えばバクテリアは、種類を限らなければ、どこにでもいますが、クマムシはそういうわけではありません。クマムシいるのは、樹に付いている苔や土の中、川や海の底、それに森の中の葉っぱの下などでしょう。とはいえ、その辺りを探せばすぐ見つかるかというと、苔を取って来ても、見つかる可能性は2〜3割程度。クマムシは、パッチ状に生息しているんです。ビルの屋上の苔からも見つかりますが、自分で歩いていったとは考えにくいので、何かにくっついたか、乾眠(かんみん/後述)の途中で風に飛ばされたか…。

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まだ見つかっていない種が多くあるそうですが、見つかった種がクマムシだと決めるのは、どうやって?

鈴木

クマムシの定義というのは、まず足が節足動物のような関節を持たないという点。足の先端には鉤爪や吸盤が付いています。このタイプの足をロボポディア (lobopodia)、翻訳語では葉足(ようそく)と呼ぶことがあります。それに、頭部を含めて5体節に分かれているということが、1000種類程あるクマムシに共通します。

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1000種類もいるのですか!

鈴木

ええ。今、見つかっているもので約1000種類。その内、海にいるクマムシが170種類程。あとは陸上か淡水に生息するものです。ただ、海のクマムシは調査されたエリアが限られているため、日本固有のクマムシは4種類しか見つかっていません。だから僕は一昨年から海のクマムシを調べ始めて、島原湾を探してみたところ、少なくとも16種を発見しました。中にはこれまで地中海でしか見つかっていなかった種類もいました。

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陸上のクマムシと比べて、形が派手ですね(笑)。陸上の種類と同じように、歩くのですか。

鈴木

ええ。苔の中に住むオニクマムシなどに比べると、手足が長いものが多いですね。島原湾だけでも、少なくとも16種はいて、そのうち半分ぐらいは、おそらくまだ名前がついていないもの、つまり新種です。おそらく日本近海だけでも、ちゃんと調べたら100種程度は、すぐ見つかるのじゃないかと思います。特に相模湾は、世界的に見ても海の生物の種類が格段に多いところなのですが、調査されていないので、きちんとした記録が一つもありません。現在その調査を始めたところです。

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ヒレというか翼みたいにも見えますが、泳ぐのですか。

鈴木

この種には傘の骨みたいな構造がたくさん突き出していて、ゼリー状の皮膜がありますね。泳ぐことは無理でしょうけど、もしかしたら浮遊するかもしれません。でもよく分かっていません。これと非常に近いものは、イタリアのバーリ大学の人たちが地中海で見つけています。地中海はかなりあちこち調べられていますが、面白いのは、この種類は、ある特定の海中洞窟とその近くでしか見つからないこと。ところがデンマークの研究グループが、オーストラリアの海中洞窟で、同じ種類のクマムシを発見したんです。大陸移動によって、大昔のテーチス海の海辺にいたものが海中洞窟に隔離されたまま動いて、そのまま残った遺存種ではないかと考えられていて、ものすごく面白いなと思っていたんですが、それと非常に近いと思われるものを、僕は島原湾で見つけてしまったわけです。

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島原湾の洞窟にいたのですか。

鈴木

島原湾に海中洞窟はないので、オープンな場所です。ただ島原湾は、ちょっと入り組んだりと地理的に特殊なところと言えるかもしれません。いずれにしても、日本の海のクマムシの調査は始まったばかり。まだいろいろな発見があると思います。


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乾燥が大好き。樽状になって眠ります 極限環境に強い小さな怪物?

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先生が、クマムシにはまってしまったきっかけは何だったのでしょう。

鈴木

見ていて面白い、というのが最大の理由です。一日中見ていても飽きませんね(笑)。僕が書いたクマムシの論文のうち、1本目は16匹のクマムシを別々に飼って観察日記をそのまま論文にしたようなものでしたが、論文賞を頂きました。それまでそうした研究がなかったからとも言えるでしょう。今、海のクマムシに興味を持っているのも、まずは日本近海がほとんど調べられていないという理由からです。そこにいるかどうか、もし発見したら、多分これまで誰も見たことがないクマムシだろう、という面白さですね。皆さん、クマムシの生命力の強さに関心があるようですし、もちろん僕もその不思議さに対する興味もありますが、それだけではないんですね。

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その不思議さというのは、クリプトビオシス(cryptobiosis)でしたよね?

鈴木

ええ。乾燥すると樽形になって、代謝機能を停止して死んだようになってやり過ごす能力です。その「なんだろう、この不思議な生き物は?」という気分は、クマムシが最初に文献に登場した200年前から、そう変わっていないのじゃないかと思います。1860年、パリで動物の蘇生についてまとめた報告書が出されたのですが、その表紙には「to be or not to be: that is the question」という、ハムレットの有名な言葉が引用されています。いろいろな訳し方ができるかと思いますが、この場合は「生きているのか、生きていないのか、それが問題だ」というくらいの意味でしょう。この報告書では、オニクマムシを発見したドワイエールという人が、苔の中でカラカラにひからびた状態でいるクマムシに水をかけたところ、何故か知らないけれど動く、要するに復活するという現象を発表した際、それを信じない人たちから、復活するなんてあり得ない、ひからびたように見えるけれど、ちょっとだけ水があって生き延びているのじゃないかという意見が出て、論争が起きた。それなら公開実験をしようとなって、当時として可能な限りの乾燥状態を作り出し、そこにクマムシを入れて、何日か放置した上で水をかけたところ、動いたことが確認された、と記されています。しかし、その、カラカラにひからびた状態のクマムシは、いったいどういう状態なのか、それについては何も述べていないんですね。

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表紙にハムレットの言葉を引用したのも、つまりは、その状態をどう解釈すればよいか分からない問題だと言っているということですか。

鈴木

そうですね。クマムシは、周囲が乾燥してくると体を縮めて樽状になり、代謝をほぼ止めて乾眠という状態に入ります。その状態を現在ではクリプトビオシスと呼んでいます。中でどうなっているのかはよく分からない。確かなのは、カラカラに乾いているけれども水を加えれば元通りになるという事だけ。その状態では、酸素が少ない方が良いということも分かっています。というよりも、むしろ酸素はない方が良い。あるいは、乾眠の最中は絶対零度でも生きられるのですが、それもそのほうが都合が良い。物の保存と同じ理屈ですが、違うのは、そこに生命が宿っているという点。どうしてそんな状態になるのか、というのは、分かっていない。クマムシにはそういう不思議さがあります。

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周囲が乾き始めると乾眠に入る…「乾燥してきたぞ」というのを、どのように感知しているのでしょう?

鈴木

顕微鏡をのぞくと、愛嬌のあるクマムシが歩いていた。

クマムシには眼と呼ばれている器官が一応ありますが、レンズはありませんから光を感知している程度でしょう。この眼も、光が届くようなところに生息するクマムシにはあるのですが、土壌の中や海の底にいるものにはない種が多いんですね。そういう点からも、この眼は光に関係があるのだろうと考えられているのですが、乾眠の仕組みとは、あまり関係なさそうです。恐らく皮膚感覚でしょうね。クマムシは卵の状態でも乾眠できます。つまり、まだ体ができ上がる前でも乾眠することがあるので、神経系も関係ないはずです。
オニクマムシを例にとれば、卵も、赤ん坊も、幼虫も親も、どの段階でも乾燥には耐えられることは観察で見ています。ということは、何かを感知して、しかし脳が指令を出しているわけではなく、細胞それぞれが独立して乾燥に耐えている…おそらく細胞膜の中と外の塩分濃度の違いを直接感知しているのではないかと思われます。

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人間なら、喉が乾いたり尿が出なくなったり、昆虫だったら体表が覆われていたりという乾燥に対する防御機構が、乾眠なのではないかということなんですね。

鈴木

ええ。クマムシは小さいので乾燥を防ぎようがない。だから積極的に乾燥するんです。ちなみに海のクマムシは、そういう仕組みを持っていないので、乾燥したらすぐに死んでしまいます。ですから、そうした機能を、いつ、どのように獲得したのかは分からないけれど、細胞がもともと持っている基本的な性質の中に、そういうオプションがあって、たまたまそのスイッチをオンに出来るものが陸上に上がってきて、乾燥しがちで他の生物が住めないようなところに住めるようになったのではないかと考えられます。ナメクジは、塩をかけると浸透圧の差によって体から水が吸い出されてしまいますが、クマムシは「水を吸い取られる」のではなくて、自分から積極的に水を出してきゅっと丸く樽状になって乾眠に入るのです。

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積極的に乾燥していくとは驚きです。そして乾眠に入ると代謝を止める…。

鈴木

水がないのでさまざまな化学反応がストップしますから、それによって代謝のない状態になります。普通の生物なら、代謝がない状態は死を意味しますが、クマムシの場合は、ただ「代謝がない」というだけの状態であって、水が加わったら代謝系が復活するわけです。

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とても不思議ですが、その状態でどの位いられるものなのですか。

鈴木

乾燥に強いオニクマムシの場合は、室温で放置しておいても1ヶ月くらいは大丈夫です。3ヶ月ぐらいだと駄目だったことがあります。家庭用冷凍庫に保存して3年後に蘇生させたこともあります。しかしきちんとした実験をしたわけではないので、どれ位までは大丈夫というようなはっきりしたことは、何とも言えないところです。

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クマムシの戦略ということですか。

鈴木

クマムシは「極限環境に生きる生物」ととらえられる事が多いのですが、極限環境にしか生息しないバクテリアなども知られています。「極限環境」とは、僕ら人間から見てのそれであって、そこに生きる彼らにとっては一番居心地が良い場所かもしれない。オニクマムシなどは、明らかに水がない方が好きですよ。観察していると、毛細管現象で、ちょっとだけ水が行きわたっている程度の場所を好むようですし、水と水との隙間を歩いていることも多い(笑)。要するに、それぞれの基準があるんです。それに、いわゆる「クマムシ」と言っても、種類によってだいぶ違います。

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クマムシはパッチ状にいて、見つかる可能性は2〜3割とおっしゃいましたが、例えば、私たちが海に行って見つけられることもありますか。

鈴木

これも種類によって、居場所も本当にさまざまですが、一般的に言えば水通しのよさそうな、貝が砕けたようなザラザラの砂の方がいる確率が高いようですね。僕の経験で言えば、バケツ一杯砂をすくってきて、いる時は、そこに何十匹と見つかるのですが、いない時は、全くいません。苔の場合でも、ひとつまみで何十匹と出てくる時もあれば、そのすぐ隣には全くいないといったように、分布密度がまだらなんです。見つかるには、運もあるのでしょうし、どこを切ったって同じ顔が出てくるというわけではないんです。

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その辺りも、先生がクマムシにはまる理由の一つなのですね(笑)。

鈴木

何か新しい種がいるのかなと探すのが楽しいですし、それがクマムシの研究を続ける原動力であることは間違いないですね(笑)。少なくとも僕のやっている仕事は、例えば癌を治すような医療につながるのですかと問われたら、直接にはつながりません。生命科学に貢献していますかと言われたら、知りませんとしか言えない。決して、何も考えていないわけではないけれど、僕はそういう言い訳をする必要はないだろうと思っています。ただ、生物の多様性については、データが取れていない部分がとても多いので、本当の意味で、基礎的な情報を蓄積する底力が必要だと感じます。そういう意味では、クマムシの調査という基礎的な研究を通して、大事なデータを取っている事にはなるのだろうなとは思います。


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鈴木忠(すずき・あつし)

1960年愛知県生まれ。慶應義塾大学医学部准教授。名古屋大学理学部生物学科卒業後、同大学院理学研究科博士課程終了。浜松医科大学にて糖脂質に関する研究、慶應義塾大学医学部生物学教室で昆虫の精子形成の研究に従事。1998年金沢大学大学院自然科学研究科より学位取得。著書に『クマムシ?!ー小さな怪物』(岩波科学ライブラリー)、共著に『クマムシを飼うにはー博物学から始めるクマムシ研究』(地人書館)など。

●取材後記

実際に鈴木先生の飼育しているオニクマムシの姿を見せていただいた。のそのそと言うか、トコトコというか、確かに歩く姿はかわいく、愛着がわく。おなかに卵がいっぱい詰まったクマムシもいる。そしてこの小さい体に不思議が詰まっている。こんな生物が、いつも通る歩道の街路樹の根元にいるかもしれないなんて、今まで考えたこともなかった。なんだか世界がイトオシクなる。恥ずかしいけれど、そんな気持ちになってしまう。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治
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