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日本デザイン探訪〜「今」に活きる日本の手技 益田文和

Vol.13 皐月の空を力強く泳ぐ一尾 青空×手描き鯉のぼり

「さつき」と聞くと昭和30年5月5日の東京の空を思い出す。そして、その抜けるような青空を背景に泳ぐ鯉のぼりが目に浮かぶのである。
あの当時、電気製品などというものは天井からぶら下がった40ワットの電球とアイロンの他にはラジオが一台あるきりだった。いつの間にか、何倍もの電気を使うようになって、暮らしは随分便利になったようだが、福島の原発が止まってみれば、東京中、大きな落とし穴に落ちたようにうろたえている。
エアコンを止め、コートを着たまま窓辺の明かりで仕事をしていると、空の青さがまぶしくてあの頃の鯉のぼりが欲しくなり、埼玉県加須市に出かけた。
JRも東武も一部運休しているので上野から宇都宮線の各駅停車でのんびり行く。久喜で東武伊勢崎線に乗り換えて、だんだん長閑になって行く車窓を眺めているうちに加須駅に着く。加須と書いて「かぞ」と読む。日本一の鯉のぼりの産地だ。駅前からの道沿いに立てられた鯉のぼりを眺めながらしばらく歩いて、明治以来百年に亘る手がき鯉のぼりの伝統を守る橋本弥喜智商店を探す。
五月人形、兜、鯉のぼりがぎっしりと並んだ店の2階で鯉のぼりを見せてもらう。鯉が滝を登って竜になる、いわゆる登竜門伝説に由来するという鯉のぼり、かつては和紙で作られていたというが、今は木綿布に顔料で色を差し、金引きで模様を入れる。くっきりとした輪郭と明快な色面の構成が、手がきならではの力強さを生む。空に泳がせたときの活きの良さは、化繊にプリントされた鯉のぼりの比ではない。翔という名の小鯉を一尾手に入れた。
加須市は福島県双葉町から町ぐるみの避難を受け入れたと聞く。日本中のありったけの鯉のぼりを泳がせて、被災された方々を始め、この国の再起を祈りたいと思う。

益田文和(ますだ・ふみかず)プロフィール

1949年
東京生まれ。
1973年
東京造形大学デザイン学科卒業
1982年〜88年
INDUSTRAL DESIGN 誌編集長を歴任
1989年
世界デザイン会議ICSID'89 NAGOYA実行委員
1991年
(株)オープンハウスを設立
1994年
国際デザインフェア'94 NAGOYAプロデューサー
1995年
Tennen Design '95 Kyotoを主催
現在
(株)オープンハウス代表取締役。近年は特にエコロジカルなデザインの研究と実践をテーマに活動している。
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