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かしこい生き方 俳人 金子兜太さん

「理屈ではなく感覚で伝える、そうでなければ理屈も成熟しません。」

俳句といえば、五七五という短い言葉の中にぎゅっと世界を凝縮させた 世界で最も短い定型詩。川柳などともに一種のブームにもなりつつ いざ、句作をしようとなると、構えてしまうかもしれない。 「そんな理屈をこねる前にどんどん作ってみなさい」というのは 日本を代表する俳人、金子兜太さん。9月に92歳を迎えるという 金子さんは、その自由な生き方でも多くの人の共感を得ている。 今回で記念すべき100号を迎えるこのコーナーにご登場いただき、 句作や命、生き方について、お話を伺った。

INDEX


俳句は音楽。噛みしめるほどに味わい深く 一瞬にして広がる世界が醍醐味

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俳句や川柳がブームと言われて久しいのですが、一方で「句作など難しいな」と思っている方も少なくないかもしれません。俳句というのはどんなものなのでしょう?

金子

私の場合は、俳句つくりでも特殊な人間でね、私自身が俳句なんですよ(笑)。私は埼玉県の秩父盆地で生まれました。山国ですな。そこで育っていく過程の中で、私の体の中に、俳句と言える要素が染み込んでしまったんですね。

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染み込む?

金子

私の父は秩父で開業医をしていたのですが、伝統芸能みたいなものにも興味があって、うちで明治神宮の遷座にあたって奉納する秩父豊年踊りの練習をしたり、句会が開かれたりしたものです。うちは農家でしたから庭が広うございましてね。そこで皆で集まっては練習していたのです。私が小学生のころでした。寝る時は、そういう秩父音頭の囃子や歌を聞きながら眠っていたわけですが、秩父音頭の歌は「七七七五」でしょ。五七調、七五調は、日本書紀以来の日本の古い叙情形式の基本です。それが私の耳から、頭の中に染み込んで、やがては体に染み込んだわけです。これが一番大きかったと思います。

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では体に染み込んで、小さいころから句作をされていたのでしょうか。

金子

いや、それほど俳句に馴染んでいたにもかかわらず、旧制高校に入るまで、俳句というものを作りませんでした。お袋が「俳句なんか作っちゃいけない」って言ってね。

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面白いですね。それはなぜでしょう?

金子

句会に集まってくる人達ってのが、秩父の山国育ちの筋骨隆々で野性的な男ばかり。頭が良い連中で、句を作っては議論するんです。子ども心に皆、頭が良くて、どこか知性の影があって、しかも野性味があって。後になって「知的野生」という言葉をあてはめたのですが、人間として非常に魅力的だなと感じたのです。そしてそんな彼らがわざわざ集まってくるのは、句という詩が素晴らしいからだと思ったんですね。ところが「酒なくて何の句会かな」というわけで(笑)、そのうち酔っぱらって俳句に関係ないことで喧嘩が始まったりするんですねぇ。うちの親父もまた、喧嘩を止めるのが好きで(笑)、始まるとドコドコと仲裁に入ってあちこちで「やめろっ」とやるわけです。それをお袋が見ていまして「兜太、俳句なんかやっちゃいけないよ。あれは喧嘩だから。喧嘩なんか野蛮な人間のすることだろう」と言うのです。それで私も俳句は作るもんじゃないと思っていたんですが、旧制高校に入って、ものすごく面白い人に出会って、それから俳句を作り始めるようになったんです。

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体に俳句の基本である五七調が染み込んでいたわけですものね。

金子

しかも俳句をやる人間の匂い、体臭が、魅力として染み込んでいました。だから俳句人間だと言っているんです。気取って「俺のアイデンティティは俳句だ」って言うこともありますが、これは余り迫力ないですね(笑)。まあ、それ程、俳句が大好きなんです。いや好きも嫌いもないんですよ。自分自身が俳句だし、他には能がない。果たせるかな、その後ずっと俳句中心でございましてね。

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(笑)。俳句人間と言えども、俳句を作るのをやめようと思ったことはなかったのですか。

金子

24歳で兵隊として戦線に出た時は、俳句なんて作るもんじゃないと思いました。目の前で人が無残な亡くなり方をするのを見て、愕然としましてね。戦争の悪を痛感しましたし、自分はその現場にいて俳句なんて作っている、そんなゆるい気持ちじゃだめだ、せめて亡くなった方のためにも、俳句をやめて、ひたすら現実と向かい合い、戦争なんてない世の中を作りたいという気持ちでした。気取った言葉だけれど、死者に報いる仕事をしなさいと自分に命じて頑張ったんです。頑張ったんですけれども、そんな状態の中でも俳句が出来てしまう。歩いていても、くしゃみをしても出来てしまう。そうやって出来た句を捨てる程のこともないと思って、その辺に書き留めていました。結局、俳句人間のままです。

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俳句人間ではない一般の人々に、俳句の魅力を説明するとすれば何だと思われますか。

金子

俳句の「五七五」というのは、五七調の最短定型、つまり一番短い日本の定型詩です。その魅力は、作れば作るほどに見えてくるものです。五七調のリズムによって、言葉は少なくても、心の中でその風景がぶわーっと膨らむんですね。それは、長い文章で伝える程の、いやそれ以上の効果を持っている。というのも五七調は音楽の塊。だからそれに乗ると、言葉がうんと響くのです。

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確かに長い文章で説明されたよりも、一瞬にして自分の目の前に風景が立ち広がり、言いようのない情感が深まるという句があります。

金子

全くその通りです。俳句には「A」と言っただけなのに「XYZ」まで分かってしまうような、かみしめればかみしめる程膨らんでくる力があります。俳句の五七五は、散文じゃなく韻文。つまり五七五という定型に、言葉を凝縮させた、音楽性を持った詩なんです。たくさん作るうちに、それが分かってくると思います。
ところが、どうもそれが分からない人というのもおられる。どうしてだろうと思っていたのですが、そういう人はどうも、毛虫でもつつくみたいに(笑)、おっかなびっくり、五七五に触りながら作っているんです。そういう人には、俳句の力は分からないでしょう。
それから、難しく考える人。もっと気軽にやらなきゃだめですよ。俳句という、素晴らしい詩の形があるのだから、とにかく作ってみようと、そいつを自由に大胆に使うと、その味が分かってきますよ。

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そうですね。俳句のファンは世界中に広がっていますしね。

金子

日本人は、逆に俳句に対して及び腰で慎重ですが、今、欧米だけでも俳句人口は200万人を下らないと言われています。彼らは俳句=Haikuを、自分達がまだ体験したことのない、三行の最も短い詩ととらえています。特にアメリカの人達は熱心で、Haikuの特徴は何かと聞くと、多くの人が「瞬発的な美を捉える魅力」と言います。欧米の詩は一般的に長いですが、Haikuは、自分の思ったことを捉えたままに短く書いていくもので、中身がどうとか言いません。気軽な気持ちでつきあっているので、彼らの名刺には「ハイキスト(Haikist)」「ポエット オブ ハイク(Poet of Haiku)」なんて書いてあります。日本人で「俳人」なんて書いた名刺を出す人は、恥ずかしがっていないですがねぇ(笑)。

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確かにそうかもしれません。

金子

アメリカの詩人、ゲイリー・スナイダーと話した時、欧米圏の「Haiku」は、瞬間の美をとらえる最も短い詩という捉え方で、日本の俳句とは異なる、独立したものであり、その普及が一つの目標だというんです。私が「それでは本家の日本は怒りますよ」と言ったら「Haikuを広めることと、日本の俳句を深く理解することとは違う。日本の俳句はアニミズムを感じさせてくれる」というのです。そして彼らの俳句の中にはそのアニミズムがないから、日本の俳句から中身を学びたいとも言っていました。私も求めているところは結局一緒ですと話しましたが、さて、日本のアニミズムは、特殊だと思います。一茶の句に「やれ打つな蠅が手をすり足をする」という有名な一句があります。これは学校で「生きとし生けるものを大切にしましょう」という一茶の教えだというような説明を加えたりしますが、それは違います。一茶は人を教え導くような性格ではありません。もっと素朴に、目の前にいた蠅が足をこすっているな、あ、飛び立ったなという様子を、先入観を捨てて見たままに表現したものです。

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うまい表現が見あたりませんが、そういう人間の回りにある自然と、気負うことなく共存している様子が見えます。

金子

おっしゃる通りですね。19世紀のイギリスの人類学者のE.B.タイラーが、現代アニミズムとは、生死を問わず、すべてに固有の魂を認めることだと書いています。それは極端に言えば、抽象的な概念に対しても生きた魂を感じるということです。私は、そんな固い言い方ではなくて、俳句を通じてもっと柔らかく、この一茶の句に詠まれた「蠅」の感触みたいな気持ちが日本のアニミズムだと思うんです。だから「アニミズム中のアニミズムとは、こういうことなんだ!」と伝えたくて「生き物感覚」なんて言葉を使っていますが、まだうまく言えません。これからの宿題ですね。

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いつごろ、できそうですか?

金子

きゃははっ(笑)。そりゃあなた、ひどいこと言うなぁ(笑)。ふふふっ。一生だめかもしれないですよ。だけど本当のアニミズム、日本人にしか言えないアニミズムがあると思います。そうやって、焦って求める自体が、アニミズムの基本姿勢に反するのかもしれませんけれどね。


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自由に、心を開いてあるがままを受け入れる 感覚の確かさを信じて

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欧米圏では、俳句との関わり方が日本人とは全く違うのですね。

金子

日本人は俳句に対してもっと自由にならないかなぁと思います。「てにをは」がどうだとか、季語が入るとか、これは川柳なのかとか、どうでもいいじゃないですか? せっかく日本に古くからある定型詩です。うまくできるだろうかと恥ずかしがっているのは、トイレに入って、自分のおならに恥ずかしがっているような感じでしょう?(笑)どんどん詠んだらいいのです。自由に、心を開いて、馬鹿みたいな顔で俳句を作ってご覧なさい、と思いますね。

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馬鹿みたいな顔で俳句を作っていいんですか。

金子

いいんですよ。詩の形式と、もっと自由な向かい方をしないと何も出来ません。俳句に限りません。あらゆるジャンルに共通します。俳句だの川柳だのが気になったら専門家に見せて「こういうのができたけれど」と聞いてください。私だって、俳句か川柳か、その位は判断できると思います(笑)。

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とにかく作ってみましょう、と。

金子

まずは、そういった辛気くさいことを考えないことです(笑)。日本人には小さな辛気くささがたくさんあって、それが日本人を不幸にしている部分があります。もっと大らかにならなくちゃ。特に自己表現を行うという場合は、もっと馬鹿にならなきゃいけないですよ。

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俳句と聞くと、馬鹿になるというよりは、知性的にならなきゃいけないと思いがちですが…。

金子

それは大変な誤解です。俳句に限らず、何についても言えるのですが、日本人というのは、何かする前に、自分のフンドシを締め直してみたり、形から入るでしょう? そうじゃなくて、フンドシなんて履いていなくてもいいから(笑)、やってみようとぱっと飛びつくような自由さがあればと思いますね。

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先程の一茶の句にも共通する、自由に、見たままに、ということですね。

金子

そうです。あの句の解釈が理解できる感性というのは、なぜか女性に多いんです。そういう感性というのは、女性の方がやはり素朴で生き生きしていますね。男性は何となく癖や理屈が付いているんでしょうか。理屈が付いた感性では、あの句は分からないですよ。
以前、カルチャーセンターで句を教える講座を持っていましたが、第1回の講義では、開口一番「皆さん、理屈は忘れて感覚で作って下さい。五七五もどうでもいい。五七五なんて、皆さんの体の中にあるんだから、その自分の体の中にある俳句という形式を使って、とにかく感覚で作って下さい」とお話ししたんです。そうしたら女性達は嬉々としてどんどん良い句を作るんです。ところが、定年退職組が多い男性陣は、今まで勤めて来た体験の集積を頭の中で作り上げて、思想にして、それを俳句にしようとするわけです。つまり人生観を書きたいんであって、感覚なんかで書きに来たわけじゃないという思いがあります。でもだからなかなか良いものが作れません。そのスクールで教えた3年間、圧倒的に女性の句の方が良かったですね。スクールが終わって帰る時に、女性は皆胸を張って颯爽と帰るのに対して、男性は悔しそうにうなだれて帰っていく、あの風景が、愉快で愉快で今でも忘れられません。はははっ(笑)。だから感覚が大事なんですよ。それが始まりなんですよ。

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感覚を忘れては、ろくなことがないと。

金子

始めから理屈でかかると、その理屈が成熟しないばかりか、感覚がないから伝達力もないのです。人に伝える力があるのは感覚なのです。感覚の共有があるからこそ相手に伝わるんです。
でも、今の日本の人達は、女性の場合でも理屈で迫っていく人が多くなりましたね。アクセントを付けないと面白くない、表現というのは、ただ感覚を書くだけでは素朴過ぎると思っているのかもしれないですな。ただ「理屈」という言葉を今の女性達は好かないから、そうじゃなくてアクセントやアヤが欲しいと言って無理につけようとする。でもアヤが付いただけで、つまらなくなってしまう。それは男にも影響していて、どうも妙な癖がある。それがないと特徴がない、人が乗って来ないと思っているのかもしれないけれど、あれは危ないですね。

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なるほど、生の感覚を尊重するというのは、すごく大事なことですが、金子さんご自身の生き方のお話でもありますね。金子さん自身、そういう生き方をされてきたわけですか。

金子

そういう人間だからか、割合気軽に長生きしているわけです(笑)。9月で92歳です。

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一説には8月生まれとか?

金子

よくご存じで(笑)。母方の伯父が戸籍の名前を間違えて登録しちゃいましてね。「兜太」というのは本名なんですが、私が生まれた時、海外にいた父親が電報で「なまえはとうた」と伝えてきた。あわてものの伯父は、「それ『藤太』だ」といって戸籍を出しちゃったんです。ところが、その後の電報で「じはかぶとにふとい」と。それで戸籍の名前を修正するのに一ヶ月かかった、なんて与太話をして少し銭を稼ぐわけですな(笑)。はははっ。

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ふふふっ(笑)。

金子

ふぅふふっ(笑)。まあ、でも92歳まで元気で、こうしていられるというのは、長生きなんでしょうな。自由さ気軽さ、というのが大きいのじゃないでしょうか。俳句に対しても、それ以外のことを見ても、私の場合、余りこだわらないですね。女房だって、戦争から帰って来て、遊びにいった先にいて、すぐ結婚を申し入れちゃったんですから(笑)。いいと思ったらぱっと飛び付く。そういうところが昔からあります。

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飛びつきましたか(笑)。では失敗したということは?

金子

もちろん「しまった」っていうこともありますけれど、別にこだわりませんね。それが私にとっては非常にプラスになってますな。
もう一つ、私が80歳の時に女房に先立たれて痛感したんですが、人間は亡くなっても命はなくならないという確信を持ったんです。それまでもそういう思いはありました。小林一茶や放浪俳人と呼ばれる種田山頭火の生き様を見ていると、命は死なないと感じてきたんです。亡くなっても他の所で生きているという「他界説」というものがあります。命は場所を変え、姿を変え、移っていっているだけだとーー女房が去ってから、確信は強くなりました。最初は、女房の命がなくなってしまったと思いたくないという気持ちからだったでしょうが「そう思えない」と確信を持つようになったんです。「確信」というと人為的ですけれど、今は、自ずとそう思ってしまうのです。こうして話していても、あなたも私も二人ともいずれは逝くという形は取るけれども、互いに命はどこかで生きていて、またどこかで会えるだろうと思うーーそういう気持ちが身に付いたことが、私が今、元気でいられる理由じゃないかしら。とにかく「死」と言った時の、あの不気味な物悲しい感覚が…全くないとは言いません。でも、ずいぶん遠ざかってしまっているというのが事実です。だから非常に気軽な状態で、目の前に、ブドウのように死がぶらさがっている感じです。つまんで食ってもいい。そんな感じがねぇ、あるんですよ。


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金子兜太(かねこ・とうた)

1919年埼玉県生まれ。東京大学経済学部卒業、日本銀行入行。『寒雷』同人。62年『海程』創刊、85年同誌主宰。87年1月から朝日俳壇選者。紫綬褒章、NHK放送文化賞、日本芸術院賞など受賞歴多数。2005年日本芸術院会員。現代俳句協会名誉会長。著書に『少年』(風発行所)、『蜿蜿』(三青社)、『暗緑地誌』(牧羊社)、『詩経国風』(角川書店)、『皆之』『両神』(立風書房)、『東国抄』(花神社)、『金子兜太集』(全4巻筑摩書房)、『定型の詩法』(海程新社)、『放浪行乞』(集英社)、『種田山頭火』(講談社)、『漂泊三人』(飯塚書店)、『一茶句集』『わが戦後俳句史』(共に岩波書店)、『俳句のつくり方が面白いほどわかる本』(中経の文庫)、鶴見和子との対談『米寿快談』(藤原書店)、『悩むことはない』(文藝春秋)など多数。

●取材後記

マジメな表情で、冗談を言われる。大笑いしながらも、響く言葉がちりばめられていた。印象的だったのはお母様の言葉。104歳で亡くなったというお母様を病院に見舞った時。お母様いわく「与太が来た、与太が来た、ばんざーい」とおっしゃったとか。俳句の道なんか進むんじゃないと言っていたお母様は、金子さんのことを本名の「兜太」と呼ばずに「与太」と呼んでいたとか。「いい親子関係でしょ?」と金子さん。本当に。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治
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