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ニッポン・ロングセラー考 Vol.103 バウムクーヘン ユーハイム

本国が認めた"まっすぐなおいしさ"日本で花開いたドイツ菓子の王様

INDEX

日本で初めてバウムクーヘンを焼き上げた菓子職人

カールとエリーゼの肖像

カール・ユーハイムとその妻エリーゼ。日本におけるバウムクーヘンの生みの親。

「デア バウムクーヘン」

当時のバウムクーヘンは円柱ではなく円錐形。写真はオリジナルに近い現行商品「デア バウムクーヘン」(7層、1575円)。

クリスマスをはじめとして、冬は何かと洋菓子を口にする機会が増えるシーズン。ロシア菓子、ドイツ菓子、フランス菓子など洋菓子の世界も多種多様だが、日本人になじみ深いお菓子を選ぶとすれば、"ドイツ菓子の王様"バウムクーヘンは間違いなくそのひとつに挙げられるだろう。
ドイツ語で「バウム」は木を、「クーヘン」は菓子を意味する。つまり、木のお菓子。切り口が年輪のように見えること、あるいは木の芯棒をくるくる回しながら作ることから、そう呼ばれるようになったらしい。年輪は長寿や繁栄をイメージさせることから、日本では結婚式の引き菓子としてよく使われる。

ここ数年、日本ではブームが続いており、若い人たちの間でもバウムクーヘンは人気が高い。新しいブランドも次々と誕生しているが、古くからの洋菓子好きにとってバウムクーヘンといえば、ブランドはやはりユーハイムということになる。何を隠そう、日本で最初にバウムクーヘンを作ったのはユーハイムの創始者、カール・ユーハイムその人なのだ。

南ドイツ生まれのカールが菓子職人の道に入ったのは十代の頃。1908(明治41)年、当時ドイツの租借地だった中国の青島(チンタオ)に渡り、菓子・喫茶の店に就職した。翌年、若干23歳の時にその店を譲り受けて独立。当時から彼が作るバウムクーヘンは好評で、店は大繁盛した。生地を焼き重ねていくバウムクーヘン作りは工程が複雑で、熟練の技が必要。腕の確かなカールは、ドイツ菓子マイスターの資格も取得した。
28歳の時にエリーゼと結婚。二人は将来アメリカで店を開くという夢を抱きながら、青島での新しい生活をスタートさせた。

だが、幸福な時間は長くは続かなかった。まもなく第一次世界大戦が始まり、青島はドイツに宣戦布告した日本軍によって陥落。開戦翌年の1915(大正4年)、カールは日本軍の捕虜となり、妻子を残したまま大阪、そして広島の似島(にのしま)収容所へと移送された。
この似島で、カールは日本で初めてバウムクーヘンを焼くことになる。19(大正8)年、広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム)でドイツ人捕虜製作品展覧会が開かれることになり、家具やソーセージと並んでバウムクーヘンを出品することになったのだ。材料集めに苦心したものの、カールは自慢の腕を活かして見事なバウムクーヘンを焼き上げ、周囲の日本人を驚かせた。
この時カールは、職人の腕と同時に商売人としての才覚も発揮している。日本人の口に合うよう、バターの量を少なめにしたのだ。日本軍に占領された時の経験から、彼は日本人の好みをよく知っていたのだろう。
カールの職人技と味に対するセンス、そしてエリーゼの献身が、その後のユーハイム繁栄の礎になる。


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激動の時代を生き抜き、会社の基礎を築き上げたユーハイム夫妻

JUCHHEIM'S外観

神戸・三宮の「JUCHHEIM'S」。英国人ミッチェル設計による、神戸初の洋館だった。

JUCHHEIM'S」店内

「JUCHHEIM'S」の店内。奥の棚にバウムクーヘンが並んでいる。

戦後、捕虜生活から解放されたカールはドイツにも青島にも戻らず、明治屋が銀座に開店した喫茶店の製菓部主任として働き出した。仕事熱心で妥協を許さないカールが作るバウムクーヘンは、ここでも大きな評判になる。客からの注文に応じ、ひとつひとつを正確に切り分けて販売。ちなみに1960年代に入るまで、バウムクーヘンはピラミッドケーキと呼ばれていた。
家族を青島から呼び寄せ、一緒に暮らし始めたのもこの時期。経理の知識があったエリーゼも同店で働き、カールを手伝った。
3年の契約終了後、ユーハイム夫妻は横浜でレストランを経営しているロシア人から、店を譲りたいという話を持ちかけられた。店は不人気で客も少ない。夫妻は断るつもりだったが、"神の声を聞いた"エリーゼが考えを変え、店を購入することにした。

開店は1922(大正11)年。エリーゼの名を取り、店名は「E・ユーハイム」にした。前の持ち主の借金を引き継ぐという厳しい条件だったが、バウムクーヘンはじめカールが作る洋菓子なら客を呼べる。それだけではない。エリーゼは近隣の店より格段に安いドイツ風ランチを出すことを思い付き、これが大当たりした。
日本人客や外国人客が次から次へとやってくる。初日の売上げは125円。出店は大成功だった。だが、夫妻は再び大きな不運に見舞われる。翌年の関東大震災で横浜の街が壊滅したのだ。ユーハイム夫妻と幼い子供二人は、倒壊した店から命からがら逃げ出した。一家は船に乗り、被災外国人を受け入れている神戸へと向かった。
この時、カールのポケットに入っていたのは5円札が1枚だけ。白米20kg分の所持金が、彼らの全財産だった。

知人の家に身を寄せたユーハイム夫妻は、新天地となった神戸で再起を図る。横浜同様、神戸には昔から多くの外国人が住んでおり、洋菓子の需要は充分にある。店舗を借りることになった三宮近辺に外国人が集まる喫茶店がなかったことも、プラスに働いた。
1923(大正12)年、救済基金から借りた資金を元手に、夫妻は菓子・喫茶店「JUCHHEIM'S」を開店した。目玉商品はもちろん、カールが作るバウムクーヘン。店には横浜時代から外国人や日本人の職人がいたが、バウムクーヘンだけはカールが自分の手で焼いていた。マイスターとしての誇りが、人任せにすることを許さなかったのかもしれない。

「JUCHHEIM'S」は開店当日から大賑わいだった。初日の売上げは、横浜店を凌ぐ135円40銭。カールが作るバウムクーヘンは口伝えで人気を博し、開店1年後には大阪や神戸のホテルからも注文が入るようになった。夫妻は店舗の近くに土地を借り、新しい工場を造った。
全てが順調だったわけではない。神戸の大丸が洋菓子部門を始めると、バウムクーヘンだけでなく洋菓子全般の販売に陰りが見えてきた。弱気になったカールや職人たちに向かって、妻エリーゼはこう語りかけた。「私たちは最高の材料と最高の技術でお菓子を作っています。心配ありません」。
この言葉に勇気づけられたカールは全国から意欲あふれる職人を集め、窮地に陥っていた店を復活させた。

経営が安定したユーハイム。だが、世の中は巨大な暗雲に包まれつつあった。第二次世界大戦が勃発し、ユーハイムの職人たちも次々と召集されていった。材料が手に入らないので、洋菓子作りもままならない。1945(昭和20)年6月の神戸大空襲で、工場も焼け落ちた。同年8月、終戦の前日に、カールは愛する妻に看取られながら息を引き取る。
「神様か、菓子は…」それが最後の言葉だった。


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かつての職人たちがブランドを再興、一大洋菓子メーカーへ

パッケージの変遷

1960年代。木の年輪をデザインした缶に入っていた。

パッケージの変遷

1970年のパッケージ。缶の絵柄がドイツの古城に。

パッケージの変遷

1983年から2003年まで21年間使われたパッケージ。

パッケージの変遷

2003年には紙のパッケージへとチェンジした。

パッケージの変遷

2004年、ドイツのデザインスタジオによってロゴとパッケージを変更。

パッケージの変遷

創業100周年にあたる2009年からは、現在のデザインに。

終戦後、エリーゼはドイツへ強制送還された。終戦前に娘と夫を亡くし、戦争で息子を失った。夫婦の命と言えるユーハイムも閉鎖され、消えてしまったかに思われた。
だが、ユーハイムにはカールが育てた職人たちが残っていた。戦場から帰ってきた数人の職人たちが中心になり、1948(昭和23)年任意組合「ユーハイム商店」を設立。50(昭和25)年に株式会社ユーハイムに改め、神戸の生田神社前に店舗を構えて復興への足がかりを作った。
その3年後、会社はドイツからエリーゼを呼び寄せ、会長として迎え入れた。エリーゼは既に60歳。普通なら引退する年齢だが、彼女は違った。毎日店に出て客の相手をする。戦前と同じように、商品の並べ方や従業員の教育にも気を配った。71(昭和46)年に79歳で亡くなるまで、エリーゼは神戸の地を離れなかったという。

戦後のユーハイムは無理な東京進出や神戸工場の消失などから経営危機に陥るが、取引先のひとつだったバター工場の社長、河本春男を専務に招き入れ、再建を果たした。河本は看板商品のバウムクーヘンを販売の前面に押し出し、全国への出店を加速。1972(昭和47)年にはユーハイムを全国300店規模の洋菓子メーカーに育て上げた。76(昭和51)年には、逆上陸の形でドイツのフランクフルトにも店を出している。

戦前・戦中・戦後と歴史の波に翻弄されてきたユーハイムだが、肝心のバウムクーヘンはどのように変わってきたのだろう? パッケージこそ時代に応じて変わってきたが、中身はほとんど変わっていない。現在のユーハイムが標榜するのは、"まっすぐなおいしさ"。その意味は、「純正材料がおいしさの秘密」(カール)、「身体のためになるからおいしい」(エリーゼ)という、創始者二人の言葉からも明らかだ。
使用するのは自然材料のみ。バターは無塩の「特級バター」を使い、微妙な塩加減は後から調整する。砂糖や卵なども、可能な限り身体に優しいものを選んでいる。乳化剤や膨脹剤などの添加物は一切使わない。コーティングにチョコレートを使ったり、風味を変えた商品を作ることはあるが、生地の基本は100年前から今に至るまで全く同じ。安易に流行を追うことなく、古き良き伝統を守り続けている。

流行の新ブランドに比べると、ユーハイムのバウムクーヘンはやや口当たりがしっかりしていると感じるかもれない。だが、これこそが本場ドイツのバウムクーヘン。ドイツには厳しい基準があり、「バター以外の油脂を使わない」「膨脹剤を使わない」といった条件を満たしたものだけがバウムクーヘンと認められる。
ドイツ基準であること──ユーハイム製バウムクーヘンの真髄は、この一点にある。


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100年の伝統を守りつつ、多様なブランド展開で商品を訴求

「バウムクーヘン トゥルム」2012年限定パッケージ

「バウムクーヘン トゥルム」の2012年限定パッケージ。1575円。

「バウムクーヘン10」

最も人気の高い定番商品「バウムクーヘン」。1050円。

「バウムブリュッケ20」

冬季限定バウムクーヘン「バウムブリュッケ」。2100円。

世代を越えて多くのファンが付いているユーハイムのバウムクーヘン。現在のラインアップを見てみよう。ポイントは8種類ものブランド(店舗も別)があること。同社は多様化するユーザーニーズに対応するため、70年代後半から多ブランド展開を進めてきた。そのうち半分のブランドでバウムクーヘンを販売している。

中心にあるのは、最も店舗数の多い「ユーハイム」ブランド。そびえる塔をイメージした円柱形の「トゥルム」は、毎年恒例の期間限定パッケージの人気が高い。今ならクリスマス限定パッケージも用意されている。同ブランドのロングセラーは、輪切りタイプの「バウムクーヘン」。一番売れるのは、最も薄い40mm厚の「バウムクーヘン1050円」だという。更に小さくカットした「リーベスバウム」も人気商品。手軽に食べられるので、オフィス需要にも向いている。

ドイツのデザインスタジオ「ペーター・シュミット・グループ」とのコラボレーションによって誕生したブランドが、「ユーハイム・ディー・マイスター」。ドイツ・リューベックの名産であるマジパン(砂糖とアーモンドをすり合わせたペースト)を加えた、柔らかくしっとりした食感が特徴だ。こちらにも「トゥルム」や「バウムクーヘンリング」がある。
「カールユーハイム」は創始者の名を冠したブランド。発酵バターやビート糖、ドイツのマジパンやアルプス産の岩塩など、特別な材料を使って作られている。「バウムクーヘンリング」のほか、板状に焼き上げたユニークな「バウムリンデ」もある。
本場ドイツの基準と完全無添加の柔らかさにこだわったのが「マイスターバウム」。卵が持つ膨らむ力や柔らかくなる力を活かすことで、しっとりと柔らかな口当たりを実現している。

通年商品のバウムクーヘンが充実しているので、新商品の数は毎年2、3アイテムに限られる。冬期の新商品は、「ユーハイム・ディー・マイスター」ブランドの「バウムブリュッケ」。マジパン入りのバウムクーヘンをミルクチョコレートでコーティングし、食べやすいスティックタイプに仕上げた。

ユーハイムは、バウムクーヘン以外にも多くの種類の洋菓子を作っている。だが、売上げの約半分はバウムクーヘンによるもの。同社にとってバウムクーヘンは基幹商品であるだけでなく、会社の歴史を形づくってきた魂のような存在だと言えるだろう。
実物の層は20ほどだが、ユーハイムのバウムクーヘンには100年分の年輪が重ねられている。最初の1層から半分以上を作ったカールとエリーゼは、年々厚みを増すこの年輪を、遠い空から優しく見つめているに違いない。

取材協力:株式会社ユーハイム(http://www.juchheim.co.jp
もうひとつの定番ドイツ菓子「 フランクフルタークランツ」

バウムクーヘン以外にも、ユーハイムには歴史の長い定番のドイツ菓子がたくさんある。そのひとつがフランクフルタークランツ。名称のとおりフランクフルトの銘菓で、クランツ(王冠)の形をしたデコラティブなケーキだ。スポンジをバタークリームで挟み、上部をクロカンと呼ばれるクルミ入りのカラメルで覆うのが一般的。ユーハイムのフランクフルタークランツは、きめの細かいソフトなバタースポンジに、メレンゲを加えた軽いバタークリームを組み合わせている。独自製法のアーモンドシュガーを泡雪のようにふりかけて、全体を真っ白に飾っている点も個性的。 しつこさのない甘さとふんわりとした食感の後に、懐かしい味わいが楽しめる。

「フランクフルタークランツ10」

純白の王冠、「フランクフルタークランツ」。1050円。

タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 取材編集/バーズネスト
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