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かしこい生き方 北海道大学電子科学研究所教授 中垣俊之さん

「単細胞の粘菌が作る交通網が人間の暮らしを豊かにするかもしれません。」

「粘菌」という生物がいる。単細胞生物である。
ちょっとした野原などに広く分布していて、さほど珍しい生物ではないのだが、
コケのようなカビのような、その形状のせいもあってか、気付かない人も
少なくない。
この単細胞生物の研究で「イグ・ノーベル賞」(※)を二度、受賞したのが、
北海道大学中垣俊之さんだ。単細胞である粘菌を通してみた「知能」について、
そして「粘菌アルゴリズム」など、私たちの暮らしに応用できる研究について伺った。

(※本家ノーベル賞のパロディーとして、ユニークな研究を行う世界の研究者に与えられる)


粘菌が作るネットワークは人間の考えた鉄道網に優るとも劣らず――「単細胞」と侮るなかれ

――

まず、粘菌という生物について伺えますか。

中垣

粘菌のような単細胞生物は、地球に最初に生まれた生物とされています。単細胞生物にも大きく2種類あって、一つは細菌(バクテリア)、もう一つは粘菌の属している原生生物です。違いは、遺伝情報であるDNAを入れておく特別な構造体「核」を持っているかどうかです。原生生物は核を持っていますが、細菌には核がありません。

――

先ほど、研究室の粘菌を拝見しましたが、30cm×60cm程度の箱に飼育されていましたよね? ヒトの細胞は60兆個とされていますが、粘菌は1個の細胞であれだけ大きくなるのですか。

中垣

もっと大きくなることもありますよ。粘菌のライフサイクルに変形体という時期があって、それは単細胞であっても核をたくさん持っています。通常、生物は核が分裂すれば、細胞も分裂するのですが、変形体は、核が分裂しても細胞は分裂しません。一つの細胞の中に、多くの核を持っているという、多細胞的な側面を持ちつつ、多細胞になりきれていないというところでしょうか。

――

粘菌はどんな暮らしをしているのですか?

中垣

私が研究しているのは「モジホコリ」という種類ですが、以前は「モジホコリカビ」と言われていました。研究が進んで粘菌はカビとは種が異なることが分かり「カビ」の文字がなくなりました。
粘菌は、大体1時間に1cm程度の速度で動き、餌を食べます。条件が整っていれば半日程度で倍の大きさになります。逆に条件が悪くなると、生殖のプログラムを起動して胞子になることがあります。数億年前に発生したとされており、今、見つかっているのは陸棲(りくせい)種がほとんどです。先頃、水棲(すいせい)種が見つかったというニュースがありましたが、まだまだ生態など分かっていません。

――

その粘菌が「すごい!」というのは、どのような点でしょう?

中垣

画像 迷路解きヒトであれ粘菌であれ、それを構成する最小の単位は細胞です。細胞は単なる物質ですから、言ってみれば粘菌は「物」に近いとも言える。その「物」が自律的な情報処理のシステムを持っていると考えられるのです。
具体的な例を示しましょう。粘菌を有名にしたと言える迷路解きの実験です。迷路解きは、動物の知性を計る際にしばしば使われる手法で、迷路の向こうにある餌場に行く時間や方法などを観察するものです。
粘菌は、餌を与えるとその場に集まり、餌を包み込むようにして吸収します。離れた2カ所に餌を置けば、二手に分かれて体を伸ばし、その体の間に太い管のような形を作ってまっすぐに伸ばしていきます。ちょうどダンベルのような形といえばいいでしょうか。

――

餌を食べるために、体の形を大きく変えています。

中垣

そうですね。では迷路の実験を考えてみましょう。最初に箱の中に迷路を作り、その迷路のあらゆる道に粘菌が広がるようにしておきます。一匹の粘菌が迷路全体に広がった状態です。次に、ある2カ所にだけ餌を置きます。すると粘菌はまず、餌がない、行き止まりの道から体を引き上げていきます。そして、2カ所の餌場につながる全ての経路に集まって管を作ります。この経路には、近いものも遠いものがありますが、それが次の段階では次第に、遠い経路からも体を引き上げ、最終的には2カ所の餌場を最短の経路で結びます。

――

餌場が二つあり、その両方から餌を吸収するように最短の経路を導き出したということですね。

中垣

最短経路を模索するのは、粘菌にとってみれば、一つの個体を維持させつつ、体内の通信効率を最大化するために、できるだけ太く短い管を作るというありがたみがあります。一方で、さらに興味深いのは、餌が一定量を超えていると、今度は一体を維持しようとせず分裂してしまう戦略に切り替えることです。

――

単細胞である粘菌が、迷路の中で餌にうまくありつくために、最短経路を探し当てたということですか。

中垣

そうです。次に先の迷路の実験をもう少し複雑にしてみました。先ほどの実験では、餌場は2カ所でしたが、自然界ではむしろ餌場はあちこちにたくさんあります。その時、粘菌はどのように振る舞うのかを見ました。
一例として、関東圏の主要な都市30あまりを地図上にプロットして、その上に餌を配置し、粘菌を放つという実験を行いました。粘菌は、動き回って餌を見つけると、そこに体を残しつつ、次の餌場を求めて広がるということを繰り返し、結局、関東のJRの鉄道路線網によく似た広がり方をしたのです。

――

つまり、鉄道網と同じような形で粘菌が広がったということですか?!

中垣

そう言えますね。鉄道網というのは、重要なインフラですから、ヒトの知性やあるいはさまざまな思惑が作用していると考えていました。それが粘菌という単細胞にも構築できるとは驚きました。しかも何度か実験を行うと、時々、横須賀から房総半島に線を伸ばすことがありました。「これは東京湾アクアラインかも!」と思いましたよ(笑)。

――

そんなところまで想定してしまうとは!

中垣

今、JRの鉄道路線網と粘菌のそれが同じといいましたが、それは、次のような3つの視点で評価したところ、同様であったという意味です。
まず、ネットワークの全長が最短かどうかという経済性。二つ目は、ある経路が分断された場合の「保険」となる迂回(うかい)路の可能性。これは、実際の鉄道網でもあってほしい性質です。三つ目は、どの二点間もなるべく短い距離でつながる、例えば物理的な距離は近くても遠回りする路線しかない、なんてことはないほうが良い、という効率性。結果として、粘菌ネットワークが鉄道網に劣らず良くできていることが分かりました。いや鉄道網が意外に良くできていると言ったほうがいいのでしょうか(笑)。ここで大切なのは、鉄道路線網は、複数の条件をどれもある程度満たす落としどころというか、妥協点を見つけ出す必要があるということです。


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「最適化」「一次近似」「用不用の適応則」といった高度な情報処理能力――粘菌には知能の原型が見える

――

粘菌は「かしこそうだぞ」と思わせるところが多々ありますね。

中垣

はい。他にも時間記憶という実験もしています。粘菌は条件が整っていると、1時間に1cmほど動くのですが、温度を下げて乾燥させたりすると、動きが止まります。しかし、元の条件に戻すと動き出します。こうした刺激を1時間に1回与え、3回繰り返すと、4回目も刺激が来るなと予測して、粘菌が身構えます。

――

身構える?!

中垣

予測的に動きを止めるのです。もちろん、それは刺激の強さや種類によっていて、あまり強い刺激を与えると1回目の刺激で動かなくなってしまいますし、弱いと意に介さず進んでしまいます。

――

1時間に1回の刺激を記憶して、次に来る刺激を予測するということですか。

中垣

そのような振る舞いをします。予測的な立ち回りはせいぜい2、3回で、その後また進み続けるようになります。ところがその頃にもう一回刺激を与えると、また1時間に1回止まることを再開しました。

――

「最近なかったけれど、そういえば1時間に1回、不愉快な刺激が来るのだった」と思い出すと?

中垣

記憶をしていて、それが呼び起こされたかのように振る舞うのですね。
他にキニーネを使った実験があります。キニーネとは、自然界に存在する毒物で、粘菌にとっては生命を脅かすものです。キニーネの濃度が致死量よりは随分低く、でも多少ダメージがありそうなとき、粘菌はキニーネに遭遇すると、個体によって真逆の行動をとります。ある個体は勢いよく乗り越える、またある個体は引き返すというふうに。条件は皆同じにしているので、この行動の差もまた、興味深いものです。

――

あたかも粘菌の「知性」によって行動しているように見えます。

中垣

「知性」とは何なのでしょうか? 粘菌の振る舞いの中にある種の「かしこさ」が見て取れるのは事実です。その仕組みはどのようなものか? 脳神経系はありませんし、何か中枢的な機能をもつ器官もありそうにない。変形体の身体はとても融通むげで、身体の一部を切り取っても小さいながらにちゃんと再生して完全な個体になります。その間、たかだか15分です。一匹として独立してやっていける能力をもったモノが、一つになって大きいシステムを成しています。このように、自律的に振る舞えるものがたくさん集まって、集合的に一つの機能を創発するシステムを、自律分散システムといいます。アリの行列や魚の群れなど、自然界には自律分散的なシステムがたくさんあります。

――

粘菌が作った鉄道網も自律分散的に動いた結果ということですね。

中垣

ええ、そのように考えられると思います。粘菌の管は、その管自身を流れる「流れの量」に応じて管の太さを常に変え続けています。この性質を私たちは「用不用の適応則」と呼んでいます。この適応則がうまく働いて、経路に沿った管が成長して残り、行き止まりの経路がやせ細って消滅するという仕組みを示しました。粘菌の迷路解きの事例を題材に、自律分散システムの問題解決法を運動方程式で記述もできました。

――

こうした、粘菌の「自律分散的な解決方法」は、私たちが日常的に何かを判断することにも関係があるのですか?

中垣

画像 粘菌と鉄道網先のJRの関東鉄道網が偶然ではないことを示すために、そこで得られた運動方程式を、今度は北海道の交通網にも適用してみました。北海道内の人口の多い23都市を選び、その地理に合わせて餌を配置すると、その間をどのようにつなぐかという計算シミュレーションです。
すると、やはり結果は、函館から長万部、室蘭、苫小牧を経由して札幌や旭川方面に伸びる経路ができるなど、実際の北海道JRの鉄道網と似ている点が多くありました。
興味深いのは、粘菌鉄道網では、餌を置いたと想定した23都市地点以外に、ネットワークの分岐点が自然にでき、それが実際の地理でも名寄市など交通の要所となっているということです。つまり、北海道の都市分布に必然性があることが、粘菌ネットワークの研究から明らかになってきました。

――

粘菌の「知能」に基づいた数式で、鉄道網の設計ができたのですね!

中垣

もともと、粘菌の観察を続ける中で、その賢さを表現したいと考えていました。そこで人間が作るような輸送ネットワークをはじめ、物事を予測したり記憶したりといった典型的な知能行動などを通じて、象徴的な実験事実を示せればと思いました。さらに、それらがどういう物理的な仕組みで実現しているのかを極めていって、最後には問題の解法アルゴリズムとして捉えたいと思いました。それが少しずつ実現しつつあるのかなと思っています。

――

この粘菌アルゴリズムは、カーナビにも使えるとか。

中垣

現行のやり方とまったく異なる新しい手法です。簡単に言えば、現行のカーナビが使っているダイクストラ法という経路探索方法では、あらゆる可能性をしらみつぶしに検索していき、最短経路を探すというものですが、粘菌によるアルゴリズムでは、最初に使いそうもない経路を間引いて、大まかな地図を作ります。すると経路の組み合わせの数が減るので計算が格段に楽になります。計算が進むに連れて、良い経路が絞られていき、最後に残ったのが一番良い経路ということになるのです。
また渋滞や事故があって通れないと、次善の策をサーチします。渋滞情報が時々刻々と更新されても、計算上はとても自然な形で対応できるものです。そもそも生き物というのは、環境変動している場所で生きており、そうした変化は折り込み済み。ですからこのアルゴリズムは、状況変動ありきの状況にこそ有用なのです。そういう点は、まるで生き物のようで気に入っているところですね。

――

物理的な法則と生命活動の法則とを一緒に数式に表現したという新しさを感じます。

中垣

人間は地図を見て二点間の経路を「ざっとこんな感じかな」となにがしかの答えを出します。そこが人間のすごいところであり、生き物らしいところだと思います。ただ、どうやってそれを求めたのか説明してくださいと言われても説明できない。それは無意識のうちに情報処理をしているからですね。この無意識の情報処理方法に、生命らしい「知能」を解く鍵があるかもしれません。数学や物理の言葉を駆使して、それを表現できれば、もしかしたらわれわれ人間にも通じる普遍的な生命情報処理の基本形があぶり出せるのかもしれない、と期待しています。


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中垣俊之(なかがき・としゆき)

1963年愛知県生まれ。北海道大学電子科学研究所教授。北海道大学薬学研究科修士課程修了。名古屋大学人間情報学研究科博士課程修了。企業勤務などを経て理化学研究所。その後、北海道大学電子科学研究所准教授、公立はこだて未来大学システム情報科学部複雑系知能学科教授を経て現職。著書に『粘菌 その驚くべき知性』(PHPサイエンス・ワールド新書)、『粘菌 偉大なる単細胞が人類を救う』(文春新書)。

●取材後記

粘菌を世に知らしめた南方熊楠は、21世紀になってこんな形で粘菌が注目されるなど想像しただろうか。中垣さんは、単細胞と言われる粘菌の観察を続けるうちに、粘菌にある種の“知性”を感じるようになった。それは人間の暗黙知に通じるものじゃないか?ということは、粘菌の知性が解ければ、人間の知性を解く鍵にもなるのでは?等々、興味は広がっていく。とりあえず、明日近所の公園に行って“野生“の粘菌を探してみよう!

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治
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