ITワイド講座




イラスト:小湊好治


インターネットの著作権

いま、インターネットに接続すればなんだって手に入る、といっても過言ではないだろう。食べ物や洋服などはもちろん、クルマだって家だって、ネットで買えてしまう。そして音楽も、簡単にしかもタダで、ダウンロードできてしまうのは皆さんもご存知の通り。この手のサイトを利用したことがなくても、お気に入りのCDをコピーして友達にあげたことがある方もいるかもしれない。そんなときに気になるのが「著作権」だ。

 現在ネット上の著作物については、多少混乱がある。日進月歩のこの世界での変化に、法律や制度がついていっていない、というのが現状だ。
 インターネット上には、多くのフリーウェアや、無料でダウンロードできる音楽、著作、映像などが存在する。それには、自分の作ったものを他人に見てもらいたいと考える素人の作品が多く含まれている。
 例えばこうした著作物をダウンロードし、自分で加工し、さらにそれをインターネットで公開した場合、著作権はどうなるのだろうか。また、音楽データを映像化できるソフトを利用して、芸術的な映像を作り出したとき、その著作権は誰に帰属するのか。こうした問題には、明確な答えが出ない難題が含まれている。

 もちろん、著作権の諸問題に対して、さまざまな考え方がある。
 問題が明白になった時点で随時法律を修正していけばよいという考えもあれば、調停機関を設立して現行法の中で対処するという考えもある。ネットワーク系のマルチメディアを想定した全く新しい法律を作るべきだと考えている人々もいる。もっと過激な人々は、著作権などを認める必要はなく、利用はすべて無料にして、多くの人があらゆる情報を利用できるような世の中にすればいい、と主張している。

 その中には、あらゆる通信媒体(光子や波動等)に適用可能な考え方として、「量子メディア」という概念を提唱し、これを保護する「量子メディア保護法」の成立を訴えているグループもある。「量子メディア」とは、現在CD-ROM出版などのイメージが濃い「マルチメディア」という言葉を避け、新しい媒体の登場も想定した言葉である。

 現行の著作権法は、基本的に「著作物」そのものというよりむしろ、著作人格権など、それを制作した「著作者」を守ることを目的としている側面がある。また、「著作物」は、本やCDといった旧来の物理的メディアに記されたものを想定しているため、その流通を考慮に入れて著作料金が設定されている。契約をする場合にも、著作制作に関わった全員の許諾が必要となることが多いため、手続きも煩雑になっている。

 これに対して、「量子メディア保護法」を唱えるグループのアイディアはとてもシンプルだ。すなわち、ネットワーク上にのせられた「作品」である限りは、全ての「著作者人格権」は放棄するものとして、そのかわり、利用者がダウンロードした時点ですべての作品に課金されるというものだ。

 もちろんこれには、ネットワークが日本中に張り巡らされ、パソコンが誰でも使える機器として普及していることが前提だ。また、音声や画像といったデータも高質であり、課金システムが確立されていなくてはならない。

 具体的には、作品のアップロードはすべて自動登録制度とし、登録単位や登録料、利用料は基本的に従量制。各ネットワーク管理機構が決めるものとする。また、登録は視聴のみ、ネットワーク内での再利用(編集・加工・変更・追加等)、営利目的利用のダウンロード、非営利目的のダウンロードの4種類に分け、問題が生じた場合には、専門の紛争解決機関が解決にあたる。
 管理体制が確立されていれば、ダウンロードなどの履歴管理が可能なので、原作者、編集者、n次加工者の履歴は永久に情報と共に記録され、何次加工されても利用料がそれぞれに支払われる、というものなのだ。

 こうした著作権の管理体制が可能になるには、多少時間はかかるだろう。しかしこれら全てが実現されれば、インターネット界の著作権問題はかなりわかりやすくなるかもしれない。著作物の利用料金も、かなり安くなるだろうし、ひょっとしたらCDなどのオフラインメディアも不要になるかもしれない。
 何より、私たちはCDショップに足を運ばずとも、簡単に気に入った音楽が手に入るし、作品を生み出す立場から言えば、たとえ素人であっても、優れた作品を作り出せば、それが商品としての経済的価値を持ちうるのだ。

 いまの著作権法では、「著作物」は創造的価値を持つものとして規定されている。確かに、そうした発想のもと生まれた著作権法によって、芸術文化が守られてきた側面もあるだろう。しかし本来「文化保護」の目的であるはずのこの法律は、「著作物が持つ経済的価値を守る」という「産業保護」の目的に変化しつつあるのが現状のようだ。こうした変化が背景にあるからこそ、著作権の問題は複雑化していると言えるようだ。

 もちろん、ことはそう簡単に行きそうにはない。現実はどんどん著作権の強化に向かっているからだ。著作権の期間は、現在では50年だが、これはどんどん延長される傾向にある。米国では、1998年に成立したデジタル・ミレニアム著作権法によって、取り締まりが強化された。米映画界の業界団体が、著作権付きの映画を1ドルでオンライン配信するイランのWebサイトを閉鎖に追い込んだというニュースもある。

 こうした事態の背景には、著作物の経済的価値に大きく依存する産業界の思惑が潜んでいる。映画にしろ音楽にしろ、「著作物」はそれが素晴らしいもので、多くの人に愛されるものであればあるほど、多くのカネを生むがいまの現実だ。そこには膨大な利権が発生し、この利権によって口に糊する人々にとって「著作権」という既得権は手放しがたいものだろう。

 著作権の目的は、確かに著作者の権利保護だが、その背景には、著作物に接する人々の心を豊かにし、それによって文化の発展を目指すという側面もあったはずだ。著作者や利用者や、その他何者かの「経済的繁栄」も目指したものではなかったはずだ。
 私たちが利用しやすく、それでいて著作者の創造の場を守る体制を作り出すにはどうすればいいのか、私たち自身も考えてみる必要がありそうだ。
(2003.2.24)

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