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香り×つながる 中村祥二

第8回 お日さまのにおい(布団の日向香)

晴れた日に干した布団は格別な暖かさと幸せなにおい、ふんわりした感触が心地よい。温もりのあるうれしさを感じる。広く日本人に好まれている生活感覚の一つだろう。
「秋の陽の香りをまとう布団にて夜の雨聴く小さき幸あり」三戸悠紀(2011/9/19朝日歌壇)

幸福感を与える日向香

「日向香」という言葉は日本的かもしれない。太陽の光をいっぱいに浴びた洗濯物のにおいは得も言われぬ幸福感を与えてくれる。

このにおい、「日向香(ひなたか)」は二晩目には消え去ってしまうはかなさがある。日本人の細やかな感性に合って、好まれているのかもしれない。
鳥取県や島根県などといった中国地方の日本海側では、冬の間、日照が少なく、布団を太陽の光に当てることが難しい。ふっくらとした布団の感触を楽しめることが少なくなるのだ。これを何とかすることができないかと考案されたのが、布団乾燥機である。確かにこれで布団は乾燥してふんわりとする。しかし、日光に当てた布団の、懐かしいような、少しほこりくさいような、かすかに感じる青葉のような新鮮なにおいの混じった幸せな雰囲気は感じられない。
このにおいをなんとか人工的に再現して実用化できないかとチャレンジした試みがあった。日本ではなく、アメリカの香料会社のアイデアである。このにおいはどこから来るのだろう。布団に含まれる成分の内、化学変化を受けやすいものに紫外線が当たって生成される、微量の香り成分を追求するのがオーソドックスな方法だろう。木綿(もめん)は植物のワタの種子から取れる繊維であるから、綿に含まれる僅かな油脂(綿実油のような)が日向香の最も有力な候補になるという考えのもとに研究が進められた。
分析結果にもとづいて同定したこれらの成分を調合し、さらにパフューマーが調整して完成させた香料が、褐色のオンス瓶に入れられて私の手元に届いた。日陰で乾かした綿タオルにサンプル液をかなり薄く数段階に希釈し噴霧して香りを調べた。しかし子どもの頃からよく知っている香りとはかけ離れた、人工的なイメージが強く、心地よさは感じられなかった。期待が大きかっただけに残念な結果であった。
バラ園に咲く芳香バラの香りは再現することができる。また、ロングセラーの香水の香りをイミテーションしてオリジナルにかなり近い香水を作ることもできるが、日向香のような日常生活に結びついた微量成分の再現は極めて難しいことが分かった。冷えたご飯を電子レンジで温めて、再現した炊きたてのご飯の香りを噴霧して食べたら美味しかろうというのも成功しそうではない。
最近、日本の会社による布団の日向香の研究が報じられている。この研究プロジェクトの成功を祈りたい。

 

中村祥二(なかむら・しょうじ)プロフィール

1935年東京生まれ。58年東京大学農学部農芸化学科卒業後、株式会社資生堂に入社。資生堂リサーチセンター香料研究部部長、チーフパフューマーを経て、95〜99年まで常勤顧問。40年にわたり、香水、化粧品の香料創作及び花香に関する研究、香りの生理的、心理的効果の研究を行う。現在は、国際香りと文化の会会長として香り文化の普及に尽力。フランス調香師協会会員。著書に『調香師の手帖』(朝日文庫)、『香りを楽しむ本』(講談社)、『香りの世界をのぞいてみよう』(ポプラ社)など。

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