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ラーメン

札幌、函館、喜多方、東京、和歌山、尾道、博多、熊本…といえば、ラーメン。食のテーマパークの先駆けとなった「新横浜ラーメン博物館」や次々に登場する「ご当地ラーメン」など、世はまさにラーメンブーム。では、そのラーメンに「構造」という言葉が付いたら、どんな意味になる?

「ラーメン構造」とは、梁と柱を剛接合(ごうせつごう:強固に一体化)した建築の基本的な骨組みのこと。ここでいう「ラーメン」はドイツ語(Rahmen)で、額縁、枠という意味。その名の通り、鉄骨や鉄筋コンクリートでできた梁や柱を一体化して造る。日本の一般的な木造一戸建てにも梁や柱はあるが、これをラーメン構造とは呼ばない。というのは、在来工法の場合、柱と梁が一体化されていないからだ。

ラーメン構造は、超高層ビルや、低層でも柱と柱の間が大きく開いた建物――工場や学校、体育館、病院など――に用いられる。出入り口や窓、間仕切り壁を自由に配置できる、高層化が可能というメリットがある半面、室内に梁型や柱型が出て邪魔になるという難点も(近年、これらが出ないように設計したものもある)。
一方、一戸建てや中低層住宅で多く用いられるのが、鉄筋コンクリート板や木製の構造用合板で建物を支える「壁式構造」だ。2×4(ツー・バイ・フォー)も、この壁式構造の一つ。こちらは梁型や柱型など余分な出っ張りがないので室内がすっきりするが、構造上取り除けない壁があるため、間取り変更の自由度は低い。

ちなみに、おいしい方の「ラーメン」の語源は、引っ張って延ばす製法の麺を意味する「拉麺」、柳のように細い麺だから「柳麺」、でき上がった時「好了(ハオラー)」と言ったから……と諸説あり、定かではない。

ラーメン構造 壁式構造
CSR  

一般に、企業活動には2つの側面があると考えられている。
一つが、消費者に良い品を安価で提供し、社員に給料を支払い、株主に十分な配当をし、国や地域には税金を納めて雇用を確保するといった「経済的側面」。もう一つが「社会的側面」で、社会貢献(メセナ)などを通じて社会へ一定の利益を還元する活動だ。

今回取り上げた「CSR」はCorporate Social Responsibilityの略で、「企業の社会的責任」という意味。企業は、株主の利益や短期的な利潤の追求だけでなく、企業倫理を確立して法令を守り、環境保全などの面でも社会的な責任を果たしていかないと継続的な発展は望めないし、企業の存続すら危うくなる、という考え方だ。実際、米国のエンロンやアーサーアンダーセン、日本の雪印食品など、不祥事で会社自体が消滅してしまった例もある。企業は、企業と何らかの利害関係を持つ当事者(=ステークホルダー)とのかかわりをこれまで以上に大切にし、具体的かつ実効性のある行動を取ることが求められている。

企業とステークホルダーの関係

こうした流れを受け、企業をCSRの観点から評価して投資しようという動きが広まりつつある。それが「社会的責任投資:SRI(=Socially Responsible Investment)」。1920年代、アメリカでキリスト教会の資産運用に当たって、アルコールやギャンブルに関与する企業への投資は行わないという宗教上の目的から始まったといわれている。

欧米では既にCSRの取り組み具合によって投資銘柄を選ぶという手法が確立しているが、日本でも数年前から環境重視の企業に投資する「エコファンド」が登場し、この種のファンドが増えつつある。例えば、作年の夏から金融商品の評価を行うモーニングスター社が社会的責任を重視する日本企業150社を選んでSRI株式指数を公表し始めたし、12月には住友信託銀行が個人向けのSRIファンドを販売開始。

企業がCSRにどのように取り組んでいるか――、それが企業の評価に直結する時代が訪れようとしている。

ケンケンガクガク?

「年金問題について、ケンケンガクガクの議論が行われた」
この文章を読んで、「おや、ちょっとヘンだな?」とお気付きになった方はお見事。ケンケンガクガクは誤りやすい慣用句の一つで、ケンケンゴウゴウとカンカンガクガクが混用された言葉なのだ。

ケンケンゴウゴウは「喧々囂々」、カンカンガクガクは「侃々諤々」と書くが、この2つはどう違うのだろうか? 例えば「商品の発売に当たっては、開発や営業、マーケティング担当が一堂に会し、侃々諤々、時には喧々囂々と議論が進められた」という表現があった場合、それぞれどのような状態を表わしているのだろう。

最初の「侃々諤々」はどの担当も正論を吐いて譲らない様をいい、次の「喧々囂々」は口やかましく言い立ててうるさい様子を表現している。
「侃」という漢字には、川の水が流れてやまぬように信を尽くしてやまぬこと、「諤」には憚らず正しいことを言う、直言するという意味がある。一方、喧々囂々の「喧」は多くの声、「囂」は頭から湯気をたてて怒り叫ぶという意味の漢字。
ということで、「侃々諤々」と議論していた時は、大声を出して騒ぎたてる状態ではなかったということになる。

漢字の意味を知れば使い分けられそうだが、何分にも語感が似ていて紛らわしい。辞書の中には、「喧々諤々」という項目を設け、喧々囂々と侃々諤々が混用された言葉と紹介しているものもある。
言葉は生きものというが、そのうちに「喧々諤々」の方が一般的になってしまうかもしれない。その時の意味は、口やかましく正しいことを言う――、そんな言葉があってもいいような気もするが……。

※参考文献:角川漢和中辞典(角川書店)、広辞苑(岩波書店)

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このラーメンは中華ソバにあらず 社会の一員として必要なCSR ケンケンガクガクと議論する?

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