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ログとバグ

ログインする、過去のログを読む、アクセスログをとる、そして最近話題のブログ(=ウェブログ)。ここでいうログとは、コンピュータの利用状況やデータ通信の記録を取ること、あるいはその記録のことだが、なぜこれをログ(Log)と呼ぶのだろうか。
ログは「ログブック(Log Book)」の略語で、ログブックとは航海日誌のこと。船の速度や進度、天候、風向きをはじめ、航海中の出来事を記したものだ。

航海機器が発達していなかったころ、丸太をロープに結び付けて船尾から海中に投げ入れ、船の速度を計っていたという。ログブックのログは、この丸太(ログ)に由来しているのだ(※)。ダイビングをした後、潜水時間や深度などを記録する潜水日誌を「ダイバーズ・ログブック」と呼ぶのも、ここからきている。

さて、次のお題は、パソコン・ユーザーを悩ませる「バグ」。「バグ(bug)」とはプログラムに含まれる誤りや不具合を指すが、元々は「虫」という意味。プログラムと虫なんて、一見何の関係もなさそうだが、語源をたどると、実際に虫(!)がいたのだ。

1940年代後半、ハーバードのコンピュータ開発センターでのこと。「MarkII」というリレー計算機の出荷前のテスト結果が思わしくなかったために調べたところ、何と本物の「蛾」がリレーの間に挟まっていたという。蛾のためにリレーの接触が悪く、誤作動を起こしたのだ。取り除くと正常に動作したことから、誤動作を起す原因を「バグ」、それを取り除くことを「デバッグ」と呼ぶようになった。
現在、このバグ(=蛾)はスミソニアン博物館に保管されているそうだ。アメリカに旅行した折には、“実物”を一目見たいものだ。

中央をちょうつがいでとめた、2枚の木製の記録板(log board、log slate)に由来するという説もある。

 US NAVY PHOTO

US NAVY PHOTO
誤動作を起こし、後世に「バグ」の名を残すことになった蛾。テスト時の操作を記録したノートにセロテープで貼り付けられている。
情報・画像提供=アイテップ株式会社
HACCP  

近年、食品を取り巻く環境は大きく変化している。
世界各国の食品が食卓に並ぶようになった半面、病原性微生物が世界中に広まりやすくなっている。また、腸管出血性大腸菌O-157のように、昔はいなかった危ない菌が出現。実際、国内の食中毒発生状況を見ても、従来の三大食中毒菌(サルモネラ菌、腸炎ビブリオ、黄色ブドウ球菌)に加え、O-157や、鶏に起因する「カンピロバクター」、生ガキなどで発生する「小型球形ウイルス」など、新型食中毒菌(またはウイルス)による食中毒が増えている。さらに、低糖、低塩、防腐剤無添加など、消費者がよりフレッシュなものを求める傾向が加わり、従来の方法では十分な安全性が確保できなくなってきているのだ。

このような状況に対して、食品業界が導入を進めているのが「HACCP」という衛生管理システム。HACCPとは「Hazard Analysis and Critical Control Points」の略で、「危害分析に基づく重要管理点方式」のこと。読み方は「ハサップ」、あるいは「ハシップ」。元々は1960年代、米国の宇宙開発計画(アポロ計画)の一環として、宇宙食の安全確保のために開発されたシステムだ。

従来のシステムとの違いは、これまでが最終製品の抜き取り検査(微生物の培養検査)だったのに対し、HACCPでは材料の入荷から製造、加工、調理などの各過程で発生する危害を分析し、その危害を抑え込む対策を決め、継続的にチェック・記録することで、安全性を確保する。
現在、北米やEUのほとんどの国でHACCPの導入が義務付けられている。日本でも厚生労働省が「食肉製品」「水産加工品」「乳及び乳製品」「惣菜」「弁当」など18品目をHACCP承認品目と定めているが、日本の場合は義務ではなく自己申告制。

HACCPの基本は食中毒菌を「付けない、増やさない、殺す」の3点。暑くなるこれからの季節、家庭でも毎日の食事作りには十分気を付けたい。

HACCP

■HACCPの7原則

HACCPによる衛生管理方法を、ハンバーグを作る時の例で見てみよう。
危害分析
作り方をノートに書き出し、どこが食中毒の原因となる危ないところかを考える。
重要管理点の設定
生焼けだったら、これが食中毒の原因になる。ポイントは十分に火を通すこと。
管理基準の設定
そこで、火の強さ、焼く時間、焼いた後の中心温度など、ハンバーグの焼き方を具体的に決める。
モニタリング方法の設定
3で決めた管理基準をチェックする方法を決める。具体的には、焼き上がった後の中心温度を温度計で測り、記録。
5 改善措置の設定
4のモニタリングの結果がダメな時はどうするかを決めておく。例えば、さらに3分間焼くなど。
6 検証方法の設定
何度も焼いているうちに、ハンバーグの位置によって焼きむらが出た。こんな時は、3で決めた管理基準や方法を変更する。
7 記録の維持管理
モニタリングや改善措置の結果を記録して残す。
演歌

あなたはカラオケでどんな曲を歌う? 若い人は「やっぱりJポップ、演歌はおじさんぽくってイヤ」という人が多いが、なかには「私の十八番は石川さゆりの天城越え」という人も。かつての人気は望めないものの、どこか日本人の琴線に触れる「演歌」。その原点は、意外なところにあった。

今を遡ること130年程前の明治初期、人間は自由・平等であるとの基本思想に基づき、国会開設・憲法制定・地租の軽減などを求める「自由民権運動」が起こる。演歌は実はこの政治運動と深くかかわっているのだ。
当時の政府は集会や団体の結成を禁止し、運動を厳しく取り締まる。思うように活動ができなくなった自由民権の壮士達は「演説がだめなら、歌がある」と、本来なら演説会場で演説すべき言葉を歌詞に置き換え、街頭に立って歌った。つまり、演歌とは「演説を歌う」ことだったのだ。

明治中期になると、バイオリンを弾きながら、政治や社会を風刺して歌う演歌師が登場し、庶民に人気を博す。その後、演歌は政治色が薄れて情緒的なものになり、大正後期には「艶歌」の字があてられるようにもなった。昭和に入ると伴奏がバイオリンからギターに代わり、流しの演歌の時代に。

世相を風刺する演歌が途絶えてしまったわけではなく、演歌師の一人、添田唖蝉坊(そえだ・あぜんぼう)が作った「のんき節」は、戦後、タレント議員第一号となった石田一松の芸として復活。60年代にはフォークソングとして歌われたこともある。演歌とフォーク――メッセージソングとして一脈通じるものがあったのか?
また、唖蝉坊の息子・添田さつき作詞の「東京節」は、戦後も森山加代子やドリフターズに歌われヒット。「ラメチャンタラ ギッチョンチョンデ パイノパイノパイ パリコトバナナデ フライフライフライ 」というはやし言葉に聞き覚えがある人もいるのではないだろうか。
歌は世につれ、世は歌につれ……さて、これから“演歌”はどこへ行く?

1878(明治11)年、土佐の自由民権家でありジャーナリストでもあった植木枝盛が作詞。
後に、さまざまなパターンの替え歌も作られた。

 
 
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そうだったのか!  ログとバグ 宇宙食から生まれたHACCP 演歌はメッセージソングだった!?

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