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新IT大捜査線 特命捜査 第36号 噛む習慣を身に付ける「咀嚼カウンター」「子供時代から始める歯と身体の健康づくり」
 
  子供たちに「噛む」大切さを教えたかった
 
「かみかみセンサー」製品カット

これが「かみかみセンサー」。あごの下にセンサースイッチが付いており、カウンターには咀嚼回数と咀嚼時間が表示される。

安富先生

発案者の安富和子先生。歯科衛生士の資格を持つほか、日本咀嚼学会の会員でもある。

今回の調査テーマは、噛む回数を計測する子供用の咀嚼カウンター「かみかみセンサー」。まずは写真をみてほしい。女の子があごに付けているのが「かみかみセンサー」の本体で、手に持っているのがスイッチと液晶画面が付いた表示カウンター部。噛む度にあごが本体のセンサースイッチを押し、咀嚼回数が自動的にカウントされる仕組みだ。あごの運動を捉えて電気信号に変換しているわけである。コンピュータや通信機能を駆使した大がかりな仕組みではないが、身体の動きを情報化して利用しているという点では、これも立派なITの応用例といえる。
それにしても、咀嚼の回数を計るカウンターがあるとは想像もしなかった。いったい誰がこんなユニークな装置を作ったのだろう?

「かみかみセンサー」の発案者は、長野県下伊那郡喬木第二小学校の養護教諭、安富和子先生。先生が長野県駒ヶ根市立赤穂南小学校で教えている頃に着想したアイデアが元になっているという。
「今から8年くらい前、子供たちと一緒に給食を食べていて気が付いたんです。食べ物を飲み込めず、いつまでも口の中でもぐもぐしている子供がいる。リンゴをかじれない子供、口をポカンと開けている子供、食べるのが極端に遅い子供……。何かおかしい。もしかしたら子供たちの咬合力(噛む力)に問題があるのではないか。そんな疑問がわいたんです」

安富先生は専用の医療機器で子供たちの咬合力を測定してみた。一般的に咬合力は、自分の体重くらいあるのが普通。ほとんどの子供は体重以上の咬合力があったが、約10%の割合で体重以下の子供がいた。「中には体重の半分しか咬合力がない子供もいました。そうした子供は鼻呼吸がうまくできないといったように、食べ方自体に問題を抱えている場合が多いんです」
安富先生は授業で育てた大豆で炒り大豆を作り、毎日10〜15粒を一ヶ月に渡って子供たちに食べさせてみた。その結果、咬合力は徐々にアップ。同時に子供たちの意識にも変化が現れてきたという。「硬い食べ物に対する抵抗感がなくなってきたんです。よく噛むようになり、硬いおやつを選ぶ頻度が増えました。早食いする子供も減りましたね」


「噛む」行為を意識すれば咬合力が高まり、食べ方そのものも変わってくる。そのことに気付いた安富先生は、子供たちに噛むことを意識させるための道具を作ろうと考えた。つまり、噛む回数をカウントする装置である。
「ただやみくもに噛みなさいと言うのでは説得力がありません。噛んだ回数が分かれば子供は具体的な目標を立てられるし、もっと噛もうという動機付けにもなります。また、私自身も子供たちが実際にどのくらい噛んで食べているのかを知りたかった。歯科校医さんに言われた『今日の給食は噛み応えがないですね』のひと言もきっかけになりましたね」

安富先生の頭の中に芽生えた、子供用咀嚼カウンター「かみかみマシーン」(当時の名称)のアイデア。だが、機械や電気の知識がない安富先生が自分で装置を作るのは無理だった。そこで、かつての教え子に依頼して作ってもらったのが耳栓式のカウンター。「残念ながらこの装置は失敗でした。会話を拾ってしまい、咀嚼回数を正確に測定できなかったんです」
あきらめきれない安富先生は、このアイデアを事ある毎に周囲の人々に伝えたという。誰かが手を挙げてくれるかもしれないという期待を込めて。幸運な出会いは2005(平成17)年にやってきた。近くの長野県立駒ヶ根工業高等学校に勤務していた高田直人先生(現在は長野県飯田工業高等学校勤務)が、「面白そうですね。私が作ってみましょう」と協力を申し出てくれたのである。高田先生は著作も持つ電子工学の専門家。「高田先生との出会いがなければ『かみかみセンサー』は誕生しませんでした」と安富先生が振り返るほど、ベストな人材だった。
ただし開発資金はゼロ。材料費も持ち出しで、開発には自分のプライベートな時間を充てることになる。高田先生はなぜこの話を引き受け、どのようにして開発を進めたのだろう?

 
 
 
  会話と咀嚼で異なる“あごの動き”をセンサーが判断
 
高田先生

開発者の高田直人先生。専門はマイコンを使った制御技術教材の開発。安富先生の考え方に共感し、開発がスタートした。

試作品の基盤部

試行錯誤の末に完成した試作品。手作り感にあふれるが、背景には確かな理論と実証データがある。

試作品の本体

試作品のマイコン及び表示部。ケースに収納しているのは、子供の使用が前提だから。

スイッチの位置を決めている写真

正確なスイッチ位置はカット&トライと厳密な測定データから見つけ出した。

「まだ世の中にない装置だから興味がわいた、というのが主な理由ですが、安富先生の熱意に打たれたというのも大きいですね」 高田先生は、「かみかみマシーン」の開発を引き受けた経緯をそう語る。ただ、耳栓式の装置を見せられた時、これは無理だとすぐに分かったらしい。「耳栓に仕込んだマイクで音を拾い、それを増幅してカウンターに直接送り込む仕組みでした。これでは咀嚼運動だけじゃなく、会話や周囲の雑音まで拾ってしまいます。とはいえ、私も自信があったわけじゃないんですけどね(笑)」

では、何をどうすればいいのか。高田先生は子供のあごの動きに注目した。会話と咀嚼では、あごの動きに明らかな違いがある。咀嚼時のあごの動きを検証すれば、そこから何かヒントが得られるかもしれない。高田先生はテスターとなった自分の子供のあごに加速度センサーを付け、あごの動きを三次元的に計測してみた。
「あごの左右の動きをX軸、前後の動きをY軸、上下の動きをZ軸とします。データを見ると、X軸はほとんど動いていません。Y軸には振幅がありますが、幅が小さくて動きをメカニカルに捉えるのは難しい。最も大きな振幅を示すのはZ軸です。一度大きくマイナス方向(つまり下方)に振れ、プラス方向に戻ってから小さな上下の動きがしばらく続く。データから、大人も子供も1秒間に約2回、あごを動かしていることが分かりました。では、会話時にZ軸はどうなるか。咀嚼よりも小さな振幅の連続になるんです。喋る時、私たちは小刻みにあごを動かしているんですよ」
このZ軸の動きに着目し、一定以上の振幅だけを抽出してあごがセンサースイッチに触れるようにすれば、咀嚼回数を正確にカウントできる。試作品の形が見えてきた。デジタル信号処理を駆使すれば咀嚼音だけを抽出できるかもしれないが、開発が長期化する恐れがあるし、コストもかかりすぎる。低予算で作ることは安富先生と決めた開発の前提条件だった。

試作品を作るにあたってまず高田先生が用意したのは、動作圧力0.16N(ニュートン)、ストローク12ミリで動作する市販の小型リミットスイッチとヘアバンド。「スイッチは300円くらい。ヘアバンドは100円ショップで買いました(笑)」
カウントの際にはスイッチが誤動作し、咀嚼ではない小刻みなあごの振動を感知する可能性もある。それを切り分けるためにはマイクロコンピュータが必要だった。「マイコンのプログラムで咀嚼とそれ以外の動きを区別しています。ハードは一晩で設計できましたが、ソフトのプログラミングは思いのほか大変でした」
噛む度にLEDが点滅し、回数に応じて電子音やメロディーが流れるようにしたのも高田先生のアイデア。「子供たちが積極的に使いたいと思うような動機付けが必要でした。光や音のアクションは楽しいですからね」
1チップマイコンと小さな液晶表示部、そして電源を用意して、「かみかみマシーン」の原型が完成した。製作原価は約4000円。早速、安富先生の学校へ持ち込んで実装テストを行った。

ところが、ここからが試行錯誤の連続だったという。まず、逆さにしたヘアバンドをこめかみに挟む方式では、子供の顔が小さいため、使っているうちにずり落ちてしまう。ならばとゴムバンドで頭の上から保持する方式を考えたが、今度はスイッチがずり上がって機能しなくなった。三度の改良でヘッドホン式に改めたが、子供の髪は滑るため、装置が後方へとずれてしまった。
「装着方法にはかなり手こずりました。でもそうこうするうちに、会話と咀嚼を鋭く切り分けるスイッチのベストポイントを見つけたんです。あごの先端から約2センチ後方。あごの先端だと咀嚼の度にスイッチはどんどん押し下げられますが、この位置だとスイッチは喉側へ押されるだけで、すぐ元の位置へと戻るんですよ。スイッチ位置をここに固定するため、新たにヘアバンドの内側にストッパーを付けました。部品はエアコンの排水ホース(笑)。同時にヘアバンドの代わりに園芸用の針金を使って、本体を耳掛け式に変えました」

この段階で試作品はほぼ完成。だが、サイズの問題は最後まで残った。「子供は年齢で顔の大きさが全然違います。スイッチを正しい位置にキープするためにはフレキシブルな調節機能が必要ですが、試作品では対応できませんでした。それで、幼児用・低学年用・高学年用の3種類を作ったんです」
製品化された「かみかみセンサー」は、一見すると玩具のようにも見える。だが開発者である高田先生の話を聞くと、この製品が科学的な裏付けやさまざまな実証データに基づいて作られた電子機器であることがよく分かる。発想は自由でも、科学的なアプローチを経なければ世に出せる形にはなり得ない。それにしても驚くのは、安富先生と高田先生のこの装置にかける情熱だ。二人とも公務員だから、開発は無償の行為。「子供の健康を守るため、役に立ちたい」という教師としての高い志がなければ、なかなかできることではない。

データ資料

加速度センサーから得られた咀嚼波形データ。特にZ軸のあごの動きに注目。

 

 
 
 
  眼鏡製造の技術を採り入れて製品化
 
山田社長
西尾さん

日陶科学株式会社の山田茂雅社長。多数の特許を持つ発明家でもある。

同社商品開発部の西尾毅さん。社長と共に商品化に尽力した。

「かみかみセンサー」両サイズ「かみかみセンサー」

「かみかみセンサー」Sサイズ(左)とMサイズ。Sは小学生低学年、Mは高学年以上が対象。魚のデザインと水色のカラーは子供たちの意見を反映している。噛む毎に目と尾が交互に光るのも面白い。共に1万1550円。

安富先生は、この試作品を使って全校児童約350人の咀嚼回数と咀嚼時間を調査し、詳細なデータを作成した。測定結果によると、給食一食あたりの平均咀嚼回数は約1400回で、食事時間は約25分。男子が平均1371回で24.9分、女子が平均1473回で26.9分だったという。女子の方がよく噛んでいるという結果になった。また、肥満児童とそうでない児童のデータも比較。すると、咀嚼回数に大きな違いはないが、肥満児童の食事時間が約3分間短いという結果になった。これは、「肥満児童は一回に口に入れる量が多いためではないか」と安富先生は分析している。

こうしたデータを元に、安富先生は高田先生に「かみかみマシーン」の新たなプログラミングを依頼した。
「一口30回噛む毎に電子音が鳴り、1000回噛んだらメロディーが鳴るようにしてもらいました。一口30回というのは、これくらい噛めばある程度満腹中枢が刺激され、過剰な食欲を抑えられるからです。1000回という目標数値は私が集めたデータからすると少ないようですが、装置を付けた子供はよく噛もうと意識するので噛む回数が増えるんですね。普段の給食時間から考えると1400回の約半分の咀嚼回数だと思うので、1000回に設定しました」
先生に聞いて驚いたが、現代人が一回の食事で噛む回数は、平均620回だという。食事時間はなんと11分。全体に軟食傾向が進んでいるという背景はあるが、それにしても少ない数字だ。もし子供のうちに噛む習慣が身に付いていたら、この数字はもう少し増えているかもしれない。

さて、試作品が完成した「かみかみマシーン」はその後どうなったのか? 当初の目的は果たせたが、実のところ安富先生には「これを商品化し、学校や家庭などで使ってほしい」という密かな願いがあったという。だが、それを実現する人脈も資金もない。すっかりあきらめかけていたところに、再び幸運な出会いが訪れた。
学校に出入りしていたある教材販売店が、名古屋の日陶科学という会社を紹介してくれたのである。日陶科学は教育現場で使う身体測定機器や、陶芸を主とする工芸機器などを自社で企画開発して全国に販売しており、教育や医療の現場に対する理解も深かった。

同社の山田茂雅社長と2人の開発部のスタッフが初めて安富先生を訪ねたのは、今から約2年前。話を聞くやいなや、山田社長は安富先生の熱意に強く打たれ、高田先生が開発した試作品に「これはいける!」と手応えを感じたという。
「私自身が長年、教育関係の機器や装置を作ってきましから、世の中に役立つものかどうかはひと目見たらすぐに分かります。商売はともかく、これはどうしても商品化して普及させなければと思いました」と山田社長は語る。
興味深いのは、社内でもタッチセンサーを使ったものなど20以上の試作品を作ったが、どれもうまくいかなかったという話。開発部の西尾さんは言う。「結局、高田先生が開発したメカニカルな方式がベストだという結論に落ち着きました。それだけ先生が作った試作品の完成度が高かったということでしょう」

製品化するとなると、安全性、使い勝手、デザイン、素材など、今まで以上に考慮しなければならない部分がたくさん出てくる。山田社長らは計50回近くも安富先生と高田先生の元へと足を運び、開発途中の製品をテストしてもらった。
「お二人の先生の要求はなかなか厳しくてね(笑)。会社ではうまくできたと思っても、実際に子供に使ってもらうと予想外の不具合が見つかることもありました。いちばん難しかったのは、子供の顔にジャストフィットさせることでしたね」(山田社長)
これは高田先生も悩んでいた部分。結局、山田社長が人づてに見つけた福井県鯖江市の眼鏡製造会社に依頼し、7段階の調節機能を備えたツルを製造することで解決した。それでも2サイズになったが、ほとんどの小学生は問題なく使えるという。

 
 
 
  咀嚼回数と時間を調べ、給食の献立にアドバイス
 
「かみかみセンサー」使用中の生徒たち

「かみかみセンサー」を使用中の子供たち。各地の小学校で徐々に導入が進みつつあるという。

「かみかみセンサー」の発売は昨年の7月。日陶科学の販売努力もあり、学校現場や歯科医院を中心に、今までに4000台近くが売れている。日陶科学は積極的に歯科会の会合や地域の教育機関に働きかけ、「かみかみセンサー」の効果を訴求しているという。では、その効果とはどのようなものなのか。発案者であり、今も「かみかみセンサー」を使ってさまざまなデータを取り続けている安富先生はこう語る。
「私自身の経験で言うと、まず第一に「噛む」ことに対する子供たちの意識が向上しました。これは意図したとおりですね。第二に、子供たちが給食をおいしいと感じ、残さなくなりました。これは、給食の時間が楽しくなったからだと思われます。第三に、給食に対する職員の意識が変わり、よく噛むことを考えて給食時間を5分長く取る日程に変えました。噛み応えのある献立を積極的に採り入れるようになったんです。ほかにも早食いや肥満の予防になったり、明らかな効果が見て取れます」

安富先生は、「かみかみセンサー」を使って献立毎に子供が噛む回数を調べている。回数が少ないと思われる献立があれば、根菜類を増やしたり、食材を厚めにカットしてもらうよう、給食センターにお願いしているのだとか。また、噛む回数を意識させることで子供の肥満を抑制した実績もある。
「高度肥満の子供に『かみかみセンサー』を1年4ヶ月間使ってもらいました。時間が経過するにつれて咀嚼回数と時間が徐々に増えていき、今まで3杯食べていた御飯も、茶碗一杯で満腹感を感じるようになったんです。その結果、5ヶ月で体重は3キロ減りました」
装置を付けて給食を食べる時、違和感はないのだろうか? 子供たちに尋ねると、そんなことは全然ないという。むしろ、「御飯やパンを甘く感じるようになった」「自分の噛む回数が分かって楽しい」「よく噛んで食べるから、少しでもお腹がいっぱいになる」という返事が返ってきた。子供たちの評判はすこぶるいい。

安富先生の資料

安富先生が作成している献立ノート。献立毎に児童数人の咀嚼回数と時間を測定し、給食の改善に役立てている。

食育の必要性が叫ばれて久しい今日この頃、食そのものへの注目度は高まっているが、食べることに直結する「噛む」行為は、まだそれほど大きな注目を集めていないようだ。昔から、よく噛むことは肥満の防止、脳や言葉の発達、歯の病気予防、味覚の向上などに役立つと言われている。そう、よく噛むことは健康な身体を維持するための基本要件でもあるのだ。
「かみかみセンサー」の背後にあるITは、決して派手なものではない。それはシンプルでささやかなものだが、この装置が子供たちに与えるものは、決して小さくないはずだ。

 

取材協力:喬木村立喬木第二小学校、長野県飯田工業高等学校、日陶科学株式会社(http://nittokagaku.com

 
 
神山 恭子 0012 D.O.B 1966.7.3
調査報告書 ファイルナンバー 第36号 噛む習慣を身に付ける「咀嚼カウンター」「子供時代から始める歯と身体の健康づくり」
イラスト/小湊好治 Top of the page

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