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新IT大捜査線 特命捜査 第42号 ITを駆使した水産海洋情報サービス「カツオの居所は衛星が教えてくれる」
 
  リモートセンシング技術で海洋情報を取得
 
函館市臨海研究所

スペースフィッシュが入っている函館市臨海研究所。旧函館西警察署庁舎を再整備した建物で、開館中はガラス越しに研究の様子を見ることができる。

齊藤教授

水産学博士・技術士(応用理学)の肩書きを持つ齊藤誠一教授。トレダスのデータ解析・分析技術の開発を担当した。

あらゆる産業分野でITが導入されている現代。だが一次産業での応用例は、一般にはあまり知られていない。特に漁業となると、思い浮かぶのは魚群探知機ぐらいではないだろうか。だが実際には、漁業の現場では、意外なほどITの導入が進んでいる。今回はその分かりやすい例として、水産海洋情報サービスに目を向けてみよう。
訪問したのは、北海道函館市にある「有限責任事業組合スペースフィッシュ」。お話を伺った齊藤誠一教授は、北海道大学大学院水産科学研究院に籍を置く、海洋資源計測学の第一人者だ。
スペースフィッシュが行っているのは、漁業関係者に向けた水産海洋情報サービス「トレダス」の提供。運用を開始したのは2006年の6月から。ちょっと不思議なこの名称は、TOREDAS(Traceable and Operational Resource and Environment Data Acquisition System=トレーサビリティ機能をもつ海洋の資源と環境に関するオペレーショナルなデータ収集システム)をカタカナ読みしたもので、「魚が捕れ出す」という語呂合わせにもなっている。

トレダスを簡単に説明すると「現在の海がどのような状況にあり、どの辺りに目的の魚がいる可能性が高いかを知らせる有料の情報サービス」ということになる。齊藤教授始め、富士通株式会社など、数社が協力して全体のシステムを開発した。

「トレダスのポイントは、提供情報の作成にあたって人工衛星(地球観測衛星)から送られてくる観測データを利用している点です。具体的には、NASAが打ち上げた2基の衛星(『アクア』と『テラ』)から送られてくる観測データを、同じ函館市内にある北大水産科学研究院の屋上に設置した、直径2.4mの球形アンテナで受信しています」と齊藤教授。

地球上空には、アメリカや日本が打ち上げた地球観測衛星が複数飛んでいる。天気予報に欠かせない気象衛星も地球観測衛星の一つだ。この地球観測衛星で使われているのが、リモートセンシング(遠隔探査)という技術。全ての物体は、その性質に応じた反射光や放射光(共に電磁波)を放出しており、これを人工衛星に搭載したセンサーで受信することにより、遠く離れた場所から対象物の形状や性質を調べることができるのだという。文章にすると難しいが、人工衛星が地球の周りをぐるぐる回りながら、表面の形や中身の状態を手探りで調べ上げているイメージに近い。
「電磁波の強度は対象物によって違うので、海の状況を知る手掛かりになるのです。ただし、衛星から送られてくるデータはそのままでは使えないので、内容を解析し、契約者である漁業関係者が利用しやすい画像情報に加工しなければなりません。スペースフィッシュでは、1日に8〜10回送られてくる観測データから必要な画像情報を作り出し、1日2回、契約者に配信しています」

齊藤教授によると、漁業関係者が最も必要としているのは、海況(海の状態変化)に関する情報と、いつ、どこで、どんな魚が捕れるのかという漁場予測情報だという。トレダスは、海面水温、植物プランクトン濃度、海面高度、潮目、海流など、全部で9種類の海況情報を利用者に提供している。また、スルメイカ、サンマ、ビンナガマグロ、カツオの4種類の魚種については漁場予測も行っている。
あまり知られていないが、こうした情報サービスそのものは水産庁の外郭団体が70年代から行っており、今では民間の気象情報サービス会社も地球観測衛星のデータを元にした情報サービスを提供している。確かに、漁船が何の情報も持たずに変化の激しい海に出ていくことは考えられない。少なくとも海況情報がなければ、安全な航海や確実な操業は望めないだろう。大きな市場ではないが、水産海洋情報サービスには確かな需要があるのだ。

 
 
 
  サイエンスに裏打ちされた独自の漁場予測システム
 
トレダスのシステム概要図1

トレダスのシステム概要図。利用ケースを想定し、漁船向けと地上向けの2つのサービスを展開している。

ここで、トレダスの運用形態を見てみよう。
トレダスには漁船向けの「OnBoardトレダス」と、地上で利用することを前提にした「Webトレダス」がある(提供される情報は同じ)。そのインフラとして、前者には主にワイドスター(NTTドコモ)などの衛星電話が、後者にはインターネットが使われている。衛星電話はパケット通信を利用し、その速度はワイドスターで最大64Kbps。ブロードバンド回線のようにはいかないが、トレダス側でもデータ量を抑えているので、ほとんどストレスは感じない。
トレダスはWebベースのサービスだが、船上で使うOnBoardトレダスの場合は、GIS(Geographic Information System=地理情報システム)機能を搭載したタッチパネル式の専用ノートパソコンを使用する(オプションで携帯端末も用意される)。これに漁船が搭載しているGPSを接続すれば、画面上でリアルタイムに自船の位置を確認することも可能。トレダスを使えば、漁師はパソコンの画面で海況をチェックしながら、指示された漁場に向かって効率的な進路を取ることができるのだ。
一方のWebトレダスの場合は、インターネットに接続された汎用パソコンを使用する。当初、スペースフィッシュ側ではOnBoard、Web双方で同じくらいの契約者がいると予想していたが、実際はOnBoardトレダスの契約者の方が多いという。

OnBoardトレダスのノートパソコン

OnBoardトレダスで使う専用ノートパソコン。漁船内で使うため、へビーデューティ仕様になっている。

トレダスの画面、魚種選択

トレダスの初期画面。4種類の魚種から目的の魚を選択すれば、様々な情報画面に重ねて、その魚の予測漁場を表示することができる。

トレダスの画面、海面水温

OnBoardトレダスの画面に海面水温を表示させたところ。青や水色の部分は水温が低く、オレンジや赤は水温が上がっている海域。

トレダスの画面、クロロフィル濃度

こちらはクロロフィル濃度(=植物プランクトン濃度)。魚の餌となるプランクトンが多い海域が緑色で表示されている。

現在の水産海洋情報サービスは、トレダスのようにWebベースのものもあれば、メール送信したデータを専用ソフトで利用するものもある。会社によって配信方法に違いはあるが、地球観測衛星のデータを利用したサービスである点は同じだ。海面水温や植物プランクトン濃度など、解析データの見せ方や使い勝手には各社のノウハウが活かされるが、同じ衛星を使っている場合、解析データの数値に違いはない。では、どこで他社製品との違いを出すのか。
トレダスの特徴は、漁場予測システムの独自性にある。齊藤教授が研究しているのは、各種のセンシング技術を駆使した海洋資源計測学。トレダスにはこの研究成果が活かされているのだ。

「こういう環境だと魚はこのくらい生息するといった具合に、環境と魚の分布、回遊の関係をモデル化して考えるんです。例えば、サンマは15度から18度の間の水温を好むという知識があれば、その環境がサンマの生息領域を探す一つのキーになりますね。そこに潮目やクロロフィル濃度に関する知識が加われば、サンマが好む環境をより正確に把握できるわけです。そうしてサンマの生息領域に関する情報にいくつものフィルターをかけて、範囲を限定していくようなイメージですね。海洋資源計測学ではリモートセンシングによる環境観測だけでなく、実際に生物を採集するダイレクトセンシングも行っていますから、環境と実際の魚の分布や回遊状況を、空間的、時間的に関連付けることができます。長年に亘って蓄積してきた空間情報が、それを可能にするわけです」
つまり、「サンマは、ある日ある時この辺りにいた」あるいは「サンマは、ある日ある時この辺りからあの辺りに移動した」というデータと、「そのサンマがいた時、海の状態はこうだった」あるいは「そのサンマが移動した時、海はこんな風に変わった」というデータがそれぞれあり、それを積み重ねていくと「海はこうなった、だからサンマがここに集まる」あるいは精度が上がれば「海はこうなった、にもかかわらずサンマはいない。だからもう捕ってはいけない」ということも言えるようになるわけだ。
他社にも漁場予測システムはあるが、そのほとんどは過去に大量の漁獲があった日の海況から最適な条件を割り出し、明日の海況からそれに近い条件の領域を見つけるというもの。いわば経験則に基づいた予測方法だ。これに対しトレダスは、サイエンスから導き出された漁場予測システムである点が違っている。齊藤教授は「積み上げた知見とリモートセンシング技術による海況情報があれば、高い確率で漁場を予測できる」という。

魚の生息状況を含む海況は変動要素が大きいため、トレダスの漁場予測がどのくらい当たっているかを定量的に検証することは難しい。だが、利用者はトレダスの性能にほぼ満足しているようだ。根室でサンマ漁を行っている漁師からは「漁は夜なのに、今までは朝早く出港して漁場を探さなければならなかった。トレダスを使えば、昼過ぎに船を出しても夜の漁に間に合う」という声が寄せられている。
興味深いのは、必ずしも全ての利用者がトレダスの漁場予測を信用しているわけではないことだろう。その理由を、齊藤教授はこう説明する。
「ベテランの漁師になるほど現場で培われた知識がありますから、簡単には機械を信用しないんです(笑)。この潮目でこの水温ならサンマはいないということを彼らは直感的に理解していますし、知識や経験則は漁獲量に直結しますから、外部に公開することもありません。ただ、そうした知識を世代を超えて継承させるのはなかなか難しい。トレダスの利用者が比較的若く、機械に強い人が多い理由はここにあります」
ものづくりの現場と同じように、漁業においても技術やノウハウの継承が大きなテーマになっているのだ。トレダスを使えば効率的な操業ができるから、労働時間は減る。特別な知識や経験がなくても、漁場に辿り着ける。であれば、若い世代が漁業に関心を持ってくれるのではないか。齊藤教授は、トレダスの後継者育成効果にも大きな期待をかけている。

 
 
 
  効率的な漁業活動は地球環境にも優しい
 
トレダスのシステム概要図2

トレダス導入の前後における漁船の燃料消費を比較した図。漁船が漁場探索にかける時間はかなり長く、燃料消費の半分以上を占めている。

漁場を探して船をあちこち走らせる必要がないので、結果的に時間と燃料費を節約できる──利用者視点で見れば、トレダスを導入する大きなメリットは、この燃料費削減効果にある。昨年の急激な原油高を経験した漁業関係者は、皆、一様に漁船の効率的な操業に目を向けるようになった。実際の燃料費削減効果はどれくらいなのだろう?
OnBoardトレダスの開発を担当した富士通グループは、トレダスを運用する以前の2004年8月から2006年の3月にかけて実証実験を行っている。その結果、トレダスを導入した漁船は効率的な漁場探索が可能になったことにより、燃料費を従来より10〜20%も削減できたという。
函館で盛んなイカ釣り漁の場合、9トンクラスの小型船が一晩の漁で消費する燃料(A重油)は、約900リットル。現在の平均小売価格である1リットル60円、削減率20%で計算すると、その削減金額は一日あたり1万800円になる。昨年に比べれば重油価格はかなり下がったものの、その削減効果は決して小さくない。
グローバルな視点で見ても、燃料費の節約はそのまま二酸化炭素の排出量削減につながる。他船よりも早く漁場を確保しなければならない漁船漁業は、構造的に省エネ化を図りにくい産業と言われている。だが有効な選択肢の中に燃料費を削減できる方法があれば、関係者一人一人のエコロジー意識にかかわらず、結果的には省エネに寄与することになる。トレダスは地球環境に優しいシステムなのだ。

現在、トレダスの契約数は試験操業も含めて約20隻。魚種別に見ると、操業規模の大きなカツオ船の数が多い。利用者の拠点は、北海道から九州まで広範囲に及んでいる。漁場予測の信頼性を上げるためにも、齊藤教授は「マグロ船、イカ釣り漁船など、魚種ごとに船の数を30〜50隻まで増やしたい」と考えている。

大きな燃料費削減効果を持つトレダスだが、普及に向けては課題もある。OnBoardトレダスの初期導入コストは約80万円。これに衛星電話の購入費用、約70〜90万円がかかる(レンタルもある)。
毎月かかる費用は、システム使用料の3万円と衛星電話の通信費。契約形態と使用量にもよるが、通信費は一般的な使い方で3〜6万円といったところ。個人経営の漁船にはやや負担が大きい。小型漁船は通信手段に低コストの魚業無線を使っているケースが多く、衛星電話の使用にも二の足を踏むケースが多いようだ。
齊藤教授は、来年中に始まる衛星電話の次期サービス(NTTドコモ)に期待を寄せている。「速度が現在の6倍になりますから、毎月の通信コストはかなり低減できるはず。トレダスの普及にも弾みを付けたいところです」

 
 
 
  持続的な漁業を実現するためには、ITの導入が欠かせない
 

地球観測衛星、リモートセンシング技術、海洋資源計測学…。古来、人間が行ってきた“魚を捕る”という行為に、今は驚くほど高度なITやサイエンスが応用されている。漁師の勘と経験だけで魚が捕れる時代ではなくなったことは確かだが、理由はそれだけではないらしい。

背景にあるのは、世界的な規模で進行しつつある水産資源の急激な減少と、それに呼応する漁業規制の動きだ。日本は1970年代前半から毎年1,000万トン以上の漁獲を続けてきたが、その数は90年代から徐々に減り、現在は500万トン弱にまで落ちている。正確な資源量を把握できないまま、過剰な漁獲が行われてきたためだ。90年代以降は水産国に対する海洋資源の管理責任が求められるようになり、日本も選定魚種に対する数量管理を行うようになった。だがその方法は漁獲量の調整でしかなく、齊藤教授は「このままでは水産資源の持続的な利用は望めない」と警鐘を鳴らす。
「重要なのは、いつ、どこに、どのくらいの量の魚が生息しているのかを、回遊経路も含めてリアルタイムに把握することなんです。それが分かれば、いつ、 どこで、どのくらいの量の魚を捕っても資源維持に影響を与えずに済むかを判断できますから」
旧来のテクノロジーでは、ダイナミックに変動する水産資源の有り様を把握できない。水産資源の持続的な利用と安定供給を実現するためには、最先端のITやサイエンスが欠かせないのだ。

では、全ての漁船がトレダスのような水産海洋情報サービスを導入すれば、日本の漁業は安定かつ持続的な方向に変わるのだろうか。齊藤教授は、更にその先を考える必要があるという。
「より確実な水産資源の保全のためには、各漁船の航行を個別に管理する統合的なシステムが必要になるでしょう。既に欧米では、船舶の航行情報を詳細に把握するVMS(Vessel Monitoring System=衛星を利用した漁船モニタリングシステム)の導入が進んでいます。VMSの情報から漁船の操業形態が分かるので、今どこで、どの船がどんな魚を捕っているのかを一元的に管理できるようになるのです。早期の導入は難しいでしょうが、将来の日本には必要なシステムだと思います」
漁業の効率化を推進し、省エネ効果も期待できるトレダス。持続可能な漁業の実現を目指し、これからも開発が進む。漁業のIT化は、まだ始まったばかりなのだ。

 

取材協力:有限責任事業組合スペースフィッシュ(http://www.spacefish.co.jp

 
 
坂本 剛 0007 D.O.B 1971.10.28
調査報告書 ファイルナンバー 第42号 ITを駆使した水産海洋情報サービス「カツオの居所は衛星が教えてくれる」
イラスト/小湊好治 Top of the page

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