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デジカメ散歩
第6回 下町文化と自然が溢れる街「月島」

食欲の秋、読書の秋……秋の風物詩は種々あるけれど、お散歩もそのひとつ。涼しくなった今だからこそ、季節の変化を肌で感じながら、ゆっくりと散策したいもの。
今回は、もんじゃ焼きで知られる月島近辺を散策。隅田川の河口に位置する月島は、河口沿岸には資材などを保管する倉庫群と、中央には戦火を免れた小さな長屋群が位置していた街。この街に変化が訪れたのは、1970年代後半からだと言う。立地の良さを生かし、倉庫街には商業施設や高層住宅が建ち始め、最近でも晴海アイランド・トリトンスクエア、大川端・リバーシティ21の開発などが行われている。一方で、今なお一歩脇道に入れば、昔ながらの長屋も姿を見せる下町情緒溢れる街。今回もたっぷり歩いて、街の魅力を再発見!

 
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月島駅

本日のお散歩スタート地点は、月島駅。地上に出ると、まず目に入るのが西仲通り商店街の看板。この通り沿いには、約70件のもんじゃ焼き屋が集合している。

 
西仲通り入口に立つ看板。地上に出ると、まず目に入る
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西仲通り入口に立つ看板。地上に出ると、まず目に入る
整備された街路
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整備された街路
 

通称「もんじゃストリート」の名で知られる「西仲通り商店街」へ。きれいに整備された広い車道の両脇につづくアーケードの下には、さまざまな商店が。なかでも多いのが、もんじゃ焼き屋。あちこちから、香ばしいもんじゃの香りが漂ってくる。
整然とした商店街とは対比的に、ちょっと脇道に入れは下町情緒を漂わせる路地が残っている。洗濯物がはためいたり、植木鉢がたくさん並んでいたり、生活の匂いが伝わってくる。
 
今なお残る下町の風景
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今なお残る下町の風景
商店街の中程にある交番。かわいらしい外観
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商店街の中程にある交番。かわいらしい外観

西仲通り商店街
わたし児童公園

商店街を抜け、川沿いに向かうと見えてきたのが「わたし児童公園」。名前に引かれて近付いて見ると、公園内に「月島の渡し跡」という碑を発見。
この「月島の渡し」。もともとは月島一号地の埋め立てが完成して間もない1892(明治25)年に、鈴木由三郎という人物が、南飯田町(現、明石町14)からこの場所まで(現、月島3)、私設の渡船を航行し始めたのがきっかけだという。その後、1901(明治34)年、東京市が市営化を決め渡賃も無料に。乗客数も多く、徹夜渡船もあったそうだが、1940(昭和15)年の勝鬨橋の完成とともに利用者が減少し廃止されたという。近年まで存在していた渡しは佃島と明石町を航行していた「佃の渡し」。こちらも、佃大橋の完成とともに廃止された歴史を持つ。公園から川沿いに出る階段を上がる。

 
公園の入口では鴨(?)がお出迎え
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公園の入口では鴨(?)がお出迎え
行き交う船を観察。右手奥に見えるのが、大川端リバーシティ21
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行き交う船を観察。右手奥に見えるのが、大川端リバーシティ21

公園から川沿いに出る階段を上がると、目の前は隅田川。対岸はもちろん、勝鬨橋、佃大橋、大川端・リバーシティまで見渡せる。川沿いの遊歩道は、行き交う船を観察する人、読書をする人、ジャグリングの練習をする人、ランニングする人など、のどかな水辺空間。遊歩道に沿って、公園やベンチが多数設けられていた。

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橋の下で親子でダンスのレッスン中
橋の下で親子でダンスのレッスン中
川沿いの道
佃島

遊歩道が途切れたところで階段を上ると、そこは佃島。明治後期に、月島と地続きで埋め立てされた地だ。佃島は、大阪市西淀川区佃の漁師達が、幕府の許可を得て築造した漁村で、佃煮の発祥地とも言われている。そのまま路地を進むと、佃堀に架かる佃小橋に到着。堀には、小舟が浮かんでいた。

佃島で今なお営業をつづける佃煮屋
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佃島で今なお営業をつづける佃煮屋
佃小橋より佃堀を見る。背後の高層ビルは大川端・リバーシティ21
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佃小橋より佃堀を見る。背後の高層ビルは大川端・リバーシティ21
住吉神社
 

つづいて住吉神社へ。大阪の漁師たちがこの地へ移住後、1646(正保3)年に創建した佃島の鎮守だそうだ。境内にある水盤舎(おみずや)の欄間の正面には、石川島の灯台と、佃の渡し、帆を張った船や網をうつ小舟など、水と密接な関係を結んできた佃島の風景が彫られている。川に向かって建てられた鳥居が、水との密接な結びつきを現している。

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住吉神社
住吉神社
石川島灯台

鳥居をくぐると、再び隅田川沿いに出た。そこで目に飛び込んできたのが、白い和風の建物。近付いてみると、地階がトイレになっている。なんでも再建された灯台だという。
「石川島灯台」と呼ばれるこの灯台は、1866(慶応2年)、石川島の人足寄場奉行が、隅田河口や品川沖を航行する船舶のために、人足たちの手で常夜灯としてつくったもの。灯台の足下には、江戸時代末期の佃島と、石川島の地図が描かれていた。

 
灯台の地階は公衆トイレでした
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灯台の地階は公衆トイレでした
池を中心に、東屋や遊具、ベンチが設置されている
 

つづいて灯台の裏手に広がる佃公園へ。ここは、大川端リバーシティの開発とともに整備された場所。池に面した東屋では、お弁当を広げてくつろぐ親子の姿が。散歩も中盤。ここでちょっと一休みすることにする。

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池を中心に、東屋や遊具、ベンチが設置されている
佃公園
大川端・リバーシティ21

公園を抜け、遊歩道に沿って進むと、佃島の先端に広がる28.7ヘクタールの土地に完成した「大川端・リバーシティ21」に到着。1986(昭和61)年に着工、2000(平成12)年に完成した超高層住宅で、石川島播磨重工業の工業跡地を中心に、隅田川沿いの堤防・遊歩道整備、公園・緑地、学校、住宅を含め再開発されたもの。先ほど歩いてきた川沿いの遊歩道や佃公園も、この計画の一部として整備されたものだという。

 
親子でお散歩中
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親子でお散歩中
「日本初の民営様式造船所発祥地」と刻まれた石
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「日本初の民営様式造船所発祥地」と刻まれた石
 

リバーシティ21から中央大橋をくぐると、そこは石川島公園。また公園?と思われるかもしれないが、佃島東部の川沿の多くは公園に利用されているのだ。ぐるっと公園を巡りながら川を眺めるもよし、橋を眺めるもよし。
公園の一角に「日本初の民営様式造船所発祥地」と刻まれた石碑を発見。ペリーが来航した1853(嘉永6)年、幕府の命を受けた水戸藩が、ここに石川島造船所を創設。洋式帆装軍艦や、日本人によって設計、建造された初の蒸気軍艦などを次々と建造したというが、その面影はない。替わって今は、子供たちのはしゃぐ声が響く。のどかな雰囲気。

 

 
川辺で集合。密談中?の子供たち
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川辺で集合。密談中?の子供たち

石川島公園
晴海アイランド・トリトンスクエア

2001年に完成した「晴海アイランド・トリトンスクエア」へ。全長94メートルの動く遊歩道「トリトンブリッジ」が、朝潮運河で隔てられた月島と晴海を結んでいる。3棟の超高層オフィスの他、展示ホール、商業施設、住宅などが建ち並ぶ敷地内には、水のテラス、花のテラス、緑のテラスと名付けられた広場と遊歩道が設けられている。
動く遊歩道を降りると、塔状のオブジェがある。オブジェの中に竣工記念の品々が埋め込まれており、晴海築島100周年を迎える2031年に開封するのだとか。どんなものが埋められているのだろう?朝潮運河沿いは、桜並木が続く「さくらの散歩道」。散歩道から、運河へ釣り糸を垂れる人を多く見かける。

動く遊歩道
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動く遊歩道
月島側から見たトリトンスクエア
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月島側から見たトリトンスクエア
足下から球状の水が飛び出す水の広場。子供たちに人気の様子
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足下から球状の水が飛び出す水の広場。子供たちに人気の様子
 
 

今回は、ぐるりと川沿いを歩くことで、街の変化を楽しめた。新しいものもあり、古いものもあり、それらが渾然一体となり、月島の魅力を生み出しているようだ。天気の良い日は、ぜひ川沿いコースを歩くことをお薦めしたい。

月島
イラスト/小湊好治 Top of the page

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