今月は「文学の道を辿るコース」。宿場町として栄えた品川は、古くから文学の舞台としても盛んに登場する。浄瑠璃や歌舞伎でもおなじみの八百屋お七が処刑された鈴ヶ森刑場跡や、落語の 『品川心中』 『居残り左平次』 また国文学者にして歌人でもある折口信夫や、作家の吉川英治などが居を構えた場所でもある。 その中から、大井町駅を中心に 『時代屋の女房』 の舞台となった三つ又交差点と、高村智恵子が生涯を閉じたゼームス坂を巡る。
大井町駅西口を出発。りんかい線の開通に伴い、駅舎も一新され、バスターミナルも整備されたようだ。ここから東急バス池上駅・蒲田駅行きに乗車。
「しながわ百景」に指定されている鹿島神社は、茨城県鹿島郡に鎮座する鹿島神宮から、安和2年(969年)9月に分霊されここに祀られたものだそうだ。旅行安全や安産などのご利益があるとのこと。 境内は、枯れ葉一つ落ちていないほど、きれいに手入れがなされている。ぐんと天をつく立派な木々は、区の保存林に指定されている。
郷土資料が数多く展示されている品川歴史館。昭和初期に造られたという庭園と茶室を眺めながら、ゆったりとした時間が過ごせる。常設展示として、品川宿宿並模型などがある。 各展示物に添えられた「品川歴史館解説シート」は、とても分かりやすくまとめらており、思わず全種類もらってしまいたくなるほど。高村智恵子や品川ゆかりの文人に関する資料も豊富なので、散歩の前にぜひ一度足を延ばしておきたい所だ。
歴史館から、徒歩約20分で大井三つ又交差点に到着。 「……三つ又に架かった長い歩道橋の一方の階段が螺旋状になっていて、降りきったところに不思議な店がある。猫の額ほどの土地に作った小さな建物は、『時代屋』という看板がなければ物置小屋といった趣きだ。……」、これは直木賞を受賞した村松友視の『時代屋の女房』の一節。とすると、この螺旋階段の足もとに時代屋が……。安さんもここに上がって、真弓を迎えたのだろうか。左に見える細い通りは、駅へと続く三つ又通り。
地図をよく見ると「ゼームス坂」と名の付く場所が2カ所もあるのが気になるところ。何でも、現在「ゼームス坂通り」と呼ばれている坂は、もともとは「浅間坂」と呼ばれていたもので、昭和初期に行われた道路整備で拡張した後あたりから、人知れずこの「浅間坂」を「ゼームス坂」と呼ぶようになっていたという。本来は、ジェームズ邸があった、現在の三越ゼームス坂マンションと智恵子の詩碑に挟まれた坂道が「ゼームス坂」。
ジョン・M・ジェームズ邸跡地に建つ三越ゼームス坂マンション。現在よりはるかに急勾配であったこの坂を、私財をなげうって整備したジェームズにちなんで「ゼームス坂」と呼ぶようになった。マンション入口の石碑には、このいわれについて刻まれている。
この石垣はジェームズ在りし日のままに残されていると言う。同じく、樹木は樹齢百数十年を越し、区の保存林にも指定されている。ちょっとした公園が設けてあり、散歩途中の休憩にもってこいの場所。
マンションの斜め前には、智恵子の詩碑がある。智恵子が入院していたゼームス坂病院の跡地に建てられたもので、智恵子の身長とほぼ同じ大きさで作られている。 昭和13年に52歳でこの世を去った高村智恵子。入院から亡くなるまでの約3年間に制作した紙絵は千数百点にも及ぶと言う。「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。……」(『あどけない話』より)とある。智恵子はここで何を想っていたのだろうか……などと考えながらふと空を見上げると、いつの間にか雲間から光が射していた。
ゼームス坂を上りきると、目の前に線路が見えてくる。 この線路沿いに植えられているのは、桜の木。毎年、春になると一面ピンク色に染まるそうだ。
ここで本日のお散歩はおわり。所要時間は約4時間。 切なく、そしてどこか柔らかい気持ちに包まれて、大井町駅へと向かった。 小脇に本をかかえながら、小説の登場人物や文人の足跡を辿るのもいいものだ。
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