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第31回 第1章 心がまえ
第23項 無欲の大欲、無作為の作為
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■第1章 心がまえ
第23項
無欲の大欲、無作為の作為
〜「小欲」を捨て、まず「メール縁者に良かれ」と考える
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■「大欲」「中欲」「小欲」
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どうしても、日々のメールは...
「小欲」によって「やりとり」をしがちです。
「小欲」とは「目先の欲」。
即ち...
「注文が欲しい」
「要件だけ伝えて済ましたい」
「さっさと怒りを鎮めてほしい」
「はやくメールを処理して帰りたい」
...といった「わがままな気持ち」です。
そんな気持ちばかりが先走ってしまって
ついつい「メールをやっつけ」てはいないでしょうか?
@ @ @
それでは、「大欲」とは、何でしょうか?
もちろん、それは「人によって違う」でしょう。
人生における「夢」や「生きがい」と言いかえても良いかもしれません。
@ @ @
「夢」というと...
「社長になりたい」
「お金を儲けたい」
「会社を大きくしたい」
といったことを連想される方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、実のところ、これらは「夢」を実現するための「手段」にしか
すぎません。
「小欲」よりは、まだ前向きかもしれませんが....
「中欲」とでも、便宜上、呼んでおきましょう。
■小欲の積み重ねでは、大欲はかなわない。
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「大」「中」「小」と並べてはみましたが...皮肉なことに...
「小欲」をもって、日々を重ね、精進?すれば、
「大欲」を欲したり、「夢」をかなえたりできるわけではなさそうです。
@ @ @
また、うまくして「大欲」の手段たる「中欲」を満たして、
資産や地位などを得たものの...
そこで満足してしまって、「大欲」を忘れてしまう人や、
「中欲」を維持するために「小欲」に戻ってしまう人も
少なくありません。
@ @ @
ところが、歴史に名を刻んだ「大欲の人」に学べばわかる通り、
はじめに「大欲」、すなわち「夢」や「理念」ありきで、
卑俗な「中欲」や、日常的な「小欲」には
むしろ「無頓着な人」が多いことに驚かされます。
小さなことや、世間の評価に対しては「無欲」であったからこそ、
「大欲」をかなえた人がいるのです。
そんな人の「生きざま」を知れば、「権謀術数にたけた人」に比べて
「さわやかな気分」にさせられます。
■「メール道の極意」は「無欲の大欲」
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実は、「メール道の極意」も「無欲」なのではないかと思うのです。
@ @ @
ささやかな経験ながら....
なにか「魂胆のあるメール」は、なぜか人の心には響かず、
半ば無意識に「ただ相手のことを思って書かれたメール」の方が、
不思議と「いつまでも心に残っている」ような気がするのです。
@ @ @
「無欲」といっても、きっと「欲が無い」という意味ではないでしょう。
これは「無限」の「無」であって、実は「限りなく大きな欲」という
ことでは、ないでしょうか?
@ @ @
ふとした瞬間に「小欲」が消えて「自然体」の時に....
「相手も自分もひとつとなって、区別をしなく」なり、
「わが事のごとく相手に親身」になり、
「相手が喜んでくれれば、自分まで心地よくなる」ような心持ちで、
ただ、淡々と、穏やかにメールをする。
すると、なぜか、そのあたたかな気持ちが相手に伝わり、
互いに「共鳴」して、そのメールと一緒に「記憶」に刻まれる。
@ @ @
そんな「気持ちの良い」ことを日常的に続けていくことこそ、
本当の「欲張り」なのかもしれません。
■メール道の極意は「無作為の作為」
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しかし、心一つにするメールのやりとりが続いたとしても、
それだけで、直接、「大欲=自分の夢」の実現につながることはないかも
しれません。
夢を実現するための「メールの外での地道な努力」も、
もちろん必要不可欠でありましょう。
@ @ @
しかし「日々の努力に報いる縁」は...
ある時「思いもしないところ」から「思いもしないかたち」で
訪れることがあります。
それは、「予想だにしないメール」という形で舞い込んでくることも、
あるでしょう。
あたかも「見えざる手」が働いているかのように.....不思議なことです。
@ @ @
現実には、「不思議」「見えざる手」というよりも...
日々無心の「メールまめ」の結果として、
「縁者」が増え、自分の「夢」が伝わり、
それを知った縁者発の「口コミ」や「ネットコミ」のおかげで、
その「偶然に見えるメール」に「必然的に」つながっているのでしょう。
@ @ @
しかしながら、
「自分の夢はこうだ!こんな人と知り合いたい!紹介してくれ!」
こんな類の「無礼で無粋なメール」を、誰彼かまわず、一方的に出し続けた
としたら...
誰一人、そのメールに応えないどころか、「ネット上での友だち」もいなく
なってしまうことでしょう。
@ @ @
ですから、下手な「作為」など持たないほうが良いのではないでしょうか?
その場その場で、自然体で.....
「目の前の縁者=メール」に「最大限のお役立ち」をすべく発信、返信する。
そんな心からのメール発信を、日々、ただ黙々と重ねていくことこそが、
遠回りでも「大欲」をかなえる「王道」なのでありましょう。
@ @ @
そして「運がよければ」
ある日「無作為の作為」によって、思いもよらない人が、夢の実現に力添え
してくれることがあるかもしれません。
...もちろん、ないかもしれませんが、意に介しません。
@ @ @
また、気が付けば「大欲」などかなわぬとも
「日々のささやかな営み=無欲の大欲、無作為の作為メールの発信」
それ自体に喜びを感じている、ご自身に気づかれるかもしれません。
むしろ、インターネット時代には...
これまでの歴史に見られたように「限られた大人物」が活躍することではなく、
人知れず「無数の人たち」が交し合う「無欲のメール」によって、
少しずつ「世の中が変わっていく」と考えた方が楽しいと思うのです。
@ @ @
そんな社会になれば...
それぞれの人が、いつしか、なにが「大欲」だったかも忘れたころに....
「夢がかなう」いや「かなっていた」ということにもなりましょう。
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