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◆ 製造業の空洞化は本当に心配なことなのか?
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◆ 日本の製造業空洞化議論
COMZINE元編集長から個人的に、日本の製造業の空洞化についての議論にコメントを欲しいと言われて、はたと疑問が生じた。日本の製造業の空洞化は本当に憂慮すべき問題なのだろうかと。この問題提起は80年代からあるが、最近では余り聞かれなくなった。80年代、まだ日本の製造業が世界でもトップクラスで、日本の製造業ひいては会社組織そのものがなにか優れているのではないか、といった論評や単行本、例えばKAISHAや半導体立国などが沢山出て、一部の大学教授などもこれに乗っかって、日本は技術大国だ世界は日本に追いつけない、などとテレビや新聞で盛んにその主張を述べられていたが、これらの方々は今、どのような心境でおられるのだろうか。
筆者は60年代後半から80年代半ばまで日本の大手電気メーカーに勤め、80年代後半から現在までアメリカの大手半導体メーカーに勤め、どちらの会社でも世界一になる過程を製造技術者として経験した。これらの経験から、企業の在り方についてのいくつかの論点(今迄、色々な人が述べられてはいるが、断片的でしかない)をまとめて、今後の議論の参考にしていただければ幸いである。
◆ 製造業の空洞化
一般に産業の空洞化とは、製造現場(工場)が地方、海外に移転してしまい、地元には何も無くなることを意味しているようだが、これが悪いことなのかは、地元(今回の場合日本国内を指す)の事情によるもので、必ずしも悪いこととは言えない。日本のように、中学卒や高校卒で働きに出る人が、とっくの昔にいなくなった状況では、工場を日本に残す意味は全く無いと言って良い。日本の高度な生産技術は、工場でしか磨けないというのは時代錯誤である。生産技術は誰でもマネが出来るし、お金を出せばいくらでも買える。台湾の半導体産業や韓国の産業がその良い例である。よって製造業の空洞化で何も失う物はなく、心配するに当たらない。自前で生産技術を磨き上げるほど資金が有る会社も無くなった。
◆ ビジネスプラン(会社とは何ぞや?)
日本の会社に入って、入社研修の時にふと疑問に感じたのは、会社とは何をするところなのか?というものだった。16年後、アメリカの会社に入ってトップの話を聞き、なるほどそうだったのか、何だ当たり前ではないかと思い知らされたのが、会社とはお金を儲けて株主に還元し、かつ従業員もその恩恵に授かるというものだった。そしてお金儲けの秘訣とは、無駄金は一切使わず、必要なところに全てをつぎ込むというものでもあった。全てという中に、現金以外に人材が入っていると気が付くのに1年も掛からなかった。日本の会社も、今やっとこの原点に辿り着いた様だが、肝心のどうやって金を儲けるかという、いわゆるビジネスプランが描けていない。ビジネスプランは、一般の会社役員にはとうてい作成不可能な代物で、MBAのタイトルを持った人に任せるのが常識だが、日本ではいわゆる博士やMBAを経営に参画させない傾向があったのだろうか?
◆ リスク・テーキング(リスク無しに金儲けはできない)
日本の代表的な会社としては、総合メーカー、商社そしてデパートのように、全てを取り扱うのが従来からの慣習で、韓国も同じである。総合大会社の弱点は、金が儲かるところに100%焦点を当てられないだけでなく、儲からないところにばかり投資して赤字続きというのが一般的で、大会社ゆえ赤字続きでも倒産させずにやって来た。大会社でなくても、全ての資源を100%一つのビジネスに投資すれば(一所懸命の由来)、成功する確率は高い。どのビジネスに集中するのかというと、その会社のコアコンピテンシーのところである。コアコンピテンシーはよく間違えられやすいが、儲かっているとか儲かりそうなビジネスのことではない。その会社がもっとも得意とし、人材も揃っている分野のことである。管理職も含めた経営者が、お金を儲けようとする意欲がかなり高くないと、このようなリスクは取れない。
◆ 失敗を容認する社会、特異なものを排除するのではなく奨励する社会
リスクを取れば、当然失敗は付きものだ。日本には失敗を許す風習が無い。失敗した個人や会社を救済する社会の仕組みも出来上がっていない。リスクを取るためには、かなり特殊な、そして特異な考え方の人を採用したり、その意見を聞く必要がある。しかし、日本の社会は和の社会で、かつ学校教育が均質な人材を育成することを重点として来たため、このような人は最初から除外されるか、または洗脳されて当たり前の人間になってしまっていた。世界的には個人の時代に入っている。個人に高いリスクを取らせ、成功させる社会、そして失敗しても優しく再起を図らせることの出来る社会にならなければ、日本という国そのものが日陰の存在になってしまう。
◆ プロジェクト・マネジメント(辞める勇気)
世界は個人本位の時代に入り、製造業も大量一品生産から、多種少量生産へと変わりつつある。日本では多種少量生産は、お家芸ともいえるもので、トヨタのカンバン方式を初めとして、数々の生産技術が生み出されて来た。しかし、生産技術はお金で買えるか、もしくは簡単にマネが出来るので、もし、よそで同じ事を始めたら直ぐに、更に先を行くか、辞めるかの決断をしなくてはならないが、残念ながら日本ではこれが出来ない。大量生産時の基本は、デミング博士を初めとする品筆管理であったが、多種少量生産では、プロジェクト・マネジメントが基本であることは、専門家の間では常識なのだが、これが解っておられる経営者や管理者は日本には余りいないと聞く。プロジェクト・マネジメントの基本は、そのプロジェクトがうまくいっていない、と判った時点で辞めなくてはいけないが、日本では失敗と言われるのが怖くて、成功するまで続けようとしてしまうらしい。予定の日時を過ぎて、仮に成功したとしても、それはプロジェクトとしては失敗である、すなわち多種少量生産としては失敗なのである。
◆ 第二の敗戦(戦争への反省と国際社会への約束)
高度経済成長からバブル崩壊を経て、日本もやっと真の戦後を迎えたらしい。しかしマッカーサー元帥はもうこの世にはいない。第二次世界大戦の反省を今こそすべき時だが、まだ靖国神社に参拝する首相がいる。議論無しにアメリカのイラク戦争を支持する日本政府を、海外、特にアジアや中近東の諸国はどう見ているのかは筆者が言うまでもないだろう。
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