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矢野直明プロフィールへ インターネットという「迷宮」の案内役:二木麻里さん 二木麻里さんプロフィールへ

1995年という早い時期から、国内外の人文系資料のリソースを集積したリンクサイト『アリアドネ』を立ち上げ、日本におけるインターネット普及にも貢献した二木麻里さんは、デジタルの世界を熟知した上で、デジタル化されないものや身体性の重要性も指摘する。まさにサイバースペースの“アリアドネ”である二木さんに、ネットというラビリンス(迷宮)で迷わないための糸車、いや糸口を聞いた。

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Part1 インターネット草創期に始めた情報の整理箱

 速い流れはニュースソース、ゆっくりとした流れはアーカイブ

Part2 やはり残る人と人とのコミュニケーション

 パワーサーチからこぼれ落ちるもの

Part3 サイバーリテラシーと情報倫理

 ネットは人びとの意識を先鋭的に反映する
 メタフィジックな倫理観と具体的な対処の仕方

Part1 インターネット草創期に始めた情報の整理箱

矢野

アリアドネはギリシャ神話に登場するクレタ王、ミノスの娘で、アテネの英雄、テーセウスがクレタ島の迷宮(ラビリントス)に住むミーノタウロスを退治したとき、無事に脱出するための糸車をテーセウスに与えた。二木さんが人文系資料のリンクサイトに『アリアドネ』という名前をおつけになったのも、網の目のように張り巡らされたインターネットで迷子にならないよう、導きの糸を提供しようという意図があったのだと推察しますが、いつごろこのサイトを立ち上げたのですか。

二木

1995年10月に始めました。最初はごく簡単な形でスタートし、次第に整えて、だいたい3ヶ月ほどでいまの骨格に近いものになりました。

矢野

95年とはずいぶん早いですね。ぼくは95年11月に朝日新聞で『DOORS』というインターネット雑誌を創刊しましたが、その年の3月に先行して『OPEN DOORS』というオンラインマガジンを始め、これが大手マスメディアが作った最初のホームページになりました。同じ年の8月にasahi.comがスタートし、その間に読売新聞や日経新聞もサイトを開設しましたから、95年10月の立ち上げというのは早い。

二木

英語圏では90年代半ばからさまざまな学術サイトが立ち上がり始めました。95年から96年にかけては、より一層インターネットが広がり始めた時期だったと思います。たしかに一種の変動期だったかもしれません。
当時、国内サイトはまだ少なくて、96年に『調査のためのインターネット』を出版した時点では、筒井康隆さんたちがお始めになった文学サイト『JALInet』をようやく収録できたタイミングでした。2冊目を出すときにはもっと日本のサイトを入れたいものだと編集者のかたと話したことを覚えています。

矢野

たしかあのころ、NTTの有志たちが始めた検索サイト(NTT DIRECTORY=95年12月開設)がありましたね。

二木

検索機能のほかに、日本を紹介する内容も盛り込んでありました。最初はNTTが組織的に始めたのだと思いましたが、後で有志のかたたちがお作りになったと知りました。矢野さんがDOORSやOPEN DOORSを作られたように、当時は強いモチベーションと知識を持った個人のかたがたがサイトづくりを牽引していたのですね。

矢野

アリアドネは「人文系の総合ゲートウエイ」という位置づけだったとか。最初から壮大な構想を描いていたのがすごい。

二木

ものごとを始めるたび器だけ大きいという悪癖があり、あとで苦労します(笑)。アリアドネを作る動機の一つとして、サーチエンジンでは探せないリソースを探し出せるリストという意図がありました。その意味で、情報の選択に作り手の価値観が入っているサイトです。この姿勢は私自身の独創的な発想ではなく、当時、そうしたねらいで情報を編集した優れたサイトがいくつか出始めていました。これを「リソースリスト」と呼んでいるのですが、私自身も仕事でそうしたサイトにお世話になって、これは圧倒的な力をもっていると思ったのです。

矢野

具体的にはどのようなサイトを参考にされたのですか。

二木

一つは『WWW Virtual Library』という世界各地の大学・研究所のリソースを一つにつないだゲートウェイです。発信側の力量によってリソースの出来映えはさまざまでしたが、ゲートウェイという発想が優れていて、納得がいきました。インターネットという機能をストレートに反映したものです。もう一つはこれと対照的な『Voice of the Shuttle』という、英文学者が個人的に編纂したサイトです。その運営者の研究領域に沿ったものでありながら、人文系のさまざまな分野をカバーしていました。
両サイトはまったく違った構成でありながら、利用者にとっては同じように機能する。つまり、デジタルなら個人も大組織もほとんど同じようなことを行いうる場合があるということですね。リソースリストは他の人が作ったリソースを紹介するものですから、個人が自分自身のスタートページとして作る上で、もっとも自然なあり方の一つだと思ってきました。
例えば雑誌のように新しい情報を編集しながら打ち出していくには、それなりの組織が必要になります。もちろんスクリプトをデジタル化して発信していくライブラリーも同じように組織力を必要とします。しかし、リソースリストは自分自身が使っている“書棚”を他人に公開して、プライベートとパブリックを共存させながら、発展を図っていくことができます。そのことに大変、惹かれました。

速い流れはニュースソース、ゆっくりとした流れはアーカイブ

矢野

いつごろからインターネットやパソコンに親しみ始めたのですか。

二木

80年代の半ばからワープロを使っていました。ほどなくNECのPC98シリーズを使って翻訳の仕事をするようになりました。翻訳は出版活動の一部として、デジタル化の歴史とつながっているのです。手書き原稿から始まって、後にフロッピーディスクで原稿を編集者に届けるようになる移行期にあたっていました。データを消してしまって、つらい思いをしたこともあります。
91年ごろからインターネットを使い始めました。きっかけはJUNETのネットワークをたまたま使うようになったことです。当時は東京大学と慶應大学、そしていくつかの民間企業をつないだゲリラ的なネットワークでしたが、日本で活動する英語圏の人々にとっても便利な交流手段になっていました。というのも日本から北米などに連絡をとりたいときには、インターネットのメールがもっとも現実的な手段だったからです。
私もまずメールから使い始め、Mosaic(インターネット初期のブラウザーソフト)が登場する前のGopher(ファイル整理・検索ソフト)などの時代からネットに親しむようになりました。しだいにインターネットの商業化が進んで、私自身も家でインターネットを使うようになりました。それが90年代前半だと思います。

矢野

まさに発祥のころからインターネットに親しんでこられたわけですね。

二木

翻訳の仕事をしていると、資料探しはとても苦労します。ある単語や概念の背景を知りたいという場合、当時もインターネットは貴重でした。しかも、まとまった文献がオンラインで無償提供され始めたことに、とても感動しました。

矢野

二木さんはインターネットの“公用語”ともいえる英語に通暁していたわけだから、ほしい情報はいくらでもあったでしょうね。インターネットを仕事に使いながら、自分の“整理箱”を作っているうちに、アリアドネが自然に出来上がったと。

二木

ある程度そうです。同時にその整理箱は他の人にとっても使いやすいものにしなければなりません。私自身は検索サイトのYahoo!の情報分類やさまざまな学術リソースの分類に影響を受けていたので、分類できる箱をあらかじめ作っておけば、新しいリソースも分類を崩さず追加できると考えました。
リソースを分類するのは案外面倒で、大型の優れた発信サイトは、優れた資料をいくつもの分野で同時に持っていたりします。私自身はもともと紙の資料の整理が下手で、すぐにわからなくなってしまうことが多かったのです。しかも分類のスペースには限界があります。ある資料を納めたい場所に納められないということをずっと繰り返してきたので、デジタルが登場したときには、自分の望む理論空間が初めて実現したという喜びがありました。

矢野

メニューは歴史、文学、音楽などさまざまなジャンルを網羅しています。1人でお作りになったのですか。

二木

そうです。でも自分が知っている分野や、興味をもった分野、あるいは調べる必要があった分野だけです。基本的に人文科学とメディア、芸術にまつわる領域です。初期のころは、リソースリストという概念そのものがまだあまり浸透していなかったので、内部アーカイブのようにみえたこともあったようです。インターネットはその情報がサイトの内にあるのか、外にあるのか、慣れるまでわかりにくい面がありますね。

矢野

それこそインターネットのいいところだと思いますよ。サーバーが日本にあろうと、アメリカにあろうと、フランスにあろうと、それらの情報が全体としてまとめて編集してあれば、一つのメディアとして見ることができる。中央集権型ではなく、分散型なのがインターネットの良さですね。
ところでサイト運営にはずいぶん時間がかかっているのでは。

二木

それほどでもありません。リンクのチェックなどは必要に応じておこないますが、定期的に作業しているわけではありません。アリアドネのビジターがリンクの移転を教えてくれたり、新しいサイトを推薦してくださることもあり、感謝しています。助け合いながらできる範囲のことをするのがインターネットだと思っています。もちろん最終的にリストするのは私ですが、毎日、何時間も作業に割くほどではありません。だいたい私は不精ですから(笑)。
結局、アリアドネは不精者にとってもっとも楽なんです。その都度、サイトを探すのはきわめて効率が悪く、基礎的セットを用意しておけば、「そこへ」探しに行けるし、「そこから」探しに出られます。サイトは1冊の本のようなものですが、同時に「人の集合」でもあります。そこにあるサイトに尋ねることは、すなわちそこにいる人に聞くことであると思います。
そのサイトが長続きしそうか、あるいは不安定かどうか、みて見当がつくこともあります。さいわい、移転しても発展的に続くサイトが、人文系には案外多いのです。また多くの学術サイトはそれほど激しく動きません。ただ面白いことに、リソースの種類によって早く動くものとゆっくり動くものがあります。ちょうど川の流れのような感じで、たとえば速い流れはニュースソース、ゆっくりとした流れは古典文献のアーカイブ類などです。リソースの種類によって、こまめなケアが必要なものと、必要でないものがある程度、わかれてくる面もあります。

矢野

デザインも手作りですか。

二木

そうです。1、2度リニューアルしましたが、あまり変わっていません。

矢野

壮大な構想の割には仰々しくなく、シンプルで、二木さんの性格の反映ですかね(笑)。

二木

いまの画面は比較的横長で、画面をスクロールせずに、ページ全体を眺められるようにしようと思いました。難しいことは何もせず軽く作ってあります。HTMLはソースを表示できるので、独学するにはとても楽です。他の方がきれいに組んだプログラムをみると、とても参考になります。

矢野

ML(メーリングリスト )やニューズレターもありますね。

二木

時期にもよりますが、リソースを探す過程で、ある程度情報がまとまるとニューズレターにしていました。レターとして流す時点で内容を見直し、他の方に読んでもらえる説明書きを加えます。そこでの選定と編集の作業が最終的にサイトへ移行されますが、その前段階で途中経過をMLで流すこともあります。情報はサイクルさせるほうが、バラバラで動かすよりもスムーズかもしれません。最近はお休みしています。また復活するかもしれませんが。
MLも同様です。メーンMLはいま1000人ほど、もう一つの小さなMLは300人ほどです。私自身が折々にメモとして情報を提供したり、他の方から情報をいただいたりしています。そこから議論が発展し、ありがたい情報や知見を得ることが多いのです。また、他の方が読むと思うと、メールも調べて書く癖がつきました(笑)。そういう緊張は自分だけで読む文章には出てこないので、他の方と接することであらわれる力を借りているのだと思います。いわば“他者力”です。優れた方々が参加してご自分の意見を表明してくださることもありがたいですね。結局ギフトをいただくばかりで、私は何もしていない気がします。

Part2 「やはり残る人と人のコミュニケーション」
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